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それじゃあ何か、とロファーが憤る。
「俺に『おまえに守って貰え』と、そう言っているのか?」
「常人のロファーが対抗できる相手ではないと思うよ」
サラリとジゼルは言ってのける。
「見られていることにすら、あなたは気付いていなかった。それで、どうやって自分を守る」
「だからって、尻尾を巻いておまえの陰に隠れていられると思うのか? 守るのは俺で、守られるのはおまえだ」
なるほど、とジゼルが言う。
「誇りのカードが示すのはこれか」
「カードなんかどうでもいい。遊びだって言ったじゃないか」
「過去の座に『首長』のカード、動機を示す『思い出』のカード、そして『誇り』のカードは危険を表していた……ロファー、今はプライドを気にするべき時ではない。たまにはわたしのいうことを聞いて欲しい」
「いつだっておまえの言う通りにしてきている。でもそれだって俺がおまえを守るという意思のもとにだ」
「だったらロファー」
ひと時も離れずに傍にいて、わたしを守って。それならいいでしょう?……ジゼルの甘え声に、また騙されていると思いながら頷いてしまったロファーだ。
もうすぐマーシャがミルクを持ってくるから受け取っておいて。代金とマーシャへのお駄賃はここに置いておく。わたしは少し眠ることにするよ……そう言うと、ジゼルは寝室に行ってしまった。
「わたしが眠っている間は妖精が結界を見張っていて、変なものは入れないから心配ない」
久しぶりに出掛けたら、思った以上に疲れてしまった。騎乗したせいか、身体も痛む。
「では、オヤスミ」
なんだか嘘くさいと思いながらロファーは『はいはい、オヤスミ』と答えるしかない。
そう言えばキッチンと居間と寝室にそれぞれドアができている。こないだ俺が言った事、ちゃんと聞いていたんだな――ロファーの口元に笑みが浮かぶ。
来客はマーシャだけではなかった。
最初に来たのは粉屋のオーギュだ。
「さっき魔導士様に頼まれた小麦粉を持ってきたよ」
代金は月払いになっている、と言って帰って行った。
次に来たのは酒屋のナダルでワインとビール、果実酒用のリカーを置いて帰っていった。
「代金はロファーに払って貰えって言われている。魔導士様は飲まないからって」
つまり、俺が飲む酒? なんかヘンだと思いつつ、言われた金額を支払った。
マーシャの前に来たのは寝具屋のレオンで
「適当に見繕って、って言われたけど、こんなので良かったかな」
と真っ白な生地を持ってきた。
「子どもが頭からかぶって、お化けごっこができそうなのがいい、って言ってたけど……」
ニヤニヤと顔を眺められ、ロファーがイヤな気分になったのは言うまでもない。
『魔導士様に伺わないと判らない、だめなら連絡するよ』と答えると、『半端物だから代金はいらないよ。まいどあり』とレオンは帰って行った。
魔導士様は助手とお化けごっこをお楽しみ、どんな『お楽しみ』なんだろうね、と下品な噂が立つだろうと、ロファーは頭を抱えた。
最後がマーシャだった。
「魔導士様は?」
「出かけたのでお疲れになったようだ。休んでいるよ」
「あぁ。うちの前もお通りになった。窓から見ていたわ。お昼までまだ間があるのに誰が通るのかしらと思ったの。父さんが『警戒のため見回りをされているのだろう。ご苦労なことだ』って有難がっていたわ」
ミルクの瓶を台所の決められた場所にロファーが運んでやると『ありがとう』とマーシャが言った。いつもはマーシャがロバの背中から運んでいるが、ミルクの瓶はかなり重い。ロファーの性格では、考えもせず手伝ってしまう。条件反射みたいなもんか。
魔導士様がロファーを頼りにするのもよく判る、とマーシャが言った。
「ロファーは誰にでも優しいし、気が利くもの。そして魔導士様も。二人はよく似ているわ」
「俺とジゼルが?」
あら、呼び捨てなのね、とマーシャに笑われ、しまった、と思ったがもう遅い。
「よく似ているわよ。他人に接する態度や表情。魔導士様は長老たちの前では鷹揚に構えているふりをしているけれど、わたしたちに偉ぶるようなことは決してしない。わたしにまで気を使って重いものを運ばせて申し訳ないね、と毎回、お代のほかにも何かしらお駄賃を下さる。この街でそんなこと言ってくださるのも、してくださるのも、魔導士様だけよ」
マーシャがおべっかを使っているようには見えない。
「ロファーだってそうでしょ? 代書屋さんはほかにもあるのに一番繁盛しているのは、みんなロファーを信頼しているからよ」
もちろんほかの代書屋さんよりも素敵な文章を書くとか、豊富な知識を持っているってものあるでしょうけれど。それ以上に、どんな依頼をしてもロファーは怒ったり馬鹿にしたりしない。困っている相手には親身に話を聞いて、助言をくれる。時には軽い冗談でその場を和ませて、優しい笑顔が絶えることはない……そんなロファーが好きで、信じているからよ。
「街中の女の子がロファーに憧れていた頃もあったって、父さんが言っていたわ」
「魔導士様のことはともかく、そんなに持ち上げられちゃうと返事に困るね。街中ってのはいくらなんでも言い過ぎだよ」
苦笑するロファーに、マーシャが少し顔を顰める。
「だけど、これでロファーは『貰い損ね』決定だって、父さんが心配している」
「へぇ、それはなぜ?」
「魔導士様が優秀な助手を手放さないからよ。ロファーほど魔導士様を理解して補助できる人間なんてきっといないわ。魔導士様は遅く結婚なさるかたが多いから、ジゼル様がお嫁さんを貰うのはまだまだ先でしょうし、人によっては一生お一人で過ごされるそうよ」
身を固める気なんかないロファー、
「それじゃあ、なんとかして魔導士様に嫌われなくちゃだな」
冗談で誤魔化しながら、代金とお駄賃をマーシャに渡す。
今日の『お駄賃』はたぶん籠いっぱいのイチゴだ。さっき、持って行けばよかったのに、とジゼルを詰ったイチゴに違いない。ロファーが気づかぬうちに布に包んでいたようだ。渡すとき、包みの中からイチゴの甘酸っぱい匂いが漂った。
嬉しそうな顔で受け取るとマーシャは
「父さんが持って行けって、街の見回りのせめてものお礼だって」
テーブルにチーズの大きな塊を置いた。
「早く代書屋さん、再開してね。恋文を書いて欲しいと思っているの。ロファーの恋文なら必ず恋が成就するって、ジェシカさんが言ってたわ」
マーシャがうっすら頬を染める。
「ジェシカは少しは元気になったかい?」
「魔導士様にいただいたお薬を飲ませたら、すぐに熱も体の震えも治まって、起き上がれるようになったのよ。だけどまだ歩けないの。歩けるようになったらお礼に伺いたいって言ってた」
それは良かった、とロファーが笑む。
「マーシャにいい人ができたか……時は止まらないね。早く犯人を捕まえろって魔導士様を急かすことにするよ」
気を付けて帰るんだよ、ロファーは笑顔でマーシャを見送った。
ジゼルが寝室に引き上げてから、結構な時間が経つが起きてくる気配はない。
そろそろ夕飯の支度をするとしよう。まずはパンの仕込みだ。マーシャが持ってきたチーズをパンに練り込んで焼けば、きっとジゼルが喜ぶ……オーギュが持ってきた小麦粉の袋を開けて、ロファーがパンを作り始める。食品庫に置いてあった小麦粉は使い切っていた。
昼間、街を巡回したついでに、それぞれ注文したのだろうけれど、ロファーが知らないうちに各人の意識に直接話しかけたらしい。話しかけられた相手は皆、現実に起こったことと認識している。だから魔導術は気味悪がられるのだ、とロファーは思った。
パンを発酵させている間に、鍋に水を張って、ポテトとタマネギ、ニンジンにセロリ、煮てから干したトウモロコシをほぐして放り込み、火に掛ける。そこへ刻んだベーコンを加え、出来上がる直前にほうれん草を足せば、このスープだけで夕食は十分だ。鍋を煮ている間に発酵が済んだパンを成型して焼き始めた。
ジゼルはまだ起きてこない。窓から見える景色は夕闇だ。
物音がしたような気がして耳を澄ますと、どうやら馬小屋から聞こえてくる。イヤな予感がしたが、念のため行ってみると、
「やっときた」
ジュリが喜んだ。
「久しぶりのお出かけでシンザンのヤツ、相当腹をすかせたらしい」
飼葉を全部ひとりで食べちゃって、アタシもサッフォも腹ペコさ。シンザンはアタシが黙らせておくから、ついでに水も足しておくれ。
眩暈と頭痛を感じながら、それでもロファーは飼葉を運び、井戸から水を汲み上げる。
「マーシャじゃないけどロファー、アンタは本当に優しいね。ジゼルが迷いもなしに頼るだけはある」
水をがぶがぶ飲むサッフォの横で、むしゃむしゃ飼葉を食みながらジュリが笑う。
「それに賢い。あたしに一切答えない……さすが、ジゲンオオだ」
ジゲンオオ? つい聞きたくなったロファーだが、『馬と話しちゃいけない』と思い止まる。ジゼルもジュリが喋るとは知らないと言っていたじゃないか。用事をすますとロファーはさっさと部屋に戻っていった。
スープは完成し、パンも焼きあがった。あとはミルクティーを用意すれば夕飯の準備は完了だ。だが、暖め直せるスープと違って、ミルクティーは直前に入れないと味が落ちてしまう。それだけの事でジゼルは機嫌が悪くなる。うかつにお茶の用意はできない。
様子を見てみようと寝室に行くと、ジゼルは眠っている。ロファーが近づいても起きる気配がない。ベッドに腰かけ顔を見ているうちに、息をしてないのではないかと不安になり、顔に手を翳せば、スースーと安定したリズムを感じる。
ほっとすると同時に顔から目が離せなくなり、知らずの内にロファーの手はそっとジゼルの頬に触れていた。
マーシャの家族は全員、ジゼルを男と思っている。街の半分はマーシャ一家と同じで、残りの半分は女だと思っている。そしてそれぞれの顔ぶれは、いつの間にか入れ替わっていたりする。
(初めて会った時、なんて生意気な小僧なんだろうと思ったものさ)
それが今では『生きていくのに必要』と、恥ずかしげもなく言える相手になってしまった。
のらりくらりと本心を見せず、言いくるめられてばかりなのに、『あなたが好きだ』という言葉だけは真実と疑わない。疑いたくないから疑わないのか? それほど俺はおまえを求めているということか?
昨夜、暖炉の火を受けて黄金に染まっていた髪はプラチナの緩やかなウェーブを広げている。桃の花びらのような唇、長い睫毛が陰りを落とす目元、瞳の色は……そうだ、おまえの瞳は濃いグリーンで、まるで金緑石のように陽の光で色を変える。その瞳を美しいと、初めて感じたのはいつだっただろう?
俺が望むなら男にでも女にでもなるとおまえは言った。冗談ばかりだなと答えたけれど、もし叶うなら俺はどちらを望むのか。どちらでもいい、その言葉に嘘はない。だけどできることならば……
急にジゼルが身動ぎした。慌てて手を引っ込めようとしたが間に合わない。毛布から伸びたジゼルの手がロファーの手を掴んで逃がさず、頬ずりするように自分の顔に押し当てた。
「うん、判った。ロファーの言うとおりにする」
囁く声は寝言なのか?
心臓が張り裂けるかと思うほどの動悸の中、しばらくロファーは様子を窺っていた。が、閉じられたジゼルの瞼は開かない――ジゼルは眠ったままだった。




