黎明前夜のゾディアックサインⅣ
冴木は、客間の和室に戻って座布団に座っていた。お手洗いから戻ってきた茜と、なぜかそわそわしてるみれい。そして、今度はコーヒーではなくお茶を注いでいる宇津井がいる。
「二人とも遅かったけど、蔵には何かあったの?」
茜が訊くと、みれいは首を横に振った。
「いいえ、でも冴木先輩が、ちょっと宇津井先輩に訊きたいことがあるとかなんとか……」
「なんだ、なんかあるのか?」
宇津井は冴木に視線を移して、座布団に座る。最初この家に来た時は冴木のことを邪険に扱っていたのに、何だか今は機嫌が良さそうだった。
「あの、二つほど質問してもいいですか?」
冴木は目だけ動かして、宇津井を捉えた。
「いいぜ」
「軽トラの荷台に、色々と段ボールが捨てられていたんです。最近買ったものの段ボールですよね?」
「ああ、そうだけど、それが何か暗号に繋がるのか? 俺の買ったもんが、爺さんの金庫とどう繋がるんだよ」
「いや、関係ないです」
「はぁ?」
宇津井は苛立ちを露に、吐き捨てる。
「なんなんだよ、そもそも俺はそこのみれいちゃんと、瀬戸さんに声かけたのに金魚のフンみたいについてきて、いい加減な質問してくんじゃねえよ」
「まぁまぁ」
茜が仲裁に入る。
「いいじゃないの、女二人で初対面の男の家になんていけないってば。前に言ってた新聞部の子たちも、そうだったんじゃないの」
「いや、新聞部のやつらは女子二人だったぜ。まぁ、初対面ではなかったけどよ」
「あ、そう……」
茜は額に片手を当てる。
「あの子も、豪胆ねぇ」
「とにかくよ、これ以上なんか文句あるってんなら帰ってくれよ」
冴木にとっては願ったり叶ったりの帰還命令だ。今すぐにでも帰りたいところだったが、そうもいかない事情が出来ていた。
冴木は腕時計をちらりと見てから、話題を変えた。
「では、まずは金庫を開けてみましょうか」
「え?」
茜が目を丸くする。
「さっきの私の仮説聞いてた? あれじゃ開かないわよ」
「瀬戸先輩の考え方は合ってました。ただ、なぜ羊として考えるのか分かりませんでした。暗号には白羊と書いてある。ならそう解釈するべきだ。白羊は白羊宮。黄道十二宮の一番目。おひつじ座のことですよ」
「待ってよ、確かに白羊宮って言葉はあるけどどうしてそう言い切れるの?」
そこまで分かっていて、どうして分からないんだろう、と冴木は不思議に思った。
「死に絶え、つまり死んだら何になりますか? 有栖川君はラム肉といっていたけれどそうじゃない。死んだら星になるっていうじゃありませんか。それに、白羊宮の守護惑星は冥王星。後半の文との辻褄が合うんです」
冴木はさきほど、占いに知悉していたミス研会長の萩原大樹に電話をして確認をとっていた。ついでにもう一つ、頼み事も。
「冴木の言い分は分かるけれど、それは宇津井のお爺さんもそのことを知っていないとおかしいわよ。どうして星座やら惑星に詳しいってわかるの、って……ああ!」
茜はそこで合点がいったようだった。
「お爺さんは、風水に詳しい。実際、家の顔になる玄関の手入れは念入りでした。風水と占星術も近しいものです」
「ちょ、ちょっとまってくれ」
宇津井が驚いたように口を挟んだ。
「確かに爺さんは占星術っていうか、星占いみたいなことはしてくれたことあるけどよ、なんでそんなことがすぐ分かるんだ?」
「なんでって……これまで見たもの、聞いたものから推測しただけです」
冴木は再び、ポケットから棒付きキャンディーを取り出した。どうも、考え事をするのに糖分を使うのは本当らしい。どうにも、体が糖分を欲している気がした。
「そういえば……」
みれいが言う。
「宇津井先輩の蒼宙って名前も、珍しいなと思ったんですの。宇宙の宙って字が入っていますわね」
宇津井の下の名前など、冴木はすっかり忘れていたが、適当に頷いた。
「なんにせよ、これで白羊宮と冥王星は関連があるということが分かりました」
冴木は視線を落としたまま、続ける。視界の隅には、腕時計がある。まだ話し始めて数分しか経っていない。
「そして、白羊宮は死に絶え――つまりおひつじ座の終わりは黄道座標の三十度。そして失われた九番目――太陽系惑星の定義により準惑星となった冥王星は、国際天文学連合がつけた小惑星番号134340という数字があります。これが妥当な線でしょう」
「ちょうど八桁ですわ」
みれいは思わず立ち上がっていた。つられて、シリンダーキーを持っていた宇津井も立ち上がる。
「マジかよ、じゃあこれで……!」
宇津井が金庫に向かったところで、冴木がまた声を上げた。
「その前に、あと一つ質問が残ってます」
「チッ、いまはそれどころじゃないだろ」
宇津井は吐き捨てるように言う。
「お前だってこれで金庫が開くかどうか、気になるんじゃねぇのかよ」
「宇津井先輩は、有栖川君が蔵を調べてもいいかと訊いたら、どの場所でも好きに調べてくれっていいましたよね」
「言ったかもな。なんだよ、また蔵がみたいのか?」
「いえ」
冴木は棒付きキャンディーを手で弄んでいる。
「では、トイレを調べてもいいですか?」
金庫へ向かおうとしていた宇津井がピタリと足を止めた。宇津井の瞳が冴木を睥睨する。
「そんなとこ調べて何になるっていうんだよ」
「先ほど自分で言ったじゃないですか、軽トラの荷台にあった段ボールは最近買ったものだって。その中にあった小型カメラは何に使うのかなって思っていたんです」
「あれは……」
宇津井は目線をさ迷わせながら答える。
「裏庭に、畑があんだよ。そこを害獣が荒らすから、監視のために買ったやつだ」
「畑は、手入れされた様子はありませんでした。お爺さんが老人ホームに入居されたからじゃないですか?」
ぐっ、と宇津井が押し黙る。そこへ茜が割って入った。
「ま、待ってよ。ってことはなに、トイレに小型カメラが仕掛けてあるんじゃないかって言いたいこと? そんなことあるわけないじゃない」
「どうしてそう言い切れるんですか? 宇津井先輩はトイレに行かせようと必死だったじゃないですか」
「どういうこと?」
「コーヒーを何度も注いでいたじゃないですか。カフェインには利尿作用があるって、聞いたことありませんか?」
茜は口元を抑えて黙り込んでしまった。隣でみれいも、身を固くしている。
「でもこれは、あくまで可能性があるというだけで……そう、仮説です。何もないというなら疑ったことは謝ります。でも、先輩だって濡れ衣は晴らしたいでしょう」
そもそも冴木は、なんで暗号解読とやらを家でさせようとするのかに引っかかっていた。暗号が書かれた紙切れ一枚を持ち歩けば、宇津井のいっていた交友関係を広げるという目的は達せられそうなものだ。そしてコーヒーばかり注いで、トイレに立った茜を機敏に案内していれば違和感を覚える。極めつけの小型カメラだ。具体的な用途を言うかと思えば、手入れされていない畑の様子がどうのと、何とも胡散臭い。
宇津井は真っ青になった顔を、今度はみるみる赤く染めて、冴木のほうに向きなおる。
「こいつ、さっきからありもしないデタラメばかりいいやがって!」
宇津井はシリンダーキーを床にたたきつけると、冴木に近づいて拳を大きく振りかぶった。
「きゃぁ!」
茜か、みれいの叫び声が聞こえる。冴木はこうなるんじゃないか、と思っていた。だから予防線を張っていた。
どたどたと足音が聞こえたかと思うと、突如として何かが宇津井を押しのけた。開いていた障子から縁側に吹き飛んだ宇津井は、何が何やらと言った様子で蠢いている。そこに覆いかぶさっているのは、我らが会長、萩原大樹だった。
「よう、賢。間一髪だったか?」
柔道着のままの大樹が額の汗を拭いながらはにかんだ。
「まったく、来ないかと思ったよ」
冴木はほっとして肩の力を抜いた。