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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第四章
27/35

+都にて+



 峠をいくつか越えるうちに、山深い土地を縦横無尽に闊歩する荒ぶる獣の気配は弱まり、ひとの手の入った田畑を抱く山並みが開けた後は、緩やかに右へ左へとこうべを揺らして延びる街道がふたりの目の前に現れた。


「獣の気配も消えたし、少し急ごう。馬を飛ばせば昼過ぎまでには都に入れる」


「そうね。ここまで来て、都の御門に入れなかったら本当に困るもの」


 頷いた紬は拓陸の手を借りて馬の背に跨り、馬の首筋を軽く撫でた。


「ごめんね。ふたり分だから重たいけど、もう少し頑張ってね」


「――こいつもひと晩ゆっくり休んで、少しは元気も出ただろう。さ、行くぞ」


 手綱を引いて馬の首を都に向けた拓陸は、一気に馬の腹を蹴った。



 例え姿は見えずとも、収まるべきあるじの存在を民が感じるだけで、都というものは本来の生き生きとした活気を取り戻せるものなのだろうか。

 紬と拓陸、双方にとって久方ぶりに目にする都は、都大路に沿って連なる商いの天幕を出入りする人々や威勢の良い物売りの声でざわめき、華やかに賑わっていた。

 路地裏では大勢の子ども達を引き連れた紙芝居屋が、太鼓を鳴らしながらすれ違って行く。

 馬を知り合いに預け、紬とともに古物の反物屋にやってきた拓陸は、客の姿もなく、ひとり店先の縁台で涼んでいる中年の女に目を留めた。


「あの店か?」


「うん! 良かったぁ。時々、仕入れに出かけるって言っていたから……」


 おばさーん!


 暇そうな表情のままこちらに顔を向けた女は、紬の顔をみて、おや。と声をあげた。


「あらぁ、あの時の。また売りにきてくれたのかい?」


 どっこいしょ。と使い古した縁台から腰をあげた女主人は、背筋を伸ばして近づいてくる紬と拓陸を見つめた。


「ねえ、わたしが持ってきたあの反物、まだ残ってる!?」


「ああ。あれかい? 近ごろはなかなかお目にかかれないお品だったから、うちの娘に送ってやろうかと思って、店には出してないんだよ」


「本当!? ああ、良かった!! おばさん、悪いんだけどあの反物、買い戻させてくれない?」


 紬の言葉に、女主人は目を丸くした。


「あら、あんた。自分で持っていても仕方がないから良かったって、喜んでたんじゃなかったかい?」


「そ、そうだったはずなんだけど……やっぱりもう駄目?」


「そうだねえ……。欲しがっているひとは、結構いるんだけどねえ」


「誰かに見せたってことか?」


 拓陸の問いかけに、女主人はニッと笑った。


「そりゃあね、あたしも商売柄あちこちのお屋敷を出入りするから、当然話ついでに商いの品を見せることくらいあるだろうよ。値打ち物を目の前になんにもしないでボケっとしてるだけじゃ、おまんまの食いあげだからね。このお嬢ちゃんも困ってたみたいだし、ひと助けだと思って引き取らせてもらったけど、あれからあちこちからの引き合いがすごくてねえ。困ったもんさ」


 まんざらでもなさそうな顔で満足げに頷く女主人の様子に、拓陸は表情を曇らせた。


「――その中に、買った奴がいるってことだな?」


「ええっ!? 本当?? おばさん」


 拓陸の声に、紬は顔を青くして女主人の腕に取りすがった。


「う~ん。いやね、あたしも見せるだけのつもりで何度もお断りしたんだけど、どうしてもって頼まれてねえ。そりゃあ熱心にこの店まで何度も出向いてくださって、無碍むげに断るのもなんだしねえ。一反だけお買いあげいただいたんだよ」


「そうよね……おばさんも、お品が売れないと困るものね……」


 肩を落とし、ちいさく溜息まじりに呟いた紬に、女主人は困ったように笑って紬の手を取った。


「悪いねえ、もう二日ばかり早く来てくれればねえ。でもさ、あんたの織った反物、綺麗だ綺麗だって本当に喜んでたわよぉ? また入ったら是非教えてくれって言われたんだけど、今日はなにも持ってきてないのかい?」


「うん。今日は買い戻しにきただけだから……じゃあ、残りの二反は?」


「わざわざ買い戻しにくるなんて、なんだかあんたにも大変な事情がありそうだ。商売人としてはとっても惜しいけど、返してあげたほうが良さそうだねえ」


 ちょいと待ってておくれ? 今取ってくるからね。


 女主人はそう言い残すと、恰幅の良い体を揺らして店の奥へと消えていった。


「とりあえず二反は無事だったし、取り戻せただけでも良かったな」


「……うん、そうよね」


 店先に並ぶ沢山の反物を見つめてちいさく頷いた紬の姿に、拓陸は怪訝な顔をした。


「どうした?」


「うん……。あのね? お店にはこんなにたくさんのお品が並んでいて、わたしのはお店に出してなかったって、おばさん言ってたでしょ? わたしの織ったものが、お店じゃなくておばさんのお得意様に売れたなんて、ちょっとびっくりしちゃって。もちろん取り戻せて良かったって思うけど……ちゃんと値段がついて売れたんだって解ったら、なんか……嬉しいなぁって」


 少し照れくさそうに笑う紬に、拓陸も微かに笑って頷いた。


「古い着物は生地や仕立てが良い品だからこそ、残っているとも言えるからな。都の貴族も目が肥えているし、こういう店にこそ目をかけている者も多いんだろう。おまえの品もそういう目利きの者が袖を通す価値があるってことだ」


「若君……。わたし、都にきて良かった。もっとたくさん勉強して、頑張ろうって思うもの」


「……そうだな」


 反物のすべてを取り戻せなくなったことで喜んでばかりもいられなくなった紬の状況に、拓陸は買われていったという一反の行き先に思案を巡らせた。


 ……誰の手に渡ったのかは気になるけど、そこまではあの女主人も教えてはくれないだろう。おそらく都に済む貴族か、竜王宮の中の者――当てはまる者の数を思えばきりがない。これ以上辿るのは難しい、か……。


「はい、お待ちどうさま。これと、これね。間違いないかい?」


「ええ。良かったぁ、ありがとう! わがまま言ってごめんなさい。おばさん、今回は悪いことしちゃったし、買い戻すわ。これ、いくら位かしら?」


「あら、そう? ……そうだねえ。あんたがただのお客さんだったら、好きなだけふっかけさせてもらうところだけど……」


 女主人は卓上でパチパチと盤石を弾き、しばらく考えた後に顔をあげた。


「じゃあ、またいつか売ってもいいやつがあれば持ってきておくれよ。それで五十と三つ。どう?」


「ごっ、ごじゅうっ!? あの、わたしそんなに手持ちが……。どうしよう、なにか……売れるもの……?」


 慌てた紬が自分の身につけている物を見渡している間に、懐から銭袋を取り出した拓陸が尋ねた。


「五十と三だな?」


「――ひとつが、ね」


「ひっっ!? ふたつで百と六つって!! 嘘でしょ!?」


 仰天する紬とちいさく溜息をついた拓陸を前に、女主人は涼しい顔で笑ってみせた。


「もう一反は三百を越える値がついたからねえ。他のお品のことも考えると、大きく下げるわけにはいかないんだよ。これで勘弁しておくれ。あんたのお品、また楽しみにしてるからさ」


「さ……さんびゃく……?」


「わかった。――それだけの値がつく物なら商いに響くだろうに、無理を言って済まない。ほら、紬。ちゃんと受け取れ」


 額面の強烈さに惚けたように立ち尽くす紬の手に反物を手渡した拓陸は淡々と支払いを済ませ、紬の肩に手をやって店を後にした。


「ん? ……おまえ、なに呆然としてるんだ?」


「だって……あれ、ひとつ十二で買い取ってもらったのよ? それだって十分過ぎる位嬉しかったのに……たった一反が、三百って……しかもまだ下織りのものなのに……なにかの間違いじゃないの……?」


 蒼白な顔で呆然と腕に抱えた反物を視線を落とす紬に、拓陸は笑いを滲ませた。


「まぁな。確かに随分な額には驚かされたけど、別におまえが三百払った訳じゃないだろう?」


「そうだけど、だって……呆れちゃって。あ、そうだ! 若君、お代……立て替えてもらっちゃってごめんなさい。帰ったらすぐに凪沙ちゃん……じゃ絶対に無理だしバレたら殺されちゃうから、えっと……長様にこっそりとお願いして……それで、できればあの……二十回くらいに分けて少しずつお返しするのでも良い?」


 ハッと我に返った紬は半ば涙目になりながら、恐る恐る拓陸を見あげた。


「気にするな。もともと俺が買い戻すつもりだったんだ。さすがに俺も残りの一反はちょっと無理だ」


 悪いな。


 苦笑する拓陸に、紬はふるふると首を振った。


「そんな……だって、わたしが勝手に売ったのがいけなかったんだし、若君はもともとなんの関わりもないのにいろいろと助けてくれて……あの、本当にありがとう。ちゃんとお礼、言ってなかったし……」


「――礼を言うのはまだ早いな」


「……え?」


「今日の宿代と、帰りの分の金がまずいことになった」


 ひっ!?


 紬は自分の抱えた反物を見つめ、拓陸の顔を食い入るように見あげた。


「ね、ねえ? ……これ、もう一度売りに……?」


「はあ? 馬鹿かおまえは。それじゃわざわざ都まできた意味がねーだろ!」


 呆れる拓陸を前に紬は心細げな顔で、人々の溢れかえる都大路を見つめた。


「だって、こんな立派な都で……野宿なんかできるの?」


「……仕方ないな。あまり気が進まないけど、俺の知り合いの所に泊めてもらうか。ふたりならなんとかなるだろ。行くぞ」


 溜息をついて歩き出した拓陸の後を、紬は慌てて追った。


「若君の、お知り合いの方のお家?」


 紬の言葉に、拓陸は微かに苦い表情を浮かべた。


「――まぁそんなもんだ。おまえにとっても嬉しくはない場所かも知れないけど、この際、贅沢は言っていられないし。一応、飯も風呂も用意してもらえるから心配するな」


「わたし、泊めていただけるのなら土間の隅でもいいわ」


「いや……もしかしたら場合によっては、その逆になるかも知れないぞ」


「? 逆って、どういう意味?」


「いや……とりあえず訪ねてみないと何とも言えないな。都はひとが多いから、よそ見してはぐれるなよ」


 反物を包んだ荷をしっかりと抱えて首をかしげる紬を伴い、拓陸は目指す屋敷に向かって歩きはじめた。

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