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帰月  作者: 安藤 清
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第1章 強い男と弱い男

 誇り高き孤独を持つ友よ


 故郷を失い お前はさすらい続ける

 太陽がお前から光を奪うのも恐れずに


 故郷でもない星をなぜ愛するのか

 太陽を憎むことはないのか


 お前から姉を奪った星だ

 この世で最も冷酷な星だ

 俺が一番嫌いな星なんだ


 だから友よ 太陽になんか 帰ってくれるな




【第一章 強い男と弱い男】


 かったりぃ授業を抜け出して、俺は両手を制服のポケットに突っ込み階段を上がる。屋上へと続くその道は教師はもちろん生徒もほとんど通らない俺だけの一本道。

 なぜ誰も通らないのかと言えば、屋上に出る扉は鍵が掛かっていて入ることは出来ないからだ。しかし、こんな古く錆びついた鍵などちょっとコツをつかめば簡単に開けられる。

 誰もいない灰色の空の下で一服しようといつも通り扉に手をかけたら、それはギィと手応えなく開いた。違う。開いていた。妙だと思いながら屋上に出ると、薄汚れた柵に手をかけて随分と熱心に空を見上げている男に出会った。


「よぉ」

 俺はその人物を一応は知っていて、ここにいることがあまりに意外だったので少し面白くなって声をかけた。

 そいつは一瞬身をこわばらせたが、すぐに振り返って、ホッと肩の力を抜いて俺の名を呼んだ。

八雲(やくも)くん」

 わずかに、そいつは微笑んでいた。こいつが俺のことを知っているのは不思議ではない。学校でも有名な問題児で校内放送で名前を呼ばれることも多々あるからだ。しかし、大抵は嫌悪か怒気をはらんで呼ばれる名前を、親しげな表情で言うので驚いた。しかもサボっているところを見られて慌てた様子もない。俺はますます面白くて、ついからかってみたくなる。

「お前こんなとこで何してんだよ。いま授業中だろ?」

「それは君も一緒だろ」

 なるほど。共犯だから、ビビる必要もないってことか?

「俺はいーんだよ。教師からも諦められてるしな。お前は違うだろ? 優等生クン。俺が先生にチクったら困るんじゃねーの」

 ニヤニヤといやらしく言ってみせる。

「そうだね。でも君は告げ口なんてしないだろ」

 あまりにも、まっすぐ目を見て、当然のように言われたので俺の拍動は強くなった。

「……なんでそう思うんだ」

「なんでって、見てたら分かるよ。君、先生って生き物が嫌いだろ」

 その通りだった。俺は教師という存在をもう頭っからいっぺんに嫌っている。普段からあれだけ突っかかってりゃ、そりゃ俺がちょっとやそっとで自分から教師に話しかけに行かないのは、考えてみれば当然のことだった。ましてや告げ口なんて、なんの得にもならないことのために。一瞬、なにか俺の人間性とでも言うべきものを見透かして、秘密を守ってやるような優しさを持っていると評価されたのかと勘違いした自分が恥ずかしい。

 動揺させられたのが悔しくて、煙草を取り出しながらヤケクソ気味に聞いた。

「お前は好きなのかよ。センセイってやつが」

 優等生であるはずのそいつは俺の煙にこれっぽっちも興味を向けず、ただ灰色の空を見上げて答えた。

「好きそうに見える?」

 それはクエスチョンマークをつけていたが、答えそのものでもあった。少なくとも俺にはそういうふうに聞きとれた。『好きそうに見えるのか? それなら大層なフシアナだな!』とでも、続けるのが正しいんじゃないだろうか。こいつが俺だったらそう言ったはずだ。

 俺はこの時すでに、仲間意識のようなものが芽生え始めていたのかもしれない。

 誰も知らない俺だけの屋上で、優等生と呼ばれるそいつの誰も知らない姿を知った。こいつもきっと教師が嫌いで、校則も、法律すらも本当はどうでもいいと思っている。それなら、もしかしたら本質は自分と似ているのではないか、と期待した。

 だからあの時、俺はそれを確かめたくて煙草を差し出してみたのだろう。

「吸うか?」

 愛想なく言った言葉に、やつは敢え無く答える。

「え? 吸わないよ」

 けれども次の言葉で俺の期待はまた戻ってきてしまった。

「……ていうか、君も随分、高校生にしては生意気なの吸ってるね」

 やつが俺の手の中にある箱を見てそう言ったから。

「銘柄が分かんのか? さては吸ってたんだろ」

「僕じゃないよ。姉さんがね」

「姉貴がいんのか?」

「あぁ。もう死んだけどね」

「……肺がんか……」

「やだな、違うよ。でも肺がんが怖いなら吸わなきゃ良いだろ」

「馬鹿野郎、あんなの体質だよ。誰が怖いもんか」


 俺は柵の外の世界に背を向けて座り、やつは空だけを見て立っていた。


 俺たちは同一ではなかったが、同じ軸を持っているかもしれなかった。表面に出てくるものは紙の表と裏のように対極でありながら、背中合わせで同じものを共有しているような感覚──俺は寒々しいコンクリートで固められた屋上が、少しだけ鮮明に、良いもののように見えた。



 互いになんとなく気の向いた時──もしくは俺が教師に怒鳴られて逃げ出した時──多くは屋上で会い、いつも違う方向を見ながら話すようになった。放課後に学校の外で待ち合わせて遊ぶこともあったしあいつは何度か俺の家にも遊びに来た。奴と俺は、まるで不良とそのカモみたいな組み合わせに見えただろう。でもそう思うのはフシアナ共に限った話で、実際のところあいつは優等生とは程遠く、カモにされるほど大人しくはなかったし、俺だって他人に金を無心するほど浅ましくは無かった。


(たける)、お前またこの間のテストで一位だったんだって?」

「なんで知ってるんだ」

「職員室で話題になってたぜ」

「なるほどね。それで、君が職員室に行ったってことは、また呼び出しされてたわけだ」

 喉を細くしたような声で少し笑いながら、名推理を繰り出してくる。俺はこいつのこの楽しそうな声が嫌いじゃない。

「今回はエンザイってやつだ。俺はなんもしてねぇのに、危うく違う奴の罪をひっかぶるとこだったんだぜ」

「普段の行いだね」

 そんな冷たいことを言いながら、やつは初めて俺と同じ方向を見て、柵に背を持たれてストンと座った。

「え」

 俺は思わずマヌケな声を出して、真横にあるそいつの顔を見た。

「一本」

「え?」

「くれよ」

「吸えないんじゃ……」

「吸わないだけだ」

 箱から一本突き出して、そいつの口に向けると、慣れた雰囲気で一本咥えてライターをよこせと目配せした。俺はポケットから百円のライターを取り出して火をつけてやる。

「むせないんだな」

 自然な息づかいで煙を吸って、吐く。いつも空ばかり見上げているこいつが俺の隣で俺と同じものを吸うのは、きっとこいつなりの慰めなんだろう。

「一時期、姉さんの真似をして吸ってたんだよ」

「なんでやめたんだ?」

「タバコ代って馬鹿にならない金額だろ。無駄だと思ってやめたんだ」

「まぁ、その方が利口だな」

「八雲はなんで続けるんだ? これまで先生への反抗ってわけじゃないんだろ?」

 そう。尊の言うとおりである。

 教師のいるところでは俺は吸わなかった。だから煙草のことで怒られたことはない。

 そのせいで俺のことを『本当の不良じゃない!』と訳の分からん評価をして根は良いやつなんだと豪語してくれる教師もいた。

 煙草を吸っているか否かで人を判断しているのか、それとも未成年の喫煙という規則違反をしているか否かが重要なのか、なぜその教師が煙草を理由に俺を善人だと判断したのかは知らないし、単に俺が善人だと信じたいがために煙草というものを引っ張り出してそれらしい理由にしたかったのかもしれない。

 どちらにせよ馬鹿馬鹿しいと思ったし、そんなことで『先生はお前を信じているぞ』なんて言われた日には鳥肌が立って死ぬかと思った。俺が隠れて吸っていることを合わせると教師の熱烈な信頼は滑稽でしかない。

 そのうち匂いでバレるかもしれないと思っていたが、そこは都合よく父親か親戚にでも吸っている人がいて匂いが移ったんだろうと解釈されてまたさらに滑稽が拍車をかける。幸いなことにそいつは俺の家族構成を知ろうともしなかったし、周りに吸っている人がいるんだろうと思い込みの結果だけを伝えて、決して俺に尋ねてくることはなかった。そういうわけで、いもしない父親のおかげで俺は今のところ煙草で怒られたことはないのだ。

 さて、話を戻してなんで吸うのかってことだが……。

「そんな大層な理由じゃねぇけどよ、なんかこう、息してる、って感じしねぇ?」

 煙を思い切り吸い込んだ時、白煙が喉を通り肺に染み渡る。

 あぁ自分は呼吸をしていて、ここにはちゃんと空気が入っているんだということを実感する。

 そうするといつもより深く息を吸うことが出来て、俺は生きた心地がするのだ。

 しかし大抵の場合、吸い始めるのにそれほどの理由はないように思う。案外、誰かの真似だったり、周りが吸ってるからとか、その程度。

 なぜ吸ってるのかと聞かれても、おいしいから以外の理由を探すほうが難しい気がする。けれども高いからと言ってあっさりと禁煙できてしまう尊からすれば、吸い続ける人間の方が不思議なのかもしれない。

「お前の姉貴はなんか理由があって吸ってたのか?」

「……さぁ、あの人の場合は、もっと下らない理由だったような気がするよ」

 俺の息してる感じがする、という回答が尊にとって納得のいくものだったかは分からないが、どうやらそれなりに高尚な理由として認識されたらしいことがその言葉から分かった。


 俺は尊の姉貴がどうやって死んだのか知らない。病気なのか、事故なのか、それとも全く違う何かなのか。でもこいつは、姉貴の話をするとき、少しだけ口が悪くなった。死んだのが他の人間だったら、きっとお前は死者を偲んで『下らない』なんて言い方はしなかっただろうに。それだけ、お前にとってその存在は大きかったんだろうか。

 姉貴とは仲が良かったのか、と聞こうとして。けれどもそいつが煙草を吸い終わってしまったので、俺は開きかけた口から煙だけを吐いた──。



 尊は学校内で俺を見かけても、声をかけることはない。そのくせ学外だとけっこう離れていても顔に似合わない大声で呼び止めて走ってくる。

 実は、以前に一度だけ学校で話しかけてきたことがあるのだが、どうやらそれを運悪く教師に見られていじめを心配されたらしい。幸い尊がすぐに否定したおかげで俺は呼び出しをくらわず、それを知ったのは尊が二度目の喫煙をした時だったが……。

 内申点を含め成績優秀で有名大学への進学が期待されている尊に、俺のようなすぐサボって喧嘩ばかりしてるクズみたいな人間が足を引っ張らないか教師は心配したのだろう。たまにはあいつらも役に立つことをするらしい。

 もっとも、尊がごく普通の成績で進学もしないような生徒なら同じように手を差し伸べたかは定かでなかったが。


「僕のことを真面目で悪いことなんか一つも知らない優等生だと信じて疑わないんだよ。あの大人たちは」

「イラついてるな。珍しく」

「もう少しで君も呼び出されるところだったんだ。僕が勝手に話しかけただけなのに」

「いいじゃねーか。俺は安心したぜ。少なくともここの教師はいじめを見て見ぬふりするほどのクズじゃねーってことだ。ちょっと怪しいと思ってすぐ声をかけるなんて、しっかりしてるぜ」

「本気で言ってるのか?」

 その時、俺は初めて尊が怒っているのを見た。声はいつも通りの穏やかさを保っているのに目だけは強く、燃えるように、俺を見ていた。

「……本気だよ。お前はちゃんと教師に守られてる。大事なことだ」

「八雲が守られてない。学校は、先生は、平等であるべきだ」

「お前こそ、本気かよ。なんで不良と優等生を同列に見る? 平等さはいらない。必要なのは公平性だ。いじめてるやつの言うことも、いじめられてるやつの言うことも両方、つまり平等(﹅﹅)に信じたら、加害者の意見がまかり通っちまうかもしれねーだろ。言ってみれば普段の行い(﹅﹅﹅﹅﹅)がいちばん大事だろ。あいつらは俺とお前を見て、どっちの意見を聞くべきかちゃんと分かってたんだ」

 尊はなおも食い下がった。

「僕に優等生というレッテルを貼り、八雲に不良というレッテルを貼ること自体がちっとも分かってないじゃないか。そこの判断から間違ってるって言ってるんだ。あの大人たちはちっとも僕らのことなんか見てない」

「お前、それは卑怯だろ」

「え、」

「お前はあの大人たちに優等生の自分しか見せようとしてねえだろ。それなのに、そうじゃない自分を見ろってのは、無理な話じゃねーのか」

「それは……」

 言葉を詰まらせて、それきり、尊は黙った。

 こいつがなぜ理論破綻をするまで怒ったのか。分かっている。ひとえに俺のためだったろう。俺が喧嘩をすることも、ヤケクソのように学校をサボることも、そしてかつて学校という場所で守られなかったことも、こいつは当事者である俺以上に重く考えている。だから教師を許せなくなった。教師というものへの諦めに近い哀しみが、自分の見ている世界が全てだと信じて疑わない人間へのある種の哀れみが、俺と関わったことで怒りに変化し始めたのかもしれなかった。

「他人に自分を理解してもらおーなんて、期待するだけ無駄だと思うぜ。人間、そんなに人のことに興味はねーんだ。表面的な面白おかしい部分だけさらって、適当に話のネタにして、七十五日経ったら新しいネタを持ってくんだよ。いちいち深く付き合ってたら身がもたないぜ」

「七十五日で必ず過ぎるならそれでも良いさ。でも、そうとは限らない。一つの噂でずっと苦しめられてそれを一生の傷として抱える人もいる。大人が、それを助長するような態度を取るべきじゃない。それは、僕より君の方がよく知ってるんじゃないのか」

 だからお前は反抗するのだろう、だからお前はそんなに怒りをあらわに生きるのだろうと、やつは少し泣きそうな目で訴えていた。

「違いない。たかが父親がいないってだけで、随分とマトにされたことを忘れちゃいねーさ。助けるどころか、これでクラスのヘイトが自分に向かなくて済むと思って放置した教師のこともな。だけどな、他の選択はあったはずだ。殴り返す以外の選択がな。それを選ばなかったのは俺で、未だにそれを変えないでいるのも、俺の勝手だ。お前は違うだろ。もし、お前が俺と同じことをされても、俺と同じ選択はしないはずだ。だから、お前は大人しく自分にあった生き方をすればいいんだよ」

「友達がいわれのない罪を被せられても仕方ないって笑って、なぁなぁに付き合っていく生き方をしろっていうのか?」

「そうしたって、悪くはないと思うぜ」

 俺は目をそらして言った。こいつがそんな生き方は出来ないだろうと分かっていたから。そうしたら、すぐに悲しそうな声でお前は言ったな。

「心にも無いこと言うなよ」

「お前が先に言ったんだろ」


 優しいお前は、俺があらぬ疑いをかけられないために、それきり学校では話しかけてこなくなった。


 そして俺たちは教師も生徒もいないところでよく会った。俺は母親が帰ってくるのが遅いのを良いことに気兼ねなく尊を家に招き入れることが出来たし、わざわざ遊びに来いと言わなくても尊の方から俺の家にやってくることもあった。

 けれどもその日は少し珍しかった。

「ほんとに良いのか?」

 実は、いつものように昼飯を食べながら屋上で話していたとき、俺は母親の仕事が立て込んで朝まで帰らないかもしれないことを何の気無しに尊に言った。そうしたら、それなら家で晩ごはんを食べていかないかと提案されて、迷ったものの結局尊の家に向かうことにしたのだった。

「母さんも、僕が家で八雲の話をしたら会ってみたいって言ってたし。さっき電話したら喜んでたよ」

「さっき? あれ、そういやお前、携帯持ってないって言ってなかったか」

「あぁ。ばかだな、公衆電話があるだろ」

 尊は友達を家に呼ぶのは初めてらしく、いつもより少し陽気な口調でそう言った。

 家につくとスリッパが用意されていて母親らしき女性が尊とよく似た微笑みを浮かべながら『はじめまして』と言った。

 俺は慌てて声を裏返しながらはじメましテとオウム返しにしてから手土産を渡した。

「あ、こ、これ、つまラないモノですガ」

 愛想もなく突き出された和菓子屋の袋をその(ひと)は優しく受け取って、丁寧に、礼を述べた。俺は情けないことにどうしていいのか分からなくなって、片言でやっぱり声を裏返しながらお邪魔しますと言ったのだった。


「こっち、僕の部屋」

 案内されて尊の部屋に入ってから、やっと俺は一息ついて胸を撫で下ろした。

「そんなに緊張しなくても……母さんは君が目の前で煙草吸ってたって気にしないくらいの人だよ」

「そういうモンダイじゃねーんだよ。びっっくりした。お前の母親、めちゃくちゃ美人じゃねーか! なんか所作も、こう、丁寧だし! 緊張するだろそういう人と話すのは!」

「八雲」

「なんだよ!」

「ここ壁薄いから母さんに聞こえるよ」

「ぁべっ!」

 思わず自分の口を叩きつける勢いで塞いだが、手遅れだろう。このあとどんな顔して会えばいいんだ……。

「たぶんあっちで喜んでるよ」

 ……まぁ、嫌われるようなことを言うよりは、ずっと良いか。


 夕飯をご馳走になったあと(メニューはハンバーグだった。めちゃくちゃ美味かった)、ありがたいことに一番に風呂に入らせてもらって、次に入った尊が出てくるのを待つ間に携帯をいじっていたら母親から、やっぱり帰りは朝になりそうだと連絡が来たので友達の家に泊まるから気にしないでくれと返事をした。

「八雲は携帯使いこなしてるんだな」

 風呂上がりの濡れた頭をタオルでかきながら、俺のガラケーの画面を覗いて言った。

「言うほど使ってねーよ。連絡先も家族と親戚ぐらいのもんだしな。あ、そうだ、お前の家の電話番号教えろよ」

「あぁ、そうだね。……でも、僕はあんまり電話とらないし、かけるとほとんど母さんが出ると思うけど、大丈夫?」

 俺の隣にすわって、にやっとそいつは意地悪く笑った。

「だ、で、おまぇ……! だいじょぶに決まってんだろ。クソー、俺だって友達の家にいくのなんか初めてなんだよ。悪かったなキンチョーして。いーよもう電話なんかかけてやらねー!」

「あははっ、ごめんって。怒んないでくれよ。僕も何かあったら君の番号にかけられるようにしたいからさ。教えてくれよ」

「……仕方ねぇな」


 そうして俺たちは、明日が休日なのを良いことに思う存分夜更かしをして、アルバムを見たり、小さな本棚の中にエロ本でも隠していないか探したりと、いかにも友達の家らしい(﹅﹅﹅)ことをして、泊まる楽しみを満喫しながら布団に入った。


「タケル、もう寝てるか?」

 暗闇の中でベッドの上に声をかける。

「起きてるよ」

 ガサリと布団が動く音がして、尊がこっちを向いたのが分かった。

「どうかした?」

 昼間より、しんとした部屋の中は声がよく響いて。それでも俺は顔が見えないのを良いことにその話を切り出した。

「俺さぁ、お前と学校で話せねぇの、ほんとに気にしてないからな」

「知ってるよ。八雲はそういうこと責めないもんな」

 責められなくても、本当になんとも思っていないと信じていても、それでもこいつは自分の心を傷つける。誰よりも頑固で真面目で可哀想な奴。

「お前は優しいから、色んなことを仕方ないで片付けんのは難しいかもしんねーけど、あんま自分のこと責めてんの見ると、こっちがつれぇよ」

「責めてる、ように見えた?」

「自覚ねーのか。お前、学校で俺のこと見るたび、まるで自分が無視されてるみたいに痛そうな顔しやがって」

「ポーカーフェイスには自信があったんだけどね。そう見えたなら気をつけるよ」

「お前な、俺の観察眼をなめんじゃねーぞ。誤魔化したって無駄だからな。あんまりひでー顔すんだったら今度は俺からめちゃめちゃに絡んでいじめてやるから覚悟しろよ」

「あははっ、そしたら今度こそ呼び出されるね」

「いまさら知ったこっちゃねーや。あいつらの怒鳴るだけの説教なんかなんにも怖くねー」

 こればかりは強がりではなく、本心から怖くないと思っていた。怒鳴られながら、俺は一度だけ真面目に教師の言っている言葉を聞いていたが、それは目眩のするほど薄っぺらい内容でなんとも聞く価値のないものだった。話はすぐに堂々巡りして、こっちの意見を聞く気は端から無く、少しでも言葉を発そうものなら言い訳をするなとねじ伏せる。

 あんなものは所詮、子供という生き物を自分の思い通りに操作したいやつが、自分勝手な理屈を振りかざしているに過ぎない。俺たちのことなど欠片も考えてはいないんだ。どうせコロコロと変わる言い分をいちいち真面目に受け止めて怯える必要など絶対にないと信じていた。けれども、尊はそうではないのかもしれない。あいつは、感情の分からない声でつぶやいた。

「八雲は、強いね」

 俺は尊の言う強さが何を指すのか分からなかった。頭の良いお前なら、あいつらの説教におよそ論理性などと呼べるものがないことは分かっているだろうに。

「八雲は僕を優しいとよく言うけどね、僕は優しいんじゃない。弱いだけだよ」

 俺にとっては、追い詰められて暴力を振るうしか出来なかった自分より、どんな人間にも丁寧に言葉を伝えようとする尊のほうが、ずっと強いと思った。


「優しく振る舞うことは、僕にとって最大の鎧だから」

 そう言ったあいつが、暗闇の中でかなしく笑っているのだろうと分かってしまったから。俺はそれ以上その言葉を否定することは出来なかった。


 それから俺たちは間もなく学年が一つ上がり、高校二年になった。

 幸い俺たちのクラスは別々で、顔を合わせる場所は屋上と学校の外に限られていたから、あいつの辛そうな顔を見る機会はほとんど無かった。



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