07 自覚
「私は……私は……」
ヨロヨロとした足取りでケイティは絵画の前を離れ、庭へと入っていく。外はすっかり日が沈み、風が少し冷たい。
冷たい風に当たれば思考も冷え、落ち着きが取り戻せると思っていたが上手くいかない。ベンチに腰を下ろし、綺麗な星空を見上げても効果は薄い。うーんと唸る。
「ケイティ、隣り失礼するよ」
声をかけられ、ハッと振り返る。
「シリル様」
「失礼」
シャツにスラックスというシンプルな装いのシリルが、ケイティの肩にショールをかけてから隣に座った。
「これは」
「ケイティが風邪を引いたら大変だ。君を預かっている身なのに、何かあったらレイラン伯爵に顔を向けられなくなる」
どう考えても風邪程度では、父親は怒らないはずだ。爵位も下だし、シリルは父が忠誠を誓うモルガー家の跡取りなのだから。
でも、シリルの優しい気遣いはとても嬉しい。肩も、心も温かくなっていく。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それよりケイティはどうしてここに?」
「ここに来たのは数年振りですから、懐かしい景色を楽しもうかと」
「そっか、前回はもう五年前だっただろうか。このベンチでよく一緒に本を読んだよね。他の兄弟たちが観光に出かけているのに、ケイティは私の隣りにいてくれたの覚えてる?」
「はい」
ケイティは頷く。
「ひとりにならないよう私に対する気遣いかと思ったら、君は普通に本に夢中になっていてさ」
「……気遣いではなくて、申し訳ありません。」
「咎めているわけじゃなくて、私はとても嬉しかったことを伝えたいんだ。損得関係なく、自然と私の隣りにいてくれる存在は貴重だから」
貴族という立場で生まれると、どうしても家格や血筋が人間関係に影響する。家格が下の者は、格上の家の人の顔色を窺うのが普通だ。表面上は親しくしていても、機嫌を損ねないように、媚びて気に入られるように動く。
けれどケイティは、シリル相手にそう動いたことはない。
(私はただ、おそばにいたくて……他のモルガー家の方ではなく、シリル様の近くに。そう、シリル様だから……その理由は……なぜ?)
再び自問自答する。いつもなら『敬愛している相手だから』と言い切れたはずなのに、しっくりこない。もちろん敬愛の気持ちはあるが、別の感情が混ざっている。
その感情に相応しい言葉を探していると、シリルがケイティの髪を撫でた。
「ケイティは、私にとって大切な存在だよ」
「シリル様……」
嬉しい。けれど、どういう立ち位置で大切なのかが気になった。
幼馴染として?
仕事のパートナーとして?
どちらも物足りない。ぴったりの言葉は――考えを巡らせ、相応しい言葉が頭に浮かんだ。
(私は、シリル様を愛している?)
敬愛だけでなく、人としてだけでもなく、『異性』として惹かれていることに気が付けば、ストンと腑に落ちた。驚くことにかなり、ずっと前かららしい。
「ふふ」
勝手に口から苦笑が漏れる。
「ケイティ?」
「少々、自分に呆れてしまって」
恋に落ちたきっかけは正直覚えていない。けれども他の人にシリルの隣りを奪われたくなくて、居場所を守りたくて無意識に彼にくっついていたのだと過去の自分を分析する。
婚約者を探そうとしているのに、真面目に視線を他の令息に向けたことはあっただろうか。いや、ない。
それにダンスだって誘いやすい賑やかな人だかりで待つのではなく、最初から壁側に立っていた。新しい縁談はないか、父親に確認したこともない。
それは無意識に、シリルとの縁を望んでいたからだ。
「シリル様は……」
私をどのような存在として大切に思っていますか――と確かめようとして、止めた。
思い出されるのは、執務室の机にあった二冊の釣書。嫉妬心がメラメラと燃え上がりそうになるが、自分には資格がない。悔しい。
けれども自覚したばかりで、告白する勇気はない。
(聞いてしまったら、告白しているようなもの。私と違う意味の大切だったら、玉砕だわ)
初めての恋の自覚に、臆病になってしまう。思わず顔を俯かせてしまった。
すると、シリルは以前と同じく頭からケイティの頬へと手を滑らし、彼女の顔を上へ向かせた。透き通った青い瞳に彼女の顔が映った。
「ケイティが自身に呆れることがあっても、私は失望したりしないから安心して。聞きたいことがあるなら、何でも聞いて? 何を確認しようとしたの?」
「……シリル様は本当にお優しいですね。他の令嬢に対しても、こう優しくなさっているのですか?」
しまった――と慌てて口を閉じる。資格がないと思ったばかりなのに、拗ねたような態度で言葉に出してしまった。
(ほら、シリル様も呆れ驚いているわ)
瞠目した彼の表情を見ていられなくて、顔を横に逸らそうとするが叶わない。
シリルの両手が、ケイティの両頬を包み込んだ。
「嫉妬?」
彼に見抜かれた。カッと顔に一気に熱が集まる。暗がりの夜でも誤魔化せないほどに、顔は赤くなっているだろう。
隠すことを早々に諦め、ケイティはシリルの目を見た。
「だとしても……本当に呆れませんか?」
ますますシリルは大きく目を見開き、彼女を見下ろした。
「それは、どういう意味で? 幼馴染として? ビジネスパートナーとして? それとも……ケイティ、私に教えて?」
まだ完全に見抜かれていなかったらしい。青い瞳が、ケイティの杏色の瞳から心を覗こうと目の前に迫る。
シリルの手なのか、ケイティの口元なのか、どちらの緊張が原因なのか分からないが、彼女は顔に震えを感じた。
「そ、それは――――え?」
なんとか声を絞り出そうとしたとき、空が光った。
ケイティとシリルの視線は、勝手に空から落ちる光を追う。
流れ星にしては大きく、けれども遅い。赤く光るそれは、ふたりから一瞬で熱を奪うには十分なほど不気味だった。
そして赤い光はモルガー領の森へと落ち、姿を消した。
後半に突入しました。残り半分、お付き合いいただければ幸いです!






