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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第三章
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+オオクスの祠+



 竜の渡り雲が続く街道を歩き続けるうちに、陽は山里に影を落とし、峠の合間を走る街道沿いの里山に散る集落に灯りがともりはじめるころ、ふたりはいつかのクスノキの大木の傍までたどり着いた。


「はぁぁ。お腹空いたぁ……あれ? なんだかあそこ、ひとがたくさん集まってるよ? なにかあったのかな?」


 見れば、大木の前を走る街道には風に揺らめく松明の灯りがいくつも点り、その周囲には街道を旅すると思しき者達が、寄り集まっているのが見えた。


「なにかあったのか?」


 拓陸の声に、腕を組み何事かを話し合っていた男のひとりが振り返った。


「これから皆で夜の峠を越えるんだ。峠を越えた辺りで別れることになるが、道中の頭数はひとりでも多いほうがいい。あんた達も先を急ぐなら一緒にどうだ?」


「え!? ……今から峠に入るのか?」


「ああ。本当なら夜の峠越えはやめておきたいところなんだが、今日はご覧のとおり渡り雲が出ただろう? 天に竜王様のご加護が現れているうちなら、なんとかなるんじゃないかと思ってな」


「まぁ……今なら確かに、危険な目には遭いづらいかも知れないけど……紬、どうする?」


「こ、こんな真っ暗な山の中に、みんなで入るっていうの!?」


 皆の行く手には、峠道を覆う鬱蒼とした木々をも飲み込む深い闇が広がっている。峠の奥深くからは時折高く低く、闇夜に紛れて動きはじめる獣達の鳴く声が微かに響いていた。


「明日の朝一番で都に入りたいわけじゃないなら、ここでひと晩、皆で夜明かしをしてからのほうがいい。大勢で山に入ってもなにが起こるかわからないからな」


 昼間とは打って変わった気配を漂わせて目の前にそびえ立つ黒い影のような峠を見あげ、紬はぷるぷると首を振った。


「……遠慮しておく。あんな真っ暗闇の中を歩けだなんて無理よ」


「そうだな、やめておくか」


「ああ、それが賢明だな」


 ふたりの言葉に男は頷くと支度の手を休め、闇に沈む峠を見あげて言葉を続けた。


「他の峠なら俺達も無茶はしないところなんだが、竜王宮の近辺なら邪気を持つ獣も少ない。今から山に入れば明日の朝早くには都が見える所まではたどり着けるから、大門さえ開けば祝いの市の朝一番から商いがはじめられるはずだ。俺達は大勢集まる場所で儲けられなきゃ、話にならないからな」


 そう笑いながら淡々と支度を進める者達は、やがて荷物を全てまとめ終えると少し離れた場所から不安そうに山を見つめながらも、自分達を見送るために集ってきた行きずりの旅人達に向かって手をあげた。


「じゃあ、ひと足お先に行ってるよ。竜王様のご加護を皆で祈っておいてくれ」


「あんまり急ぎ過ぎて道を間違えたり、谷から落ちたりしないでよー?」


「ああ、祭りのための銭を稼いでからじゃなきゃ、それこそ死んでも死にきれないからな。気をつけるよ」


 夜の闇の中を峠に入るという一団は大きな荷を背負い、馬や牛を引きながら、手持ちの灯りを頼りにゆっくりと遠ざかって行った。


「竜王様のお渡り雲がある限り大丈夫だろうけど……心配だねえ」


「まぁここで気を揉んでいたって仕方ないさ。俺達もそろそろ夜明かしの支度をしよう。早く火を起こさないとなんだか冷えてきたぞ」


 見送りに出ていた人々は暗さを増してきた空を見あげ、星の瞬きに手をあわせて峠に入った者達の無事を祈ると、まるで峠を見張るようにそびえ立つクスノキの大木の下へと歩きはじめた。


「これだけ星が出ていれば雨の心配もない。女と子供は大クス様の祠の中で寝ろ。残りの者は交代で火の番をして夜明かししよう」


 誰かの一声で、その場の者達は自分の荷物をクスノキの根元におろし、夜明かしの支度をはじめた。


「まずは腹ごしらえだ。祠の中に鍋やなにか適当なものはあるはずだから、手の空いてる者は見繕って仕度をはじめてくれ。足りない物は俺達が用意するから、手の空いている者は火にくべる薪を集めるんだ。オオクスさんの下なら乾いた枝がごまんと落ちてるはずだ」


「ああ、わかった」


「わあ。わたし、野宿するの初めてよ」


 クスノキの大木の前でそれぞれの分担に別れて夜明かしの支度をはじめた者達の様子を、物珍しげにキョロキョロと眺めながら紬は拓陸とともに足下に落ちている小枝を拾いはじめた。


「あのひと達はみんな、知り合いなの?」


「いや、たぶん行きずりだな。街道を往き来してる者達は宿屋がない場所でもこうして寄り集まって夜明かしをするから、あの大クスもそんな場所のひとつなんだろう。竜神の祠があれば、ひとを襲う獣は寄りつかない」


「竜神様の祠……あ。だからみんな、あの木の下に集まってきたのね?」


 灌木の間から場所から天高くそびえるクスノキを振り返った紬が立ち止まると、拓陸は紬が抱えた顔近くまで積みあげられた木の枝の幾束かを、自分の抱える枝の束に移した。


「さてと、こんなもんだろ。そろそろ戻るか。おい、その辺ぬかるんでるから転ぶなよ」


「あ、はーい」


 下草を分けクスノキを目指して戻りながら、拓陸はそびえたつ大木を見あげ言葉を続けた。


「竜王を祀る祠には竜王の御印が収められていて、それぞれの祠の間には都を護る結界が張ってあるんだ。ここではあのクスノキが祠そのものだな。で、その御印が存在する限り結界は解けないし、竜王よりも力の弱い獣は祠には近づけない」


「あんなに大きな木が、祠……?」


「竜王の力がかかるものには、どうしても普通とは違う力が宿るらしい。あの木も、俺が初めて都にのぼるためにここを通った時には、あんな木がある事さえ気づかなかった。だからこの間――おまえと初めて会った時、これほどの大木があったことに俺も驚いたんだ」


「若君がまだ、牛飼いさんだったころね?」


「あれは、おまえが勝手に……別に、隠してたわけじゃないぞ」


 ニッコリと笑った紬に拓陸は少し顔を赤らめると、早く行け、ほら。と薪束を抱えたまま紬の肩を軽く小突いた。



+兄と妹+



「はい、どうぞ」


「うん」


 差し出された汁の椀を拓陸が受け取ると、紬はどこかウキウキとした様子で腰を下ろし、運んできた盆を傍らに置いた。


 竜王の祠、オオクスの根元から少し離れた草地では夕餉の支度が済み、焚き火を取り囲む人々は思い思いの場所で飯を食べはじめている。


「ねえこれ。地界の海魚の炙りと、こっちは刺身ですって。さっきおじさんがおまけだって多めにわけてくれたの」


 ……ん、おいし~!!


 盆に乗せられた魚の炙り身と刺身を次々と箸に取り、上機嫌で口に運ぶ食欲旺盛な紬に、拓陸は苦笑した。


「生魚なんか食って大丈夫か? 地界のものは食べ慣れないと腹壊すぞ」


「そうなの? でも、こんな時でもないと食べられないじゃない? みんなも食べてるし、大丈夫よ」


 椀を啜り、ちいさく息をついた紬は、上空の渡り雲の帯を眺めてポツリと呟いた。


「魚まで一緒に連れてきちゃうなんて、地界のひと達は大丈夫だったのかしら?」


「……地界と天界を行き来して翔ぶ竜王の渡りは、嵐の力を借りて行われるから、巻き込まれて犠牲になる者も確かにいる。実際に渡りの嵐に巻き込まれて、天界から地界に落ちる者もいないわけじゃない……どのみち普通の人間には越えられない境界だ」


「……うん。渡りの嵐で命を落としたとしても、それはどうにもならない仕方のないことなんだって――昔、ババ様も言ってた」


 紬は少し俯いて自分の足先をじっと見つめ、ふたたび拓陸に顔を向けた。


「でも、織り姫様は……別、でしょ?」


「……ああ」


 ――竜王は渡りを終えた。都や各郷の領館に竜王旗が揚がれば、織女の宣旨が下るまでそれほど間がない。残された時間を思えば今夜の峠越えに加わって、明日一番に都に入っておきたかったけど……こいつの身を危険に曝す訳にはいかないし……


 同じように握り飯を口にしながら、焚き火から紬へと視線を移した拓陸は、辺りの者の耳を気遣い、静かに尋ねた。


「おまえが都で売り払った反物のことだけど。数は?」


「……三本よ。全部同じお店のおばさんに売ったの」


「他に、どこか立ち寄った店は?」


「竜王宮の御門から荷所舎かじょしゃに案内されて、女官様に荷物をお預けした後は、ずっとそこで待つように言われていたの。帰りは凪沙兄様が、どこかに立ち寄ったかも知れないけど、わたしは荷物もあったし、すぐに大門に向かったわ。あまり時間もなかったから、市の並びにあった反物屋に立ち寄ってみたけど全部断られちゃって。困っていたら、最後のお店にいたおばさんが追いかけてきて、声をかけてくれたの」


「古着屋に立ち寄った時、おまえの兄貴は?」


「凪沙ちゃんは長様のご用事で立ち寄るところがあって別行動だったの。兄様がずっと一緒だったら絶対に自分の反物だけ抜くなんてこと、できなかったと思うわ」


「……確かにな」


 竜王に献呈する反物を織部の者が故意に抜くなどと、到底考えられることではないが、この時期、各郷から届けられる反物の数は特に膨れあがるのが通例だ。紬の言葉からも、当時の荷所舎は人手が回らずに煩雑な状況であったことが窺えた。


「三本とも、まだ残っていてくれるといいけど……凪沙ちゃん、ものすごく過保護な上に心配性なの。今回の都行きはわたしのことだけじゃなくて若君も一緒だし、もし心配して追いかけてくることにでもなったら、本当に大変なことになっちゃうわ」


 紬は自分を思う故の兄の行動を想像し、盛大な溜息をついた。


 ――自分が護衛として密かに選ばれていたように、同行していたこいつの兄も、すべての事情を知っているんだろうか?


 血走った目で自分に飛びかかってきた凪沙の姿を思い出した途端、背筋にゾクリと悪寒が走り、拓陸は思わず身震いした。


「ねえ? そういえば凪沙ちゃん、若君に抱きついて久しぶりの再会を邪魔するなって言ってたじゃない? 若君は凪沙ちゃんと知り合いだったの?」


 首をかしげて尋ねる紬に、拓陸は刺身をひと切れ箸でつまみ、口に放り込んだ。


「山之辺、凪沙か……。ああ、もしかして」


 拓陸は紬の顔をじっと見つめ、そういえばなんとなく面影があるな。と呟いた。


「?」


「俺もよくは覚えていないけど、昔、俺の伯父上が領館の道場で郷の子ども達を集めて武術を教えていたことがあったんだ。その時の集いに確か、山之辺姓の者がいたな。俺が都から離れて領館にいたのは半年位だったから、ほとんど話をしたことはなかったと思うけど。言われてみれば、おまえと顔立ちが似ていなくもないな」


「ふ~ん。じゃあ、それが凪沙ちゃんだったのかしら? でも凪沙ちゃんが道場に通っていたなんて、ちょっと意外ねー」


「意外?」


 紬の兄の用心棒並の大柄な体格を思い起こし問い返した拓陸に、紬はこくりと頷いた。


「わたしが生まれる前の話だから、織部のババ様からから聞いた話なんだけどね。凪沙ちゃん、ちいさいころは身体が弱くてほとんど家から出たことがなかったんだって。家の中の仕事は沢山あるし、凪沙は子どものころから大人顔負けの仕事ぶりだったってババ様が笑っていたもの。でも、わたしが覚えてる凪沙ちゃんは、表を走り回って里を荒らしにくるししや山犬を棍棒で殴り倒したりとか、今のまんまの印象しかないのよねー」


「……身体が弱い奴に、猪なんか倒せるのか?」


「でしょ? でも昔、わたしとゆうが……あ、友達なんだけど、桑畑で山犬に襲われたことがあって、こっそりついてきていた凪沙ちゃんが落ちていた棒で追い払ってくれたの。すごく怖かったし凪沙ちゃんも大怪我しちゃって、みんなで泣きながら家に戻った思い出があるわ。誰にも知らせずに子どもだけで桑畑に行ったから、ものすごく叱られたのよねー」


「こっそりって。兄貴にむかっておまえ、酷いな」


 しらっとした様子で兄について語る紬の言葉に、拓陸はふきだした。


「だってもう、凪沙ちゃんてものすごく過保護なんだもの! わたしの行くところ全部ついてこようとするのよ? ちいさいころならともかく、わたしだってもう立派な大人なのに、ダメだ、ダメだ! って、ふた言めには反対ばっかり!!」


 嫌になっちゃう。早くお嫁様でももらえばいいのに!!


 頬をふくらませ、膝をかかえて大袈裟に溜息をつく紬に、拓陸は苦笑した。


「それだけおまえのことが心配なんだろ。俺だって秋穂のことは心配だし、実の兄貴なら尚更だ」


「あき嬢ちゃまは本当にお可愛らしいものね。でも、裳着を迎えられるお歳だとは思わなかったなぁ」


「そりゃそうだろ。秋穂はまだ七つだからな」


 旨いな。と刺身をつつきはじめた拓陸の言葉に、紬は仰天して問い返した。


「え!? だって若君、凪沙ちゃんに裳着のお支度だって……?」


「領館の奥で暮らしてる秋穂の歳なんて、わかりっこないだろ? 生地の見立てが理由なら、おまえを連れて行くのにもそれなりに言いわけが立つし、おまえの兄貴も納得してたじゃないか」


「ん~……凪沙兄様の場合は、若君のお願いならなんでも聞くんじゃないかしら? 凪沙兄様、若君のことを本気で心からお慕いしているもの」


 大まじめな顔で、ひとり納得したように頷いている紬の言葉に、拓陸は溜息をつき、指先についた米粒を口に含んだ。


「悪いけど、俺は男色の趣味はないぞ」


「あら、いいじゃない。同性に好かれるひとに悪人はいないっていうでしょ?」


 まぁ凪沙兄様の場合は、ちょっと極端だけどね?


 炎の踊る焚き火を眺め、紬はクスクスと笑い声をあげた。

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