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宝石は語らない  作者: 寄賀あける


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11/22

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 翌日、ジゼルの筋肉痛はほぼ治ったが、胸のしくしくする痛みは続いていた。一方ロファーは眠りが浅く、何度も悪夢にうなされて、そのたびにジゼルが

「よしよし」

頭を抱いて撫でていた。お陰で二人とも寝不足で、いつもの時間にはベッドから出られず、ぐずぐずしていた。


「食事はどうする? 食べられる?」

横になったままジゼルがロファーを覗き込む。


 いつになく優しいジゼルに、まさか夢を覗き見されたのか、とロファーは不安を感じたが、それならそれでもいいやと思い直した。じたばたしても、今さらどうにもできやしない。


 何度も繰り返し見た夢はとても他人に語れるような夢ではなかった。相手はプラチナの髪に深い緑色の瞳、肌は冷たく滑らかで、『ジゼルだ』と思い、『ジゼルであるはずがない』と思う。そして『ジゼルじゃない』と思っては、『ジゼルしかいない』と思い直す。その葛藤に苦しむ夢だった。


「もう少し寝ていようか。たまにはそんな日があってもいい」

ロファーがジゼルを抱き寄せれば、ジゼルは逆らうこともなく寄り添って、『ロファーがそうするなら、それでいい』とロファーを見つめる。


 微睡(まどろみ)の中、目を覚ませば相手の存在を確認するように髪を撫で、頬に触れる。そしてまた微睡む。それを繰り返すうち昼も近づき、『お(なか)()いた』と、とうとうジゼルが起き出せば、ロファーもベッドを離れるしかない。


 昨夜、多めに作っておいたスープとパンを温め直し、ミルクティーはいつも通りにたっぷり沸かして、かなり遅い朝食となった。


「そう言えば、昨日の帰り道、遠回りしていたぞ」

合図したのに気が付かないで、さっさと行ってしまった。


「花屋の角を曲がらないで行った方が近かった」

「うん、知ってたよ」

事も無げにジゼルが答える。


「伝令屋の前を避けたんだ」

ロファーが下りようとしたらサッフォが怯えた。なぜだろうと、伝令屋を見たら向こうもこちらを見ていた。


「彼は元魔導士……強い力だった。あの場でやり合うわけにはいかない。だから逃げたんだよ」

「そんな、馬鹿な」

伝令屋の親爺のことは昔から知っている。両親が死んでからは親代わりみたいに面倒を見てくれた。

「あの親爺さんが悪い人間なはずがない」


 憤るロファーに

「そうだね。てかさ、魔導士だと悪い人間?」

とジゼルが笑う。

「あの時は思いもしなかったから、わたしも驚いてしまっただけだ」

あの伝令屋の親爺さんは『元』魔導士で、ギルドにもちゃんと登録されてるそうだよ。

「一度魔導士になれば死ぬまで魔導士だ。だから生業(なりわい)を変えても魔導士ギルドの名簿から消されることはないし、もちろん誓約にも従わなくてはいけない」


 昨日、昼寝をするとき気付いたんだけど、寝室の暖炉の上に一通の手紙が置かれてた――魔導士間の手紙は、呪いや何かしらの攻撃が含まれてない限り、『相手の名前と差し出す側のサイン』が正しく書かれているだけで間違いなく届く。


 手紙には『訳あって元魔導士であることを隠している』と書かれていた。

「理由まで書かれていなかったけれど、それを詮索するのは違うと思う。誰にだっていろいろと事情があるものだ。だからロファー、あなたは彼が魔導士だと誰にも言ってはいけないし、彼に知っていると言ってもいけない」

「まったく、おまえら魔導士っていうのは面倒だね……とにかく親爺さんが信用できないってことじゃない、ってのは判ったよ」

ロファーのまだるっこしい言い方に、ジゼルがクスッと笑った。


「雨も降ってることだし、今日は休息日にしよう」

とジゼルが言う。雨が降ってるからって、犯人探しをサボって大丈夫なのか?……ロファーの疑問に、

「こんな時刻まで寝てたんじゃ、もう何もできないよ」

ジゼルがクスッと笑う。責任の一端を感じるロファー、それ以上は追及できなくなった。


 馬小屋と鶏小屋の掃除も餌や水を替えるのも、ジゼルが魔導術でさっさと済ませてしまった。クルっと指先を振っただけだ。『いつも骨を折っている俺としてはすこぶる面白くない』とロファーが不機嫌になったが、『怒らないで』とジゼルが笑顔を見せれば、ロファーだっていつまでも怒ってはいられない。


 雨降りのせいか肌寒く、暖炉に火を熾していると、たまには絵を描いてみるとジゼルがどこからか絵具と絵筆を持ってきた。ロファーもどう? と誘われたがそれは断って、暖炉の前のラグに座ったジゼルの隣に腰を降ろした。


 昨日言っていた『妖精の布団』はいつの間に作ったのか、タオルが納められた棚の一番上にきれいに重ねられて置かれている。きっと魔導術を使ったのだろうな、とロファーは思ったが、わざわざジゼルに訊きはしなかった。


 雨音が静かな部屋に入り込み、まるで音楽のように聞こえている。時どき暖炉で木が()ぜて、その音楽に変化を与える。


 犯人が捕まったわけでもないのに平和だな、とロファーは思った。この暮らしがずっと続けばいい……


「ロファー! ロファー、起きて!」

ジゼルに揺り起こされて、いつの間にか自分が眠っていたことに気が付く。


「誰かが来た。馬車が『人の道』を進んでくる」

程なく馬車が止まる音がして、すぐさまドアが叩かれた。ロファーがドアを開けると、そこには年配の婦人がいた。


 婦人は街長の屋敷のメイドで、主人に代わって魔導士様を迎えに来たと言う。


「このところ、お嬢様はお食事も満足にされることがなくなり、日に日に弱っていくばかり。何か悪い病気にでもなったのではないかと心配していたところ、今朝はベッドから起きられない有様なのです」

馬車で参りましたので魔導士様に同行していただきたい。


 魔導士様の意向を(うかが)って参りますと、いったんドアを閉めたかけたロファーだったが、

「お嬢様? 街長様にお嬢様がいらっしゃるとは初耳ですが?」

と確認する。


「ライデン様のご婚約者、ホミン様のことです。しばらく前から街長様のお屋敷にご逗留でした」

「なるほど……少しお待ちください」

今度こそロファーはしっかりとドアを閉めた。ライデンは街長の一人息子の名だ。


 寝室に戻ると着替えを済ませたジゼルが浮かない顔をしている。

「どうせ、一緒に行くとロファーは言うのだろうね」

「ひとりで行く気か? それは俺が許さない」


 街長の家に行き、ホミンと呼ばれた女性に会えば、『思い出』のカードの片鱗が見えるだろうとジゼルが言う。


「事によれば何が待っているか判らない、まして今日は雨が降っている。危険だと思う」


 昨日、街長の屋敷を覗いた時、ホミンの存在には気が付いていた。彼女を何かが取り巻いていた。それがなんなのかが判らない。


「それが判っていて、おまえをひとりで行かせるものか」

半ば怒鳴り声のロファーを、穏やかな眼差しでジゼルは見ている。


「左手を出して、ロファー」

ジゼルは右手でロファーの手を取り、左手で自分の髪を一本引き抜いた。


 身体が動かせなくなり、言葉も発せられなくなったロファー、何かの魔導術だろうかと見ているしかない。ジゼルはロファーの左手首に抜いた髪を巻き付けて、それを両手で包み込んだ。


≪神秘王ジゼェーラの権限で総てに命じる。常人のロファーに(あだ)なすことを禁ず≫


 一瞬ロファーは体が熱くなるのを感じた。ジゼルがロファーの手を離せば、巻き付けたはずの髪は消え、ロファーの呪縛も解けた。


「今のは?」

ロファーが問えば

≪戻れ≫

ジゼルの瞳が赤く光った。


「ひとりで行かせられるものか」

記憶の巻き戻しにロファーは気が付いていない。

「うん、いつものように供を頼む」

「お、おう」

呆気なさに、『なんだか、どこかがヘンだ』と思いながらも、それがなぜなのか判るはずもないロファーだ。


 身なりを整えたジゼルとロファーがドアを出ると、待ちかねたとばかりにメイドが御者(ぎょしゃ)席の隣に乗り込む。屋根のない御者(ぎょしゃ)席には、すでに御者(ぎょしゃ)が座っていて、ずぶ濡れになりながら出発の合図を待っている。


「雨脚が強まってきた」

幌のついたキャビンに乗り込みながらジゼルが空を見上げる。続いて乗り込んだロファーが御者(ぎょしゃ)に出すよう合図を送ると、ドアが閉まるのを待って馬車はすぐに動き始めた。


「そう言えば雨は都合が悪いのか?」

「なんというか……憂鬱になりやすい。まぁ、問題ない」

「憂鬱っておまえが?」

「ほかに誰かいる?」

ジゼルに笑われて面白くないロファーが

「あんな言い方すれば、魔導術とかそんなのに影響があるかと思うじゃないか」

(むく)れる。


「そうだね、そうかもしれないね」

そう言うジゼルはたいして気にしていないようだ。

「とりあえず、御者(ぎょしゃ)席にはあまり雨粒が当たらない(まじな)いをしておいたよ。二人が風邪をひいては気の毒だ」

どうやらジゼルは施術に気を取られ、ロファーの言葉には上の空だったようだ。


 馬車は大通りを疾走し、路地を駆け抜け、最短距離で街長の屋敷へと急ぐ。雨は激しさを増し、街人の姿はまばらだ。先を急ぎに急いだ馬車も、街長の屋敷に到着すれば(ようや)く停まる。


 屋敷に入ると、何人かのメイドが待ち構えていて、ジゼルとロファーにタオルを渡してくる。馬車から屋敷に駆け込む間に濡れた服を拭けと言うのだろう。黙ってジゼルはそれを受け取り、髪を拭きながら、さらに奥に控えている執事と(おぼ)しき男の前に進み出た。


「本日は魔導士様のお出まし……」

「挨拶などあとで良い。どこだ?」


 きつい口調のジゼルに、執事は怯えたようだ。答える声が震えている。

「二階の東の端の部屋でございます」

行くぞ、ロファー、そう言うとジゼルは奥にある右側の階段、つまり東の階段を速足で上り始める。


 玄関先でジゼルの代わりにメイドたちを労っていたロファーが、階段を駆け上ってあとを追う。


 追いついたのは、ジゼルが目的のドアの前で歩を止めるのと同時だった。


「ドアを開けろ、ロファー。ノックはするな」

女性の部屋のドアと思えば気が引けたが、こんな時のジゼルに逆らっても無駄だ。自分の意思に反して身体が動くのを何度も経験している。


 急に開いたドアに驚いて、中から女性の悲鳴が聞こえた。が、入ってきたのが魔導士とその助手と知れれば落ち着き、三人いたメイドたちが膝を折って挨拶を寄こす。それに頷いてから、一歩だけ中に踏み込むとジゼルは部屋を見渡した。ジゼルの横に立ったロファーも、つられて周囲に視線を走らせる。


 広い部屋の片側に天幕のついた大きなベッドが置かれている。ベッドとは反対の壁には暖炉、そしてテーブルやソファーが、大きなラグが敷かれた部屋の中央に並んでいる。


 入り口の傍に鏡台が置かれているのをロファーが見たとき、ジゼルが手に持っていたタオルを投げた。タオルはひらひらと宙を舞いながら大きさを変え、鏡台の鏡を覆った。そう言えばジゼルの家には鏡がなかったとロファーがぼんやり思っているうちに、ジゼルはずかずかと部屋の奥へと歩を進めた。なんとなく、動いてはいけないような気がして、ロファーはその場でジゼルを見守っていた。


 気が付けば、いつもは緑色のジゼルの瞳が紫色に変わっている――紫色の瞳で、あちこち見て回り始めた。暖炉の上に並べられた人形、壁に掛けられた肖像画、窓を飾るカーテン、テーブルを覆うレースの敷物、その上に置かれた花瓶、部屋にある全ての物に触れるか触れないかの近さで(てのひら)(かざ)しては(うなず)いている。


 天井から吊るされた二つのシャンデリアの下では歩みを止め、じっと見上げ、また頷く。最後にはベッドに近づき、メイドが止めるのを無視し、天幕を引いて中を覗き込んだ。

「ほう……」

と、ジゼルが溜息を吐く。

琥珀(こはく)色の瞳か」

メイドの誰かが『ひっ!』と小さな悲鳴を上げた。


 ベッドを覗こうとしたジゼルを止めようとして退けられたメイドが、(あるじ)に駆け寄り、覆いかぶさるようにして守ろうとする。それに構わず、腕をシャンデリアに向けたジゼルが指先を弾けば、シャンデリアには火が灯る。メイドが一人腰を抜かした。さっき小さな悲鳴を上げたメイドだろう。


 窓に向かって腕を払うようにジゼルが動かせば、カーテンが閉まる。

「ドアを閉めて、ロファー」

部屋を出ようとしたもう一人のメイドは、その声で閉じ込められた。ロファーが、命じられた通りドアを閉めたからだ。


 ベッドに横たわる(あるじ)へ近づくジゼルに向い、ガタガタ震えながら主人を守ろうとするメイドが叫ぶ。


「それ以上近寄ったら、それ以上近寄ったら!」

「それ以上近寄ったら?」

ニッコリ笑いながらジゼルが問う。


「それ以上近寄ったらどうするんだい? あなたには何もできないし、わたしも、あなたやあなたのお仲間や、ましてあなたが守ろうとしているお嬢様に何もしたりしないよ」

「でも……」


 ジゼルの笑みに釣られそうなメイドがなおも言い募ろうとするのを

「狙われるのは琥珀(こはく)色の瞳の持ち主と、噂は広がっているようだね。まぁ、その通りなのだけど」

ジゼルが優しく(さと)すように言う。


「わたしのロファーも琥珀(こはく)色の瞳だが、まだちゃんと既定の位置に目は付いているよ。わたしが犯人ならば、真っ先に彼が犠牲になっていると思わない?」

ニッコリと笑むジゼルを、『あぁ、また騙してる』と呆れながら、ロファーは眺めていた。

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