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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第四章
28/35

+隠れ葉の宿屋+



 都の賑わいからは少し外れた場所まで歩き、一見、普通の屋敷と思しき佇まいを持つ家の前で拓陸が立ち止まると、しばらくの後、夕暮れの中にしんと静まり返っていた門構えの木戸が静かに開き、この家に仕えていると思われる初老の男が灯りを手に姿を現した。


「こちらの館にお越しになられるとは、竜王宮に縁の方とお見受けいたしますが、念のため御印を拝見させて頂きます」


「ああ」


 男の言葉に頷いた拓陸はその場で衣を半衿ごと緩めて開き、男の正面に向き直った。


「――結構です。ありがとうございました。お連れ様は御身内の方ですね?」


 拓陸の胸に視線を走らせ軽く頷いた男は、紬を見つめて尋ねた。


「へ?」


 宿番の男の言葉に紬と拓陸が顔を見合わせると、男は笑顔で言葉を続けた。


「そういえば、次官殿の妹君には初めてお目にかかりますね?」


「あ、いや……こいつは」


「……違うのですか? 困りましたね……こちらのお宿は竜王様の御印をお持ちの方と、そのご親族の御方のみお通しする決まりなのですが……」


 男の困惑気味な様子に拓陸はなんとか言葉を継ごうと、頭を巡らせた。


 親族ではない。親族ではないが、鳴海郷とその領主である伯父や自分の立場から見ても、星姫候補に挙げられている紬が大切な者であることには変わりなかった。ことは竜王宮にも関わりがあり、ありのままを正直に話せばおそらく下にも置かぬもてなしで泊めてはもらえるだろうが、傍らの紬にそれを知られるわけにはいかない――絶句する拓陸の傍らで、緊張した面持ちの紬は男に挨拶をした。


「はじめまして。山之辺紬と申します。あの……都が不案内なわたしに、若君が縁の場所をいろいろとご案内くださったのですけれど、都の華やかさが嬉しくて、ついはしゃいでいたらすっかり遅くなってしまって。若君にもこちら様にもご迷惑ですから、わたしはこの辺りのお宿に泊めていただきます。若君はどうぞこちらに」


「おや……これはこれは。妹君ではございませんでしたか。これは大変失礼いたしました。年を取ると、どうも早合点がすぎるようです」


 男はしわを濃くして笑うと、手にしていた灯りをかざして紬の姿を照らした。


「ご一緒に都の縁巡りをされておいででですか。これは大変失礼いたしました。次官殿もおひとが悪い。せっかく許嫁の御嬢様を伴われておいでなのですから、紬様もぜひご一緒にお泊まりください。仕度も整わず申し訳ございませんが、さあ、どうぞ中へ」


「え!?」


「許嫁!?」


 思いもかけない言葉に仰天する紬と拓陸を前に、初老の男はニコニコと頷いてふたりを門の中にいざない、扉のかんぬきをおろすと先に立って歩きはじめた。


 目をまるくしていた紬は満面の笑みを浮かべて拓陸をみあげ、振り返った男の、どうぞこちらへ。という声に慌てて拓陸の腕を掴むと後を追った。


「こちらの都はとても華やいでいて、ひなびたさとで暮らしているわたしには、ひとりで泊まるにも心細かったんです。嬉しい、良かった。ご親切にどうもありがとうございます! 若君のお知り合いの方は、皆様とても懐深くお優しい方ばかりですね」


 宿番の男の暗黙の心遣いに、花がほころぶようにニッコリと微笑んだ紬の傍らで呆気に取られていた拓陸は、紬の言葉ににこやかな笑みを浮かべ、男に向かって複雑な表情で口を開きかけたものの、しばらくの沈黙の後、諦めたように瞳を閉じると溜息混じりに紬に同調した。


「いや……。突然押しかけてきたうえに無理言ってすまない。宜しく頼む」


「竜王様がお戻りになられ、立派な市も立ちましたから、今時分はどちらの宿も一杯でございましょう。都が活気づくのは、わたしどもにとっても嬉しいことです」


 さ、どうぞこちらへ。お足元にご注意ください。


 案内に立つ男から少し離れて後に続きながら、呆れたように拓陸がボソリと呟いた。


「……おまえ、よくもそんなに次から次へと……肝が据わってるな」


「そう? だってせっかくのお心遣いをお断りするのも失礼でしょ? それに若君と都を巡って楽しかったのも、本当のことだもの」


 わあ、素敵なお屋敷ですねー!!


 拓陸の腕にぶらさがって上機嫌に屋敷へと向かう紬に引きずられるように、ふたりは男の案内で屋敷の中へと入っていった。


 竜王宮に関わる者のみ逗留を許されたその宿屋は、思いの外奥行きも広く、官者衆の集う宿にしては、こざっぱりとした様子が窺えた。

 平土間の隅に置かれた幾組かの笠や草履の他には、ひとの居る気配もなく、最も奥に位置する離れに案内されたふたりは充分なもてなしを受け、夜遅くまで男が箜篌くごを爪弾きながら披露する都の流行り歌などを楽しんだ。


「こちらの箜篌の弦は、先々代の星姫様が紡いでくださったものなのですよ。わたしも手すさび程度に奏でておりますが、弦は未だに一度も切れることなく使わせていただいております。絹というものは、このようにしなやかで強いものであったかと、爪弾く度に星姫様のお手の確かさに感じ入るばかりです」


 男の言葉に紬は目を丸くした。


「こちらの弦は絹糸なのですか?」


「ええ。爪弾いて奏でるものは丈夫な馬の尾などを使うのですが、絹糸に勝る音色はございません。絹は細く切れやすいので通常であればすぐに交換しなくてはなりませんが、こちらの箜篌は時折糸を外し、手入れをするのみなのです。

 星姫様のお手にかかれば弦糸ひとつでも、このように驚くべき力を備えるものなのですね」


「あの、近くで見せていただいても構いませんか?」


「ええ、どうぞご遠慮なく。ああ、いけませんね。つい長々とおじゃまいたしまして。おふた方ともお疲れでございましょう。直ちに湯の仕度をして参りますので、失礼させていただきます」


 男は拓陸に向かって座り直し手をついて一礼すると、静かに部屋を出て行った。


 男の気配が消えるとホッと安堵したように紬は息をつき、改めてしげしげと支台に立てかけられた箜篌に顔を寄せて、しげしげと観察しはじめた。


「こんなに細いのに切れたことがないなんて……竜王宮で育つ御蚕様は、きっとご立派なんだねー……あれ? この糸、不思議な色……。染めてあるのかな?」


「いや、竜王宮の蚕は金銀の糸を吐くらしい。もとは白絹だけだったそうだけど、それも竜王の力が関わっているのかも知れないな」


 盃を手にした拓陸は、箜篌の傍らでじっと張り渡された絹糸の弦を見つめている紬の様子に苦笑した。


「眺めてばかりいないで、奏でてみれば?」


「え……だって、箜篌の弾き方なんて知らないもの。触っても叱られない?」


「乱暴に扱わなければ壊れたりしないだろ。やってみるか?」


「う、うん……でもどこを持てば……あ、こうね?」


 先程まで男が腰かけていた椅子に浅く腰をおろし、見よう見まねで箜篌を手にする紬に、拓陸も立ちあがると手を伸ばして添えた。


「膝の間に箜篌の足を立てて。もう少し真っ直ぐだ」


「こう?」


「胴は肩に乗せて、両手で奏でるんだ……ほら、身体が曲がると倒れるぞ」


「ん~……簡単そうに見えるのに、箜篌を構えるのって大変なんだねー。あ、このお胴も桑の木ね?」


 紬の言葉に、拓陸は怪訝そうな顔をした。


「木肌を見るだけで、桑だってわかるのか?」


「桑の木だけは毎日見慣れているもの。えへへ~、なんだか懐かしい感じ」


「へえ、さすがは織部の者だな」


 笑みを浮かべて箜篌の胴を撫でさする紬を、拓陸は感心したように眺めた。


「桑は貴重だし織部にしか栽培が許されていないから、一般的な箜篌は桐で作られるのが多いけど、星姫の楽器ともなれば、さすがに惜しみないんだな」


「そうなの? じゃあこの箜篌も、竜王宮で作られたの?」


「星姫が使っていたのなら、そうかも知れないけど……どうかな」


 音階を探りながら指先でそっと弦を弾く紬の姿を眺め、拓陸が酒を飲んでいると、障子を隔てた廊下より先ほどの男の声がした。


「失礼いたします。お湯の仕度が調いましたので、どうぞごゆるりと。わたしは帳場におりますので、なにかございましたらお声をおかけください」


「ああ。ありがとう」


「お床はお隣の間にご用意してございます。それでは、お休みなさいませ」


 男が立ち去ると、紬は箜篌を部屋の隅の支台に立てかけた。


「若君、どうぞお先に。わたし、少しお庭を見てくるね」


「ああ。この屋敷の庭は広いから、適当なところで戻れよ?」


「大丈夫よ、お池のところまでしか行かないから。このお宿にももう二度と来られないもの。いろいろと見ておかないと、もったいないじゃない?」


 興味津々な様子で庭先を窺い、拓陸に笑顔を向けた紬は、ちいさな濡れ縁に置かれていた草履を履いて庭へとおりていった。

 普段は織部から出ることのない紬にはこういった作りの屋敷が珍しいのか、あちらこちらと見渡しながら月の光を頼りに歩いて行く。


「おい、また調子に乗って池に落ちるなよ?」


「もう落ちないってば! 失礼ね!!」


「……まったく、俺の“許嫁殿”は元気だな――さてと、風呂に入るとするか」


 暗がりから返ってきた予想通りの元気な紬の声に拓陸はふきだすと、風呂に向かうために座敷から立ちあがった。

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