03 独占欲
「わたくし、ついに先日婚約しましたのよ」
久々に参加した夜会で、友人ジュリエッタから報告を知らされたケイティはパッと表情を明るくした。
「ジュリエッタ、おめでとう! お相手はもしかして以前から惹かれていたという」
「えぇ、アンディ様です。わたくしが二十歳を迎えたら、式をあげようかとお話ししているの。招待させてね」
アンディはとても評判の良い青年だ。品行方正で、あのシリルが尊敬する学園の先輩のひとりだ。そんな人が相手なら、親友ジュリエッタを安心して任せられる。
ケイティは親友の手を握り、祝福の気持ちを送った。
「素敵ね。もちろん参加するわ」
「ふふ、楽しみだわ。で、ケイティの方はどうなの?」
「今日こそ進展があれば良いのだけれど……」
ジュリエッタに問われ、ケイティは華やかな装いの貴族たち――同世代の令息たちを眺めて、小さなため息を零した。
彼女も貴族の令嬢だ。婚姻を結んで、他家に嫁ぐべき立場だということを理解している。年齢的にもそろそろ婚約者候補くらい見つけているべきなのだが、全く縁に恵まれない。今日の夜会でも、ずっと壁の華をしている。
「ケイティ、今から新しい出会いを求めるばかりではなくて……まずは身近な殿方から意識してみたらどうかしら? あなたに好意を示すサインを送っている方が実はいるかもしれないわ」
「サイン……ね」
これまでの記憶を遡ってみるが、令息に口説かれた覚えがない。
というのも「もしかして、さりげなくデートのお誘い?」と思ったことは何度も過去にはあるのだが、いくら待ってもその連絡が来ない。次の夜会で偶然顔を合わすことがあっても、相手はケイティに会釈するのみで深く関わってこなかったのだ。
つまり相手は社交辞令のつもりだったということ。
自意識過剰だったと痛感したケイティは、令息の優しい言葉を鵜呑みにしなくなった。
「ないわね」
「……よーく思い出して。身近な人で、常に優しくて、あなたをひとり占めしようとしている人がいないかしら?」
「いないわよ。いたら私はその方と婚約しているはずだわ」
なぜかジュリエッタの笑みが固まってしまった。
「ジュリエッタ、どうしたの?」
「わたくしの親友は勉強も運動も仕事も何でもできる美人なのに、どうして……と思って」
「ジュリエッタが私を評価しすぎなのよ。そこまで賢くも美しくもないもの。シリル様と過ごしていると、自分の平凡さがわかるわ。まだまだ精進しないと」
「本当にシリル様が好きなのね」
「えぇ、大好きよ。誰よりも敬愛しているわ」
元気よく答えたのに、ジュリエッタの笑みは引きつったまま。
ケイティが不思議に思っていると、夜会会場の空気が変わった。入口を見ると、先ほどまで話題にしていたシリルとアンディが会場に入ってきたところだった。
ふたりとも長身で容姿端麗。とても目立つ存在で、令嬢たちが彼らを見て気分を高揚させている。
「ケイティ、こんばんわ。ジュリエッタ嬢は婚約おめでとうございます。アンディ殿からお聞きしましたよ」
他の視線を気にすることなく、シリルたちは入口から真っすぐケイティたちのもとにやってきた。ジュリエッタがシリルに丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます。その節は、シリル様に大変お世話になりました」
聞けば、ジュリエッタとアンディの仲を取り持ったのはシリルだというのだ。
「さすがシリル様です」
仕事も真面目で、優しい性格で、さらに友人の幸せにも貢献する彼に対して敬愛の念がまた増していく。
けれどもシリルとジュリエッタのみならず、アンディにまで残念なものを見るような視線を向けられてしまった。
「え? 私って何か関わりがありました?」
ケイティがきょとんとしていると、眉を下げたシリルが彼女の片手を取った。
「いずれ教えてあげる。それよりケイティ・レイラン嬢、私と踊っていただけませんか?」
シリルが軽く腰を折り、手の甲に口付けをする真似をした。形の良い彼の唇が触れそうで少しドキドキしつつ、ケイティは頷いた。
「喜んで」
シリルの手に導かれ、ダンスの輪へと入る。
幼い頃からレッスンで組んでいることもあって、彼とのダンスは息ピッタリだ。歩幅、リズム、リードを意識しなくても、自然とシリルに合うよう体に動きが刷り込まれている。だから失敗を心配せずに済む分、純粋にダンスを楽しめる。
「シリル様、いつもダンスにお誘いくださりありがとうございます」
「お礼を言われるほどじゃないよ。今日は遅れて来てしまってごめんね」
シリルはいつも会場に入るなり、すぐにケイティをダンスに誘ってくれる。今日も誘ってくれなければ、壁の華の時間をさらに更新していたに違いない。
(ダンスの相手はいつもシリル様か、そのご友人ばかり。そのご友人もきっとシリル様が気を使って、私と踊るよう頼んでいるのだわ。だって今日もシリル様が誘ってくれるまで、誰も私にダンスを申し込んで来ない状態なんだもの)
令嬢として壁の華は不名誉なこと。そうならないようシリルが助けてくれているのだろう。
感謝の気持ちを抱きながら、ケイティはダンス相手を見上げる。
シリルは素敵な人だと、物心ついたときから知っている相手なのに見惚れてしまう。常にキラキラと輝いているように見え、胸の奥からは熱い想い――敬愛する気持ちがこみ上げてきた。
そうしてシリルとのダンスを終えて、いつも通り彼の友人からの誘いを受けようとしたところ、「休もうよ」とケイティはシリルにテラスへと誘われた。
まだ一曲しか踊っていない。疲れていないのに休憩に誘うなんて訳ありだと判断し、彼女はテラスへとついていった。
窓越しに煌びやかな世界を並んで眺めながら、シリルに尋ねた。
「仕事で何か問題でもございましたか?」
「仕事? 何もないけど、どうして?」
「疲れてもいないのにテラスに誘われたので、急ぎ業務上の連絡があるのかと思ったのですが……違ったようですね」
シリルが少し困った笑みを浮かべてしまっていた。
けれど理由が分からない。彼を敬愛し、誰よりも支えたいと思っているケイティとしては由々しき事態だ。思わず眉間に力が入ってしまう。
すると、トンとシリルが彼女の眉間を指で軽く突いた。
「深い理由がなきゃ駄目かな?」
「そうではありませんが、気になってしまって」
「今日は頼みたい仕事がなかったから、私たちは会っていなかっただろう? だからかな? 物足りなくって、私が単にケイティと一緒にいたくなってしまったんだ」
シリルが横にずれ、肩同士が触れ合うほど近くに距離を詰めてきた。
ドクンと、ケイティの心臓が反応する。
「そ、それならテラスじゃなくても、ホールで皆様と」
「私はいつものように、ふたりで会いたかった」
「――っ」
「ケイティは、嫌?」
耳元で告げられた低い声が甘すぎて、鼓膜が破裂しそうだ。頭は勝手に加熱し始め、心臓は鼓動を速める。
夜という時間がそうさせるのか、煌びやかな会場の雰囲気に当てられてしまったせいなのか……まるで口説かれているような、敬愛しているシリルが自分に愛を囁いているような錯覚に陥る。
『よーく思い出して。身近な人で、常に優しくて、あなたをひとり占めしようとしている人がいないかしら?』
親友ジュリエッタの問いが蘇る。
いた、該当しそうな人が一名、目の前に。
(ま、まさかね……だって社交界には私より美しくて、爵位も高くて、素晴らしい淑女はたくさんいる。もう少し待てば、年下の王女殿下との婚約を望める方よ? むしろ王家から望んでいるという噂もあるわ。そんなシリル様が私を――なんて)
懸命に頭の中で否定できる材料を探していく。
(ないないないない! だってダンスにも誘われない、縁談の話がひとつも上がったことのない行き遅れレース若手先頭の私なのよ。魅力たっぷりのシリル様が、魅力の有無不明の私に情はあっても愛はないはず。自意識過剰になってはいけないわ。優しいシリル様なりの社交辞令よ)
これまでの経験を思い出し、自戒する。速まった鼓動を懸命に宥めながら、シリルに平静を装った笑みを向けた。
「嫌なはずがありません。一緒にいられて嬉しいです」
しかし「良かった。ずっと一緒にいようね」とシリルが極上の蕩けるような笑みを返してくるものだから、ケイティの平静は簡単に崩れさった。
その後の彼女は、シリルの会話にただ相槌を打つことしかできないブリキ人形と化した。
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第4話は8月21日18時ごろ更新予定です!