80・ファンタジーはハッピーでエンドし、人生は続いてゆくのでこれからもどうぞよろしくお願いします。
ピンポーン、ピンポンピンポーン。
にぎやかに繰り返す、チャイムの音に瑞恵と橋田さんは顔を見合わせる。
「ねえ橋田さん、今のはドアの、ピンポンよね? ワシさんからの紛らわしい電話じゃないわよね?」
「うん。ドアのチャイムね。ワシさんからの電話も、もう……」
橋田さんはさみしそうに目を伏せた。
瑞恵は意を決して、立ち上がる。
「あーどっこいしょっと……はーい、どちらさまですかー」
瑞恵はさみしさを振り払うように、ひときわ明るい声を張り上げてドアフォンに応えた。
『あ、あの、橋田です』
「へ?」
『いつもお世話になってます、橋田です。うちの由紀子が、そちらに行っていませんか?』
「えっと、ゆきこって、橋田さんのことよね……」
「瑞恵さん、どうしたの?」
「は、橋田さん。いまそとに、たぶん、ご主人が……」
「え!?」
橋田さんのダンナさんは、5年前に蒸発している。
「どういう……こと……!?」
玄関へ、駆けだす橋田さん。慌てて追う瑞恵。
「橋田さん、待って! 新手の詐欺かもしれないっ」
なんてったって、異世界から戻ってきたばかりなのだ。この数カ月、おばちゃんを狙う詐欺の情報をアップデートできていない。
「詐欺じゃないわ、わたしには分かる……!」
橋田さんが、らしくないセリフを叫び返し、玄関のドアを開く。
「……! あなた!!」
「やあ。こっちに戻ってこられて、よかったね」
照れくさそうに頭をかく、橋田さんのご主人がそこにいた。
「よかったねって、そんな、ひとごとみたいに……だいたい、戻ってこられてってどういうことよ。いなかったのは、あなたでしょ! どれだけ心配したと、思っているの!」
「ああ、ごめんごめん……だってきみたち、異世界にいただろう。無事に戻って来ていたから、安心したよ」
「どうしてそれを知っているの……」
「ぼくは、ついさっきまで、きみたちと一緒にいたから」
「なによそれ……どういうこと……」
「ぼくは、カズとして……きみのそばに、いたよ」
◇◇
異世界に転移した橋田さんは、もしかしたら5年前に蒸発したダンナさんも異世界にいるんじゃないかと、ほんのり期待をしていた。
旅のはじめにそう語った橋田さんの言葉を、瑞恵はにわかに思い出していた。
「カズとして、そばにいた……?」
橋田さんが、いつもの冷静さを失った声で旦那さんに問いかけている。
「ああ。ぼくはあの異世界で、冒険者・カズとして生きている。まさかきみに再会できるなんて思ってもいなかったから、本当に驚いたし、言葉では表せないくらい嬉しかった」
「ええええええーーーーーーーー」
仰天してぶっ倒れそうになる橋田さんを、ダンナさんがあわてて抱き起す。
(そういえばカズは、心に決めた人がいるって言って、橋田さんのほうを見ていた!! そういうことだったのねえ……)
瑞恵は二人の様子を、こっそりうかがいながら心の中でつぶやいた。
橋田さんは、まだ信じられないという様子で、ダンナさんを見上げている。
「カズが、あなただったなんて……ねえ、どうして私は、私のままなのに、あなたはカズになっているの?」
「ぼくは、転移じゃなくて転生したから。……つまりぼくは、この世界ではもう、命を失っているんだ」
「え……」
「だからこの姿も、仮のもので、ふいに消えてしまう。きみの前にこうして現れたのは、マダム・フロリーヌとピンクのおばさんから『約束のブツを持ってこい』と遣わされたからなのさ」
「橋田さん、あのふたり、そういうことはよく覚えているわね」
おじゃまになってはいけないと口を噤んでいた瑞恵だが、思わず本音が漏れた。
「ほんとうね、瑞恵さん。……でもいやよ、戻らないで。せっかく会えたのに」
橋田さんはダンナさんに向きなおって、その腕を掴んだ。
掴んだはずが、その手は中空をひっかいただけだった。
「残念だけど、この世界にぼくはもう、生きていないんだよ。ぼくがこうしてここに現われることができたのは、ニコラのおかげなんだ」
「「ニコラの?」」
「ああ。ニコラが、フランソワーズにぼくの……カズの擬態をさせている。その間だけ、ぼくはこうして、ここに来ることができた」
「じゃあニコラに、フランソワーズを出しっぱなしにしてもらいましょう」
橋田さんが、必死で、まるで瑞恵のような無茶を言う。
「それはできないよ。ニコラが、『フランソワーズのぶんも、ニコラがたべてやる……うへへ』と思った瞬間に、ぼくは消えちゃうんだ」
「……それは防ぎようがないわね、橋田さん……」
「うん……なんか一気に、あきらめがついたわ、あたし……」
「だから、ニコラがおいしいものを見つける前に大急ぎで、異世界小説を集めてくれないか。せっかく来たのに持って帰れなかったなんて言ったら、マダム・フロリーヌとピンクのおばさんにどれだけ叱られるか」
「それは確かに、想像しただけで恐ろしいわね」
「橋田さん、あたしがお宅におじゃまして、本を集めてきてもいい? 橋田さんは、少しでも長くダンナさんといっしょにいて」
瑞恵はそう告げるなり、お互いに持っている合鍵で、お向かいの橋田さんの家のドアを開けた。
「瑞恵さん、ありがとう……!」
「きみのそばに瑞恵さんがいてくれるから、ぼくも安心して異世界に戻れるよ」
「ねえ、また、戻って来られるわよね? 来てくれるわよね?」
「ああ。ニコラが、瑞恵さんに石を渡しただろ? あれが目印になるらしいから、なくさないようにね」
「わかったわ。瑞恵さんのポッケに入っていると、いつ洗濯物にまぎれるか分からないからあたしがちゃんと預かっておく」
「はは。そうしてくれると、あ……りがた……い…」
「あなた!」
一瞬のうちに、橋田さんの目の前からダンナさんがの姿は消えてしまって、
瑞恵が両手いっぱいに異世界小説を抱えて戻った玄関には、ぼうぜんと突っ立っている橋田さんがいた。
「あれ、橋田さん。ご主人は?」
「消えちゃった……」
「ニコラが、フランソワーズの分も食べようとしたわけね……」
「そう考えると、かなしいけど笑っちゃうわね」
「ほんとうねえ。あの子の食欲に、こっちとあっちが振り回されるなんて」
瑞恵は異世界小説を、床に積み上げた。
「ふふ。渡しそびれちゃったから、ご主人またこっちに来るわよ」
「そうね。それを楽しみにしておくわ」
「ミズエー。ハシダー」
「「え、ニコラ!?」
振り向くとそこには、ふてぶてしい顔でふたりを見上げるニコラがいた。
「ニコラ、きたよ。ニコラ、ミズエと、ハシダと、ダンチ、だーいすきだから、きてやった」
「嬉しいけど……ちょっといらっとするわねえ、橋田さん」
「本当ねえ。どうしてちょっと、えらそうなのかしらこの子は……」
「ニコラ、にくまんっていうの、たべたい」
「肉まん? 肉まんの話なんかしたっけ」
「ぱんやさんが、ダンチにあるから、もらってきなさいって。ミズエがいそがしくて、つくれないときは、ダンチのちかくの、こんびにっていうところにも、あるって」
「なんであのひと、そんなこと知っているかしら」
「さあ……パン屋で肉まん売る気なのかしらねえ」
「ほら、はやくしないと、ニコラ、きえちゃうかもよ!」
「はいはい、もう、しょうがないわねえ。肉まんこしらえるか」
「ねえニコラ、次は、カズをこっちに寄こしてね」
「うんいいよ。カズは、ハシダの、だーいすきなんでしょ」
橋田さんが頬を赤らめてうつむいた。
「まあ、ニコラのきぶんしだいだから……ニコラ、ハシダのつくるおやつも、ほしいなあ……」
「こら! あんたって子は!!」
瑞恵の声にニコラは不敵に笑い、おなかのおとをぐうぐう響かせた。
読んでくださった方、ブックマークしてくださった方、お星さまをポチっとしてくださった方、感想を書いてくださった方。
皆様、本当にありがとうございました。
この物語、たぶん自分がいちばん楽しんでいたので、それを一緒に楽しんでいただけたなら望外の喜びです。
終わってしまってさみしくて……
失恋は次の恋で忘れるの法則に従って、新連載を始めます。
初めに投稿した、異世界で記者になる、という設定で、ぜーんぜん違うお話を書きます。
今度は戦闘シーンとかも書きたい!とプロットを立てたのですが……書き出すと、あれ……? なんか、コメディーにどんどん寄っていく!?
そういうのきらいじゃないよ、という御方、見ていただけたら幸いです。きょうから投稿始めます。
団地おかあさんともども、どうぞよろしくお願いいたします!




