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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第五章
34/35

+盲いの竜と杼ノ姫+



「その昔……まだ天界が形を成す前のころのことです。広大な海に取り囲まれ、その糧を得て暮らす地界の人間達は、岸辺にしがみつくようにしながら細々と暮らしていました。地界の内陸にある険しい山々は足を踏み入れた者の戻り道を閉じてしまい、人間の暮らせる土地を拓くことが叶わなかったのです。そのために土を肥やす土竜つちだち――ミミズやモグラのいる土地は、常に人間達の諍いの種になりました」


 星姫の庵、その濡れ縁に慎ましく腰をおろし、膝上で色白の手を揃えた莢は、灰色の靄で覆われた竜寝泉の湖面を眺めながら語りはじめた。


「ですが、ひとの手が入った途端にミミズやモグラは姿を消し、土地はみるみるうちに衰えてしまいます。やがて人間達は考えました――自分達が未だに足を踏み入れることの叶わない山の奥深にはきっと、土の痩せない豊かな土地があるに違いない。山がひとを阻むのはその宝の地を奪われたくないからだと」


 ――生き延びることに必死な人間達は大勢で山に分け入り、いつものように戻り道が閉じられると来た道をとって返そうとはせずに、そのまま谷筋に下りて行きました。そしてひっそりと自分達の集落を作ったのです。谷筋は肥沃な土地が広がり、外から土地を奪いにくる者もありません。集落を拓いた人間達の暮らしはみるみるうちに豊かになっていきました。

 やがて土地を取り合う諍いもなくなり、人間は山々が自分達を受け入れてくれたのだと、土竜つちだちを祀るひとつの塚を作り、決して自分達のことは外の世界に漏らすまいと決めました。

 その塚から掬った土を自分の耕す土地に撒けば、必ず作物の実りは守られました」


「じゃあ、人間達の予想は当たっていたってことですか?」


「ええ。でも人間はそこで安心してしまったのだと思います」


 紬の言葉を受け、莢は少し悲しげに微笑んだ。


「ある時、禁を破ってその集落から忍び出た者の口から、みるみるうちに塚の噂は外の世界に漏れ出て広まっていきました。噂を聞きつけた外の世界の人間達は噂を運んできた者を案内に、豊かな土地を得ようと山の奥深へと乗り込んで行きました。ですが……集落への道はなかなか見つからず、山中を彷徨いながら多くの月日が経った後、ようやく外の人間達はその集落に辿り着きました。

 ただ、暮らしていたはずの者達は大きく数を減らしていて、そのころには三人の親子しか残っていませんでした。その姿も長い月日の間に人間とは異なるものへと変わっていたのです」


「あの……異なるものって、例えば、だけど……人間が山々の呪いを受けて、ミミズやモグラに変わっちゃったってこと?」


 不安と興味の入り交じった表情で莢を見つめる紬の問いに、莢は頷いた。


「そうですね。でも、ミミズやモグラの見かけというよりも“土竜としての中身が”ということなのですけれど」


「中身?」


 首を傾げる紬に、莢は膝に重ねた自らの両手を見つめながら言葉を続けた。


「両親は、目を……盲いていたのだそうです。祀った塚の土をいただいて作物を作り続け、それを食べていたことや、山深い場所で人目を避けて暮らしていたために、そうなってしまったとも言われているようですけど、不思議なことに土を肥やす土竜つちだちのように、両親の手に触れた土は深く豊かに肥やされ、子どもの手に触れた土からは溢れるほどの作物が実り、幼い手で織りあげられた衣は星の輝きを映す美しさがあったそうです。

 外の世界の人間は三人の親子のうち、盲いる寸前の幼い娘の目を治すためだと言葉巧みに娘を両親から引き離して――外の世界に奪い去ったんです」


「……その娘が、星姫様なの?」


「ええ――盲いていた両親は娘の後を追うことすら叶わず、嘆き悲しんで土竜つちだちを祀った塚に、どうか自分達の大切な娘を取り戻す力を与えてくれと祈り続けました。

 日毎夜毎、塚の前で風雨に晒されながら天を仰ぎ祈るうちに、とうとうふたりの命は尽きてしまったのです。やがて身体が朽ちて土に還ると、土竜の塚は突然崩れ、黄金と銀紫に輝く二頭の竜が躍り出て天空へと舞いあがりました――朽ちることのない新たな身を得た両親は、自分達の娘、ノ姫を捜し求めてたちまちに海を枯らし、天を切り裂き、大地を深く穿っては怒り狂いました。

 二頭の竜に恐れをなした人間達は、美しい娘へと成長していた杼ノ姫様を二頭の竜の元に戻し、許しを請うたのです」


 取り戻した愛娘を口に銜えた竜が、身から沸き立つ火炎で地界のすべてを焼き尽くそうと身構えると、杼ノ姫様は仰りました。


“わたくしは戻りました。これからも常にお側に。これ以上、あの方々を苦しめても喜びは生まれません。お父様とお母様のわたくしへの永久とこしえに続く御心を、失われようとしているこの者達のためにお使いください”


”娘よ。そなたが奪われようなどと、二度とあってはならぬこと”


“それでは、わたくし達がこの地界を去れば良いのです。ご覧ください。天上にはあのように新たな地平が生まれ出でようとしております。人間の中には、わたくしを守り慈しんでくれた者もおりました。その者達とともにわたくし達は天界に。ふたつの世界を豊かなものへと育てましょう。

 失い、引き裂かれる悲しみは、これを最後にしたいのです。お父様は黄金こがねの日、お母様は銀紫ぎんしの月、わたくしが星を彩る錦の糸となれば、例えわたくし達の身がいづちにあろうと、どなたもそれを引き裂き、奪うことは叶いません”


「――杼ノ姫様のお言葉のもと、竜王様は滅び去ろうとしている地界で散り散りに逃げ惑う人間達を哀れに思われ、嵐を纏い天地を巡りながらふたつの世界を育み、統治されることとなりました。星糸ほしいとの姫――星姫様となられた杼ノ姫様は、この庵で父君様と母君様のお渡りをお迎えになり、また見送られながら機を織り、慎ましく過ごされていたそうです」


「杼ノ姫様は……竜王様のように、星姫様として再び生まれ変わられることは叶わなかったのですか……?」


「ええ……。ご後進に相応しい新たな星姫様方を、それぞれ天地よりお選びになられた杼ノ姫様は地界に戻られ、生まれ育った山深の集落で没せられたとか……。人間として過ごされ、一度は亡くなられた父君様と母君様のお側で、眠りにつかれたかったのではないでしょうか」


「そっか……そうよね……。あら? 伊佐さん? やだ、泣いてるの?」


 目を丸くする紬の前で、伊佐はうっすらと赤みのある目をしばたかせた。


「ん~? いやぁ、莢べえの話につい引き込まれちまって。目から汗が出ちまったな。うん」


 盛大に鼻をすすりあげた伊佐は衣の袖で目許を拭うと、大きく肩で息をついた。


「それで竜王様は、今も杼ノ姫さんとの約束のために天界と地界を行き来なさってるってことか。は~、律儀なもんだねえ」


「機歌として伝わるお話ですもの。本当はもっといろいろなことがあるからなのかも知れませんし……ですが、それはきっと天界で暮らすわたし達は、知らなくても良いことではないかと思うのです」


 庭先の生け垣を見つめ、最後は独り言のように呟いた莢を見やり、伊佐はちいさく息をついた。


「まぁなぁ。けど、莢べえは星姫さんになるんだからよ。知らなくても良いんだわぁなんて、のんきなことも言ってられねえんじゃねえのかー?」


「――竜王宮司の遣いが直に、宣旨を携えてきたのか?」


 それまで黙していた拓陸の言葉に、んー? と伊佐は顔を向けた。


「それが妙な話でよ。莢が星姫に選ばれたって知らせを持ってきた奴が、なんてことのねえ、どこにでもいそうな薬屋のおっさんだったんだよ。普通に考えりゃ、とっとと追い返されてもおかしくねえような、なんとも貧相な身なりだったんだけどさ。俺の親父殿がそのおっさんを見た途端にいきなり平伏しちまったんだ」


 ――薬屋?


 ほんの一瞬、紬と目が合った拓陸はそのまま紬の視線を避けるように、伊佐と莢を挟んだ向こう側に腰をおろした。


「ね? 若君? そういえば鳴海のさとにも薬屋のおじさん、いたわよね? なにか捜してるみたいだったけど……」


 伊佐と莢の身体越しに、拓陸に向かって身を乗り出して尋ねてくる紬の言葉に、伊佐が眉をあげた。


「鳴海郷に? じゃあ同じおっさんならとんでもなく早足だなあ!? 飛んでも二十日、歩いて三日ってやつか?」


「ええ? いやだ、それじゃ歩いたほうが早いじゃない?」


 真面目くさった顔で指折り数えながら、とぼけた伊佐の様子に、思わずふきだして笑いはじめた紬の傍らで、伊佐はチラリと拓陸を見やると瞳に意味ありげな笑いを微かに滲ませ、濡れ縁に両手をついて仰向くと庵の軒先をじっと見あげた。


「正直なところ、俺ぁ宣旨だのなんだの、あんまり難しいことはわかんねえけどよ。誰にもてはやされようと、星姫さんも、もとは莢べえや紬ちゃんと同じ、ただの娘っこだったわけだし、要はこの庵で、普通に、当たり前に暮らしたかったんじゃねえのかなあ? ……この庵がこんなにボロいのも、いつの間にか竜王宮司だの、わけのわかんねえ都のお偉いさん方に祭りあげられたことを、星姫さん御自身は、あんまり喜んじゃいなかった証なのかも知れねえし」


「ですが、杼ノ姫様は竜王様の姫君ですもの。天界の民が皆、敬い慕うのも無理はないのではありませんか……?」


 莢の言葉に伊佐は手のひらを莢の頭に乗せ、同意を込めて指先で軽くペンペンと叩いた。


「もちろんだともよ。莢べえみたいな生粋の織部の娘っこには、星姫さんは格別な存在だからな。だけど、回りの人間が本当の自分の姿を見ているわけじゃないってわかっちまうと、それはそれで自分の身の置きどころがねえっていうか、しんどいもんなんだよ」


「ふ~ん……。伊佐さんて、意外と苦労人なの?」


 面白がるように首を傾げて尋ねる紬に、伊佐はニッと笑ってみせた。


「おっ? わかる? さすが紬ちゃんだな。名家に生まれちまった親からの期待薄な息子ってのは、なかなか気苦労が多くてさ。でもまぁ、そのおかげでこうして伊坂を出て、莢べえと竜王宮への御奉公も叶うってもんだけど。鳴海の甥御様も、そのへんは同じなんじゃねえのか?」


「さあな。俺は鳴海の家を継ぐわけじゃないから」


 にべもない拓陸の口調を気にする様子もなく、伊佐は残りの金平糖を口に放り込んだ。


「へえ? そうなのか? だから警護府次官なんて命がいくつあっても足りない任に就いていられるんだなー。物好きなこった」


「……そういえばおまえも、これから都で仕官するんだろう?」


「おう。けど、莢べえが渡りに乗るころには、絶対に星姫さんの側付きになってると思うぜ?」


 自信ありげにボリボリと金平糖を噛み砕いている伊佐ののんきな姿に、拓陸は苦笑すると腕組みをした。


「そうか。だったらちょうど良いな。お望み通り、とっとと出世できるように警護府の上層部にいる知り合いに骨の髄まで徹底的にしごいてもらえるよう、俺からも頼んでおいてやる」


「お、おいおい! そうまでしねえと、星姫さんの側付きにはなれねえのかよ!?」


「まあ、おまえが思うほど甘くはないんじゃないか? なにより自分で地位を掴まない限り、絶対に星姫には近づけないからな。星姫の側付きだけが目的なら、頭を使うよりも体力で押したほうが良い。まぁまずは、庭番あたりからが順当だろうな」


 押しも押されぬ警護府の次官を務めていた拓陸から、予想もつかないはした仕事を口にされ、伊佐は目を丸くして呆れ混じりに叫んだ。


「ああ~?? こりゃあ参ったな……庭掃きの小僧からかよ!? まずいな、俺が庭掃きしてる間に、莢べえの星姫さんの任期が終わっちまうじゃねえか」


「わたくしは、それでも良いのではと思いますけれど……」


 ぼそりと呟いた莢の言葉に絶望的な声をあげた伊佐の様子を、くすくすと笑って眺めていた紬は、濡れ縁から立ちあがると生け垣に向かって歩きはじめた。


「紬?」


「せっかくここまできたし、星姫様のお住まいをゆっくり見てこようと思って。若君も行かない?」


 拓陸の呼びかけに紬が庵の裏手を指差すと、拓陸も日の高さを見あげながら腰をあげた。


「そうだな、それにそろそろ出ないと、今日中に都を発てなくなるかも知れない」


「あ、そうよね。伊佐さんに莢様、わたし達はもうそろそろおいとましなくちゃなりません」


 荷物を手にする紬の声に、押し問答を続けていた伊佐と莢の兄妹は、紬と拓陸に向き直った。


「あ、そうか。そうだよな。また会えて嬉しかったぜ、おふたりさん。また会うことがあるかは……まぁわかんねえけど、そん時まで元気でな?」


「ええ。莢様も、星語りのこと、いろいろと詳しく教えてくださってありがとうございました。まさかこんなところで、他の郷の織部の方にお会いできるなんて、思ってもみなかったもの。とっても楽しかったです」


「いえ、こちらこそ……お世話になりました。必ずまたお会いできますよう」


 濡れ縁から腰をあげ、丁寧に頭をさげた莢の傍らで、伊佐は拓陸にニッと笑ってみせた。


「よう、次官殿。ツテが要るようになったら、あんたに頼むからよ。それまでは俺に断りもなく警護府を辞めるんじゃねーぞ?」


「俺のことよりも、まずは自分の頭のはえでも追うんだな」


「おう。任せとけよ! じゃーな!!」


 ふたたび深く頭をさげた莢と、腰をおろしたまま頭上を払う仕草でひらひらと手を振る伊佐に拓陸も思わずふきだし、軽く手をあげた。


「最後に竜寝泉を見てから行くか?」


「うん。若君のお馬もきっと、もう元気になってるんじゃない?」


 竜宝廟――かつて星姫が暮らした庵を後にする紬と拓陸の後ろ姿を見送りながら、莢がぽつりと呟いた。


「紬様がもし星姫様に選ばれたら、じきにお会い出来ますよね?」


「ああ、そうだとも。ちいっとおっかないけどよ、すげぇいい娘だったろ? 紬ちゃんがうまいこと星姫さんになりゃあ、莢べえに頼もしい友だちが出来るってもんだけど……あの次官殿の浮かねえ様子じゃ、あんまりうまくねえのかもなぁ」


「そうですか……」


「ま、宣旨がくだればもう断れるようなもんでもねえし。きっとまた会える会える。心配ご無用だ」


 しっかし、次官殿が言ってた庭掃きの小僧からって、本当なのか??


 ぶつぶつと呟き続ける伊佐の傍らで、莢は紬と拓陸が去って行った小道をじっと見つめていた。


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