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サッフォは長老の家の敷地に入ることさえ嫌がった。もともとの飼い主は長老だった。が、ドラゴン退治の時に借り、長老に返そうとしてもどうしてもジゼルの傍を離れない。根負けした長老がジゼルにくれた馬だ。馬一頭じゃ足りないとジゼルは言ったがドラゴン退治の報酬は、他には何も貰えなかった。
魔導師がいなかった街なのだ。魔導士への報酬の相場など、誰も知らない。ジゼルにしてみれば、ドラゴン退治の報酬は馬一頭では不足だと、相場を言ったまでだった……が、ジゼルの評判に『強欲』が上乗せされた。
もっとも、もとより報酬を貰うつもりもなかったジゼルにとっては、長老の家で虐待されていたサッフォを助けることができて好都合だったし、サッフォは賢く、忠実で、そのとき馬を持っていなかったジゼルには願ってもない褒美となった。
「いいよ、いいよ、よっぽどつらい目に合っていたんだね」
ジゼルは門の外で待つことをサッフォに許した。ついでだからとシンザンもそこに残され、こちらは不貞腐れてロファーを威嚇することで憂さを晴らしていた。
「おまえの馬は三頭とも曲者だな」
門から玄関へと続く敷石を歩きながらロファーがぼやく。
「ジュリなんか人間の言葉を喋る」
するとジゼルが首を傾げた。
「ジュリが喋る? わたしは一度も聞いたことがない」
長老は大喜びで二人を迎え入れ、干した果物をふんだんに入れて焼き上げたケーキや、いろいろなジャムを乗せたクッキーを振舞ってくれた。お茶も、上等な茶葉で淹れたものだった。
「それで、犯人の目星はつきましたかな?」
お茶を勧めながら長老が訊いてくる。
すぐさまカップに手を伸ばし口を付けて咽喉を潤すと、ジゼルは返答を待つ長老に答えることなく次にはケーキの皿を取り、フォークでケーキを切り分け始めた。
「昨日お届けした報告書はお読みいただけましたか?」
場を持たせようとロファーが代わって答えた。
「おお。あれか、読ませてもらったとも」
判りやすく今回の件を理解するのに大いに役に立った、と長老はべた褒めだ。
横目でジゼルを見ると、ケーキを一切れ口に放り込んだところだ。ニコリとしている。お気に召したようだ。
「しかしあれではちと……まるで魔導士様が犯人のようで、いえ、まさかそんなことはないと判っておりますが」
「まぁ、魔導術は魔導士以外にとっては不思議なものですからね。そう思われるのも仕方ないかもしれません」
またもロファーが答える。ジゼルはケーキを食べ終えて、クッキーに手を伸ばしている。
「だが、長老もおっしゃるとおり、魔導士ジゼル様があのような惨いことをなさるようなことは決してありません。魔導術をお使いになるのは、街人のみなさんのお役に立てるよう、考えてでございます」
「うんうん、この街にお出でになった頃はどんなものかと思いましたが、その後のご活躍、ありがたく存じておりますとも」
「街を巡回する途中に様子を窺おうと立ち寄らせていただきました。巡回は犯人の手掛かりを探してのことです。いまだ見つからぬ犯人ですがそう遅からぬうち、ジゼル様が解決してくださるものと信じております」
言い過ぎたかな、と思ったが言ってしまったことは引っ込められない。
ジゼルが怒りだすのではないかとロファーは冷や冷やしたが、ジゼルはクッキーに専念しているようで、食べつくす勢いだ。その上、自分でポットを取って、カップにお茶を注ぎ足している。冷や冷やどころではないロファーは冷や汗を掻き始める。おい、あまりに不作法だぞ!
「助手のロファーがそう言ってくれるなら、わたしとしても心配することはございません。魔導士様、よろしくお願いいたします」
内心、長老はジゼルの行儀の悪さに立腹しているか呆れているかだろうに、そんな顔を見せない。
「ふむ」
お替わりしたお茶を飲み干したジゼルがカップを置くと鷹揚に頷き、
「話はすんだようなので帰るとしよう」
と立ち上がる。
ちょっと待て、と言いたいロファー、そうとは言えずにジゼルに従う。長老だって気持ちは同じだろう。
「では長老、またいずれ。馳走になった」
にっこりと微笑むジゼル、つい笑顔になってしまう長老、『あぁあ、また騙されているよ』とロファーは胸中で呟いた。
ジゼルが姿を見せるとシンザンは大喜びで、鼻をヒンヒン鳴らしながら尻尾を振り回した。サッフォの馬面を撫でてから、興奮状態のシンザンにジゼルが手を翳した。するとシンザンは嘘のように温和しくなった。
「手を貸して、ロファー」
家を出るときは自分でひらりと馬に乗ったジゼルだが、ここでは誰が見ているか判らない。余り魔導術を使うところは見られたくないのだろう。ジゼルの背丈では自力で馬に乗るのは不自然だ。
ロファーが跪くとその肩を踏み台にジゼルは馬に乗った。ロファーの肩がジゼルの重さを感じることはなかった。
長老の家での不躾を責めたいロファーだったが、『急いで帰るよ』とジゼルは駈歩で行ってしまう。後を追うロファーは、ジゼルが急いで帰ると言いながら遠回りしていることに気が付き、止めようとしたが合図に気づかずジゼルは行ってしまった。
魔導士の住処のドアの前で馬を降りると、ジゼルは指でクイッと馬小屋を指してシンザンに帰るよう命じ、ロファーが下りたサッフォの馬面を撫でてからポンっと優しくお尻を叩いた。サッフォにはそれで通じるのだろう、馬小屋に向かった。
部屋に入ると一息つくこともなく、長老の家での無作法をロファーが責め始めるが、
「珈琲、淹れて」
ジゼルは取り合わない。
「腹が減っていたのか? だから家を出るとき、何か持って出るかと聞いたんだ。籠に入れたイチゴもあったのに」
豆を挽きながらロファーはなおも責める。
「ふん、常人のロファーは、わたしたちを付けている『だれか』には全く気が付かなかったようだ」
「え?」
思わずロファーが手を止める。それを見たジゼルが指をくるくるし始めそうだったので慌てて作業を再開する。
「そいつは昼前に、やっぱり姿を消した。気配を消したと言った方が正しい」
「って、気配だけが付いてきていたってことか?」
「そうだね、どこかで遠隔視しているということだ。厄介なのは遠隔視で人が殺せるか、ってことだね……犯人は別の誰かかもしれない」
危険を冒して結界の外に出た甲斐があったと、ジゼルがニンマリする。
「ちょっと待て、危険を冒してってどういうことだ」
「小言は聞きたくない」
「夏至が近いこの時期に何を考えている?」
ロファーは本気で怒っているようだ。そんなロファーをちらりとジゼルが盗み見る。
「そうだね、ロハンデルト。あなたの言う通りだ」
これからは慎むよ、とジゼルが言えば、さらに追及できるロファーではない。
さらに判ったことがある、わたしたちは食べ物を持たず家を出た。だから、三人の犠牲者が食品を保持していた事には拘らなくていいし、朝食についても同じだ。
ジゼルの言葉に
「それは遠隔視していたヤツが犯人だった場合だろう」
珍しく鋭いことをロファーが言った。
「おまえ、犯人を呼び寄せるつもりで出かけたのか?」
「そうできたらいいな、とは思った……怒らないで」
先制されれば小言も言えない。
「あーあ、判った、怒らない。で、ほかに何か判ったのか?」
「一番多い情報は……言うとロファーが怒りそう」
上目遣いのジゼルに
「怒らないから言ってみろ」
すでにロファーの声は怒気を孕んでいる。
「不思議だったんだけど、ロファーって街の人気者? 男も女も、特に若い女の人のほとんどがロファーの噂話をしていた」
「どうせ悪口だろうよ……俺がおまえの愛人だのなんだの、そんな噂は聞き飽きてる」
「大方そんなところだったけどさ、判らなかったのは、昔おまえに気があったっていう女たちが口を揃えてそのあと笑った事だよ」
「笑った?」
「でもロファーは『役立たず』だから、諦めて他の人を選んだ、そう言って笑っていた。魔導術で治して貰ったと推測する人もいたね」
ロファーの顔からサーーっと血の気が引き、次には真っ赤に変わってゆく。
「おまえ、おれを揶揄うのもいい加減にしたらどうだ」
怒鳴り声に、ジゼルはキョトンとするだけだ。
「だって、なんか含みがあるようで、気になったから。わたしはあなたを治す魔導術なんか使っていないし」
って、ジゼルは意味も判らず言ってるのか?
「意味が判らないなら気にしなくていい」
「怒らないで、って言ったのに……」
「って、だいたいその話は殺人に何か関係あるのか?」
怒らないから言ってみろ、自分の言葉に後ろめたさを感じ、少し語気を弱めたロファーだ。
「ごめん、関係ないね……関係ある情報は長老の家のクッキーが教えてくれた」
「長老のクッキー?」
「生地を捏ねながら噂話をしていたんだろうね。メイドたちの声がかなり練り込まれていた」
「それであんなにバクバクと……」
「ケーキは異国の果物も入っていたようだけど、干されてしまって声は微かにしか残ってなかったよ。どこの言葉かも聞き取れなかった。まぁ、こちらも今回の件とは関係ない」
「さっきは不作法だとか言ってごめん。だけどさ、もう少しやりようはなかったのか?」
「ごめんと言いながら、小言を言うロファー」
ボソッと皮肉を言うものの、
「長老の相手はロファーがしてくれると信じていたよ」
ジゼルがニッコリ微笑めば、騙されていると知りながら、ついロファーも笑みを浮かべる。
気になる情報、と言っても具体的にどう繋がるかは判らない。
長老のクッキーによると、街長の一人息子は九年前に貰った養子で、今年十八、妻になるのは隣街の金持ちの娘と決まっていて、息子より三つ年上、花婿の誕生日に結婚する予定……
「この街では十八で結婚する人が多いみたいだね」
ジゼルの質問に、答えるロファーの顔はかなり嫌そうだ。
「まぁな、十八になる前に相手を決めてしまうことが多いよ」
そして年若が十八になるのを待ってすぐ結婚する。男が二十五を過ぎても独身だと『貰い損ね』と言われ、女が二十二を過ぎても独身ならば『行き損ない』と陰口を叩かれる。
姉さん女房もないことはないが、同じ歳が一番多く、次いで女房が一つ二つ下の組み合わせとなる。
「あぁ、なるほど。それで五年くらい前のロファーはモテモテだったって?」
「言うな」
「気持ちを動かされたことはなかったの?」
事も無げに聞くジゼルに
「ないよ」
明らかに嘘だと判る顔でロファーが答える。そしてジゼルがクスクス笑う。
長老のクッキーからの情報はもう一つあった。犠牲者は全員、瞳が琥珀色だったということだ。調べようと思っていたことだったから、手間が省けてよかったとジゼルが笑う。ロファーは笑うどころではない。
「で、ロファー、琥珀の瞳でわたしを見つめるロファー、あなたはせいぜい気を付けるように――わたし無しで、わたしの結界から出てはいけない。きつく命じる」
真面目な顔でジゼェーラが言った。




