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宝石は語らない  作者: 寄賀あける


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17/22

17

 ジゼルが闇に問いかける。


「なぜホミンをそんなに憎む。何よりも大切な息子が、愛を捧げた娘じゃないか」

「おぉ、ホミン、そんな名だった」


 ジゼルの問いに答えながらも闇は渦を巻き、流れ込み、必死になってロファーを探している。

「憎いとも、憎いとも」

泣き声と怒号が鳴り響く。


「あの娘のために我が息子は自ら(いのち)を絶った。それを恨まずにいられるものか」

轟々(ごうごう)と音を立て、部屋中の空気が揺れる。憎い憎いと繰り返す。ガタガタとベッドが揺れ始め、そこから今度は若い男の声がする。


「僕がいればホミンは次へ進めない。母さん、お許しください」

闇が激しくのた打ち回る。

「あぁ、せめて。最後にもう一度だけでいい……あの琥珀(こはく)色の瞳で僕を見詰めて欲しい」

ベッドがクルクルと回転を始め、闇と同化していく。


 欲しい、欲しい、琥珀色の瞳……(いま)()の際の息子の願い、この母が叶えずに誰が叶えるのだ?


 欲しい、欲しい、琥珀の瞳。憎い、欲しい、憎い、欲しい。悲嘆と憎悪、恨みに憎しみ、闇は更にどんよりと、ジゼルの身体にも纏わりついてくる。


「たとえ琥珀色の瞳を手に入れようと、あなたの息子は帰ってこない。そして喜ばない」

ぴたりと闇が止まり、音がやんだ。が、次の瞬間!


 ぐるぐると部屋が回るのを感じ、思わずロファーがよろける。

「まやかしだ、目を閉じろ!」

ジゼルが叫ぶ。


 そこだ、そこにいた! 歓喜の声を上げ、闇がロファーに突進する。

「許さぬ!」

ロファーと闇の間にジゼルが躍り出て、右腕を目の高さに翳し、闇を食い止める。闇とジゼルの腕はぶつかり、バリバリと音を立てて光の粉を散らした。力づくでエイッとジゼルが腕を払い、闇を向こうへ飛ばすと、少しばかり闇は後退し、わずかに失速する。


 その闇にジゼルは(てのひら)をすかさず(かざ)した。


《神秘王ジゼェーラの名において(めい)じる。思い出よ、過去を(よみがえ)らせよ》

ジゼルの瞳が赤い光を放った。


 すると闇は部屋の中を行ったり来たりし始めた。中心部が僅かに明るくなり、そこに部屋の内装と女性の姿が見えた。闇と同じように女性は行ったり来たりしている。


 その女性に話しかける声がする。

「母さん、ホミンが幸せになることが僕の幸せなんだよ。だから、もうここに来ちゃいけないって僕が言ったんだ」

女性は耳を両手で塞いだ。ジゼルが静かに近づいて、耳を塞いだ手に触れた。


 そして闇が場面を包み込み、またも中心部に光が差し込んで、女性と部屋の内装が現れる。今度はベッドサイドで涙ぐむ女性がいる。

「苦しいよ、母さん。この苦しみはいつまで続く? 母さん、助けて」

ここでもジゼルが女性に近づき、その手に隠したナイフをそっと取り上げた。


 次に現れたのは窓辺に立つ女性だった。敷地内の墓地に、誰かが埋葬される様子を窓から見降ろしている。ため息とともに振り返り、ベッドの中に横たわる誰かの顔を撫でようと手を伸ばす。その手にジゼルはスイートピーの花を持たせた。


 クルクル闇は回転し、ガタガタと部屋を揺らす。ジゼルがカーテンを引いて、窓を開け放した。


 パーーっと光が部屋に差し込み、闇を外へと追い立てる。迷うことなく闇は窓へ向かい、そして屋敷の敷地の中の墓地へと吸い込まれていく。


 終わった、とロファーは思った。体から力が抜けて、その場に座り込む。


 ジゼルは明るい部屋に置かれたベッドを見ていた。瞳は深い緑色に戻っている。傍らには、この屋敷の女主人が呆然と立っていて、やはりベッドを見ている。微笑んでいる……


 ジゼルが術を解いたのだろう。部屋のドアが開き、廊下からわらわらと、この屋敷の住人たちが入ってくる。


 メイドの一人が女性に駆け寄り、『奥様』と呼びかける。呼びかけられた女性はニッコリ笑んだままベッドを見続けるだけだ。その視線を追ったメイドが『ヒイイッ!』と悲鳴を上げた。


 屋敷の主人(あるじ)が妻に寄り添い、メイドに目配せをする。メイドは青白い顔のまま、それでも主人(あるじ)に女主人を任せて下がった。


 使用人には知らせなかった。知らせることなどできなかった……屋敷の主人(あるじ)が淡々と語る。


 妻は、『足しげく通っていたのに、急に姿を見せなくなったのは(やまい)の息子を捨てたからだ』とホミンを恨んだ。そうではないと息子が言っても、ホミンを庇っているからだと信じなかった。一層息子を哀れと思い、ホミンへの恨みを募らせるだけだった。


 二人の手紙のやり取りも、妻にとっては息子の体力を奪うものでしかなく、いくらわたしが『息子の生きる励みになっているのだから』と言っても聞く耳を持たない。かと言って、手紙のやり取りの邪魔をして、息子に嫌われるのも嫌だったようだ。


 妻はその全てを息子に捧げ、ひと時も息子の傍を離れず、今思えば、そんな自分を追い詰めるやり方はいけないと、わたしが止めるべきだった。


 しかし、わたしとて息子が可愛くないはずもなく、わたしなりに散々手を尽くしていたこともあり、妻の気持ちは痛いほど判る。気の済むようにさせるしかないのだと、諦めていた。いや、(なか)ば見放していたのかもしれない。息子のことも、妻のことも……人生にはどうにもならないこともあるのだと、そう自分に言い訳して真っ()ぐに妻と向き合うことを避けたのだと思う。


 息子の十八の誕生日のことだ。心境的に祝うどころでないとしても、その日は特別な日、わたしも朝には息子の部屋を訪ね、祝いの言葉を息子に贈った。


 やせ衰えた息子の、生きた姿をわたしが見たのはそれが最後だ。

「ありがとう、父さん」

弱々しいその声が、わたしが聞く息子の最後の声となった。そしてその時の妻はいつになく穏やかな顔をして、息子に微笑み、そしてわたしにさえ微笑んだ。


 息子の誕生日だからだと、いったんはその笑みを受け止め部屋を退出した。しかし、どうにも違和感がぬぐえず、胸騒ぎを感じた。わたしは時を置かず、再度この部屋に足を踏みいれた。


 すでに息子の心臓は妻が刺したナイフで傷つき、動くことを放棄していた。驚き嘆くわたしの目の前で、妻は息子を刺したナイフで自分の咽喉をつき、自らの命を絶とうとした。


 咄嗟に止める以外にわたしにできることがあっただろうか? しかし……結果として、息子殺しの罪を背負って生きていくことを、わたしは妻に()いてしまった。


 息子の遺体は使用人たちにも知られないよう、真夜中にひっそりとわたしが埋葬した。遺体に取りすがる妻を宥めるため、わたしはそのベッドに人形を置いた。


 クッションに毛糸で作った(かつら)(かぶ)せ、毛布を丸めた胴体を付けただけの、人形と呼んでいいのかさえ疑わしい人形を、まさかそれで妻が納得するなどと思っていなかった。それなのに、それから妻は甲斐甲斐しく人形の世話を続けている。


 わたしは屋敷の者にこの部屋への立ち入りを禁じた。食事はわたしが運び、妻がこの部屋を出ることもなく……妻は。


 妻はあの時、己の息子を手に掛けたあの時、すでに壊れていたのだろう。


 そして不思議なことに、クッションに毛糸の髪、毛布を丸めた胴体の人形が、いつの間にかちゃんとした人の形と変化していき、ついには息子そっくりの姿に変わった。


 何か悪いものに憑りつかれたのだ……どうしてこんなことになった? 人形を始末しなければと何度も思った。けれど、もしそれで、妻に何かあったら? 恐ろしさにわたしはどうすることもできなかった――


 屋敷の主人(あるじ)の告白に、まだベッドの有様を見ていない使用人が覗きこみ、ある者は小さな悲鳴を上げ、ある者は口元を抑えた。


 しばらく黙っていたジゼルだが、やがて静かにこう言った。

「そこに横たわるのは、毛糸の髪を生やしたただのクッションだ」

そんなはずは、と主人(あるじ)が覗きこむ。そして自分を取り巻く使用人たちを見渡した。使用人たちは頷いて、『魔導士様の(おっしゃ)る通りです』と、ジゼルの言葉を後押しした。


「ただ……丸めた毛布の胸元に当たるあたりに、一本のナイフが刺さっている」

たぶん息子の命を奪ったナイフだろう。


「息子の血を吸ったナイフが主人(あるじ)よ、あなたを幻惑したのだよ。そのナイフには、あなたの息子の魂の一部とでもいうべき無念がこびり付いている」

ポンと主人(あるじ)の肩を叩き、ジゼルは言った。

「息子の墓に埋葬してやるといい」


 更にジゼルは続けた。

「そしてあなたの妻は息子を殺めてなどいない。あなたの息子は自ら死を選んだ。(やまい)の苦しみから逃れるために」

くっ……押しつぶすような泣き声が主人(あるじ)の咽喉から漏れる。使用人たちの嗚咽がそれに混じった。

「あなたが見たのは息子の胸から引き抜いたナイフで、母親が後を追おうとしたところだ」


 それで、だ、とジゼルが続ける。

「あなたの妻だが……」

息子を思う強い気持ちが不思議な力を呼び起こしてしまったようだ。あるいは生まれつき、魔導術に準じる力があったのかもしれない。それが息子の死で爆発し、暴走したのだろう。


「ホミンを憎むことでようやく保っていた平常心が、息子の最後の願いを叶えたい思いとぶつかり合って、とうとう心を飛び出してしまった。ホミンが息子を見舞いに来たのが引き金となったのかもしれない」


 飛び出した心は街を彷徨(さまよ)い、息子に捧げるべく琥珀色の瞳を探し求めた。

「あなたの妻が一連の殺人の犯人だと、お判りいただけるか?」

使用人たちの嗚咽が号泣に変わり、ジゼルの耳に届く。彼らには見えているのだ、ベッドの上の有様が。


 屋敷の主人(あるじ)には、愛息によく似た人形が横たわるだけのベッドに見えているが、実はそこには、毛糸の髪のクッションの頭と、丸めた毛布の胴体、そこに突き刺さるナイフ、そしてナイフを取り巻き、クッションを見上げるように置かれた六個の眼球がある。


「わたしの妻が……」

主人(あるじ)はジゼルの瞳を見つめ、妻を見る。妻は微笑んでいる、ベッドに向かって。

「わたしの妻がそんな大罪を犯した?」

崩れ落ちる主人(あるじ)にジゼルは続けた。

「あなたの妻は、ただ、瞳のみを欲していた。それが可哀想な街人の眼球のみを持ち去ることになった」


 あなたの妻が欲しいのはホミンの瞳であり、犠牲者たちはみな、あなたの妻にとって憎いホミンだった。だから容赦なく命を奪った……奪うことになると認識していたかは判らない。どのみち、どうでもいいことだったのだろう。


「あなたの妻の意識は闇となって空間を漂い、包み込んだ相手のなんにでも影響できた」

カレネのエプロンを持ち去ったのもあなたの妻だ。自分のエプロンと錯覚したのだろう。母親のイメージが強い。そしてミーナの籠は破壊したかもしれない。あなたの息子とホミンが幼いころ、籠に摘んだイチゴを二人仲よく食べていたことを思い出したのだと思う。


「それで……屋敷の主人(あるじ)よ。あなたは自分の妻をどうしたい?」

ジゼルはゆっくりと、この家の主人(あるじ)に向き直った。

「街人たちは今回の事件の犯人を確定しないことには、落ち着いた暮らしを取り戻せないだろう」


 屋敷の主がガタガタと震え出す。

「それでは、妻は……絞首刑にでも?」


 それをあなたが望むなら――ジゼルの言葉に、大きく何度も首を振る。

「魔導士様、どうしてわたしが自分の妻の死を望むでしょう?」

「見ての通り、もう、どこまで判っているか知れないんだぞ?」

「それでも!」


 主人(あるじ)は涙で訴える。

「苦楽を共にし、息子を育て見守ってきたのに、最後に手を差し出せなかったこのわたしが、ここでまた妻を見捨てたら妻が哀れ過ぎます」


「ではこの後も命ある限り添い遂げたいと言うのだな?」

そう言いながらジゼルは懐から一片の巻紙を取り出した。


「ならば、あなたの妻にこの絵を見せなさい。見せればベッドの上にある物への執着が、あなたの妻から消えるはずだ」

主人(あるじ)は恐る恐るジゼルから巻紙を受け取ると妻に歩み寄り、巻紙を開いて渡した。


「おぉおぉ……」

妻の口から嗚咽が漏れる。絵を抱き締めて泣いているのだ。それを見たジゼルが、パンと指を鳴らすとベッドの上にはナイフだけが残っていた。


主人(あるじ)よ、この屋敷の中に口の軽い者はいるか?」

ジゼルの問いに主人(あるじ)が答える……滅相もない、忠義者ばかりです。


 その答えに、『そうか』と言うと、ジゼルはゆっくりと値踏みするように使用人の間を歩き、一人ひとりの肩に触れていく。一通り肩に触れるとジゼルが言った。


「ではこうしよう。息子の(やまい)を治したいばかりに、母親は魔物に捕らえられてしまった、と。その魔物が今回の犯人だが、それはこのわたしが追い払った。だから再び誰かが襲われる心配はない。だが、魔物を追い出した衝撃で母親の気が触れてしまうこととなった」

その母親をちらりとジゼルが見る。与えた巻紙を幸せそうに眺めている。


「だから、もう、母親のことは隠すことなく街人に知らせ、街人たちの援助を受けるがいい。ただし、息子の死は向こう一年隠し通し、そののち葬儀を執り行え。ナイフは直ぐに埋葬せよ」

この条件が飲めるなら(いのち)ばかりは助けよう。


 わたしに否があろうはずもございません――主人(あるじ)はひれ伏すような勢いでジゼルに頭を下げた。

「魔導士様のご恩情、決して忘れることはありません。未来永劫なんなりとお申し付けください」


 流石のジゼルもその言葉には驚いて

「いや、それには及ばぬ」

本音を漏らしたようだ。


 このやり取りの時、ロファーの立ち位置からは母親がうっとり眺める巻紙に描かれたものが見えていた。ついそれに気を取られてしまったロファーが、ジゼルに呼ばれたことに気が付かずにいると、ジゼルは誰にも見えない足払いをロファーに掛けて、二・三歩歩かせた。


「ロファー、預けたペンダントを」

ジゼルが差し出す手に、ホミンのペンダントを首から外してロファーが乗せた。それをジゼルは主人(あるじ)に渡す。

「これもあのナイフと一緒に埋葬するといい」

あなたの息子がホミンを守るために祈りを込めたものだ。

「あなたの息子が祈りを籠めて、ホミンに贈ったペンダントだ。ホミンの代わりに、わたしのロファーを守ることで、あなたの息子の祈りは成就した」


 では、これでお(いとま)しよう、部屋から出ようとするジゼルを主人(あるじ)が引き止める。


「いかほどお支払いしたらよいものか」

振り返ってジゼルは答えた。

「こちらが勝手に押し掛けてきた。報酬などいらない。ただ、思いがあるならば、もうすぐホミンが結婚する。庭に咲くスイートピーを花束にして祝いの言葉とともに、あなたの息子からだと言って届けて欲しい」


 行くぞ、ロファー、そう言ってドアを出ていく。廊下に出る瞬間、

《刷新せよ》

瞳が赤く光ったのをロファーは見逃さなかった。


 これでジゼルが肩を触れた人々の記憶が書き替えられたのだろうと、ロファーが思う。どう書き換えたかは後で聞こう……

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