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04 招待


 モルガー公爵家の屋敷の一角には伝説の礼拝堂がある。約百二十年前、神子アリスが天使ヴェルヘルムより聖剣を与えられた場所であり、息を引き取った彼女の身体が光となるまで安置されていた神聖な場所だ。神子の眷属クライヴ・レイランにも所縁が深い。


 今も礼拝堂は綺麗な状態が保たれ、モルガー家とレイラン家に名を連ねるものは『何か』あるとここを訪れる。

 そう……迷える子羊ケイティのように。

 彼女は祭壇の前で膝をつき、胸の前で手を組んでいた。



「神よ、私はどうなってしまったのでしょうか」



 夜会から一週間たった今日も、胸の奥が騒がしいままなのだ。昨日なんてシリルを見てボーっとしてしまい、彼に「具合が悪いの?」と聞かれてしまった。

 仕事に集中できてない上に、敬愛するシリルに心配をかけてしまうなんて情けない。

 いつもなら真っすぐ執務室へ向かうのだけれど今日は早起きをし、ケイティは心の落ち着きを取り戻すべく、先に礼拝堂で神に縋ることにした。



「どうか、お導きくださいませ。神よ、どうか」



 切実に願えば、神は助けてくれる。そう信じて熱心に祈りを捧げていると、背後で扉が開く気配を感じた。

 振り向けば、シリルがいた。



「おはよう、ケイティ」

「シ、シリル様、おはようございます。どうしてこちらに?」

「君が朝早くから来てるって聞いていたけれど、なかなか出てこないから心配になって様子を見に。でも杞憂だったようだね。むしろ熱心に祈っていたところを邪魔してしまったらしい」



 シリルは申し訳なさそうな笑みを浮かべて、ケイティの後ろに立った。



「大丈夫ですわ。こちらこそご心配おかけして申し訳ございません」



 ケイティは慌てて頭を下げようとするが、シリルが片膝をついて彼女の肩に手を置いて止めた。



「心配くらいさせてよ。ケイティのことが大切なんだ」

「――っ、は……はい」



 お祈りで少し落ち着いていたはずの鼓動が、一気に加速する。



(シリル様がとても優しいのはいつものことなのに、大切と言われるのも初めてじゃないのに、どうして胸が?)



 これまで、尊敬する気持ちが溢れて胸が高鳴ることは何度もあった。

 けれども今回は違うように感じる。その原因が何か……自分の心に問おうとしたとき、シリルがケイティの額に手を当てた。



「ケイティ、顔が赤いよ? 熱?」

「い、いえ――あっ」



 反射的に彼の手から離れようと、体が後ろに逸れる。その拍子で、床に尻もちをついてしまった。



「大丈夫? 驚かせてしまったね……ごめん」



 避けてしまった行為を咎めることなく、シリルが心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んだ。



(シリル様が私の髪を撫でたり額に触れることも、私を心配してよくしている小さい頃からの仕草で……彼は何も悪くないのに謝るなんて、やっぱり寛大な方だわ)



 そう尊敬の念を抱いたら、騒がしかった心に落ち着きが戻ってくる。ケイティは敬愛の貯金が増え過ぎたのが原因だと見当をつけ、何も問題がないと判断してパッと表情を明るくさせた。



「大丈夫ですわ。私はこの通り元気です!」

「なら良かった。さぁ、手を」

「ありがとうございます」



 遠慮がちにケイティはシリルと手を重ねる。大きな手に包まれると力強く、けれども気遣いを感じる動作で引き上げられた。

 シリルは男性だ。女性のケイティよりも筋力があるのは当然なのだが、その細身から抱いていた想像の力よりも強い。

 またもやケイティの心臓は顔に熱を送ろうと、鼓動を速める。



「執務室まで一緒に行こうか」



 けれども今回のシリルは顔が赤い理由を指摘せず、なんだか嬉しそうな笑みを浮かべて、彼女の手を離すことなくエスコートしはじめた。



(屋敷の中だから大丈夫なのに……)



 そう思っても、今さら手を離すのも不自然。ケイティは再び謎の胸の高鳴りに戸惑いながら仕事場へとついていった。

 なんとか平静を装って仕事を始め、まとめた資料をシリルに渡す。



「お待たせしました」

「ありがとう。すぐに確認して欲しいものだから、直接父上のところにいってくるね。ケイティはここで休んでて」

「はい、いってらっしゃいませ」



 シリルが出て行き、執事も同行したため、執務室にはケイティだけが残された。

 重要な情報が置かれている場所にひとりでいることを許されている状況に、彼からの信用を感じる。

 嬉しくてニヨニヨしながら、部屋を見渡した。



「シリル様が働いているのに、ひとりで休むのは気が引けるわ。何か仕事はないかしら」



 すると資料本の一番下に置かれていた、厚みのない本が目に留まる。シリルが読むのはいつも鈍器のような本ばかりなので、薄い本は珍しい。しかも二冊ある。



「新しい本かしら? 何の資料だろう」



 ケイティは興味が引かれるまま本を手に取り、開いて、書かれている内容に目を丸くした。



「令嬢の、釣書――!?」



 想像もしていなかった中身に、驚きが隠せない。

 いや、正確にはシリルに申し込まれた釣書自体は見たことがある。五年程前だろうか、ケイティが父・レイラン伯爵の遣いで公爵の部屋にお邪魔したとき、釣書が高く積まれている光景にシリルがため息をついている姿とセット、でだ。


 今回どうして驚いたかというと、隣りのページに名前や家族構成や趣味、普段の行動といった身辺調査の内容まで書かれていたからだ。

 調査しているということは、今回は断ることなく、前向きに相手を婚約者候補として考えている証拠とも捉えられる。単なる釣書ではない。もう一冊も確認するが、同じく令嬢の詳細な調査内容が書かれていた。


 相手方の家は、どちらも急激に力をつけてきている注目の家門。子爵位の生まれで身分差はあるものの、周囲からの反対意見は出にくそうだ。それでいて、令嬢はデビュタントを迎えたばかりの年下の可愛らしい淑女だった。


 ケイティの指先が震える。思わず釣書を落としそうになり、慌てて元の場所に戻した。頭を殴られたような衝撃に、目眩がする。



(彼女たちが、シリル様の婚約者候補者の方……?)



 シリルは、ケイティと同じ十八歳。彼女が婚約者を探しているのと同じく、彼も探し始めても当然の年齢だ。

 むしろ国一番の名家の跡取りなのだから縁談の申し入れも多いはずで、まだ婚約者が決まってない今の状況の方が不思議だろう。

 ストンとソファに腰を落とし、天を仰いだ。



「そ、そうよね……シリル様も、いつかは結婚するのよね」



 そんなこと前から分かっていたはずなのだが、いざ直面すると動揺が大きい。

 では、何故ここまで動揺してしまうのか――と考えを巡らそうとしたタイミングで、シリルが執務室に戻ってきた。

 ケイティは何ごともなかったように笑みを浮かべ、部屋の主を出迎える。



「お疲れ様です。公爵様はなんと?」

「このまま計画を進めても問題ないと許可が下りたよ。今回もスムーズに進められたから、時間に余裕ができて良かった」



 父親である公爵に褒められたのか、シリルはいつも以上に機嫌が良さそうだ。今にもスキップしそうなほど軽やかな足取りで、机に戻っていく。ケイティが釣書を触ってしまったことには気付いていないようだ。

 そして彼は引き出しから封筒を出すと、ケイティに向けた。



「ケイティは、来月何か予定ある?」

「いえ、特には。シリル様の仕事をお手伝いするために、重要な約束は入れてません」

「なら私と一緒にモルガー領に来ない? 学生最後の長期休暇中に視察に行くから、誘いたいんだけど」



 受け取った封筒の中身を読めば、視察の日程について書かれていた。移動を含めて一週間。運良く、些細な約束ごととも日程は被っていない。

 シリルの第一秘書的存在なら、断る理由はないだろう。もちろんモルガー家のことなら、両親も止めないはずだ。



「ぜひ、同行させてください!」



 ケイティはその場で返事をした。

 シリルの表情がパッと明るくなる。



「本当? 私ひとりだと寂しいと思っていたから、ケイティが一緒に来てくれて嬉しいよ」



 彼の言葉に、ケイティはドキリとした。聞き流せない言葉が含まれている。



「当初はひとり、の予定だったのですか?」

「そうだよ」



 視察と聞いたから、てっきり後継者教育の一環として公爵も行くと思っていた。つまり……



「今回はシリル様と私のふたりで、ということですか?」

「そうだよ。楽しみだね?」



 一瞬だけ、細められたシリルの青い瞳が、獲物を狙う狼に見えた。けれど確かめるようにケイティが瞬きすれば、いつもの優しい眼差しで――



「……? で、では早速、両親に視察のことを伝えに行ってもよろしいでしょうか?」

「もちろん。急ぎの仕事もないから、そのまま今日は帰って大丈夫だよ」

「わかりました。ごきげんよう」

「うん、またね」



 ケイティはシリルに一礼して、駆けるようにレイラン家に戻った。あの場に留まっていたら、『何か』から逃げられなくなりそうだったから。



次回からは1~2日おきの更新に切り替わりますが、引き続きお付き合いくださると幸いです!よろしくお願いいたします。

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