二つ名が独り歩きした結果、隣国から嫁がやって来た
カツン。カツン。
華奢で繊細なヒールの鳴らす頼りない音がまるで自分の心のようで、少女は唇を噛み締めた。
周りに控える侍女たちの自分を映す瞳に、憐れみを見つけないように、滑らかな手触りのドレスをキュッと握り締めると、眼前に聳え立つ重厚な扉を見据えた。
「どうか、開けてくださいまし」
震えないように努めた声は果たしてどう聞こえただろうか。
扉の前で番をしていた騎士二人は不思議そうに少女の顔を見ると、互いに顔を合わせて首を捻って訝しんだ。
「失礼とは承知しておりますが、貴方様は一体?」
少女から見て右に立つ騎士が恐る恐る尋ねてくるのを、少女はできる限り気丈に見えるよう名を挙げた。
「私はファルテナ国の第一王女ミリシア・ファルテナ。ノレディア帝国騎士団副団長バートン様にお目通り願いたく参りました。どうか、開けてくださいまし」
騎士たちは目を丸くするも、即座に左側の騎士が軽くノックし中に少女が赴いたことを伝えに行く。残された騎士は少女に「まさか王女殿下とは露知らず失礼致しました」と頭を下げた。
騎士の態度に少女は騎士に向け緩く横に首を振る。その際にシャラリとなる金属音にふと視線を落とせば、胸元を飾る大きなエメラルドが回廊の灯りを受けて煌めいていた。さらに白いドレスに施された緻密な柄や散りばめられた宝石が目に入り、少女はより強くドレスを握りしめようとして、やめた。
このドレスは貧しい国であるが、せめて嫁入りには良いものを着せてあげたいと母が兼ねてより用意立ててくれたものだ。皺を作る訳にはいかない。
少女はこれから和平交渉のために「鬼神」「怪物」「冷血王バートン」と諸外国から恐れられているノレディア帝国の騎士団副団長を務めている男の元に嫁ぐことになっている。
少女の国ファルテナは小さな国ではあるが、細々と農業や加工業、観光業を営む。また小さき故に王家と民が近しく親しいのも特徴である。しかし、昨今隣国のノレディア帝国と神国バレンが国境沿いで小競り合いを始めた。元々両国の仲が良くないためにこのままでは戦争が起こる可能性が高く、そうなった際に二国の間にある小さな国が巻き込まれないはずもなく。
ノレディア帝国と神国バレンのどちらにつくかを国王は考え、ノレディア帝国側に立つことを決めた。二国とも大国であることは変わらないが、近年目覚しい技術発展を遂げるノレディア帝国に対し神国バレンは軍事的な、悪くいえば暴力的な、力を持ってしての支配による領土拡大を繰り返していたことによる印象が悪かった。
それに神国バレンを援助するなど言おうものなら都合よく解釈され、ファルテナが神国バレンの植民地ひいては神国バレンとして統合される恐れもある。
その点、ノレディア帝国の現王は比較的平和を好んでいるようで無意味な戦争も領地開拓もしようとはしない。ファルテナがノレディア帝国を選ぶのは当然の事だった。
しかしながら、ファルテナがノレディア帝国に友好を願ったところで、この小さな国ではかの国に大した恩恵を授けることも出来ない。苦肉の策が第一王女ミリシアを嫁がせることだった。
本来ならノレディア帝国の皇子に嫁がせるのが良いのだろうが、既に婚約者がいるという噂は伝え聞いていた上に、この戦況が読めない状況で手間のかかる婚姻話を進めるわけにもいかない。それだけ状況は勢いよく変化し、ファルテナは切羽詰まっていた。
そうして考えた結果、王家の覚えめでたい騎士団副団長バートンに直接向かわせ既成事実を作ることで嫁がせ、ファルテナの意思がどこにあるのかを示そうとしたのだ。
そのため、少女の小さな肩には国の期待という見合わないほど大きなものが乗せられており、いつかと顔を綻ばせていた母が用意してくれた嫁入り衣裳を着て扉の前に立っている。
バートンが今ファルテナ近くの国境沿いにいた事も理由だった。少女は決断するとすぐに支度を整え馬車を走らせ、ファルテナからの使者であると門番を圧をかけると、ここまでやってきた。
バートンは女であれば問わず手にかけると噂に聞く。殺すことはないそうだが、女であれば誰彼構わず手を出していると。その後の女たちはいずれもバートンを庇うように口を揃えるのだが、どれも脅されているのだろうと見なされている。
だから、きっとミリシアが嫁いだところで邪険にされることは無いだろう。恐らく、夫婦円満な、ミリシアが夢に望んだ家庭が描けないだけで。
だが、それもミリシアが選んだのだ。夫に顧みられない妻だとしても、お飾りだとしても、国のための人質であろうとも、愛しい祖国を護れるならば。誰よりも早くその案を口にし、ここまで来たのだ。
ミリシアはギュッと手を握りしめると、扉を睨めつけた。
私は絶対に逃げないわ。
たとえ、相手がいかに恐ろしい大男でも。
そう、覚悟を決めるや否や伝令に向かっていた騎士が戻り、待機していた騎士に合図を送る。
「大変お待たせ致しました王女殿下。副団長閣下が中でお待ちです」
騎士が二人がかりで扉を開けると中は二重扉になっているらしく、小さなテーブルと備え付けられた椅子が二つ置かれたている。テーブルに置かれた燭台の明かりのみの薄暗い空間に、一人で開けられそうとはいえ、重そうな扉が一つあった。
ミリシアが侍女たちを連れたって入ろうとしたところ、右側の騎士が言いにくそうに口を開く。
「申し訳ございません王女殿下。この先は機密情報を扱っている手前大人数での出入りを禁じておりまして。つきましては、王女殿下おひとりで閣下の元まで向かって頂いてもよろしいでしょうか?」
その言葉に「まあ」と咎める声を上げ、騎士に批難を向けようとする侍女をミリシアは止めた。
「やめて。……お話は分かりましたわ、ここから先は私一人で参ります。皆はここで待機するように。騎士の方々、私の侍女をよろしくお願いします」
凛とした声で告げると侍女は悔しそうな顔をしながらも抑え、騎士は敬礼を取ってミリシアを送り出した。
カツン。続きの間に足を踏み入れるとゆっくりと扉が閉められていく。
完全に閉まる音がすると、ミリシアは奥へと続く扉に向かって足を進めた。飾り気のない、暗い一枚扉のノブに手をかけるとヒンヤリと冷たい。思わず唾を飲み込み、一思いに開けた。
廊下や続きの間よりも明るい部屋に目の前が白くなるが、その最中黒い軍服が映りこんだ。
ミリシアは部屋に一歩踏み込むと、淑女の礼を取り視線を落とした。
「私、ファルテナ国より参りました第一王女ミリシア・ファルテナでございます。お忙しい中お時間を割いてくださりありがとうます、閣下。この度は我らの友好について内密な相談、そしてバートン卿に嫁ぐために参りました。どうか、お傍においてくださいまし」
一息に事前に決めていた文言を述べると、息を呑む音がいくつかした。
どうやら部屋にはバートンの他にも人がいるらしい。
ミリシアは礼を取ったままバートンの声がかかるのを待つが、いつまで経っても声がかからない。いくら日々淑女教育で鍛えられているといっても、この体勢は厳しいものがある。
早く声をかけてくださらないかしら。
ミリシアは震えそうになる足を叱咤し、低い姿勢のまま思う。
「副団長、驚くのは分かりますがまずは王女殿下にお声をかけられた方がよろしいかと」
ミリシアのすぐ側、扉脇に控えていたらしい騎士の声がする。
高い声色は女性特有のものだろう。ノレディア帝国の騎士団には女性もいると聞くが、やはり男性に比べて少ないらしい。
それなのにわざわざ外の警備は男にやらせておいて、室内には女を選ぶだなんて。ミリシアは夫となる男を前にして嫌な気持ちになりつつも、顔に出ないように努めた。
女性騎士の声かけで空気が揺れた。コツンと床のなる音がし、ミリシアの視界に黒い軍靴が映り込む。
「王女殿下、顔を上げて下さりませんか」
落ち着いた、しかし軽やかなアルトソプラノが響いた。
ミリシアが想像していた地の底から鳴るような声でもなければいやらしさも感じられない。むしろ清涼感さえ感じられるような声だ。
ゆっくりと顔を上げて、目の前の人を認識したミリシアの翠玉のような瞳は、零れ落ちそうなほど見開かれた。
黒い軍服から伸びるスラリと伸びた手足。胸元を彩る勲章は功績を称えたものばかりが並び、透けるように美しいプラチナブロンドの髪は項で一纏めにされている。
スっと通った鼻筋や薄く色づいた唇の形もさることながら、しかしミリシアの視線はその瞳に固定されていた。
まるで一等品のアクアマリンを嵌め込んだ目元は涼やかだが、惹き込まれてやまない美しさを湛えている。長いプラチナブロンドの睫毛が影落とす様に、ミリシアは感嘆の息を漏らしたくなったが。
だが、これはどう見ても。
「…………女性?」
「ええ。私がノレディア帝国騎士団副団長エリザ・バートンでございます、殿下。まずは……そうですね、我々の行き違いから話し合われるべきかと」
ぽつりと呟いた言葉に、目の前でバートンと名乗った女性は僅かに眉を下げると椅子を指し示す。
ぐらり。ミリシアの視界が揺れたかと思うと、暗転した。
だって。そんな。まさか。
ふらりと意識を失い倒れかけたミリシア王女殿下に手を伸ばし、抱き留める。
美しいドレスに装飾品を纏った身体は想像以上に重く、一人で運ぶのは難しい。ならばと、扉の脇に控えていた副官に目線で手伝えと訴えれば、密かに笑いを堪えていた彼女は一度咳払いをしてから近づいてきた。
「ソファに寝かせるべきか、それとも」
「別の部屋に案内するか、ですよね?個人的にはこの部屋で意識を取り戻していただくのが一番だと思いますが、外の侍女たちが不安がりますよねえ」
「そう、それ。だからといって改めてってなると時間がかかる。向こうをさっさと進めたいし」
背後の机に広がった地図や書類を見ながら深い溜息を零せば、「幸せが逃げますよ」と悪戯っぽく副官が返した。
「だって二つ名が独り歩きして隣国からお嫁さんが届くとは誰が思う?」
「いやはや誰が予想できますかね。たぶん門番やってるあの二人もこれ聞いたら笑い転げちゃうと思いますね! というか、見た目で想像つくだろうし今頃笑いを堪えているんじゃないですか?」
「うんまあ、そうだね。そんな気がするけど、とりあえずそこのソファに寝かせて差し上げようか」
二人がかりでソファにミリシア王女を寝かせると、エリザはぼうっとその寝顔を見つめた。
どうしてこうなった。
遡ること幼少期。ふとした折に「ここって異世界転生小説の世界みたいでは?」という思考に辿り着いたことが前世を思い出すきっかけだった。
すんなりと前世について思い出せたが、どうにも二十代半ば過ぎほどくらいの記憶しかなく、恐らく突然の死かなんかだったのだろうと受け入れたまでは良かった。
が、この世界何がベースなんだ。そもそもベースなんてないオリジナルなのか。それとも何らかの異世界転生小説やらゲームの世界なのか。
幼少期のエリザは自分の世界の常識や歴史を踏まえた上で今まで読んだ作品と比べたが、今ひとつ決め手にかけて数年悩んでいたところ両親から降って湧いた婚約者候補の名前で解決した。
死ぬ間際に流行していた異世界転生小説の一つに転生していたのだ。転生転生ややこしいなもう。
乙女ゲーム世界に転生した悪役令嬢もののテンプレ異世界転生小説だったが、エリザの立ち位置は作内の乙女ゲームの流れにせよ小説本編の流れにせよ、悪役側に肩入れする立ち位置なので、一言でオワタって感じの状況だった。
こんなん昨今流行りの悪役令嬢やらそのモブと変わりない。もちろん取れる手段も多くない。このまま流れに乗るかそれとも大幅に逸らすか。
選べる手段が多くない中で、エリザはとりあえず騎士を目指すことに決めた。理由は単純だが、騎士家系で代々騎士を輩出していたことや婚約者が未来の騎士団のホープだからである。
婚約者に興味もなければ、他のメイン登場人物にも用はなく、されどメイン登場人物たち以外にめぼしい同世代の相手もいない、となれば一人立身出世を目指すしかあるまい。バリキャリ街道を進んでいたかつての記憶に習い、一人でも生きていく術として家の力を頼りに騎士を目指すことにした。
それに婚約者が同僚とか嫌だろという当てつけも込めて。そのため狙い通りこの縁談は破談となったのだが余談である。
しかしながらエリザ・バートンの持つ身体能力はエリザ本人の想像以上に素晴らしいものであった。最年少女性騎士副団長と呼ばれるまでの道程の速さに我がことながら目を疑ったものだ。
エリザがダンスの名手であることは原作内でも述べられていたことであったが、本当に身体能力が凄いのだ。思った通りに体が動く感覚と言えば分かるだろうか。エリザの前世はそこそこの身体能力であったからボールが飛んできたら「来たなあ」「取らなきゃなあ」と考えてから動いていたのが、エリザの身体は「来た」「取る」の判断からの動きが早すぎる。というか「取る」と思ったら取れてる。何だこの身体。
かくしてトントン拍子で出世を果たしたエリザであるが、齢十八にして騎士団副団長まで上り詰めた彼女にはその強さに敬意を評して二つ名が着いてきたわけである。
「鬼神」「怪物」「冷血王」「戦神」到底うら若き乙女に付けるような二つ名では無い。もしかして敬意ではなく乏しめられているのかもしれないが、そんなこと一々気にしてはいなかった。いや、多少は気にしていたがそんなことよりも一人で生きていく力が必要だったのだ。
しかし、その二つ名を放置したばかりにまさか隣国から和平交渉のためにお嫁さんがやってくるとなると、このままではおけない。というかどんな噂が練り歩いているのか知る必要が出てくる。
神国バレンの領土拡大を牽制するための遠征だったが、予想だにしない展開にエリザは頭を抱えた。
「私ってそんなに怖いかしら」
ここまでを振り返ってゲッソリとした思いで部屋に立て掛けてある鏡を見れば、冷ややかな美女が映り込むものだから深々と溜息を吐いた。
ハチャメチャに美女! という感じではないし、作品内でもエリザは飛び抜けた美女とは描かれていなかったが、騎士として身体を鍛える中で引き締まった身体にほっそりとした顎と涼やかな目元により、軍服が果てしなく似合う女性へと変化したと思う。というか、あまりドレスとか似合わなさそうだ。今なら動きづらいので着たいとすら思わないが。
「普段はそんなに恐ろしいとは思いませんが、ひとたび剣を取ると人が変わったように非情な振る舞いをされるので、その面しか知らなければ悪鬼羅刹のように思われるのも致し方ないかと」
「そう。あなたから見て私がどう見えているかよくわかったわ。あとで書類を沢山持っていくから楽しみにしていて」
「鬼!」
「あなたが私を悪鬼と言ったんでしょう」
やれやれと両手を肩の高さまで挙げ、肩を竦めて見せれば赤毛の副官は唇を突き出して「そうですね」と不貞腐れたように返事をした。もちろん一連の流れは茶番である。
未だソファの上で起きる素振りのないミリシアに視線を戻すが、まだ少女と言っても過言ではない愛らしさを持つ彼女の顔色が青いことに気づいて、再び息を吐いた。
ファルテナは小さな国ではあるが民と王家の距離も近く、小さいながらに資源が豊富で美しい国だと聞いている。恐らく彼女も民から愛され、家族にも大事にされていたのだろう。しかし、隣国間の争いに巻き込まれることを危惧して友好関係を結ぶために王女を数少ない供をつけて嫁がせた。
本来なら王族となれば王族に準ずる立場に嫁がせるものだが、既にノレディア帝国の皇太子には婚約者がいる上かつて皇族が降嫁した公爵家などに嫁がせるにも交渉の時間がなかったのだろう。だからこそ、王族には逆らえないもののノレディア帝国で確固たる地位を築いたバートン伯爵の長子と既成事実を持たせた上で婚姻関係を結び、できるだけ優位な立場での交渉を謀ったのだろうが。残念ながら長子は娘だったわけだ。
ふるりと鮮やかな金色の睫毛が震える。ミリシアの覚醒が近いようだ。
見下ろすのは不敬だろうと膝を着いて、そのまま彼女が目覚めるのを待っていれば、間もなくゆっくりと持ち上げられた瞼から翠玉の瞳がぼんやりと中空を見つめ、ゆるゆるとエリザへと向くと思いきり見開かれた。
「だっ、あっ! バートン様?!」
エリザの顔に最初思い当たらず驚いたようだったが、直前の記憶に至ったらしい。
ミリシアがソファから跳ね起きようとしたので、エリザは軽く肩を押さえた。
「ミリシア王女殿下、落ち着いてください。気を遣ったばかりですから急な動きは体によくありません。今、お茶の用意をしておりますのでどうか、そのままお待ちください」
不敬罪で怒られやしないかと内心ヒヤヒヤとしながらミリシアの顔を見ながら言えば、彼女は困惑した表情で頷いた。
部屋の隅で茶を入れている副官にアイコンタクトを送れば彼女も神妙な顔つきで茶を蒸していた。
たかだか帝国の副団長ごときの茶など、王族からしてみれば粗茶変わりないものをいかにそれらしく仕上げることが出来るか、エリザも副官も真剣だった。
「どうぞ」
仮にも子爵家の令嬢として教育を受けた副官が茶をミリシアの前に置く。
ミリシアは手を伸ばすも、カップに触れる直前で手を止めた。そして、伺うようにエリザの顔を見る。
「毒が入っているか気になるのですか? 私か、彼女が一口頂いても?」
「い、いえ! そういうことではなく、閣下を前に先に頂くなど……よろしいのかと思いまして」
「それでしたらどうぞお構いなく。我々は所詮軍の副団長とその部下でしかなく、元の肩書きでしたら伯爵や子爵の令嬢でしかありません。殿下が気遣うような相手ではございませんよ」
そうだろう、と副官に視線を向ければ彼女もその通りだと目で答えた。
エリザと傍に控える副官の様子に嘘でないとわかったのだろう、ミリシアはカップを手に取ると口をつけた。
優雅に紅茶を飲み干す姿に、遠いお茶会の記憶が呼び起こされたが、すぐさま最近の情緒の欠けらも無いカフェインを摂取するための自身の飲み方を思い出してエリザは遠い目をした。似たようなことを考えたであろう副官も苦々しい顔をしている。お互い、すっかり軍に染まってしまったものだ。
そんなことを考えている間にミリシアはソーサーにカップを置いていた。落ち着いた凪いだ海のような瞳がエリザを捕らえる。
「閣下」
「殿下、閣下はおやめください。エリザとお呼び頂ければと。……バートンは厳しいでしょうから」
「では、エリザ様。私、ファルテナ国とノレディア帝国の友好の証として嫁いで参りましたの」
「ええ。お姿を拝見するにそのようなお考えだったとこちらでも推測しておりました。誠に遺憾ながら私が女性だったばかりに成立致しませんでしたが」
エリザはミリシアの言葉にどのような表情を浮かべるのか正解か分からず、困ったように眉を下げた。
しかしミリシアはそんなエリザの様子を見てゆるりと首を振る。
「いいえ。それに関してはお気になさらないで下さいまし。それならば、また有力な貴族の家の元に嫁いで友好を示せば良いのですもの」
「失礼ながら殿下、どうしてそこまで我が国との友好を望まれるのでしょう?用件如何によっては私から騎士団長にて報告致しますが」
頬は先程部屋を訪れた時に比べて赤みを差しているというのに、悲嘆な色を浮かべるミリシアの顔色はあまり良くない。
指先だって恐らくカップを抱えていなければ冷えきっていたであろうと、かすかに震えている様子から緊張の具合が読み取れる。
「その、ノレディア帝国の騎士団の方をを前に口にするのも如何とは思うのですが……ノレディア帝国と神国バレンの間柄はよろしくないでしょう? 今も衝突を繰り返していると聞き及んでおります。それにより、我が陛下は二国の間に挟まれるファルテナも巻き込まれることを懸念され、早急な対応として此度の事が起こりましたの」
「では、殿下は今後我がノレディア帝国と神国バレンの間で戦争が起こるとお思いに?」
迂遠な言い回しであったが、率直に言えばそうだ。
ミリシアはエリザの物言いに驚いたように目を見開いたが、直ぐに伏せた。素直な人のようだが王族らしくできるだけ感情を悟られないように、と習っているのだろう。
「お恥ずかしながら、そうですわ」
「いいえ、殿下に恥ずべきところなんてございません。むしろ、悪評しかない自身のところに国を思って嫁いでこようとする姿は貴国の英雄ではありませんか。それに恥ずべきなのはこちらです」
「エリザ様のどこに恥ずべきところがあるのですか?」
不思議そうに問うてきた新緑の瞳に、エリザは面映ゆい心地になりつつも答えた。
恐らく彼女は悪評こそあれ騎士として、剣士としては名高い己のことを思ったのだろうし、世界でも有数の国力を持つノレディア帝国のことも考えて思ったのだろうが、誰にだって得意不得意がある。それだけの話だ。
「神国バレンの情報戦に追いつけていない」
「え?」
ミリシアはパチリと瞬きをするが、エリザとその傍らに控える副官の顔は硬い。その顔つきに冗談ではないと悟ったのだろう、ミリシアは戸惑ったように手を口元にあてた。
「我々はバレンの領土侵犯について確認すべく遠征に来ております。そこにバレンとの戦争をしようという考えはありませんし、もちろんファルテナ国への侵攻も考えておりません。それ故我々はノレディアの国境沿いを移動しているに過ぎない。にもかかわらず、貴国には我々がバレンとの衝突を繰り返し戦争並びにファルテナ国への侵攻をする、との噂が流れている。王家にまで伝わるとなると、国内ではもう当然の如く周知されているのでしょう?」
「ええ、誠に面目ないのですけれどその通りですわ」
頬に手を当て、瞳を伏せるミリシアをこれ以上詰めるつもりもなく、エリザは次の話へと進めるべく強引に切り替える。
「ところで、この噂はどこからやってきたのでしょう?」
「えっ? それは商人たちから……」
「その商人たちはどこから品物を揃えて貴国に?」
「海沿いの国や山林の里、砂漠の民と様々ですわ。それにしても皆違う地域なのにどうしてかしら」
首を傾げるミリシアにエリザは「殿下、こちらに」と声をかけ、机の上を占拠しているおおきな地図の元まで呼び寄せた。
そうして拡大された地図から先程ミリシアが上げた商人たちの地域を指さしてく。まずは海沿いの国々。神国バレンの南東に位置し、かの国と友好を結んでいる。
続いて山林の里。これは神国バレンの北側の山脈の向こうにある小さな里だ。険しい山脈を超えた先にあるため秘境とも呼ばれており、この地域でのみ取られる薬草や木の実は市場価値が高い。そして、砂漠の民は神国バレンから続く東側地域一帯を異動する集団だ。神国バレンの国土拡大に伴い国の一部に砂漠地帯が加わり、砂漠の民は流浪の民とはいえ神国バレンの国民とされているらしい。とはいえ、砂漠の民が神国バレンの言うことを聞く素振りを見せないため、特別自治という名目で彼らを国民として内包していると聞く。それ故に、他国では砂漠の民と神国バレンは切り離されて考えられることが多い。
「みな、神国バレンとの関係がある国ということでしょうか?」
「ええ、友好を結んでいるならば諜報員などを潜らせることも容易いでしょう。いえ、かの国ならばそれくらい当然。むしろ、それこそが強みです」
「そうして私たち、ファルテナ国の民を揺さぶって、かの国は何を得られるんでしょうか。ファルテナ国を支配下に入れたかったとしたなら、それは目論見が外れたでしょうし」
「焚き付けたかっただけだと思いますよ」
分からないと眉を寄せる人形のごとき麗しい少女に、なんてことも無く応えてしまう。流れでつい世間話をする気軽さで応えてしまい、皇族に対する態度としての失礼さに気づいたエリザは内心冷や汗がバケツをひっくり返す勢いで出たが、鍛え抜かれた表情はそんな内心を億尾にも出さず素っ気ないものだった。しかし、その様子に気づいた副官は笑いをこらえるために掌を抓っていた。
エリザはわざとらしく咳払いをすると誤魔化すように下手くそな笑顔を貼り付け、説明を加えるために指を宙に踊らせる。
「ええっとですね、バレンとしてはファルテナ国がどちらについても良かったんだと思われます。それこそバレンと友好を結び後に支配下に入れられたら良いでしょうが、別にノレディアと友好を結ぼうと構わない。そこに付け入る隙が生まれれば、向こうからしてみれば充分。今まで中立だったファルテナ国が動いたとあればバレンは嬉々として我々を攻め入る理由にするでしょう。例えば傲慢にも未だ領土拡大を図っている、とかですかね」
「それでは……我々は、かの国の掌の上でずっと踊らされていたのですね」
悔しそうにドレスを握りしめる少女に、皺になりますとエリザが伝えれば慌てたようにドレスから手を離した。余程大事な品らしい。まあ婚礼衣装ともなれば家族の想いも一塩のものだし、当然だろう。
ドレスを握るかわりに自身の指を組んで耐える姿の痛ましさに、エリザは重ねるように話し始めていた。
「神国バレンは実に優秀な頭脳を持っています。国の規模ではそう変わらないでしょうが、元よりかの国はノレディアに比べて貧しい土地。そして、武力も未だ劣っています。しかしながらここまで発展したのは、かの国が権謀術数に長け、徹底した諜報員を育成しているからです。情報戦で勝つのは我が国でも厳しい……ですから、踊らされていたと気に病むことはありません。幸い、殿下並びにファルテナ国の大事には至っていませんし、踊らされていたと言うならば我が国は常に舞踏会に参加しているも当然です」
冬の湖面のような瞳を真っ直ぐミリシアに向けて話すエリザの後ろで副官が吹き出した。
ノレディアが特に泰然自若と言わんばかりの態度で普段から外交をしているから諸外国は知らないだろうが、バレンに関する情報や国内国外問わず様々な情報で実は騎士団及び城内部は常に忙しない。急な配置換えも任務変更も度々あるものだ。今では内部事情を知っているから、また何か変な情報が入ってきたから確認でもするんだろう、みたいに思えるようになったが入隊直後は何故こんな仕事を? みたいなことも多々あったものだ。それに憤って辞めた同期も知っている。
ミリシアは大きなエメラルドの瞳を瞬かせると、ふっとその表情を和らげた。
「エリザ様は、とても優しいのですね」
「こんな肩書きのついた者を優しいと仰るのですか?」
「優しいではありませんか。わざわざ内部事情まで説明してくださって私のことを慰めてくださる。乱暴なことも粗暴な言葉も私に向けませんでした。貴方様はとても優しいと、私は感じました」
純粋な好意の込められた言葉と可憐な少女からの笑みを真正面から受けたエリザは言葉を詰まらせ、頬と耳を赤く染めると視線を下方に彷徨わせてから、そっと伏せた。
「身に余る栄誉であります」
エリザはその強さや立場に敬意を評されたことはあっても正面からこうして褒められたことなど無く、あったとしてもそれが世辞であると見抜けることばかり。
それゆえ、こうして褒められることなど慣れておらず、あのエリザ・バートンらしからず狼狽え、純粋培養お姫様の人たらしっぷりやばいと震えていた。なお、その様に気づいた副官は部屋の端にこっそり移動して笑いを収めていた。
エリザはミリシアに礼を述べ、この空気感をどうにかすべくわざとらしく大きめに咳払い、表情を隠し改めてノレディア帝国騎士団副団長として向かい合う。
「それで、今後のことですが」
「ええ。どうしたらいいのかしら?」
「恐らくですがまだバレンに殿下がノレディアと接触したことは知られていないと思います。そのため、今すぐにでも貴女様をファルテナ国へと送り届け、この事実をなかったことにしようと思います。いえ、接触したことをなかったことにするのは難しいでしょうから、そうですね……殿下には着替えていただいて国境沿いで賊に襲われかけたところを助け送り届けることになったことにしましょう」
既にバレンの諜報員に姿を見られている可能性はあるがエリザの部隊内にバレンの諜報員がいる可能性は低く、ミリシアの護衛や侍女に紛れていたとしても、婚姻が不成立であった以上「何らかの行き違い」として毅然と主張する。
そのようにこれから部隊内、及び騎士団長に連絡するようエリザは片手を上げることで副官に示せば、優秀な副官はその意を汲んで動き出した。
その様子を見て、ミリシアもゆっくりと立ち上がると淑女の礼を取った。
「エリザ様の寛大なご配慮に感謝申し上げます」
柔らかな金糸のような髪が室内の灯りによって暖かく輝く様に、陽の光の元で見たらきっとその何倍も美しいのだろうとエリザは思いを馳せた。
このような可憐な少女すら道具とするような振る舞い、到底許されるものでは無い。どうにか、この争いを収めたいと拳を握りしめる。
「迷惑をかけたのはこちらの方です。もう遅いでしょう、部屋に案内致します。貴国の部屋と比べここは駐屯地としての城ですから、不便かと存じますが何かございましたら近くの者に気兼ねなくお声がけ下さい」
きっとこの間、部屋の外にいる侍女たちは落ち着かないだろう。いっそ、伝令で出てきた副官が女であることに眉を顰め、あることないこと考えているかもしれない。誤解を解くためにも部屋を訪れた時同様身綺麗なミリシアを早く連れて出た方がいいだろう。
エスコートのためにエリザは右手を差し出す。古い史料を取り扱うからと白い手袋を身につけていて良かった。黒の軍服に白い手袋なら映えるだろうし、同じ女性と言えど剣だこで硬くなった掌はミリシアを驚かせてしまうだろう。切り傷などもあり見栄えも悪い。
ミリシアはそっとレースの手袋を纏った左手をエリザの手に添えると、ソファから立ち上がる。カツンとなるヒールの音。ヒールを吐いてなおエリザより低い身長に、小柄な姫君の肩に乗る重圧を思ってエリザは顔を覆いたくなった。この世界のことを人よりも知っておきながら、可愛らしい姫君一人幸せにできない。なんて無力なんだろうか。
コツン。カツン。扉を二枚開ければすぐだと言うのに、その先に待つ驚愕の反応を考えるだけでエリザは気が重い。知れず溜息を零せば、ミリシアが笑った。
「エリザ様のこと私も皆様も勘違いしていておりましたわ。でも、すぐに皆気づきますから、どうぞ暫しご迷惑をお掛けしますがご容赦くださいな」
「ええ、お気遣いなく。元より私が誤解を解かなかったことが原因ですから。そう、そうです。殿下、この度は大変ご迷惑おかけしました。お詫びに私に出来ることでしたら何卒お申し付けください。きっと力になりましょう」
口元に笑みを浮かべるミリシアに、エリザは苦笑しながら頭を振る。明るい陽の光を吸い込んだようなミリシアと異なり、色の薄いプラチナブロンドの髪はラクに括っているだけ。それがサラリと揺れた。
その最中、エリザはミリシアに個人として謝罪をしていなかったことを思い出した。お互いに立場がある以上人目のあるところで軽率なことは言えない。しかし、今は二人だけ。エリザは自身の不始末を謝罪し、いかに力不足と言えど、力不足だからこそミリシアにできることで返すしかなかった。
エリザが話終わると同時に扉が開く。暗い待機部屋に廊下の明かりが飛び込み、僅かに眩しい。エリザは目を細めながら前を見つめた。ミリシアの侍女たちと思しき女性が数人待機しており、ミリシアとその横に並ぶ麗人の姿を目にして彼女らは息を飲んだ。扉を開けた騎士二人は訳知り顔で頷く。
恐らく彼女らは軒並みエリザ・バートンを強面の屈強な男性だと思っていたのだろう。女性にしては高身長かつ鍛えているとはいえ、想像よりもずっと華奢な姿に困惑をするのも無理もない。
「皆、待たせたわね。ご覧の通り、バートン卿は女性のため婚姻を結ぶことは叶わなかったわ。しかも、お優しいことに我々ファルテナが神国バレンに惑わされていたことまで教えてくださったの。……落ち着いて。明日にはファルテナへ戻ります。その際、我々は出先で野盗に襲われていたところをノレディア帝国の遠征軍に助けられたことにして送ってもらうこととします。よろしいこと?」
通る声は動揺する侍女達の声も目も耳も奪う。流石王族として教育を受けたものというべきか、一声でミリシアはその場を支配した。エリザは忠実な騎士として控えるのみ。
最後まで言葉を言い切ると、エリザはミリシアに礼をとる。その言葉に従うという意味だ。例え、それが先程エリザの述べた言葉と言えど、この場での最高権力者はミリシアであり、ここでエリザがミリシアをぞんざいに扱うことはノレディアがファルテナをそのように思っていると捉えかねない。
両国の立場が同等であり、尊重し合う間柄であることを示すためにエリザはミリシアに追従の意を示した。
その姿で、侍女達にも伝わったのだろう。幾分かのどよめきはあったがすぐさま王族に使える身らしくピッと背筋を伸ばして彼女に従った。
「では、本日はもう遅いですし王女殿下から部屋にご案内いたしましょう。粗野で無骨な城のため不便をかけるかと存じますが、何かありましたら近くに女性の騎士を配置致しますので、彼女たちに申し付けください」
「ありがとうございます。……ところで、エリザ様先程私に出来ることならなんでもお申し付け下さいと仰いましたね? 一つ頼みがあるのですが」
「はい。私に出来ることならなんなりと」
「ふふっ。エリザ様にしか頼めないことですわ」
エリザは副官がおそらく急いで準備しているであろう、一番良い部屋の位置を思い出しながらミリシアをエスコートしようとしたが、その前にミリシアが頼みがあると言う。
先程確かに二人の時そう話したが、あれは個人的な場として伝えたもので、こうして衆目を集めてしまうとエリザとしても立場がある以上、もしも都合の悪いことだとしたら下手なことが出来ない。ミリシアはそのような相手ではないと思っていたのだが、何を考えているのだろう。
エリザは表情にはおくびにも出さず、楽しそうに笑うミリシアを見つめた。
「エリザ様を、お姉様とお呼びしてもよろしいかしら?」
「……は」
「あら、了承してくださるの! 嬉しいわ! 私先程話した時からずーっと素敵な方だと思っていて、お姉様になって下さらないかと思っていたの! 私には兄がいるだけで、姉というものに憧れがありまして。お姉様が私を気にかけてくださるのを見て、こんなお姉様がいたらいいのにと」
エリザの呟きは了承の意では無い。理解ができず零れてしまった音だ。誰もがそんなことは分かっていたが、そこを素知らぬ顔で図々しく笑って押し通すことが出来るのが王族として育ったミリシアだ。
ミリシアはエリザの手を掴むとぱあっと顔を輝かせて「お姉様、明日もよろしくお願いいたしますね!」言うものだから、エリザは呆然としたまま頷くことしか出来なかった。
その後ミリシアを部屋へと案内する道中、ミリシアは先程までの淑やかな雰囲気はどこへやら天真爛漫な笑みを浮かべるとエリザを質問攻めする。
「好きな茶は?」「好きな色は?」「愛称は?」「どうして騎士団にいらっしゃるの?」「婚約者は?」矢継ぎ早の質問に「お茶に拘りはありません」「色は暗い色が目立たないので好んでおります」「基本はエリザ、です」「騎士家系のため気づけば騎士になっていました」「婚約者はおりません」エリザは困惑したまま答える。その度に「そうなのね!」と笑う太陽のような姫君にエリザは眩さで目がくらみそうだった。
気づけばミリシアはかなり砕けた口調になっており、気づいた侍女が「姫様、口調が」と声をかけていたがミリシアは聞く耳を持たない。「お姉様はそんなこと気にしないわ」と、まるでエリザのことをわかったようなことを言う。確かにエリザは気にしないし、ミリシアはそもそも身分が上なのだからどんな話し方をされてもエリザから咎めることは出来ない。だからエリザはゆるりと首を振るばかり。
「ほらね」
「王女殿下、部屋に着きました」
「あら。あっという間でしたわね。お姉様、それではおやすみなさいませ。明日はよろしくお願いいたします」
「おやすみなさいませ」
ミリシアはにこやかに微笑むと淑女として完璧な礼をする。煌びやかな嫁入り用のドレスがしゃらんと音を立てた。
ミリシアと彼女について部屋に入った侍女以外を他の者に案内を任せようとし、エリザは尋ねた。
「王女殿下の着替えのドレスはあるのでしょうか? あれは大切なものでしょう。傷がつくのも困るでしょうし、あのように立派なドレスを着ていたところを助けたとなると目を引く。他に着替えがあればお願いしたいのですが」
「かしこまりました。着替えはいくらかございますので、姫様にもそのようにお伝えいたします」
「ええ。それでは私は戻りますので」
控えていた騎士に声をかけ、エリザは作戦室に戻る。カツカツと、ブーツが廊下を蹴る音が響く。窓から見上げた空は既に月が高く、果たして今日は寝ることが出来るだろうかと思いを馳せた。
翌朝早々にミリシアたちと食事を取り、今日の予定を伝えると人目のつかないように隊を分けて、ミリシアを見つけたとする目的地に移動を始めた。
騎士の数人は行商人が通る大通りから外れたところに辿り着くと、そこらで荷のいくつかを壊し木片などをばら撒くと、木々に軽く傷をつける。野党に襲われたところをノレディアの騎士達が助けに来た際の騒動の様子を残すためだ。夜にノレディアに急ぎの用があったために使者として派遣されたミリシア王女殿下を野党が襲撃したとして、夜のうちに馬車も走らせて周辺の村には夜間に馬車が通ったと意識付けておく。騎士たちは騒動があったらしい現場を作ると、野党の印象をつけるために近隣に「最近野党が出なかったか」「昨日の夜に馬車の音を聞かなかったか」と聞き取りを行った。
一方、ミリシアとエリザの複数人はミリシアを送り届けるため馬を駆けていた。馬車で送る方法もあったが、それではファルテナに情報が回るのが遅くなる。現場作りに向かった騎士と、別れてミリシアたちを送り届ける馬車を用意して最低限の侍女以外をノレディアの騎士と共にそちらからファルテナに向かってもらう。その間にエリザとミリシアの極数名で急ぎファルテナに向かい、バレンに伝わるよりも早く話を合わせるつもりだった。
結果、エリザは寝ることは叶わず夜も明ける前から指示出しに追われることになった。副官に「凄い顔ですね」と言われたが、その副官も濃いクマを浮かべていた。啜るコーヒーの苦味に脳を叩き起させると、ミリシアを後ろに乗せてエリザは馬を走らせた。
腰に回されたミリシアの腕の華奢で柔らかいことに、何よりも貴重な存在を扱っていることに心底震えたが、ミリシアは屈託なく「お姉様の方がお兄様よりも鍛えられていて素敵です」と顔を輝かせた。兄殿下もこんなところで比較されるとは思わなかっただろう。不憫なためやめて差しあげて欲しい。
ローブで目立たないようにし、人気のない道を駆け抜ける。ファルテナの首都付近につくとミリシアの伴の者から城の裏口を教えてもらい、入城した。裏口に馬を一人の騎士に預けると、ミリシアの使用人がすぐさま執事長に話を通しに行き、謁見の間へとミリシア共々向かう。
限られた人数で訪れ、内密に話を回したため城内では騒ぎになっていないものの、昨日婚姻のために出ていったはずの娘が帰ってきたことで国王含む国の中枢たちは騒然としていた。
皆が厳しい顔をしており、ミリシアによく似た色の髪の王妃にいたっては涙を浮かべ、肩を震わせている。
その肩を抱き、険しい顔をする国王は蜂蜜のようなミリシアよりも色の濃い金髪に、澄んだ青い瞳を細めた。普段は快活に笑う王であるが、今は皺が刻まれている。
そして、ミリシアの兄である王太子が離れたところで立っていた。まもなく送り出したはずの妹が帰ってくるという。遊学から戻りこれから政務を学び、王太子として地位を磐石にしつつ可愛い妹を信のおける家の子息にでも託そうと思っていたのに。突如として強国二国に挟まれ、その交渉のためにまだあどけなさすら残る妹を悪評名高い男騎士に嫁がせることになった。僅かでも彼女が幸せになれる可能性を祈っていたにもかかわらず、翌日には帰国させられるという。余程かの男の不況を買ったのだろうか。状況は分かり兼ねるが、女であれば誰でも手にかける男が妹を突き返すなど、悪い流れだとしか思えない。自身の不甲斐なさと未熟さに拳を握るも、表情には出さず静かに堪える。
そんな王家の心情を把握した家臣たちも暗い顔で、俯いていた。そして、その様子をドアをそろりと開けたミリシアたちは目にし、目を瞬かせる。ミリシアには彼女の家族が沈痛な顔をしているのが予想外であったが、エリザたちは同情をするように彼らを見るばかり。
おそらく、交渉のために差し出した娘がすぐに突き返されたことを交渉決裂と捉えているのだろう。帰ってくる娘もきっと、悪人と名高い男相手では無惨な姿で泣き腫らして帰ってくるのだと思っているに違いない。
実際のミリシアは服こそ普段着用のドレスに身を包んでいるが、頬は健康的に紅をさし、髪もツヤツヤと輝いている。健康そのもの。悲しげとは無縁である。
ミリシアが不思議そうにエリザを振り返るので、無礼とはわかった上でエリザはミリシアの肩を押した。入るようにと促す。
「ミリシア・ファルテナただいま戻りました」
扉を開け、ミリシアはわざとらしくヒールを鳴らして謁見室に足を踏み入れる。室内を軽く見渡して僅かに家族の姿に瞳を細めると淑女の礼を取った。
現れた王女の姿に、室内は息を飲む。その姿が出ていく時と変わりないことで、夢を見ているのかと彼らは困惑した。悪逆非道な男に手酷い目にあったのでは。もしや、それを淑女の面で隠しているのでは。そう、考えるほどに彼らの中で想像上のバートンは悪く描かれ、幼少より知るミリシアに対しては過保護であった。
ミリシアは声をかけられるまで顔を上げることが出来ない。そのため、この部屋にいるものが浮かべている表情を知ることは無い。しかし、王女はいつまで顔をあげないのかと、宰相が真っ先に疑問に思うと未だ娘の姿に呆然とする王が許可を出していないことに気づいた。
「陛下、ミリシア王女殿下にお声を」
「え、ああ。すまなかった。ミリシア顔を上げよ。その顔を父に見してくれ」
宰相に声をかけられ、慌ててファルテナ国王がミリシアへ声をかける。それに足が吊りそうな状態から、おくびにもそれを出さずミリシアは悠然と姿勢を正した。
「陛下、ただいま戻りました」
「ああ。ミリシア。我が娘。ミリシアで間違いないな。どうして、戻ってきた。何があった? 良い、話すな。辛かっただろう」
「あなた。落ち着いてくださいまし。ミリシア、無事に帰ってきて嬉しいわ。婚礼衣装で出ていったのにどうしたの。……もしかして、奪われてしまったの?」
「お父様、お母様……。一度私の話を聞いてくださる? 紹介したい方がいるの」
エリザ様。そうミリシアに呼ばれ、エリザは響くように一度ヒールを鳴らしミリシアの横に並んだ。
そして、胸元に手を当て軽く腰を曲げる。首の後ろで括られたサラリとした白金の髪が零れた。
「偉大なるファルテナ国王陛下の目通りが叶う栄誉、誠に感謝いたします。私、ノレディア帝国騎士団副騎士団長を務めております、エリザ・バートンと申します」
「バートン? それは、ノレディア帝国騎士団にいるかの有名なバートン卿の親族ということか?」
「いいえ、私自身がそのバートンでございます。この度、私めにミリシア王女殿下との婚姻を望まれたという件で折り入って内々で話をさせていただければと存じまして、急ながら王女殿下と共に馳せ参じました」
「は?」
誰もが理解できないというようにエリザに目を向けた。しかし、エリザ・バートンと名乗った女人は冬の空のような色の瞳を真っ直ぐに国王陛下に向ける。ノレディアの騎士団の軍服に身を包んだ彼女の胸元にはいくつもの褒章が輝いており、背後にも数人の騎士が控えているがこの場で一番の指揮権があるのはエリザなのだろう。
女性にしては身長が高いとはいえ、どう見ても華奢な体躯。プラチナブロンドの髪にブルーダイヤのような、全体的に色素の薄さも相まって彼女に「鬼神」「怪物」「冷血王」などの二つ名が付いているなど想像もつきしやしない。
本当に本人なのかと、国王は傍に宰相に目を向けるが彼も戸惑ったようにエリザに目を向けている。バートンの名だけが独り歩きし、その本名も女性であることも伝わってはいないのだ。
形容しがたい空気が満ち始めたのを破ったのは、またしてもミリシアだった。エリザの挨拶から呆然とする国王に頬を膨らませ、エリザの腕をとって抱きつく。エリザはその態度に目を見開くが、ミリシアはエリザを見ていない。
「お姉様が、あのバートン卿です! ただ、私たちが知らなかっただけでとっても素敵なお方ですし、それに何よりこうして黙っている場合ではありませんわ! ねぇ、お姉様?」
「え? ええ、はい。そうですね、本件につきまして説明してもよろしいでしょうか?」
ノレディア帝国とファルテナ国、そして神国バレンの関係をめぐって情勢の把握をしてもらい対処をする必要があるのだ。ここでエリザが想像と違ったからといって話を頓挫させるわけにはいかない。
ミリシアに振られ、室内の空気も改めて今の状況を確認しようというものに変わる。エリザは昨夜ミリシアに話したものと同じ内容を奏上した。そうして、眉間に皺を寄せるファルテナの国王陛下に賽を投げる。
「我が国でも早急に対応いたしますが、ファルテナ国の協力が得られればこちらとしてもありがたく存じます。しかし、まだ公にはなっていないため今後外交に関わることにおいては専門の者と内々で協議いただければと」
「なるほど。思っていたよりも状況は異なっていたらしい。すまないが一度情報を整理するために宰相らと席を外しても構わないだろうか。急ぎであるのは理解している。時間はかけない」
「お心遣いありがとうございます。何卒前向きに検討いただきたく」
眉間を抑えるように宰相たち複数名に声をかけて謁見室を去っていくファルテナ国王を見送る。その間待っている間エリザたちノレディア帝国騎士団の面々はどうするかと考えたところで、王妃が「バートン卿」と呼びかけた。
ミリシアと同じ木漏れ日のような金髪を束ねた、優しげな面持ちの王妃は困ったように手を頬に添えて微笑む。
「陛下や我々の早とちりで失礼いたしました。待ち時間立っているのもお辛いでしょう? 夜通し駆けてこられたとか。よろしければ部屋にご案内いたしますわ。お茶や軽食もご用意いたしますので。それにミリシアがよく懐いているようですし、ミリシア? 閣下のご案内をお願いしてもよろしくて?」
「もちろん、お母様」
ミリシアはパッと花が咲いたような笑みでエリザを振り返ると、お気に入りの部屋にいたしますねと笑った。その言葉に使用人たちも場所がわかったのだろう。何人かがサッと部屋を後にする。
「お姉様はファルテナには来たことがありますか? ファルテナでは今は花の香りのするお茶が流行っているの。それに、香辛料の効いた食べ物が有名なんですよ。朝から何も食べていらっしゃらないでしょう?」
たしかに、朝から急いで向かってきていたためエリザ含め騎士団の面々は食事をとっていない。ミリシアにはバレないようにしていたつもりだったがバレていたようだ。
さすがに誰もがお腹を空かせており、待ち時間があるとなればせっかくの好意を無碍にすることには出来まい。しかし、決まりが悪くて困ったように口元に笑みを作ると、視線を逃がした。
その先で、ミリシアの兄である王太子が視界に入る。彼はこれまで国王陛下、王妃陛下の脇に並んで静かに立っていた。
しかし、一度場が中断したことでミリシアに声をかけようと玉座のあった段差からミリシアの元まで下って来ていた。ノレディアの皇太子のような華はないが、整った顔立ちは優美さを持ち人柄の良さを浮かばせているようだ。
その兄の姿に気づいたミリシアは「兄様」と呼び、「ミア」と王太子は目元をやわらげて彼女の愛称を呼んだ。
感動の兄妹の再会である。仲の良い兄妹なのだろう。これがエリザの弟とエリザであればこうはなるまい。エリザはミリシアを無事に送り届けられてよかったと安堵していれば、何故かすぐ近くでこちらを見上げる碧眼。なにかに気づいたようなエメラルドは星を散らすように瞬くと嬉しそうな声を上げた。
「あ! ねぇ、お姉様! マティアス兄様とお姉様が結婚されればお姉様は実質お義姉様になるってことでしょう!? お姉様、兄にも婚約者がおりませんの。少々頼りないところがあるかもしれませんが、良い兄です。お姉様、いかがかしら?」
「……僭越ながら、姫君。私には過ぎたる話でございます。いくら私がノレディアの伯爵家の娘とはいえ一軍人。そして悪評も隣国にまで響くほど。外聞が悪すぎます」
「あら、お兄様フラれてしまいましたね」
「え? は? え?」
唐突に妹から縁談を振られた王太子、マティアス・ファルテナはギョッと目を見開いた。
父親譲りの琥珀のような金髪に、ミリシアと同じエメラルドの瞳。母親によく似た柔和な面立ちは、どこか甘さすら漂わせている。小国の王太子として養育され、年頃になると遊学に各国を巡り研鑽を積んだ。突出するほどの才はなく目立ちはしないが、勤勉かつ穏健で優秀な王太子として評判であった。それ故にどこの国でもファルテナが少し貧しい国とはいえ、この容姿と評判と地位で熱の篭った視線をそれなりに浴びてきた。
そんなマティアスはこれまで異性として気にも留めていなかった、エリザ・バートンを可愛い妹から紹介され改めて目を向ける。
エリザは白絹のようなプラチナブロンドを一纏めにし、冬の湖面のような澄んだ瞳が涼やか。顔は小さく、キュッとした顎にスラリとした体躯には規律を守った軍服の着こなしをしている。ミリシアのように庇護欲をそそる愛らしさというものはないが、気高さすら感じさせる美を持っているように思えた。
エリザよりも美人には会ったことはもちろんあるが、彼女も十分美人の類だ。それに、ノレディア帝国騎士団指折りの実力者であれば、ファルテナの国防にも関与してくれるかもしれない。まぁ、妹の願いならやぶさかでもない……と顔には出さず思っていたマティアスだったが、それは即座にエリザによって拒絶された。
これまでそれなりに秋波を送られてきた自分に「過ぎたる話」と言いながらもまるで未練がましさもないエリザ。そんな相手に面として出会ったことがないマティアスは衝撃を受けた。
「それに私はこれから帝国に戻り本件について至急報告をしなければなりません。神国バレンへの対応も急務です。私自身副団長という部下を管理する身分である以上、身を固めるにしても準備に時間がかかるでしょう。王太子殿下には相応しくないと存じます」
「お言葉ながら、副団長は稀に見る剣技の才をお持ちの上異例の昇進をされた方であります。帝国の戦力を削ぎたいと、ファルテナ国が企んでいると邪推されかねませんが」
エリザの言葉に補足するように、赤毛の補佐官がニッコリと笑って話す。エリザ自身は自分の実力をそこまで過大評価していないが、エリザの穴を埋めるにはそれなりの人員が必要であり、早々簡単でないことは理解している。
もちろん、補佐官もミリシアが本気で言っているとは思っていないが、軽い牽制である。王妃や周囲の者は頬を引き攣らせ、ミリシアは残念そうに肩を竦めた。なかなか見た目の割に豪胆な姫君である。
「そもそも、王太子と婚約なんて将来の国母でしょう? 私には荷が重すぎますよ」
ミリシア以外のファルテナ国側の空気を和ますように、そこでエリザは初めて意図的に副団長としてではなくエリザとして困ったようにはにかんだ。
「お姉様は権力には興味ありませんの?」
「ないですね。たまたま今の地位を与えられただけで、興味などありません」
「じゃあ兄様はお姉様にとって魅力不足でしたのね」
ファルテナ国は観光が盛んな国であり、他地域との交流も多い。王太子の相手には各国から候補があがるだろうし、ノレディア騎士団の副団長を務める伯爵家の娘よりも余程相応しい人がいるはずである。
しかし、そうしたエリザの態度がこれまで順風満帆とも言えたマティアスのやる気に火をつけることになった。これまで漫然と学び、王太子として政務に関われば良いと思っていたが、それだけで人を惹きつけるだけなら誰が王太子であっても代わり映えしない。そうしたどこの誰でもいいような相手では、伯爵家の娘といえど二つ名が隣国まで轟くような成果あげた相手には相応しくないだろう。さらに、彼女は大国ノレディアの類稀な天才。騎士団での副団長まで異例の速度での就任したことは有名であるが、それが女性であれば正に異例中の異例。そんな才能を、力を、みすみすノレディアはファルテナのような小国に譲るだろうか。否、エリザの才能に対し、マティアス自らの価値の方が低い。王妃として彼女を迎えれば彼女の才は日の目を見ることがなくなる。そんな無駄なことをかの国が許すとは到底思えない。
そもそもにべもなくフラれているのだが、何故かそれを受けて初めてエリザに対して関心が生まれたのだから、エリザにしてもマティアスにしても想定外なものだ。かくして、それまで秀才と呼ばれていた王太子マティアスの眠れる才を引き起こすことになるのだが、それは別の話である。
数刻後、ファルテナ国王が下した決断をエリザはノレディア帝国に持ちかえる。この一連の出来事により、エリザはこの後避けていた物語の登場人物たちと関わることとなり、国を巻き込む事件に巻き込まれていくのだが、それも今はまだ当人の知らぬことだ。
「私は、お姉様を諦めませんからね」




