10 救世主
女性の声がした直後、ケイティたちの足元に黄金色の魔法陣が浮かび、光の壁が彼女たちを守るように魔獣の前に立ちはだかった。
「グアアァァァァァア!」
光の壁に魔獣が体当たりするが、ビクともしない。
一体何が起きているのか――唖然と光景と眺めているとケイティの隣りに、純白の神官の制服を纏った女性が颯爽と現れた。
太陽のように強く輝く金色の髪は腰より長く、晴れ渡る空のような青い瞳は力強く輝いている。自信に満ち溢れた笑みは美しく、その姿はモルガー家に飾られている絵画『救世主』に描かれている女性と瓜二つだった。
そして女性神官に目を奪われそうになったとき突然、光の壁の向こう側にいた魔獣が傾いた。魔獣の身体は大地に倒れてから、ゆっくりと真ん中から半分にずれる。数秒して、ようやく切られたのだと分かった。恐ろしいほどの綺麗な太刀筋。
知らない間に、光の壁の向こうには長身で、黒い髪をした男性神官が立っていた。穏やかな優しそうな容姿とは裏腹に、杏色の瞳から放たれる眼光は鋭い。その彼の手には銀に輝く剣が握られていた。
魔獣を切ったと思われる男性神官は躊躇せず残り一頭の魔獣へと駆けた。魔獣もスピードを上げ突っ込んでくる。
そして男性神官は踏み切るように足を強く踏み込んで――気付けば剣を振り下ろし終わっていた。
一刀両断された魔獣の身体は左右に分かれ、中心に立っている男性神官を避けるように後ろへ転がっていく。真っ白な制服に返り血を一滴も受けていない様は、圧倒的な強者だと示していた。
「さすがクライヴ様ですわ! 素敵! 最高!」
女性神官がうっとりとした表情を浮かべ、男性神官に片手を振った。
クライヴと呼ばれた男性神官は、言われ慣れているのか爽やかな笑みを返した。
「ありがとうございます。アリス、次はお任せしても?」
「もちろんでしてよ」
アリスと呼ばれた女性神官は光の壁を消すと、ポシェットから水晶を取り出し呪文を唱え、大きく振りかぶって闇色の沼に放り込んだ。水晶が沼に落ちると、沼から眩い光が溢れてすぐに消え、そこには湧き水がでる小さな池だけが残っていた。
「無事解決しましたわね」
池を眺める女性神官アリスの言葉に、ケイティはついに腰を抜かした。慌ててシリルが彼女の背を支える。
「ケイティ、大丈夫?」
「は、はい……それより」
ケイティは女性神官アリスへと視線を向ける。
改めて見てみるが、本当に絵画『救世主』に書かれている神子アリスがそのまま出てきたような容姿をしていた。彼女だけではない。よくよく男性神官を見れば眷属のクライヴに似ている。聖剣の使い手が逆というだけで、名前まで一緒。
一族の祖先の生まれ変わりのようなふたりを前に、ケイティとシリルは息を呑んだ。
すると女性神官アリスがシリルに顔を向けた。
「あなたが手紙の送り主シリル・モルガー様ですわね。すぐに知らせを送ってくれて助かりましたわ。神殿を代表し、神子であり、上級神官である私アリスがお礼申し上げます」
「いえ、私たちこそ助けていただき、感謝いたします」
「あなたの判断力と、簡潔で正確に書かれた報告書には感心しました。緊急性や重要性も読み手に伝わるもので、神子である私が出向く許可が出ました。あなたの手紙でなければ私は森の中に入れず、歯がゆい思いをしていたでしょう。素晴らしい次期当主ですわね」
「――いえ、私は務めを果たしたまでです」
シリルは感極まった表情を浮かべ、頭を下げた。
「ふふ、謙虚なのね。そしてレイラン家のご令嬢も頑張りましたね。ここに着く直前、遠くから見えましたが素晴らしい剣でした。ね? クライヴ様」
「えぇ、実に無駄のない動きで、日々の訓練を怠ることなく励んでいることが分かります。特にそばにいる人をきちんと守り通したのですから、レイラン家はあなたを誇りに思うに違いありません」
「あ、ありがとうございます」
恥ずかしくなり、ケイティも顔を俯かせた。魔獣を華麗に退けた人たちに褒められるとは想定していなかった。まるで親戚の集まりのような雰囲気を感じ、そわそわしてしまう。
そうしていると、いち早く気を引き締め直したシリルが女性神官アリスに問うた。
「しかし、私の手紙があったとはいえ、神子様本人が来てくださるとは思っておらず、大変驚きました」
「神子の勘というのかしらね、昨夜から胸騒ぎがしていたの。それにこの森のことはよく知っているつもりだから、壊されたくなくて」
そう微笑む女性神官アリスの表情は、昔を懐かしむように柔らかい。けれどすぐに凛とした表情へと変わった。
「それにしても災難だったわね。悪魔の卵が落ちたのもそうだけれど、魔獣の出現も想定外の早さだったから驚いたでしょう?」
「はい。これまでの神殿の見解では、百二十年前の神子……ご先祖様が聖剣で魔王を倒したので、数百年は厄災の心配はいらないと聞いていたものですから」
「そのはずだったんだけれどね……ヴェル様の所見をお聞かせくださらないかしら?」
女性神官アリスは空に向かって声をかけた。
すると光の翼を生やした人の姿をした三頭身のヌイグルミが空から舞い降り、女性神官アリスの肩にちょこんと載った。人形は明らかに男性神官クライヴを模した姿をしているが、男性神官は特に動揺している様子はない。
得体のしれない存在に、シリルが恐る恐る窺う。
「この方は?」
「我はアリスの専属天使ヴェルヘルムである。崇めよ!」
「天使様……!?」
シリルとケイティは慌てて再び深く頭を下げた。
それを見た人形は満足そうに頷くと、説明を始めた。
「相変わらず悪魔はしぶとい存在だ。しかし苦し紛れで落とされたもので、悪魔の卵は未熟なものだったのが幸いしたな。泉の穢れが完全に濃くならず、魔獣がきちんと成形される前に生まれてしまったのだろう。どれも小さくて動きも遅く、弱かった」
「あ、あれが……弱い?」
ケイティは驚きが隠せない。対峙したとき、死を覚悟するような存在だったはずなのに……と。
「嘘ではない。お主ひとりで倒せたのが証拠だ。完成体の魔獣は騎士十人がかりでも苦戦を強いられる。神子でも聖剣を所有し、その上剣技に優れていなければ難しい」
そう説明され、前回の厄災がいかに凄まじいものであったか、アリス・モルガーが歴代の神子の中でも最も崇められているのかを正しく理解した。魔獣や魔王を完全に退けられたことは奇跡の所業だ。
同時に、魔王と悪魔の卵の真の恐ろしさが増した。ケイティは身震いする。
「そう顔色を悪くするな。今回の様子を見る限りでは、悪魔たちは保有する少ない貴重な力を注いで卵を生み出したと思われる。再び力が枯渇状態になっていると推察され、回復するまでまだまだ長い歳月が必要に違いない」
「では、しばらくは安心ということですか?」
「そなたらが生きている間に、『厄災』と呼ばれる規模に発展する卵は落とされないだろう。落とされても、今回のように弱いものだ。油断は禁物だが、警戒を怠らなければ被害を出さずに対処できるとだけ伝えておこう。あとは神殿の仕事だ」
「お教えくださり、感謝いたします」
「うむ、お主らもご苦労だったな。早く休むと良い」
そうして天使ヴェルヘルムは人形の身体を器用に使い、女性神官アリスの腰につけられたポーチの中に潜っていった。
そこへ、タイミングよく馬に乗った聖騎士の集団が到着した。
「アリス様、クライヴ様、戦闘が終わったと判断し迎えに参りました」
「待っていたわ。私の役目は終わりのはず。先に神殿に戻っても大丈夫ね? モルガー家の子たちは任せたわ。きちんと屋敷にお送りするのよ」
「承知しました。こちら、用意した馬になります」
聖騎士が馬を女性神官アリスの前に引いてくる。
すると男性神官クライヴが彼女を抱き上げ、その馬の背に乗せた。そして彼も軽やかに後ろに乗ると、大切そうに片手で抱き寄せた。
女性神官アリスはうっとりとした表情を浮かべ、男性神官の胸に身を預ける。
「子どもたちが心配して待っているわ。早く帰りましょう」
「では馬を少々飛ばしても?」
「クライヴ様に全てお任せしますわ」
「承知しました。聖騎士の皆様、あとは頼みました」
聖騎士が敬礼で返事をしたのを確認するなり、女性神官と男性神官はあっという間に森から立ち去っていった。
今回登場したアリス&クライヴのお話は短編『聖剣令嬢の華麗なる推し活』でお読みいただけます(下にリンクあります)
残り2話、お付き合いいただけると幸いです!