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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第三章
24/35

+御旗印の夜明け+



 夜明けの空が白み、山間やまあいの木立に朝靄が立ちこめる薄明かりの中、オオクスの根本に忍び寄る影があった。身軽な旅装束に身を包み、旅路の途にある者達の馬が繋がれている中に拓陸の所有する馬の姿を確認したその男は、街道とは逆の方向に足を早め、草むらに身を潜めていた仲間と落ち合った後、野を分け進みながら山中へと姿を消した。


 日が昇り、オオクスの下で朝餉の仕度を調える者達を見守るように、天空の渡り雲は今も尚、鮮やかな痕跡を残し続けている。

 じりじりと昇り続ける朝日に照らされた、鈍灰色から薄紅、黄色へと色を染め変え続ける見紛うことなき竜の残像に、竜王宮及び各地に散る織部の領館は、その日一斉に竜王旗を掲げ、雲海に浮かぶ世界に生きる者達に竜王の帰還を示すこととなった。


「さて、竜王様も都にお戻りになられ、当面はここいらの獣も大人しくしておるじゃろう。わしのような爺は、竜王様がおらん時期の山越えはただの重荷にしかならんでな。少しでも山の獣が治まってくれるというのは、ほんにありがたいことじゃ」


 刻んだ水菜の粥の椀を旨そうに啜りながら、安堵の溜息をつく老爺の声に、紬は日の光を背に受ける黒々とした峠を仰いだ。


「この辺りの山は、そんなに荒ぶる獣ばかりなの?」


「そうじゃよ。この辺りの郷では、嬢ちゃんのような若い娘っこでも狩りの火筒業ひづつわざを手につけておかねば、仕事には出られんでなあ。時には畑の芋や麦よりも、田畑を荒らされてやむなく討ったししのほうが銭になる年だってある。猪は牙も皮も肉も余すことなく銭になるから、猪が一度ひとたびさとに出れば皆、目の色変えて追い回すぞ?」


 そらもう勇ましいもんじゃて。と楽しげに何度も頷き、口の端に米粒を付けたまま快活に笑う老爺の姿に、紬は顔を青くして身を震わせた。


「わたし……この間、都の帰り道にひとりでこの峠を通ったの。その時は静かで獣の声もしなかったし、猪の姿も……あ」


 拓陸の傍らで粥を手にしていた紬は、オオクスの裏手から姿を現した長身の男に目を留めた。


「おー! 紬ちゃんじゃねーか。どうだ? よく眠れたかー?」


 なんだ? 皆で旨そうなもん食ってるなぁ、俺も一緒に食っていいかー?


 手にしていた手拭いを帯に挟み、大股で下草を踏み分けて近づいてきた男は、朝餉を囲む一団の輪の中に入ってくると、ドカッと拓陸の傍らに座り込んだ。


「よう、若君。昨日は邪魔してすまなかったな」


「いや、別に」


 静かに食事を続ける拓陸の傍らで男は口をへの字に曲げ、ガシガシと頭を掻いた。


「……あらあら。次官殿は今日もご機嫌斜めか? あ、おばちゃん俺にも飯ある? ああ、いいね。白い飯が山盛りだ」


 それじゃ俺も、いただきますっと。


 箸を手に取り、両手で拝むように一瞬瞳を閉じた男は、猛然と飯に食らい付きはじめ、汁を運んできた紬に気づくと、飯を頬張ったままニッコリと紬に笑いかけた。


「よう。お天道様の下でみると一段と可愛いなぁ、紬ちゃん」


「そんなにご飯粒飛ばしながら褒められてもねー……あれ? なんだか昨夜会った時よりも顔がやつれてない?」


「いいや? そんなことねえと思うけどな。たぶん、俺の男前が増したんだな。うん」


 大まじめな顔で頷く男に紬はちいさくふきだすと、白飯の椀を差し出した。


「あなたが言うと全部嘘っぽく聞こえるけど? はい、どうぞ」


 ホントだぜ? と受け取った汁の椀を啜り、箸を振り振り紬に笑顔を向ける男は、紬の言葉にふと自らの衣を見下ろした。


「おっ? ああ、飯粒か。いけね。これじゃ爺様の口許の弁当と同じだな。勿体ねぇ勿体ねぇ」


 モゴモゴ言いながらも、頬に飯粒を付けたままの老爺にニッと笑いかけた男は、さらに大口で白飯を掻き込み、片手に飯の椀を持ったまま自分の衣に落ちた飯粒を拾いはじめた。


「なぁ? 紬ちゃん、この汁のおかわりは?」


「え、まだ少しはあったと思うけど……見てきましょうか?」


「おお! 気が利くなぁ。ひとつ大盛りでよろしく!」


「えー? まだ入るの? 大丈夫?」


「大丈夫! 俺、胃が四つあるから」


 牛みたいだね。と笑った紬は食べ終えた自分の椀を重ねて腰をあげ、拓陸に声をかけた。


「若君は? おかわり、いる?」


「ん、ああ。俺はもういいよ。腹が一杯過ぎても峠越えが辛いからな」


「そう? じゃあこれも先に片づけちゃうね」


「うん」


 拓陸の食べ終えた椀を続けて重ねると、紬は朝餉の輪から抜け出ていった。


「おふたりさん、腹の調子はもういいのかい?」


「……知ってたのか?」


 鋭い視線でチラリとこちらを見やった拓陸に、男――伊佐はしれっとした態度でモゴモゴと口を動かした。


「まぁな。あ、別に見張ってた訳じゃねえぞ? たまたま小便に起きた時見かけたんだよ。水入らずで話してるところを、邪魔しちゃ悪いかなぁと思ってさ」


 旨えな、この飯。


 満足そうに飯を掻き込む伊佐の姿に、拓陸は腰に下げた袋から竜豆りゅうずを取り出し、伊佐に差し出した。


「おまえ、腹の具合直ってないんじゃないのか?」


「んー? 別にへっちゃらだぜ?」


「その割には夜中に何度も小便に立ってたみたいだけどな」


 じゃあ要らないな。と手の中の竜豆を仕舞おうとした拓陸の腕を、慌てた伊佐が掴んだ。


「ち、ちょっと待て。くれるってもんはありがたくいただくよ。実は腹が下りっぱなしでさ。そのくせ胃の腑はご立派にしぼむんだぜ? 勘弁して欲しいよなぁ?」


「……おまえの場合は地界の海魚よりも、ただの食い過ぎだ。限度を考えて食えよ」


「そう言うなよ。腹が減ると侘びしくなるだろー? ……ん? うぇっ!? 不味すぎるぞ! なんだこの豆!?」


「しっかり噛んですり潰せ。じゃなきゃ効かないぞ」


 顔をしかめた伊佐に拓陸は微かに笑うと、ふたたび袋から竜豆を数粒取り出した。


「おまえ、連れは?」


「あ? いや。ひとりだけど」


「……オオクスの向こうに伏せったきりの女がいるんだろう? 持っていってやれ」


「――なんだ、知ってたのかよ!?」


 呆気に取られた伊佐の様子に、拓陸は呆れた顔をした。


「夜通しふたりであんだけ腹抱えて唸ってれば、普通誰だって気づくだろ」


「……おいおい。知ってたんならなんでもっと早く助けてくれねえんだよー?」


「おまえ、他の者の声に心配いらないって言い張ってたじゃないか」


「こっちにもいろいろ事情があんだよ。あんたが星姫さんを連れてるようにさ――いろんな奴と関わり合うと、面倒なことになるんだろ?」


「……どういう意味だ?」


「ん~? ――おっと、時間切れだな。残念、残念」


 伊佐が笑って顎で示した先を拓陸が見やると、椀を大事そうに抱え、二、三歩ずつ歩みを進めては立ち止まる仕草を繰り返す紬の姿が見えた。


「あら? どうしちまった?」


 紬の姿をよく見ようと伸びあがる伊佐の傍らから拓陸が立ちあがり、紬のもとに歩いて行った。

 拓陸に声をかけられ手を伸べられた紬は、笑顔で首を横に振ると、そのまま慎重に慎重に歩を進め、やがて拓陸とともに伊佐のもとへ戻ってきた。


「はい、お待ちどうさま。おばさんがこれで最後だからって、大盛りの大盛りにしてくれたの。ねえ、こんなにたくさん食べられる?」


「おお! おおぉ……こりゃあ、すげえな」


「あとこれも。おむすびだって。はい」


 紬は衣の懐から膨らんだ竹の皮の包みを取り出した。


「あなたみたいな大食らいなら要るでしょ? あなたのこと話したら、おばさん達が分けてくれたの」


「うお! すげえなあ、優しいなぁおばさん達。ん? この椀、もらっていいのか?」


「ええ。もうみんな発つ仕度をするから、返さなくていいって」


「へえ! 気前がいいねぇ。じゃあ、ありがたくもらってくか。いろいろありがとうな、紬ちゃん」


 なんだ? 一気に土産が増えたなぁ??


 懐に握り飯の竹皮の包みを突っ込み、わわ。零れるぞ。と摺り足でもときたオオクスの根本へと戻りはじめた伊佐の姿に、紬はくすくすと笑って呟いた。


「見てよ? あのへっぴり腰。あ~あ、零しちゃった」


「あの様子なら、昨夜食い過ぎた腹の調子も大丈夫だろ」


「えっ!? あのひともお腹壊してたの? やだ、どうしよ。わたし、さらに食べ物渡しちゃったけど……??」


 仰天した紬の様子に、心配するな。と拓陸は笑った。


「――あいつ、都に仕官するつもりらしい。まぁあの身体なら少々のことでは参ったりしないだろ。そろそろ俺達も仕度をはじめないと皆に間に合わない。行こう」


「そうね。峠越えが遅れちゃったし、早く都に着かなくちゃ。若君、わたし、お馬を連れてくるね?」


「ああ、ひとりで大丈夫か?」


「うん。若君のお馬、すごくおとなしいもの。わたし、好きよ」


 紬はニコリと微笑むと、身を翻して馬を繋いでいる木立のもとへと駆けていった。


「……昨日までは、馬に触るのにもおっかなびっくりだったのにな」


 拓陸は苦笑すると、荷物を纏める紐をギュッと締めあげた。

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