神威大和VS聖職者の欺瞞(10)
大聖堂までの車窓から、イエスは街を歩く人を見る。
「穏やかな人が多い」
「日本人は、基本的に穏やかだ」
マグダラのマリヤ
「道端で口論する人がいません」
「特にエルサレムでは、律法学者さんとか、あちこちで議論をしていたけれど」
イエス
「実に些細な、どうでもいいことで」
「それをやるから、神の教えから、外れていく」
「皿の外側を懸命に清めても、中身が腐ったままでは仕方がない」
神威大和は、車窓から小さな神社を見た。
「日本人は、様々に拝む対象がある」
「神社、お寺の仏様、結婚式をイエスの教会でしたり、お葬式は仏教式、それも様々に違う宗派かな」
「でも、全く対立はない」
「そもそも、神や仏の前で、人間が喧嘩しても、仕方がないけれど」
イエス
「大事なことは、謙虚さ、忍耐、やさしさ、それが心の平安、神の幸福につながる」
「皿に乗っているものが大切」
「皿の種類は大切ではない、皿を食べるわけではない」
恐れ多い話を聞いていた森田愛菜が、おずおずと口を開いた。
「と言いますと、宗教と言いましょうか、いろいろありますが」
「お皿の違いが、宗教とか宗派の違い」
「大切なのは、そのお皿の違いではなく、中身と?」
イエスが頷いた。
「着物が違うようなものです」
「美しい着物を着ていても、傲慢で他人に悪いことをすれば、それは困ります」
ワンボックスカーは、順調に進み、文京区に入っている。




