+もうひとつの道行き+
「――とりあえずまぁ、最初のご挨拶はあんなもんだろうなぁ?」
賑わう声の続く踊り輪から離れ、男はオオクスの裏手にぶらぶらと歩いて行った。
「お。食ってるな? どうだどうだ? そんなに不味くはもねえだろ?」
男の問いに、こちらに背中を向けて焚き火にあたっていた影が振り向き、ちいさくコクリと頷いた。
「おお。全部食ったか。偉いな。今よ、オオクスのあっち側に星姫さんがいたぜ。なかなか愛嬌があるし妙に飾ることもしねえ娘っこだ。少し話もしたけど、おまえとも仲良くできるんじゃねえかなーと、兄ちゃんは思うけどな。ん?」
「……そのようなこと、わからないでしょう?」
ぽつりと呟いてちいさく溜息をつく影に、男は溜息をついてどっかりと影の傍らに腰を下ろした。
「おいおい、ここにきてまた他人行儀かー!? 冷てえなあ。たったひとりの兄貴だろう? ほら、お兄ちゃまとか、伊佐ちゃんとか、なんでもいいから呼んでみろ? もっと甘えていいんだぞ?」
「そ、そんなこと……! ……呼べるわけ、ありませんわ」
顔を覗き込んでくる傍らの大柄な男から、心持ち身体を離して座り直した娘は、手にした皿を地面に置いた。
「あの、やはりどうしても……都に行かなくては、なりませんの?」
「ん~。親父殿のお言いつけだからなぁ。俺もなんとかしてやりてえけどよ、だったら竜王宮に仕官しておまえを守れって言われちまったんだよ。可愛い妹君のためなら、謹んでお受けしない訳にもいかないだろー?」
ニッと満面の笑みを見せる伊佐に、娘は溜息をついた。
「別に……守って欲しいなどと願ってはいませんのに……あなただって、最近までわたくしが……その……妹だなどとは、まったく知らなかったのでしょう?」
「ん~? まあ、そう言われちゃ身も蓋もねえけど……いや、俺もさ。自分に妹がいたなんて親父殿に聞いた時は、そりゃおったまげたぞ? まさかこの歳で妹ができるなんて思わなかったしよ。なんか動揺っちゅうか、照れくさいっちゅうか……でも、嬉しかったのは間違いねえ!! うん!!」
自信満々に頷く伊佐の姿に、娘は戸惑いの表情を見せた。
「わたくしはずっと、お父様は亡くなったと聞かされて育ったのです。今更生きていると……その御方が、伊坂のご領主様だなどとは知りもしなかった。星姫様へのご推挙のお話をいただかなかったら話すこともなかったと、父上も仰せでしたし」
「……んー……そうだよなー。親父殿もまさか、織部の娘に手を出して孕ませたとは……おっと、ごめんな。言い方がまずいよな?」
「――構いません。それが事実なのですもの。それにわたくしが織部の長の娘だということも、変わりありませんから」
ふいと顔を背けた娘に、伊佐は慌ててまくしたてた。
「そ、そうじゃねえぞ? 親父殿はずっと、莢べえの事を案じてた……とは思うんだ。ただ表だって織部に会いには行けねえし……だから俺が代わりに、ちょくちょく覗きに行かされてたんだな。うん。
そりゃあ俺も、莢べえが俺の妹だってのを知ったのはついこないだだし、最初はどうしたもんかって、随分悩んだけど……今まで親父殿がずっとほったらかしにしてた分まで、俺にできることならなんでもしてやりてえんだ。だから俺も都に行くし、竜王の野郎が、莢べえのことをいじめるなら、俺がぶっとばしてやるからよ! な?」
「……また、そのように乱暴なことを……伊佐さんて本当に、昔から口ばっかりなんですもの」
呆れながらも、ちいさくふきだした莢に、伊佐はガシガシと頭を掻いた。
「まぁそれは別としてもよ。あの星姫さん――あ、鳴海郷の織部出身で、紬ちゃんって言うんだけどよ。それと一緒にいた奴が、聞いて驚け! 都の警護次官殿だ。あのふたりにもなんだか事情がありそうだったけど、次官殿が側付きで都に向かってるなら、おそらく紬ちゃんの星姫推挙は間違いねえと思うんだ。あの子ならきっと莢べえとも仲良くなれる。兄ちゃんはそう思うぞ?」
元気づけるように娘の肩をバンバンと叩かれ、痛いですよ、もぅ。と眉をしかめた莢は、よしよし。と髪をぐしゃぐしゃ撫でてくる伊佐の前で、腹を抱えて身をかがめた。
「ん……痛……っ」
「あ? どうした? おい??」
慌てて顔を覗き込んでくる伊佐に、莢は顔をしかめて呻いた。
「お腹が……急に……」
「え? おい? 莢? 莢!? ……うっ? あれ?」
なんか、腹が痛え?
「うっ……莢、……俺も、腹……やばい……かも」
両手で腹を押さえうずくまった伊佐の背を、莢は白い手でぱちりと叩いた。
「伊佐さんが珍しいからって、見も知らぬお魚を……あんなに持ってくるからですよ……どうしていつも、事前に確かめようと……なさらないのですか?」
「うおっ!! わ、悪かったよ。莢と飯が食えるなんて嬉しくてさ、つい舞いあがっちまって……痛えぇぇぇ……!!」
伊坂の領主を父に持つ異母兄妹は、オオクスの大樹を挟んだ先で紬と拓陸が同じように腹を壊していたとも知らず、時が経つ毎に増幅してくる胃の腑の不快感に呻きながら、じっとりと脂汗を滲ませていた。