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02 約束


「終わった……」



 仕事がひと段落するとシリルは背もたれに身を預け、天井を見上げた。目頭を指で揉み、深く安堵のため息をつく。



「お疲れ様です、シリル様。お茶にいたしましょう」



 できたばかりの書類を封筒に入れながら、ケイティは彼に休憩を促した。

 周囲の者が気を付けていないと、シリルはすぐに前倒しで仕事を始めてしまう。そして空いた時間を勉強や読書に当てるのだ。彼が身体を壊さないようにサポートするのも忘れない。



「うん、そうだね。天気が良いから、一緒に薔薇園のガゼボで休まない? 今、とても綺麗に咲いているんだ」

「とても楽しみです。ご一緒させてください」

「もちろん。ケイティ、手を」



 シリルが手のひらを向け、当然のようにエスコートに誘った。夜会でも外出先でもないのに、彼は常にケイティを高貴なレディとして敬意を払ってくれる。



(相変わらずお優しい方だわ。今の私は単なる秘書のような存在ですのに)



 感動で心を震わせながら、そっと彼と手を重ねた。

 シリルの手はケイティよりも滑らかな肌をしており、彼女は自分の固い手の平が少し恥ずかしくなる。特に今日は肌が荒れている自覚があった。

 すると手の平からケイティの心情を察したのか、シリルが手に力を入れた。



「よく働く君のことだから、レイラン伯爵の手伝いもしているんだろう? 紙に触りすぎると誰だって荒れるんだから、恥じることじゃないよ」

「ですが、もう少し淑女らしくケアすべきだと反省中です。こんな手では――」

「ううん、そのままでも良いよ。私はどんな手でも好きだからね」

「――っ、ありがとうございます。シリル様の手、私も大好きです」



 満面の笑みを浮かべてお礼を言えば、シリルの手にさらに力が入った。そして彼はじわじわと口元を緩ませていく。



(喜んでいらっしゃる? 先ほどはペンだこじゃなくて、手そのものを褒められたかったのね。正解が出せて良かったわ)

 ケイティはシリルの本心など知らず、ひとり納得した。



「じゃあ、いこうか」

「はい、シリル様!」



 そうしてお互いに気分を良くしながら薔薇園へ向かう。

 いつ見てもモルガー家の庭園は手入れが行き届き、年中美しい花が咲き誇っている。その中でも薔薇園は別格だ。アーチを潜ると大輪の赤い薔薇がふたりを出迎え、上品で華やぐ香りで包みこんでくる。

 疲れた体が癒されるようで、ケイティはうっとりと表情を緩めた。



「やっぱり君を外に誘って良かった」



 シリルのその言葉に、ケイティは目を瞬かせた。

 彼が好きで薔薇園をお茶会の場所に選んだのではなく、ケイティのために選んだかのような口ぶりだ。確かめるように見上げれば、彼はただ笑みを返すだけ。



「――ほ、本当にきれいですね」



 向けられた眼差しに熱が込められているように見え、ドキリとしたケイティは思わず誤魔化すように視線を薔薇へと戻した。

 最近()()()()()()が多い。ずっと柔らかい雰囲気だったはずのシリルが、妙に色っぽく見えてしまうことが増えてきたのだ。

 それは次期当主としての威厳が備わってきた『成長』によるものであれば喜ぶべきなのだろうが、ケイティとしては心が何だか落ち着かなくなるので戸惑い気味だ。



(シリル様はどんどん素晴らしい方になっていくわ。当然のことなのに今さら動揺して、勝手に意識しそうになるなんて気が緩んでいる証拠ね。気を引き締めないと)



 悲しくも敬愛フィルターのせいで、ケイティはまたもや重要なことに気付かない。

 そうしてガゼボに着くと、ベンチに並んで座ってふたりだけのお茶会を始める。見えるところに執事はいるが、会話は聞こえない絶妙な距離だ。



「ケイティ、お陰様で忙しさの峠を越えることができたよ。私ひとりではこんなに早く終わらなかっただろう。君の力が大きい。本当にありがとう」

「お役に立てて嬉しいです。でも滞りなく終わったのは、シリル様が日頃から真面目に仕事に取り組んでいる結果だと思います。シリル様は凄いです! 私は資料整理で精一杯で……あんなに分かりやすく、それでいて緻密な計画書は書けませんもの。誇るべきですわ」

「褒めすぎだよ。跡取りなんだから、これくらいできないと父上に呆れられてしまうレベルさ。まだまだ父上の足元にも及ばないのは事実だし」



 シリルは苦笑しながら、ティーカップを傾けた。

 ケイティは少しだけムッとする。



(シリル様は本当に素晴らしいのに、謙虚すぎる。いつもそうだわ……これだけ仕事に真摯に向き合い、成果を出しても自信を持ってくださらない。理由は分からなくはないけれど)



 モルガー家は、王家に匹敵する影響力を持つ大貴族。一族に連なる過去の人物も並々ならぬ人ばかりだ。

 その筆頭が、『黄金期』と呼ばれる約百二十年前の祖先だろう。



 この世界には魔獣が存在する。とても凶暴で、邪悪な姿で人を襲う恐ろしい人類の敵だ。

 当時、聖剣の神子に選ばれた末娘アリス・モルガーは、すべてを滅ぼさんとする魔獣や魔王と呼ばれる悪魔を倒すため、自らの命を犠牲にして若くして散った。世界から『救世主』と崇められ、その栄光は今も衰えていない。


 そんなアリスには騎士の恋人がいて、彼は魔王との戦いで彼女に命を救われた身。その恋人が、アリスの亡骸が光になって消えるまでの五十年、離れることなく守護した話も有名だ。

 騎士の名はクライヴ・レイラン、ケイティの生家であるレイラン家の祖先だ。


 その時代からモルガー家とレイラン家の繋がりは強い。その上、三十年ほど前にレイラン家が子爵から今の伯爵位になれたのは、モルガー家の援助があったからこそ。

 レイラン家がモルガー家に忠誠を誓っているのは、多くの恩を与えてもらっていた経緯がある。


 そして神子アリスの兄であり、モルガー家次男ジルは歴史に名を刻む天才医師として名を残し、長男ケヴィンは一族の偉大な功績をひけらかすことなく堅実にモルガー家を経営した人格者として有名だ。



 血筋はしっかりと引き継がれ、シリルの父親である現公爵も優秀で、公爵家の運営もしつつ宰相として国王を立派に支えている。

 祖先たちがあまりにも偉大すぎて、彼らと比べたらシリルは平凡の部類に入ってしまうだろう。実際に、シリルは劣等感で苦悩している。



 だからこそ、ケイティは改めて伝えたい。



「尊敬すべき人が他に多くいても、それでも私はシリル様が一番です。誰よりも努力して、とても優しくて、こんな素晴らしい紳士はシリル様以外に私は知りません」

「ケイティ……」

「それに私がどんな大変なことがあっても頑張れたのは、シリル様のお姿を見てきたからです。苦難から目を逸らさず、弱さも受け入れ、それでも諦めず挑戦するあなた様の姿に勇気づけられてきたから……!」



 彼女は言葉尻強めに、思いをシリルに訴えた。

 モルガー家に負けず劣らず、レイラン家も教育に熱が入っている。普通の令嬢以上を求められた幼いケイティにはその授業が厳しく、何度も逃げそうになった。それでも乗り越えられたのは、努力を惜しまない幼馴染の存在が大きい。

 ケイティにとって心の救世主は、偉大な祖先たちではなく『シリル』なのだ。



「勇気づけられているのは、私の方だよ。ケイティの言葉にどれだけ救われているか」



 シリルは顔を綻ばせ、ケイティの頭を撫でた。褒めるときにする、昔から当たり前の仕草。

 彼女は自然と受け入れる。



「シリル様が救われるのなら、何度でも言いますわ」

「この先も?」

「もちろんです!」



 いつか自分がどこかに嫁ぎ、レイラン家の屋敷から離れたら難しいかもしれないが、しばらくは予定がない。その間はシリルが求める言葉を伝え続けられるだろうと、ケイティは力強く頷いた。

 するとシリルの手が下り、彼女の頬に添えられた。

 さすがのケイティもドキリとしてしまう。



「ねぇ、ケイティ」

「は、はい」

「君にはずっと私のそばにいて欲しいと思っているんだ。お願いできる?」



 青色の瞳を細め、ニッコリと笑みを浮かべて甘えるようにシリルはケイティに願った。

 敬愛する人が、自分を求めている。それはあまりにも甘美な状況で、ケイティの心は大きく揺れ、すぐに気持ちが定まった。



「はい! いつでも駆け付けられる場所に控えていますわ」

「……駆け付ける? どこから、どこに?」

「王都のどこかからモルガー家に、ですわ」



 ケイティは「お任せください」と、胸を張った。



(どこかに嫁いだ後もそばでシリル様を支えられるよう、王都内に留まれる相手と結婚しなければ駄目ね!)



 斜め上に将来設計を修正したケイティに対し、シリルは彼女の頬から手を離して自身の目元を覆った。



「シリル様?」

「チョット胸ガ、イッパイデ」



 感動したにしては棒読みだ。なんだか様子がおかしい。顔色を窺うように、念を押す言葉をかけてみる。



「えっと、遠慮なく呼んでくださいね?」

「そうだね、呼ぶよ。毎日、必ずね」

「ま、毎日……」

「約束だよ。忘れないで」



 そう言って目元から手を離したシリルの笑みはいつものように柔らかいはずなのに、目の奥は笑っていなかった。


「は……はい」


 ケイティは踏んではいけない何かを踏んだことには気付いたが、地雷が何かまったく分からない。

 とりあえず『毎日』と願われるほど必要とされていることは嬉しかったので、彼女は素直に頷いた。



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3話の更新は8/20、18時ごろを予定しております。

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