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宝石は語らない  作者: 寄賀あける


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10/22

10

 ロファーが空腹に限界を感じ始める頃、やっとジゼルが起きてきた。よし、スープを温めて、ミルクを沸かそうと、立ち上がったロファーに抱き着いて

「ダメ、腰が痛い、胸が痛い、お腹が痛い」

ジゼルがベソを掻く。


 判った、判った、判ったから、まず食事にしよう。なんとかジゼルを座らせる。


「腕も痛い、太ももと脹脛(ふくらはぎ)も痛い。なんでこんなに痛い? だめだ、ロファー、わたしはもう永くないかも……食事が終わったら入るからバスの用意をしておいて。ミモザオイルを垂らすのを忘れないで」

ロファーが食事の用意をする間、そんな調子でしくしく泣き続ける。長時間、騎乗してたからだよとロファーが慰めても無駄だった。


 いつか珈琲を飲み過ぎて眠れないと一晩中しくしく泣いていたことを思い出し、ぞっとするロファーだ。


 それでも食事を始めれば機嫌も直り、

「マーシャには今度お礼を言わなくちゃ」

と、チーズ入りのパンを頬張る。

「美味しいね、ロファー」


 食事をしながら来客の報告をすると

「ワインとビールはロファーが飲んで。ワインなら少しお相伴するよ」

とジゼルが言う。


「俺が?」

「パブの前を通ったとき、マスターが売り上げの計算をしていてね。最近ロファーがちっとも来ないってボヤいてたから」

「パブってグレインの事かな? 確かに行ってないけれど、ナダルから買って、ここで飲んでいたんじゃ、グレインの売り上げには貢献できないよ」


「グレインの売り上げに貢献する気はないよ。ロファーが飲みたいんじゃないかなと思っただけ」

「これは、これはお優しい。だけど、代金は俺持ちなんだね」

笑うロファーを気にすることもなく、

「リカーはもうすぐ枇杷(びわ)が実るから、それを漬けるよ。手伝ってね」

ジゼルは()くまで屈託がない。


「お化けごっこってレオンが言ってたけど、あの布は何に使うんだい?」

「あぁ、あれね」

ジゼルが不思議そうな顔をする。


「用意しとかなきゃって思ったんだけど、なんの用意かその時は判らなかった」

だけどさっき昼寝から起きた時に判った。家に住み着いている妖精が、寝床を作るようにと言ってきた。もうすぐ必要になるからって……羽根の色が虹色に変わってきてた。


「わたしには予知力はないはずなのだけど。不思議だね。ひょっとしたら妖精が予知したものを気が付かないうちに読み取っていたのかも」

「へぇ。妖精の羽根がねぇ……妖精は寝床を使うのか? そして妖精は予知力を持っているんだね」


「妖精の羽根って、子どもの妖精は白くて、大人になると色がつくんだ……寝床を使うって話は知らないんだけど、たぶんそうなんだと思う。妖精が布を幾重にも重ねて長方形に縫ったものを何枚も用意しておくようにって、言っている。それって寝床だよね? 妖精サイズの布団、他は思いつかないや――で、一般的に、妖精には予知力があるとされているね。大人になれて嬉しいみたい、ニコニコ笑顔だ」


 寝床だよね? と訊かれたって、妖精サイズと言われても、一般的にと言われようと、ロファーに判るはずもない。


 スープをおかわりすると満足したようで、お腹が落ち着いたらバスにするね、とジゼルが言う。

「スープ、美味かったか?」

ニヤッと笑ってロファーが問えば、

「セロリ、入っていたね。意地悪ロファー、わたしの嫌いな物を食べさせたがる」

怒りもしないでジゼルが答える。


「なんだ、ばれていたか」

「ばれるよ、独特のあの匂い、だけどスープにするとマイルドになるね。美味しかった」

それじゃ今度はグリーンピースをポタージュにしてみるか、内心思うロファーだ。


 バスを使ってくるね、と席を立ったジゼルが、あれ?っと首を傾げる。

「さっきは下腹部が歩けないくらい痛かったのに、もう全然だ。ほかの筋肉痛は消えてないのに」

「痛まないのならよかったじゃないか。ゆっくり体を温めておいで」


 ハーイ、と明るい声を残してバスルームへとジゼルは消えた。やっぱりジゼルはまだまだ子どもだな、可愛いものだな、と思うロファーだ。


 それにしてもしんどい一日だったと、ひとりになったロファーは思う。精神的な疲れが半端じゃない。ジゼルは街の噂話を面白がって聞いていたようだが、しょせん噂話など無責任で、本当の事なんか半分も入っちゃいない。昔の事、五年前の出来事をロファーは思い出す。


 相手はロファーの家から二軒間に挟んだパン屋の娘のリル、幼馴染で気心知れた相手、と思っていた。そのリルがある日、代書を頼んできた。蒸し暑い夏の晩のことだった。


 好きな男の気を引きたい、そんな恋文を書いて欲しい。書いて貰えば必ず思いが通じると評判のロファーにお願いしたい。


 チクリと胸が痛んだのは、ひょっとしたらリルは自分に気があるかも知れない、ロファーがそう思っていたからだ。友だちから、リルはロファーに気があるとよく冷やかされていた。もしそうならばリルが相手でもいいかもしれない。二親を亡くしている俺に、そうそう来手(きて)があるとも思えない。そんなことを考え始めたころだった。


 しかしロファーの思惑は外れ、リルには別の相手がいたらしい。それならそれで幼馴染の(よしみ)だ、飛び切りの恋文を書かせて貰おう。本気でそう思ったのに……


 リルから話を聞きながら机に向かい文面を考えるロファーの後ろから、()()れかかるようにリルが手元を覗き込んでくる。リルの体温を背中に感じ、体臭が鼻腔を(くすぐ)る。書きずらいよと苦情を言えば離れるが、またすぐに寄り添ってくる。


「今夜は暑いわね」

時おりそう言っては胸元を広げ風を送る。その時のリルがロファーの顔色を窺っているのが判る。そして自分が混乱していくのが判る。


 やっとのことで書き終えて、手紙をリルに渡す。

「遅いから送っていくよ、すぐそこだけど」

なんとか空気を変えたいロファーが冗談めかして言うのをリルは無視した。


「もう、鈍感なんだから」

少しリルは焦れているようだ。この手紙はあなたに宛てたものなのよ――


「えっ?」

状況が飲み込めないロファーに構わず、ロファーの首に腕を絡めたリルが唇を寄せてくる。訳が判らないまま口づけを受け、ロファーがバランスを崩して床に倒れ込んでしまうと、リルは更に激しく唇を求めてくる。


「ねぇ、わたしに決めてロファー、いいでしょう?」

さすがにロファーも自分の状況が見えてきて、そういうことなのか、それならこのままじゃいけない、と上体を起こし、リルを抱き返す。


 俺でいいのか? と訊けば、瞳を閉じてリルは頷く。えっと、この後はどうしたらいいんだったっけ?


 経験済みの友達が自慢話のように伝授してきたことを、ロファーが思い出そうとする。そうだ、キスしながら押し倒し……


「あっつっ! (いて)てててて……」


 自分とリルの間に稲妻が走ったような衝撃で、ロファーは弾かれるようにリルから離れ、尻もちをついた。きょとんとリルが自分を見詰めている。


「どうしたの、ロファー?」

今の衝撃をリルは感じていないのだろうか? 続きを促すようにリルが近寄って、ロファーの肩に手を掛ける。


「うっ!」

激しい痛みを感じ、ロファーはその手を振り払った。泣き出したリルにロファーは

「ごめん、帰って」

としか、言えなかった。


 リルが触った瞬間、痛みと共に『死にたいのか』と罵声が頭の中に響いた……事実はそうでも、そんなこと、誰にも言えるものではなかった。


 ロファーに拒まれたとリルが友だちに話したのが噂になって、最初は『誘惑しきれなかった』と真実に近い話だったのに、いつの間にか『ロファーは役に立たなかった』とすり替え(・・・・)られていた。否定するのも馬鹿馬鹿しいし、本当のことを言えるはずもない。


 そんなことがあって、あの時感じた衝撃や痛み、頭の中に響いた罵声がなんだったのか判らないまま、女性を遠ざける傾向にあったことは否めない。それもまた、噂が変異する要因になっていたのだろう。


 一年くらいしてリルは石屋のパロと結婚して、最近の噂では三人目がお(なか)にいるらしい。なるようになったのだとロファーは思っている。


 所詮、世は(すべ)て、成るようにしか成らぬ。(あらわ)れ示されるすべての事象は(しか)るべき(こと)(わり)の力が働いたものに他ならない――以前読んだ本の一節をロファーは思い浮かべていた。

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