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宝石は語らない  作者: 寄賀あける


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 魔導士の住処に帰るとジゼルはぐったりし、母親の愛情などと言う慣れないものにどっぷり浸かったせいか、どうもいつもと疲れかたが違う、と冗談とも本気とも取れない愚痴をこぼした。

「いつもなら指先から冷え始め、それが全身に広がっていくのに、今日はなんだか腹の底が冷えているように感じる」


 温かいものを食べて腹から暖めるといいんじゃないか? 夕飯は何にする? と気遣うロファーに

「何もいらない、ミルクティーだけ淹れて」

と言い、ジゼルに食欲がないなんて、と本気でロファーが心配する。


 そのくせ闇に包まれた身体を清めなければいけないから、『ロファー、一緒にバスに入ってわたしの身体を洗って』などと言うものだから、『甘えるんじゃないよ』とロファーを呆れさせた。


 それでも、バスを終えて部屋着に替えて戻ってきたジゼルが、『この薬を腕に』と剣で傷つけた自分の腕を差し出せば、ロファーは脱脂綿に薬をしみこませ、文句を言わず傷口に塗った。


 そこにはごく浅い傷だが、(てのひら)程度の長さの傷が残っていた。ロファーを守る結界を作るため、ジゼルが血を差し出すためにつけた傷だ。


「痛むか?」

薬を塗りながらロファーが問う。

「いや……見てごらん。傷が消えていく」

ジゼルが言う通り、塗られた端から傷口は色を失っていく。


「これで良かったんだよね」

ジゼルが呟く。

「これで良かったんだよ」

と、ロファーも呟く。


 あなたも穢れを落としておいたほうがいいとジゼルに言われ、それもそうだとロファーもバスを使う。バスに浸かりながら、母親が幸せそうに眺めていた巻紙に描かれた絵を思い出していた。


 きっと昨日ジゼルが、ホミンの薬を作ると寝室を出たとき、『仕上げなくては』と言った絵だ。金髪に青い瞳の花婿と、明るい栗色の髪に琥珀色の瞳の花嫁が嬉しそうに寄り添っていた。笑顔の二人を、優しい色合いのスイートピーが取りまいている。


 あの母親が心から望み、見たいと願っていた風景をジゼルは描いた。それがあの母の恨みを沈め、人形への執着を解いたのだと思った。


 バスを終えると、『あなたは空腹だろうから、遠慮せず何か食べるといい』とジゼルに言われたが、ロファーとて、そう食欲があるはずもなかった。パンにハチミツを付け、それをミルクティーで流し込む、夕飯はそれで終わった。


 寝室の暖炉に火を(おこ)し、冷えに備えると、もうロファーにやるべきことがない。訊きたいこと、やりたいことは山ほどあるが、疲れ切ったジゼルにそれを持ちだすのは明日でいい。


 暖炉の前で、ロファーに(もた)れかかってジゼルが言う。

「ねぇ、ロファー。今夜は居てくれる?」

「もちろんさ。おまえが氷みたいに冷えたとき、俺がいないと困るだろ?」


「明日は……自分の家に帰ってしまう?」

僅かに沈黙した後、ロファーが答えた。

「あぁ、帰る。やらなくてはいけないことがあるからね」


 だけど、時間を見つけて会いに来る。毎日とは言えないけれど、必ずジゼルに会いに来る。それに長い時間、おまえに会えなければ、きっと仕事も(はかど)らない。


「仕事が進められないなんて、情けないロファー」

ジゼルが笑う。

「だけどわたしも同じ。なんで誰かを好きになると、その人のことばかり考えるようになるんだろうね」

「さあなぁ、それが恋っていうものなんじゃないのかな」


そして

「ホミンは強いね」

ロファーが呟く。

「うん、強い」

ジゼルも同調する。


「初恋の人を失っても、自分の幸せが周囲の幸せを運ぶと悟り、先へと人生を発進させた」

「俺にはそんなことできそうもない。おまえがいなくなれば生きていけない」


「馬鹿なロファー。そんな時が来ても、人は生きていくものだよ」

ジゼルがロファーを見上げる。

「だけど、ロファーがいなければわたしは死んで……」

最後まで言わせる積もりのないロファーがジゼルの唇を塞ぐ。が……


 次の瞬間、

「なんだ、おまえ?」

ロファーは反射的に唇を離し、叫び声を上げた。

「口の中が氷みたいじゃないか!」

ジゼルをよく見ようとロファーが体勢を変えると、凭れていたジゼルが支えを失ってくずおれる。


 慌ててロファーが支えると

「ちゃんと生きていくんだよ」

ジゼルが微笑む。思わずロファーが怒鳴る。

「こんな時に冗談言うな!」


 どうやら自力では座ってもいられないジゼルを、慌ててロファーはベッドに運ぶが、そうしているうちにジゼルの身体がどんどん冷えていくのが判る。こんな冷え方は初めてだった。


 いつも寒い寒いとジゼルは自分でベッドに入り、温めてと言ってくる。今日のジゼルは一度も寒いとは言っていない。腹の底から冷えてくる、と言ったきりだ。


「どうなってる? どうすればいい?」

狼狽(うろた)えるロファーの耳に、

「ごめんね、とうとうダメみたい。きっと脳みそまで凍ってしまう」

か弱いジゼルの声が聞こえる。


 脳みそが凍ったらどうなるんだ? ロファーの問いに、答える力を失ったのか、ジゼルの返事はない。


 落ち着け、落ち着け、と自分を宥めながら、『わたしが冷えたなら、何しろ温めろ』以前ジゼルが言っていたことを思い出し、暖炉に薪を足し、クローゼットからありったけのケットを出してジゼルに掛ける。


 そうだ、物置にストーブもあったはず、大急ぎで物置に行き、ストーブに手を伸ばす。すると、妖精に頬を叩かれたのを感じた。妖精が、だめだと言っている?


 妖精に逆らうわけにはいかないと、ストーブを諦めて寝室に戻り、ジゼルの様子を窺うと、真っ青な顔で静かに瞼を閉じている。微かに胸元が上下しているところを見ると、呼吸は止まっていない。


 ジゼルを温めるのに使えるものが他には思い浮かばない。最後に自分がジゼルの隣に潜り込み、体温で温め始めるだけだ。ロファーはベッドに潜り込み、冷たいジゼルの身体を抱いた。


 氷のように冷たいのに、ジゼルの体は柔らかい。その、柔らかく冷たい体を抱いていれば、自分のほうが凍死しそうだ。


 それでもかまわない、とロファーは思った。初めて自分の身体でジゼルを温めたとき、命を吸い取られているんじゃないかと感じた。その時の恐怖など思い出しもしなかった。


ジゼル、ジゼル、ジゼル……


 強い思いは勝手に飛び込んでくるとおまえは言った。ならば俺の思いを受け止めてくれ。死ぬな、ジゼル、俺の傍を離れるな。


 ジゼルの冷たさで自分の身体も冷えていく。それにも構わず、ロファーはジゼルを抱き続け、時おり口づけし、頬に涙を流した。涙はゆっくりと氷付きキラキラと輝く結晶へと変わる。そして……必死なロファーもやがて疲れ果て、いつの間にか眠ってしまった。


 どれほどの時が流れただろう。窓から朝陽が差し込んで、部屋を明るく照らし始める。とうに暖炉の薪は燃え尽き、外から聞こえる鳥たちの(さえず)りが部屋の静けさを(いや)()している。


 ベッドの上のケットの山が(うごめ)いた。陽の光を受けた虹色の(きら)めきがさせたのか、山は一枚ずつ引っ張られ、ずるずるとベッドの脇へと落ちていく。


 最後の一枚は四隅が順に引かれ、やっと頭が見えた二人を包み込んだ……まだ二人は動き出さない。


 朝方には部屋の奥に差し込んでいた陽が、窓際のベッドを照らすころ、ジゼルが静かに目を開けた。そしてロファーの顔をぼんやりと見て、また目を閉じる……まだ、身動き取れるほど回復していない。虹色の光が慌ただしくジゼルの周りで煌めいている。ロファーは目を覚ましそうにない。


 とうとう陽が部屋の中に差し込まなくなったころ、目覚めたジゼルがロファーの髪を撫でながら、名を呼んだ。

「ロファー……」

その声が聞こえたからか、それとも自分に触れるものに気が付いたからか、ロファーが静かに目を開け、ジゼルを見て微笑んだ。

「ジゼル……俺たちは死んだのか?」

クスリとジゼルが笑った。

「では食事をしながら死んだかどうか検証しよう」


 腹ペコで死にそうだ。ジゼルがゆっくりと身体を起こした。緩慢な動作から本調子ではないことが見て取れる。


 それはロファーとて同じだった。今度こそジゼルに生気を吸い取られたかと思うほど、疲れが残っている。身体が重くて仕方ない。


 それでも無造作に積み重ねられたケットの山をそのままにしておけず、クローゼットに片付けてからロファーはキッチンに行った。


 ミルクを沸かしていたジゼルが、ロファーを見て言った。

「馬や鶏の世話は魔導術で終わらせた」

「いつもより遅いとジュリが怒らなかったかい?」

「ジュリ? わたしに苦情を言える度胸があるとは思えないけど? シンザンは怒っていたね」


 今朝は卵入りのオートミールにした。消化がいいし、作るのが簡単だ。そしてこんな時にもジゼルは、たっぷりのミルクティーだけは欠かさない。


 もう大丈夫なのか? ロファーが問えば

「本調子とはいかないけれど、どんどん回復しているよ」

妖精が気力を送ってくれている。


「あぁ、それでさっきからチラチラ虹色に光るのが見えるんだね」

ジゼルは少し首を傾げたが、すぐに気を取り直したようだ。

「それでロファーは? 体調が良いようには見えないけれど」

「うーーーん、恐ろしくだるい」

「わたしのせいだね。わたしがロファーを冷やしたからだ。もっとわたしは慎重に行動しなくてはいけなかった」


 流石に(こた)えているのだろう。珍しくジゼルが反省を見せる。そうだね、そうしてくれるとありがたい、ロファーとしては、そう答えるしかない。

「おまえを失うかもしれない恐怖を、二度と俺に味わわせないでおくれ」


 長老には報告しに行かないとな、とロファーが嘆く。明日にしたいところだが、それだけ街人が怯える時間が長くなる。


 犯人は魔物だった、そう報告すればいいのだろう?……確認するロファーにジゼルが言った。

「あの屋敷の者はそう信じている」

念のため記憶を書き換え、信じ込ませた。昨夜の出来事を口々に語るだろう――魔導士が魔物を追い出し、魔物はどこかへ消えた。


 息子の(やまい)を治したい一心の母親を非難する者はいないだろう。まして魔物のせいで失った正気を、取り戻すこともできずにいる。同情を寄せるばかりだ。


「あと、判らないのは……」

カレネの卵が一つだけ割れていたことと、行方不明になったミーナが殺害されたのが翌朝だったこと。


「カレネの卵が一つだけ割れていたのはきっと、エプロンを瞬間移動させた時の勢いのせいだ」

「瞬間移動?」

「うん、出血なしに眼球が刳り貫かれたのも、その瞬間移動の力に()るものだ。眼球のみを手元に移動させた」

あの母親の祖先には強い力を持った魔導士がいるのかもしれない。

「母親の力は闇で対象を包み込み、その時間を止めるというものだ」


 さらに闇の中のものを瞬間移動させる力もあった。(いのち)を奪ったのも同じ力だ。魂をどこかに瞬間移動させた。わたしは息子が埋葬されている墓地だと思っている。闇が部屋から出て向かったのも息子の墓地だ。


「恋人を息子の許へと思ったんじゃないかな?」

肉体から魂だけを瞬間移動させることができるとは……魔導術と言うのは恐ろしいものだな。ロファーが言えば

「どんな魔導士でもできると言うわけではない。むしろできる魔導士は少ない」

あの母親の息子を思う気持ちが、常軌を逸した力を発揮させた。


 だからこそ、すべてを魔物の仕業とすれば、我々魔導士にとっても都合がいい。ただでさえ恐ろしいと思われているのだ、そんな力を持つ者がいるとなればさらに恐れられ、恐怖が暴走しかねない。

「魔導士狩りなんてことになったら困る」


 さて、ミーナの件だが……

「これは朝のうちだけしか行われない犯行、とも繋がる」

屋敷の主人(あるじ)の話によれば、息子の誕生日の朝に、あの母親は微笑んでいた。その時、すでに息子を殺害する決心はついていたのだろう。


「息子は自殺ではないのか?」

問うロファーに

「あの母親が殺したのだよ」

と、事も無げにジゼルが言う。


「あの屋敷の者たち、特に主人(あるじ)にとっては、息子は自殺のほうが救いになる。母親に殺されたなど、息子が哀れすぎ、母親が哀れすぎる」

それに結局あの母親は、罪の意識から逃れられず、息子は自殺したのだと思いこもうとしていた。


「息子を殺める決意をし、実際に殺めるまでの時間、母親の心は穏やかだったのではないだろうか」

息子が生まれた喜び、初めて抱いた時の温かさ、自分に向ける無垢な信頼、そんな全てを次々と思い出し、心穏やかな中で母親は息子を手に掛けた。


 それは苦しみ以外の何物でもなかったはずなのに、とてつもなく穏やかで、その矛盾があの力を呼び覚ましたと考えている。

「だからその時間帯に力が増し、あの屋敷の外へとむけるほどになった」


 それでミーナが翌日まで生かされていた件だが、ミーナが籠を持っていたからだと思う。

「ミーナを闇で包み、時間を止めた母親は、最初に籠の存在に気が付いたんだろうね」


 思い出が籠を母親のもとに瞬間移動させ、幸せだった頃を母親に思い出させた。そしてミーナ=ホミンの殺害を躊躇(ためら)わせた。その躊躇(ためら)いが、本来なら魂だけを移動させるものを身体ごと移動させた。

「やがて母親の力が弱まる時刻となり、ミーナは水車小屋の裏手で放置された」


 闇に包まれたミーナの時間は止まったまま、ミーナの意識も停止した。


 闇と一体化したミーナは誰にも見つけられなくなったが、翌日、母親は闇を外へとむけたとき、真っ先にミーナを見つけることになる。そして、当然のことながらその時、ミーナは籠を持っていない。


「それでミーナの目を刳り貫いて、命を奪った? 籠を持っていたことは忘れているのか?」

ロファーの問いにジゼルは目を伏せた。

「思い出とは全て切れ切れに、心に次々と浮かんでくるものだよ」

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