01 幼馴染
王国を支えているのは『モルガー公爵家』である。彼らは神に愛されている。
そう、誰もが口を揃えた。
モルガー家は長く貴族の頂点に立ち彼らをまとめ、莫大な財産と影響力を持ち、王家がもっとも信頼を寄せる名家だ。その栄光に相応しく、モルガー家は王都の一等地に立派な屋敷と広大な庭園を構えている。
そんな荘厳な趣に畏怖して近づく者が少ない中、隣の敷地に住まう令嬢は軽い足取りでモルガー家の門を跨いだ。
「おはようございます。今日もお邪魔しますね」
チョコレートブラウンのポニーテールを揺らし、杏色の瞳を細めた可憐な伯爵家の娘――今年十八になったケイティ・レイランが挨拶をすれば、門番は当たり前のように彼女を敷地内に通した。
屋敷の中に入ってからも同じく、どの使用人もにこやかに挨拶をする。
そうしてケイティは勝手知った様子で廊下を進み、扉をノックした。
「シリル様、ケイティです」
「入って」
「失礼します」
許可を得て部屋の中に入れば、同い年の青年が柔らかい笑みを浮かべて出迎えてくれた。金髪碧眼で、スラリとした体躯を持ったモルガー家の次期当主――シリルだ。ケイティと彼は幼馴染の関係にある。
「おはよう、ケイティ。今日もお願いするね」
「はい! お任せくださいませ」
早速ケイティは、シリルの机とは別のテーブルに積み上げられた書類や資料の整理を始めた。
彼女の生家レイラン家は、約百年前から恩あるモルガー家に忠誠を誓っている家門だ。爵位がひとつ上がり伯爵位になっても変わることなく、ケイティも幼い頃から『レイラン家に名を連ねたるもの、モルガー家に尽くせ』と教わってきた。
忠誠の相手シリルは、次の春に多くの貴族令息が通う学術院を卒業する。そのため跡継ぎとして公爵の執務を代行することが多くなり、とても忙しそうにしていた。
そこでレイラン家の出番なのだが、ケイティの兄自身も跡継ぎ業務や結婚式の準備で忙しく、弟は学術院に入学したばかりのため学業で精一杯。我こそが、とケイティは率先して手伝いの名乗りを上げたのだった。
(完璧にシリル様をサポートしてみせるわ!)
並々ならぬ熱意を胸に抱き、シリルがあとで確認しやすいように処理済みの資料をまとめていく。
もちろん彼に執事はついているが、あくまで身の回りの世話が本職。執務の補助はケイティの方が優れていたため、その役目を譲ってもらっていた。
(シリル様は、こんな重要な案件の判断も任せられるようになったのね。先日は新規事業の草案までお出しになり、公爵様から大きな予算をいただいていたし。長期的な目で領民のことをよく考えている、実に堅実な内容だった。さすがシリル様……!)
ケイティは、密かに鼻をふふんと高くする。
といっても、彼女はシリル信者のひとり。レイラン家の家訓は関係ない。モルガー家の他の誰でもなく、シリルだからこそ敬愛してやまないのだ。
昔からモルガー家とレイラン家の結びつきは強く、屋敷が隣り同士ということもあり家族ぐるみで仲が良い。そのため、ずっと近くでシリルを見てきたケイティは、彼の素晴らしさをよく知っていた。
彼の眩い金色の髪、澄み渡る青い瞳、整った柔和な印象の容姿は多くの人の目を引く。
そんな容姿を持っていても浮ついた噂が立たない誠実さがあり、目下の者に対しても細やかな気配りをし、普段は控えめな態度でありつつ重要な場面では誰よりも堂々と振る舞う。
こぞって貴族たちは「さすがモルガー家の生まれは特別だ」と褒め称えた。
けれどその素晴らしい姿は、シリルのたゆまぬ努力の上に成り立っていることもケイティは知っていた。
書類を紐でまとめつつ、隣の机で真剣な表情で本を読みこんでいるシリルを見る。
ページを捲る彼の指先には分厚い『ペンだこ』ができていた。剣を振るわない滑らかな長い指先で目立つそれは、長く彼が勉学に励んでいた表れだ。
幼少期から彼は時間さえあれば本を読み、重要なところは書き写して頭に叩き込んでいた。「私はモルガー家の跡取りだから」と、周囲に望まれる姿になろうと遊びや剣術よりも勉学を優先。
執務室の本棚には隙間なく本が並べられ、重要なページには栞が挟まれたまま。間違った知識で判断を誤らないために、すぐに確認できるようになっている。
血筋や地位に驕ることなくここまで努力する人を、ケイティは他に知らない。
「どうかした?」
澄んだ青い瞳がケイティに向けられた。
視線を送りすぎてしまっていたらしい。シリルの集中を途切れさせてしまったことが申し訳ない。
「ごめんなさい。見惚れてました」
「――え? み、みと」
「相変わらず美しいペンだこだと思いまして」
「……あぁ、なるほど。ありがとう」
シリルは苦笑しながら「空喜びか」と小さく呟いて、浮かせてしまった腰を下ろした。自身の指を眺めながら照れつつ、どこか残念そうにしている様子だ。
(別のところを褒めてもらえると期待していたのかしら……でもどこだろう。シリル様のご期待に応えたいわ)
ケイティは答えを見つけようと、シリルを改めてじっと見つめた。
完璧だ。容姿は整っていて姿勢も良く、清潔感のある着こなしは文句のつけようがない。いつまでも見ていられる。
だが、どれも過去に褒めた記憶があるポイントばかり。今さら伝えるのも芸がない。
そうして悩んでいるうちに、シリルの顔がどんどん赤くなっていく。
「申し訳ございません! また見すぎてしまいました!」
「いや、ケイティなら良いんだ。恥ずかしいけれど、嬉しくもあるから」
仕事の邪魔をしてしまっていることを責めない寛大な姿勢に、ケイティのシリルを尊敬する気持ちは大きくなるばかりだ。
「シリル様、お許しくださりありがとうございます」
「だったらさ、私もケイティを見ていても許してくれるかな?」
シリルが襟足に手を当てながら遠慮がちにお願いを口にする。
自分の何を見て得があるのか分からないが、彼が望むのであればケイティの答えは決まっている。どんな視線でも受け止める覚悟を見せるように、胸元で両手に拳を作った。
「私で良ければ遠慮なくどうぞ」
「ありがとう」
嬉しそうに微笑むシリルの表情を見たケイティの心は温かくなる。自分が彼の力になれることほど嬉しいことはない。
執務の手伝いは簡単なものではないけれど、とても楽しくすることができているのは、間違いなく仕える相手がシリルだからこそだろう。
感謝の念を抱きつつ、ケイティは止めていた手を動かし始めた。
「お騒がせしました。作業に戻りますね」
「うん、頼んだよ」
そう言って、シリルも調べものを再開させる。
こうして執務室には、紙の擦れる音だけが静かに響き始めた。
お互いに無言だが気まずさはない。それだけケイティとシリルは、誰よりも長い時間一緒に過ごしてきたのだ。
しかし、実はこのふたりは婚約していない。
原因はもちろん、ケイティの敬愛フィルターのせいである。
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