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【原神】友を祝う美酒③

(無い。無いぞ⁉︎)


 服のあちこちを無意味に叩いてみるも見つかるはずもなく、カーヴェの頬を冷たい汗が垂れた。


 はっきり覚えてはいないが、昨夜はここで飲んで、さすがに支払いを済ませて帰ってるはず。とすれば、帰り道で失くしたか。


 いや、単純に家に忘れた可能性も高い。


「あー……店主、実はちょっと持ち合わせがなくてね。すまないが、取り置いててくれないか。すぐに戻るから」


「おいおい、そいつは困るぜ。さっきから言ってるが限定ものなんだ。取り置きなんかできねぇよ」


「ちょっ、待ってくれ、そこをなんとか!」


 ランバドのすげない返答に、カーヴェは早口で取りすがった。財布を探している間に誰かに先に買われたら目も当てられない。自然と声に情感がこもる。


「なぁ頼むよ。必ず買いに戻って来るから。ほら、僕は常連なんだから、僕のことは店主もよく知ってるだろ?」


「もちろんだ。お前さんが、うちに大量のツケを作ってた頃からよく知ってるぜ」


 なまじ常連だったのがあだとなった。


 説得するはずが逆に封殺されてしまい、カーヴェが呻きながら項垂れる。こうなっては、誰かに買われるよりも早く財布を見つけ出すしかない。


(まずは家に戻って……いやいや!)


 真っ先に浮かんだ合理的な考えを、カーヴェは頭を振って追い払った。


 家にはアルハイゼン(あいつ)がいる。あんな風に家を出て来たというのに、財布を失くしたなんて知られたら、またどんな嫌味を言われるかわかったもんじゃない。


(帰り道を探すしかないか……どれだけ時間がかかるかわからないけど、三十人団の詰所に拾得物として届いてるかもしれないし……)


 都合のいい希望的観測をもとにカーヴェが行動を起こそうとしたとき。


「あいよ、いらっしゃい」


 酒場のドアが開いて、新たな客が入って来た。ランバドが愛想よく迎え入れるのにつられて、カーヴェもそちらを振り返る。


 その瞬間、カーヴェは自分の表情がぎこちなく固まるのを自覚した。


 開いたドアの前にいたのは色白の男性だった。典型的な璃月の商人らしい、高級な質感の長衣を小柄な体に纏っている。


 整髪料で撫でつけられた短い黒髪の下で、もとから細い目が不機嫌そうにさらに細まった。


「おや……これはこれは、カーヴェさんじゃないですか」


 不愉快そうな表情のわりに、カーヴェを呼ぶ声色はどこか軽快だった。男性のちぐはぐな様子に面食らいながらも、カーヴェがなんとか発声に必要な筋肉を動かす。


「ど、どうも、張偉(ちょうい)さん」


「どうしたんだ、カーヴェ。あのお客さんと何かあったのか?」


「え? ああいや、たいしたことじゃないんだ……」


 喉を詰まらせたような挨拶を交わすのを不審に思ったのか、ランバドがカウンター越しに顔を覗き込んでくる。引きつってしまいそうな顔面になんとか笑みをこしらえると、カーヴェは昨日の記憶を(さら)った。


「こちらの張偉さんとは昨日、建築の依頼で、その、見解の相違があってね。気まずい形で話が流れたんだよ」


「ええ、ええ。この業界で、商談で揉めるなど珍しくもないことですからね。決して、たいしたこと(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)じゃありませんとも」


 ねっとりと頷いたのは、ドアの前に立ったままの張偉だ。声こそ笑っているが、顔は不愉快そうなままであり、何より発言に棘が感じられる。


 これは根に持ってるな──これ以上は関わらない方が賢明だと判断して、カーヴェは工具箱を担ぎ直した。


「とにかく、すぐに戻るから、それまで誰にも売らないでいてくれ」


「だからよ、できねぇって」


「本当に頼むよ! 絶対にちゃんと戻ると誓うから!」


「誓うのは勝手だがよ。ほかに欲しがる客が来て、揉めることになったときに苦労するのは俺だぜ? 取り置きはしねぇが、お前さんがモラを持って来たら売ってやるから。さっさと行って、戻って来いよ」


 結局はそれしかないようだ。項垂れながらカーヴェが踵を返して、財布を探す旅路に踏み出そうとしたそのとき──


「察するに、カーヴェさんは、そちらのお酒を買われたいのですかね?」


 カーヴェの横をすり抜けてカウンターへ歩み寄ったのは、張偉だ。しげしげと酒瓶を眺めると、おもむろに懐から厚い財布を取り出す。


 恐れていた事態がこんなにも早く起こったことに青ざめたカーヴェが、なんとか食い止めようと口を開くが──


「では私が二万モラを用立てましょう。それでカーヴェさんに差し上げます」


「は、はぁ⁉︎」


 開いた口からは驚愕の声が飛び出た。


 モラを用立てて、差し上げる? そんなことをして、この人に何の得があるっていうんだ?


「いや、待ってください張偉さん。なんだってあなたが、僕のためにこの酒を買われるって言うんですか⁉︎」


「ははは、驚かれるのも無理はありませんね。いやなに、実はですね、私は昨日の商談を後悔してるのですよ」


 カーヴェの困惑ぶりとは対照的に、張偉は落ち着いたものだった。低い笑いを混ぜながら、自らの奇行について説明する。


「商売人として損をしたくないあまり、昨日の私は、我を通しすぎてしまった。せっかくカーヴェさんほどの高名なデザイナーと出会えたというのに、その貴重な機会をふいにしてしまったんです。できることなら、やり直したい。さりとて、ただ頭を下げるだけでは身勝手というもの」


 相変わらず顔は不愉快そうなままだが、声色は真摯なものだ。じっと聞いているうちにカーヴェの頭から先入観が抜けていった──この人、たぶん顔で損してるタイプなんだろうな。


「ですので、この酒を手土産に、どうか商談をやり直させていただけませんか?」


「張偉さん、あなたのお気持ちはわかりました。ですが、そのお酒は結構です」


 商人の懇願をカーヴェは毅然と断った。だが相手が誤解をしないよう、すぐに言葉を継ぎ足す。


「僕も昨日の商談には、心に引っかかるものを感じていました。改めて話し合えるのなら、こちらとしても願ってもないことです。手土産などを考えてくださる必要はありません」


「ですが依頼した身としては、カーヴェさんにご迷惑をおかけしながら詫びも無しというのは、いささか道義にもとります……」


 まさか断られるとは思わなかったのか、張偉は考え込むように目を伏せた。しかしそれも数秒、何か閃いたように顔を上げる。


「ではこうするのはいかがでしょうか。これより商談をして、カーヴェさんにデザインを描いていただけたら、前払いとして二万モラをお支払いする、というのは」


「前払いですか……」


 悪い話ではない。ただ金を貰うよりも気兼ねなく話し合いができるし、デザインの時点で報酬が発生するなら労力にも見合っている。


「ええ、それで構いません」


「では成立ということで。簡単ではありますが、契約書も書かせていただきます」


 そう言って張偉はカウンターに紙を敷くと、懐から取り出した筆記具でさらさらと書き始めた。


「何もそこまでしなくとも」


「いえいえ、ご存知かと思いますが、璃月人は契約を重んじますのでね。はい書けました。確認とサインをお願いいたします」


 差し出された契約書を黙読する。先ほど話した内容が間違いなく記されてるのを読み取って、カーヴェは自身の名前を記入した。


「しかし張偉さん。あらかじめ言っておきますが、もしも昨日と同じ依頼内容でしたら、同じ結果を辿らざるを得ませんよ。あんな土地にご住まいを構えられるなんて──」


「住まい? いえ、違いますよ、カーヴェさん。私が建てて欲しいのは住宅ではありません」


「住宅じゃない?」


 たしか家を建てるという依頼だったはずだが、違っただろうか? 記憶を掘り起こそうとするカーヴェへと、張偉は穏やかに訂正した。


「私が建てて欲しいのは、ささやかなテーマパークです。そう、アランナラのテーマパークを、ね」

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