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フェイクニュース

作者: まさみ

グラスの中で氷山が溶ける。

「遊輔の遊は遊び人からきてるって噂ホント?」

「名前の由来なんか知らねえよ。お代わり」

ウイスキーを干してカウンターに突っ伏すのは、三十路がらみの眼鏡の男。

三白眼の悪人顔で、職業を問われたら十人中八人がインテリヤクザと答え、残り二人が落ち目のホストと答える。

だらしなく背広を着崩し、ネクタイを緩めた遊輔を見下ろし、ゴツいオカマのママはあきれ顔で嘆く。

「これ以上飲んだら歩いて帰れないでしょ」

「金落としてんだぞこっちは」

「そんなこと言うとお持ち帰りするから」

悪戯っぽく脅せば、遊輔は「好きにしてくれ」とくだを巻く。

すっかり酔い潰れた遊輔の隣、生真面目なサラリーマンが心配する。

「大丈夫でしょうか」

「ダメかもね」

「カタギには見えませんが……仕事は何を」

「記者よ。週刊リアルで書いてる」

コップを磨きながらママが呟く。

「電車の吊り広告でよく見るあの?」

「芸能人の誰それが不倫したとか覚せい剤やってるとか、しょうもないゴシップネタ専門の週刊誌」

ママの饒舌な説明に仮死状態の遊輔が突如起き上がり、凶悪な酔眼で二人を睨み付ける。

「個人情報の守秘義務どうなってんだ、他の客にべらべら漏らすんじゃねえ」

「記者なんかやってるくせにプライバシーべらべらばらまくほうが悪いんでしょ。ねえ薫くん」

猫なで声を出すママの視線の先、バーテンダーの制服も初々しい好青年が曖昧に笑って受け流す。

「ツイッターだのインスタだの色々おっかないご時世ですからね。口は災いのもと、個人情報は秘匿するにこしたことないかと」

「誰?」

遊輔が瞬きする。ママが頬に手をあて盛大なため息を吐く。

「アンタががぶ飲みしてる水割りを作ってた子よ、新しく入ったバーテンの富樫薫(とがしかおる)くん。ピッチピチのハタチよ」

「女受け狙ってイケメン入れたの」

「可愛い娘増えるのは歓迎でしょ、摘まみ食いしてるものね。薫くんも気を付けて、この人死ぬほど手癖が悪いから」

「男に興味ねえよ。お前こそ気を付けろよ、好みの若いのとなるとママがほっとかねえ、いてっ」

頭をはたかれて撃沈。

「ほんっと最低、記者ならコンプライアンスに敏感になりなさいよ。次にオカマ蔑視発言したら出禁にするから」

「事実じゃん……忘れてないぜ若い頃ケツ揉まれたの」

「スクープの裏話とか聞かせてくれませんか」

サラリーマンが興味津々身を乗り出す。

遊輔はしゃっくりし、「話すようなネタねえよ」と無愛想に返す。

ママが助け舟をだす。

「アレは?何年か前に蓮見尊(はすみたける)の少女売春すっぱぬいたでしょ」

「蓮見って『モーニングスカイ』に出てた俳優の?」

「俺も知ってます」

サラリーマンと薫が驚く。

ママが調子にのる。

「私もファンだったのよ~なのに未成年と援交とかゲンメツ。今はパパ活っていうんだっけ?まあどっちでもいいけど、愛妻家の二枚目で売ってたのに好感度大暴落よ」

「確か自殺……」

グラスが床で割れ砕ける。

「手が滑っちまった、悪い」

「やっぱり飲みすぎよ」

「箒とちりとり持ってきます」

「お願いね」

薫が奥へ引っ込み、ママが眉八の字で諭す。

「ホント今夜は帰りなさい。足元ふらふらじゃない」

「……すぴー」

「お勘定前に寝オチしないでちょうだい、またツケる気!?」

「やば、こんな時間?僕も失礼します」

グラスの残りを干したサラリーマンが、そそくさと帰り支度を始める。

「ありがとうございました、またお越しくださあい」

ドアベルを鳴らして出ていくサラリーマンの背中に、科を作って愛想を投げかけたあと、困り果てて遊輔を見下ろす。

「起きて!起きってば!」

荒っぽく肩を揺すり耳元で大声を出すが、遊輔は鼾をかいて熟睡している。

「タクシーだけ呼んで放り出しておこうかしら」

「俺がやっておきます」

「えっ、いいの?」

「後は任せてください。遊輔さんのフォローも心配なさらず」

「ならお言葉に甘えちゃおうかしら」

「お疲れ様です」

ブランド物のハンドバックを肩に掛けたママを丁寧な一礼で送り出し、遊輔の肩を揺さぶる。

「大丈夫ですか遊輔さん」

呼吸は深く静かに安定している。口元に耳を近付け、規則正しい寝息を確認した後、満足げにほくそ笑む。

「よかった。薬がきいてる」

当分起きないはずだ。その間に準備を進める。


『ブラック企業のパワハラネタねェ。悪かないが地味じゃないか、自殺したのは四十代の中年だろ』

『地味って……遺族の心情はどうなるんですか、奥さんと小学生の息子がいるんですよ』

『遺書は?録音テープは?きょうび証拠がなけりゃ組織は動かんよ』

『同僚や部下の証言を集めました。家族からも悩んでる裏付けがとれましたし、もう少し粘れば内部告発だって』

『華がないんだよな』

『華……?』

『これが新卒の若くて可愛い女の子なら可哀想にねって同情引けるが、四十路のくたびれたリーマンが会社の屋上から飛んだって、あーまたかで済まされちまうよ。SNSやってたわけでもねーんだろ』

『だけど』

『お前さ、年間何十万人がパワハラだの過労だので死んでると思ってる?メディアに構ってもらえるのは幸運な一握り、あとは知らんぷりそっちのけ。ネタにも鮮度がある、キャッチャーな悲劇じゃなきゃ誰も食い付かねェ』

上司の言い分に、遊輔は言葉を返せなかった。

遊輔の取材の結果、死んだ会社員はサービス残業を何百時間も課されて鬱病になった事実が判明した。

しかしタイムカードは捏造されており、パワハラが行われた物的証拠は掴めずじまい。

周囲の証言だけでは弱いと見なされ、このネタは没になった。

『ちょっと待ってください、なんで取材がダメなんですか』

『上から苦情がきたんだよ、これ以上嗅ぎ回るなって』

『有名大のサークルコンパで暴行されたんですよ?被害者の子は大学やめちまったのに、犯人グループはお咎めなしですか』

『グラビアアイドルの遊佐ひとみがミュージシャンのタクミと不倫してるんだとさ、探ってこい』

『主犯が大蔵省のお偉いさんの息子だから?』

『事件になってねェだろ』

『余罪もたんまりあるのに?他の子も話してくれたんです、録音したのだけでも聞いてください、みんなものすごい勇気出して話してくれたんです』

『消せ。今すぐに。記者を続けたけりゃな』

こんな事をしたくて記者になったのか?雨の日の風の日も張り込んでるのか?


記者は正義の味方じゃない。

世相の味方だ。


『お前の正義感は迷惑なんだよ』


俺の記事は誰も救えない。

ただのゴミ、マスゴミだ。

そういわれてもしかたない人種になりさがった。

逆らったらクビを切られる。いっそやめればよかったのか。


『特ダネ持ってこい、華のあるヤツな』

華ってなんだ?誰かが死んだり犯されたり、そういうのは地味なのか?読者は振り向きもしないのか。

『子殺しの母親の記事記事評判よかったぜ。高校時代パパ活で荒稼ぎしてたとか中1の頃から養父に性的虐待受けてたとか、やっぱこーでなきゃな』

『母子手帳のくだりは』

『は?』

『現場のアパートで見付かったヤツ。なんで削除したんですか?』

『あのな風祭。読者は虐待親の胸糞な所業と壮絶な過去を知りたがってんだ、興ざめなお涙頂戴エピソードはいらねェよ』

『産婦人科で聞いてきたんです、定期健診にゃ毎回来てたって……細かい字でびっしり記録を付けてたんですよ、アレルギーのことも』

『子供殺しの鬼畜親が、母子手帳に初めてハイハイした日や歩いた日の事書いてたからなんだってんだ。それで虐待の事実がチャラになんのか、殺しちまった事実が許されんのか?読者は犯人をぶっ叩きてェんだよ。実の子嬲り殺した母親がどんだけクソだったか知りたくて雑誌買うのに、本当は育児と生活苦のストレスで泣く泣く手を上げちまったんですよとかヌルい雑音は余計だろ』

『これだって事実ですよ!』

上はスクープを催促する、エグくてきわどくて刺激的で扇情的な見出しを証言をよこせとプレッシャーをかけ続ける。


一番伝えたかった事実を伝えられない。

一番届けたかった核心が届かない。


書いても書いても没にされ、いい加減にしろと胸ぐら掴んでどやされて、追い詰められた遊輔は記者がしてはいけないタブーを犯した。


顔面で水が弾ける。

「!っ、」

目を見開く。視界が歪む。コップを掴んだ薫が、カウンターに腰かけて笑っている。

「頭痛は大丈夫?」

気持ちが悪い。頭がぐらぐらする。二日酔いの前借りか?

「お前……」

新宿二丁目、行き付けのバー。閉店後なのか誰もいない。やけに視点が低いと思ったら、後ろ手に縛られ床に伸びていた。

薫が見覚えのあるパスケースを開き、勝手に出した遊輔の名刺を弾く。

「何の真似だよ」

途切れ途切れの記憶を辿る。確か酔い潰れて……それからどうした?

こめかみが鈍く疼く。

視界の片隅でシェイカーを振っていた薫を回想、グラスに注がれた琥珀色の液体を思い出す。

「薬を盛ったのか」

「正解」

「目的は?」

「あなただよ、風祭遊輔さん」

薫が緩慢に片膝を抱き寄せ、鉄砲に見立てた人さし指を遊輔に擬す。

「人に恨まれる心当たりは?」

「腐るほど」

「だろうね」

記者は因果な商売だ。買った恨みなどいちいち覚えていられない。

薫の双眸が酷薄に細まる。

「週刊リアルなんて名前のくせに載ってる記事は全然リアルじゃない。大半はフェイクだ」

「くだらねえゴシップ雑誌だもんな。電車の荷物棚に放置プレイされてるよ」

「卑下しないでください、哀しくなるじゃないですか」

「なんでお前が」

得体の知れない青年が、遊輔から奪った名刺にキスをする。

「ファンなんです」

「は……?」

「あなたのお得意な(フェイク)じゃありませんよ。証明しましょうか」

横たわった遊輔の鼻先に一冊のスクラップブックを投げてよこす。床に投げ出された拍子にファイルが開き、遊輔は息を飲む。

スクラップブックに綴じられていたのは、全て遊輔の署名入り記事だった。

何年かけてコレクションしたのか、切り抜きは大量にある。

「大物プロデューサーのセクハラ、タレントとモデルの不倫、イケメン俳優の大麻騒動……一番最近のは芸人の風俗通いですね」

「ストーカー?」

ドン引く。

「バイトも偶然じゃねェな」

「遊輔さんの行き付けの店だと知って潜り込みました」

「すげー取材力。いい記者になるぜ」

「本当ですか?」

待てよ、コイツさっきなんて言った?

「俺の得意な(フェイク)じゃねえって言ったか」

薫がカウンターから飛び下り、遊輔の正面に跪く。

「だってそうでしょ?あなたの手柄になってる記事、殆どフェイクニュースなんですから」


フェイクニュースとはその名の通り、事実無根の捏造記事をさす。


穏やかな表情で遊輔を覗き込み、嚙み含めるように説く。

「裏はとりました。自分で仕込んだんですよね?知り合いの風俗嬢に金を払って芸人を引っ張りこんだり、大物プロデューサーの所に好みのADを送りこんだり。大麻騒動の時は昔の友達をあたったんですか?中高じゃ荒れてたんですね……家庭環境には同情しますよ」

「…………」

薫の推理は当たってる。

風俗嬢とADは元カノ、俳優に大麻を売ったのは学生時代の友人だ。どれも遊輔が裏で金を渡し、ゴシップの捏造を仕向けた。

スーツの下にじっとりと嫌な汗をかく。

「自作自演のゴシップで誌面を賑わせて、よく今まで告発されませんでしたね」

「共犯だからな。調子こいてるヤツらに痛い目見せてやれるって、連中乗り気だったぜ」


大衆は過激なゴシップを望む。上にはスクープを催促された。

毎日量産される悲劇が誌面を埋め尽くし、片や顧みられず取りこぼされた事実があり、やがて彼は仕事への情熱を失い、多くのフェイクニュースを作り出すようになった。


「既成事実の概念は偉大だな。書いたもん勝ち、載せたもん勝ちだ」


電車のシートに座ったサラリーマン、下車時は網棚に捨て置かれる雑誌、ホームレスに回収され十円二十円で叩き売りされるリアル、スマホでパソコンで匿名の連中がほざく『虐待する親なんて全員死刑でいい』『ハズレ引いたね』『ブラック企業死ね』『社畜乙』『まーた中央線遅延、自殺はよそでやれ』『レイプとかデマでしょ』『ブスの被害妄想痛い』


「連中が欲しいのはリアリティ(もっともらしさ)であってリアル(真実)じゃねえ。そこをはき違えると取り返しが付かなくなる」


パワハラ自殺したサラリーマンの遺族に謝りに行った。妻は泣いていた。小学生の息子は誰も信じない目をしていた。レイプ被害の実態を話してくれた女子大生たちに謝りに行った。一番最初に取材に応じてくれた子は摂食障害が悪化、精神病院に入ってしまっていた。子供が虐待死したアパートに行った。有名メーカーのビスケットがおいてあった。死んだ子は米粉でこしらえた、一口サイズの動物クッキーが好きだった。小麦粉アレルギーで食べられない物があったのだ。母子手帳には子供のアレルギーに悩み、追い込まれていく親の心情が切々と綴られていた。


「俺のファンにしちゃあ節穴じゃねえ目をもってるじゃないか。そうだよ俺は偽物(フェイク)さジャーナリストの風上にもおけねえニセモノさ、どうせお前らは見たいものしか見たがらない、知りたいことしか知りたがらねんだから真実なんてどうだっていだろ、捏造(フェイク)で十分じゃねえか」

せいぜい憎たらしい笑みを広げて開き直る。

「で、自称ファンでストーカーさんのリクエストは?握手でもしてやりゃ気が済むか、後ろ手縛られちゃ無理な相談だな」

自暴自棄な挑発に対し、薫は寂しげに呟く。

「俺の顔でわかりませんか」

まじまじと見返す。

艶やかな茶髪ときめ細かい肌、端正に整った面立ち……見覚えがある。誰かに似ている。

「富樫は母の姓です。父の姓は蓮見」

「蓮見尊の息子……」


愛妻家として知られた俳優。

遊輔のフェイクニュースで自殺した男。


「愛妻家がウリの父にとって少女売春の報道は致命的でした。ラブホから出てくる瞬間を撮られたんじゃ言い訳できませんよね、アレも遊輔さんが撮ったんですか」

蓮見が買った少女は遊輔の知人だ。記事では女子高生と書いたが実際は成人済み。

「親父の復讐か」

無言で一歩踏み出す薫。

その後ろから人影が湧く。数時間前までカウンターで飲んでいたサラリーマン。

「聞きましたよ大ウソツキめ。あ、あんたのせいでミゼルちゃんは業界を追放されたんだ」

「ミゼルって枕営業してた地下アイドルの」

「それはデマだろ!」

サラリーマンがヒステリックに地団駄踏む。薫が辟易した表情でとりなす。

「カウンターの裏に隠れてろって言ったのに」

「君がぐだぐだ回り道して核心に踏み込まないから!やり方がぬるいんだよ、人を貶めることしか知らないゲスなマスゴミなんか殴る蹴るして吐かせりゃいいんだ。でもいい、もういい。さんざんゴシップ捏造してたって認めたんだ、証拠は十分だろ」

手には特殊警棒が握られている。

「ミゼルちゃんを汚しやがって」


最初からグルだったのか。

薫が遊輔に薬を盛り、閉店後に共犯を引き入れた?


「待てよ逆恨みだ、あの娘は本当に」

「うるさい!!」

サラリーマンが奇声を発して腕を振り抜く。

遊輔が転がり逃げた床を風切る唸りを上げて警棒が穿ち、憤激に駆り立てられたサラリーマンが叫ぶ。

「ミゼルちゃんが!僕の天使が!地下アイドルの姫が!枕営業なんてするわけないだろ!!」

人間は信じたいことしか信じない生き物だ。

知りたいことしか知ろうとしない手合いに、余計なお世話な真実を無理矢理突き付けたら―

「二度と記事を書けないようにしてやる!」

「!?ッ、」


狙いは腕。

まともにくらえばへし折れる。


一度は諦念に傾いだ心に火が付き、右に転がって強烈な一撃を回避。

「逃げるなマスゴミめ、ミゼルちゃんに謝れ!」

「痛ッぐっ!?」

幼稚な罵倒に続き衝撃と激痛が炸裂。

咄嗟に体を入れ替え利き腕の右を守ったが、左腕を殴打された。


俺はゴミよばわりされてもいい、実際ゴミみてえなものを書いてきた、たくさんのヤツを破滅させて誰も救えなかった、嘘だろうと真だろうとゴシップ記事を正当化できるもんか。

けど、仕事までゴミ呼ばわりされたくねえ。

コイツに殺られるくらいならいっそー


「テメエがやれ、薫!!」

「ゴミみたいな仕事なんてないよ。ゴミみたいな人間がいるだけだ」

薫がサラリーマンの腕を掴み、鳩尾を蹴り飛ばす。サラリーマンがうっと呻き、即座に崩れ落ちる。

「ッは、たす、かっ、た?」

失神したサラリーマンを跨いで薫が接近、汗みずくで息を荒げる遊輔の縄をほどく。

「折れてはないみたいですけど念のため病院で診てもらったほうがいいかもしれません」

「親父の仇を助けたのは」

「あなたがやったのと同じ、狂言ですよ。少なくとも僕は」

あの記事を書いてくれて感謝してるんです、と囁く。

「父は外面がよかったから、家で起きてる事に誰も気付きませんでした」

「虐待か」

「見た目を損なわないタイプの」

形よい唇が自嘲に歪む。

「当時の俺はまだ子供で、どうすれば地獄から抜け出せるかわかりませんでした。母や先生に言っても信じてもらえない。そもそも言えるわけがない……世間は理想の夫、理想の父親と蓮見をもてはやします。味方は誰もいませんでした」


数々のフェイクニュースを生み出してきた遊輔の右手を握り締め、おのれの額に導く。


「あなたの嘘が救ってくれたんです」


彼だけがわかってくれた。


「何度も読み返しました。一言一句漏らさず覚えています。遊輔さん、書きましたよね。『蓮見尊の本性はただの俗物であり、その行為は被害者を傷付け、家族をも裏切っていたのだった』って」


そのとおりですよ。


「あなたの記事はデタラメだけど、どうしようもない真実を言い当てた」


被害者の薫しか知り得ぬ真実を代弁し、世に広く知らしめたが故に。

風祭遊輔は富樫薫にとって、唯一無二の理解者にして恩人になった。


「イカレ野郎を引き込んだのは」

「あなたを調べてた時に偶然ネットで知り合いました。どれだけ言っても復讐を断念しないからいっそスッキリさせてあげようと」

「殺人教唆か」

「危なくなったら止める予定でした、彼もこれにこりて手出しはしないはず」

「あのさあ……」

途方もない脱力感に見舞われた遊輔の前で、スマホで撮った動画を再生する薫。

自分の記事はフェイクニュースだと暴露する声。

「脅迫の材料が手に入りました」

反射的に手をのばす。空振り。前に泳いだはずみに左腕に激痛が走り、のたうち回って呻く。

「警察に持ち込む?ネット?」

「動画サイトに流しても面白いかも。もちろん俺の顔と声は加工します」

「金はねえぞ!」

「金は目的じゃありません」


全ては欲しいものを手に入れる為。


「あなたはとんでもないウソツキで、だからこそ俺の憧れです。咄嗟に利き腕を庇ったんだから、どんなにフェイクにまみれたってプライドは死んでませんよ」


まだやり直せる。

記事を書ける。


「ずっとあなたの記事を集めて、追いかけて、見てたんです。むかし書いた事件現場に通って、黙祷を捧げて、どんどんダメになって、でもやっぱり足を運んで、何かをじっと願うあなたを。電車の網棚に置き忘れられたリアルを駅のクズ籠に突っこんで、ずんずん歩いていく背中を」


父親の買春を報じた記事の末尾、風祭遊輔の署名を一体何度くり返しなぞり、憧れの面影を膨らませたことか。


「フェイクニュースの常習犯だろうと関係ない、あなたに譲れない真実(リアル)があるならどんな手を使っても証拠を掴んできます。使ってください」

「……ちょうどよかった。嘘を作るのにゃ飽きた頃合いだよ」


申し出を拒めば破滅する。

破れかぶれに承諾した遊輔の右腕を掴んで起き上がらせ、薫は心の中で独白する。


俺とあなたは共犯だ。

俺はあなたの為に、あなたが掴み損ねた真実をすくいあげる。


『薫か?ベッドに行ってろ』


あなたがあの記事を書いてくれたから。

自殺の動機までご丁寧に捏造してくれたから、あの夜ベランダにたたずむ背中を押して、父を殺すことができた。


あなたの嘘で百人が不幸になろうと、俺だけは救われたから。


「バディ結成だ」


薫の手と遊輔の手は強く結ばれた。

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