12
ジゼルの笑顔にメイドは少し安心したようだ。話がしたいだけだから、少しそこを退いて欲しいとジゼルが言えば、素直にジゼルが入るすき間を開けた。
「さて、ホミン、少し話をさせて。ここに腰かけてもいいかな?」
ホミンは横たわったまま、頷いたようだ。
「あなたが楽になるように少し力を送り込みたいのだけれど、そのためにあなたの髪と頬に触れるよ。怖がらなくていいからね」
傍らにいるメイドが身構えるのがロファーから見えたが、ジゼルは気にしていないようだ。
そっとホミンの髪を撫で、その頬に触れる。するとホミンの顔にポッと赤みがさした。
「ホミン様……」
身構えていたメイドがよろけた。
主の回復を目の当たりにし、体から力が抜けたのだろう。魔導士が危害を加えることもないと安心して急激に緊張がほぐれたこともある。すっと腕を伸ばして彼女が倒れないようジゼルが支えたが、すぐに気を取り戻してしゃんと立つと、『ありがとうございます』と呟いた。
それには頷くだけで、ジゼルはまたホミンに向う。
「話せるくらいには元気になったよね? 声を聞かせて」
ホミンは頷いたが声を出すことはなかった。そんなホミンをジゼルは少し見詰めていたが、次には微笑んだ。
「判った、わたしとあなた、二人にしかこの会話は聞こえない。だからわたしに打ち明けて」
ジゼルがにっこりと笑顔を見せた。
たぶん『判った』といった時から、メイドたちには二人の声は聞こえなくなったのだろうとロファーは思う。メイドたちが聞けば驚くような話をしても、誰一人顔色一つ変えたりしなかった。
二人の会話が筒抜けのロファーにはそれが判る。嘘つきジゼェーラ、二人にしか聞こえないんじゃなかったのかい? 俺には丸聞こえだぞ……心内で苦笑する。
話の最後にジゼルはホミンの胸元に目を止めた。ペンダントが気になるようだ。
「そのペンダントは貰ったもの?」
「えぇ、最後にお会いした日に」
ホミンが答える。
「貰ったのはそれだけ?」
さらに問うジゼルに
「はい」
ホミンが答える。その時、ジゼルの術は解けたようだ。メイドたちがなぜかそれぞれに思い思いのため息をついた。
ジゼルがロファーを見て『あなたのタオルを貸して』と言った。ベッド際まで行って、玄関で渡されたタオルをジゼルに渡す。軽くそのタオルにキスするような仕種のあと、ジゼルはホミンにそのタオルでペンダントを包むように言った。
「そのペンダントはわたしが預かろう。忘れなくてはいけないよ、ホミン」
ジゼルを見つめるホミンの瞳から涙が零れ落ちる。
ホミンがゆっくりと上体を起こそうとするのをメイドが手助けすると、ホミンはそのメイドにペンダントを外し、タオルに包むとジゼルに渡すよう頼んだ。
無言で見詰めるだけでホミンの体調が好転するさまを見たメイドたちは、ジゼルたちがホミンの部屋を出る頃にはすっかりジゼルに魅了されたようだ。ジゼルとロファーが出たドアが閉まる前から
「ラベンダーの魔導士様」
「わたしのロファーと仰った」
とキャアキャアいうのが聞こえてくるほどだった。
きっと彼女たちはジゼルの瞳は常に紫色だと思いこんだことだろう。赤い光を放つ事があるとか、そんな時はとても恐ろしいのだ、などと思いもしないだろう。そして『わたしのロファー』という言葉が遠からず独り歩きを始めることだろう。
階下では執事が待っていた。
「もう心配はない。ホミンはこれより回復に向かう」
ジゼルの言葉に深々と頭を下げる。
「それで報酬はいかほどに? 街長からいくらでも仰せのままにお支払いするよう言い遣っております」
「それではこの屋敷を貰おう」
「はっ?」
「ふん、『仰せのままに』ではなかったか? 報酬など不要。それより後で誰か使いに寄越せ。ホミンに飲ませる薬を調合しておく」
ジゼルは怒っているようだった。
それでも街長が用意した馬車で家に帰る。雨はますます強くなっていて、ジゼルは雨に濡れたくなかったのだろうとロファーは思った。迎えに来たときと同じ御者だった。
家に着くとジゼルは御者に待つよう命じた。そしてポーションの戸棚から小さな小瓶を二つ取り出すとロファーに渡し、
「これを御者に。一本は御者が飲むように。もう一本は迎えに来てくれたメイドの分だ。風邪の予防薬だよ」
と言った。
ロファーがそう伝えてポーションを渡すと、御者は涙を流さんばかりに喜んで、何度もジゼルの家に向かって頭を下げた。ロファーが『もういいから』と止めなければ、いつまでもそうしていたかもしれない。
暖炉の炎に暖められた寝室に戻ると、着替えを済ませたジゼルが揺椅子を持ちだして座っている。が、ユラユラと忙しなく揺らしている。とてもリラックスしているようには見えない。
ジゼルは怒っている。色々なことに怒っている。そして、どれに一番怒っていいか判らなくてイライラしている、ロファーはそう思った。
「街長も、ホミンの婚約者の息子も、とうとう顔を見せなかった。あんな決心をホミンにさせているのに」
暖炉を見つめるジゼルの瞳が赤く見えるのは炎のせいか、それとも怒りからか?
「ホミンはかなり弱っていた。すぐに行ってよかった。明日では助からなかったかもしれない」
更にジゼルが言う。声は確実に怒りを帯びている。
「金持ちというのはみんな、ああなのか?」
「人にもよるさ」
揺椅子の隣に腰を降ろしながら、慰めるようにロファーが言う。
「彼らがホミンを大事にしていない訳ではないんだ。ただ、大事にする仕方が少し俺たちとは違っている、そういうことだと思うよ」
「ロファーだって憤りを感じているくせに、庇うことを忘れないんだね」
揺椅子から降りてロファーの横に腰を降ろすと、ジゼルはロファーに凭れた。肩を抱いて受け止めて、ジゼルの髪を撫でる。
「政略結婚は魔導士の間でもある。わたしの父と母のように。わたしの結婚も似たようなものだろう」
何か言おうとするロファーをジゼルが制する。
「だからそれ自体がいけないとは言わない。言わないけれど、強制するのなら、それに見合った補償が必要なはずだ」
「うん……ホミンは嫌なわけではない、と言っていたと思うが?」
本当は別のことを訊きたかった。でも今はホミンの話をするべきだ。すると、ジゼルが身体を起こし、不思議そうな顔でロファーを見た。
「あれ? ロファーにはわたしとホミンの話が聞こえていた?」
「嘘つきジゼェーラが出たと思った。二人にしか聞こえないって言ったのに」
笑うロファーにハッとして
「自分の左腕を見て」
と不思議なことをジゼルが言う。
見ると銀色の髪の毛のようなものが手首に絡みついていた。
「わたしの髪だよ、もう取っていい」
どんな魔導術にも影響を受けないようにロファーを守った。報酬が髪の毛一本だったから少し不安だったけれど、街長の屋敷からは魔導術の気配を感じなかったし、わたしが一緒なのだから充分だろうと思ったと、ジゼルが言った。
「だからロファーにわたしの力が及ばなかった。すっかり忘れて、聞こえないものだと思ってた」
「この場合、気が付かないうちに術を掛けられたことを怒ったらいいのかい? それとも、術を掛けたことを忘れられたことを怒ったらいいのかい?」
ロファーの言葉にジゼルが吹き出す。
揺椅子で使っていたクッションを取ると、それを枕にジゼルが俯けに横たわる。
「今日は休息日にしようと思っていたのに。なんか疲れた」
眠るならベッドにしたほうがいいぞ、とロファーが言えば
「いいや、その前にホミンの薬を作らないとね。絵も描き掛けだから仕上げておきたい」
とジゼルが答える。
「きっと薬を取りに来るとき、使いの者に幾らかの金を入れた袋を持ってこさせるだろうね」
ジゼルはウンザリ顔だ。
「それは受け取っておいて。でないと向こうの顔が立たない」
「ジゼルも相手を庇うじゃないか」
「違う。ホミンの立場を保つためだ」
立ち上がりながらジゼルが続ける。
「幾ら入れてくるかは判らないけれど、その金額が彼らにとってのホミンの価値だと思うと、胸糞が悪い」
胸糞なんて言葉を知っていたか、とロファーが笑えば、ジゼルもつられて笑った。
「ホミンの薬を作ってくるよ。眠くなる前にね」
ロファーを残しジゼルは寝室を出て行った。




