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8・パリジェンヌはたらこおむすびがお好き。

「シベリアは今、ベッドメイキングの最中よ。ルーゼット、どうしたの?」


フロントの若い女が顔を上げて答えた。


「あらアンナ。助かったわ。きょう、部屋は空いている?」


「きょう?」


「この奥さんたちなんだけど、なんでもヘイアンキョウから、宿も決めずに旅行に来たんだよ」


「ヘイアンキョウから? ああ、あそこは今、平和なのね」


ちょっと小ばかにした感じのアンナ。


「あの子、パリジェンヌって感じね」


「つんとしちゃってね。かわいいもんだわ」


瑞恵と橋田さんは、若者の粋がりなど意に介さない。


「奥さん方、ここにはいつまでいるんだい?」


ルーゼットの質問に、瑞恵と橋田さんは顔を見合わす。


「あたしたち、実は、あんまりのんびりしていられないの。海を越えて、取りに行かなきゃいけないものがあるのよ」


瑞恵の言葉に、ルーゼットはぽかんとする。


「海を越えてって……どの海を?」


「はい?」


「だって四方が海じゃないか。海を越えて北はブリティッシュランド、西はスパニッシュオムレツィア、南はマリア・ヴェネツィア」


「で、東がヘイアンキョウでしょ」


フロント嬢のアンナが続ける。


「え、そうなの? 橋田さん、参ったわね」


「ここ、海に囲まれてるってこと? 海を越えて薬を取りに来いって言っていたけど、どこ行ったらいいか、わかんないわよねこれじゃ」


「おばあちゃん、おなかすいたー!」


おとなしく抱かれていた少女が、おばちゃんたちのおしゃべりにしびれを切らしたように叫んだ。


「ああはいはい、ごめんごめん」


ルーゼットが少女をあやす。


「ルーゼットさん、よかったらこれ、その子にどうぞ。お口に合うか分からないけど」


瑞恵はリュックサックから、アルミホイルに包んだたらこおむすびをひとつ、ルーゼットに手渡した。


「ずいぶんずっしりしたパンね……」


「パンではないんだけど、まあ、私たちのパンみたいなもんよ」


いぶかしむルーゼットだが、女の子はさっそくアルミホイルの包みを破り、かぶりついている。


「まあお行儀の悪い。ニコラ、ちゃんとお礼を言いなさい!」


「メルシー、マダーム」


口いっぱいにおむすびを頬張りながら、ニコラは満面の笑みだ。


と、ルーゼットがおむすびに鼻をよせ、くんくん香っている。


「この緑色は、野菜? 不思議な香りね。」


「ああ、シソね」


「シソ? なにそれ? 聞いたことないわ」


「野菜というか……ハーブの一種。身体にとてもいいの」


「ふううん。ヘイアンキョウには、不思議な野菜があるのねえ」


孫娘が一心不乱に頬張るおむすびに向けるルーゼットの眼差しを見てとって、瑞恵は彼女にもアルミホイルの包みを渡す。


「ルーゼットさんもどうぞ。あと、アンナさんでしたっけ。あなたも」


「あら、うれしいわ。ありがとう」


ちょっと照れくさそうにおむすびを受け取るルーゼット。


すまし顔のアンナが手を伸ばしたときに、フロントの電話が鳴りだし、その手はくやしそうに受話器をつかんだ。


「はいフロント、ええ、アンナです……え、今夜から? そんな急に? 今お泊りのお客さまはどうするんですか?……ええ、ええ……あーはいはい、わかったわよ、もう!」


ガチャンと音を立てて受話器を置くアンナ。


「どうしたんだい?」

とルーゼット。

「何か困ったこと?」

と橋田さん。

「その受話器、なつかしいわ」

と瑞恵。


「マダーム、申し訳ないけどお部屋は用意できなくなっちゃったわ」


肩をすくめるアンナ。


「あら。どうしてかしら」


「今の電話。今夜から、ホテルの客室は全部、軍が押えるって。」


瑞恵と橋田さんはぎょっとして顔を見合わす。


「どういうことだい。戦争しているのは、ブリティッシュランドとスパニッシュオムレツィアだろ。なんでここのホテルが」


「ルーゼット落ち着いてよ。……つまりここにも、火の粉が飛んでくるってこと。毎度のことね」


アンナは大きなため息をつく。


「そんな……。あたしの次男はブリティッシュランドにいてさ、あっちの娘と結婚したはいいんだけど……この戦争で、けがをしちゃってね。それであたしがこの子を預かっているっていうのに……」


「この話、三回目ね」

「突っ込んだほうがいいかしら」


こそこそ相談する瑞恵と橋田さんを、ルーゼットはぎょろりとにらみつけ、


「奥さん方、残念だけど旅行は取りやめて帰ったほうがいいよ。ヘイアンキョウに戻る港が、封鎖されないうちに」


「橋田さん、どうしよう。今更あたしたち、ヘイアンキョウから来たわけじゃないとか、言えないわよね」


「ワシさんとボクさんは、『戦火を越えて、海を越えて』って言っていたから、あたしたちはブリティッシュランドかスパニッシュオムレツィアか、どっちかに行かなきゃならないんじゃない?」


「確かにそうよね。ねえルーゼットさん、ブリティッシュランドとスパニッシュオムレツィアに行くには、どうしたらいいのかしら」


「ちょっと奥さんたち、あたしの話聞いていた? 旅行者が戦地に向かうってどういうこと? あたしの次男はブリティッシュランドにいてさ、あっちの娘と結婚したはいいんだけど……」


「あーはいはい。アンナさん、アンナさんは行き方をご存じ?」


「ご存じもなにも、船でいくしかないわ。戦闘地域に向けて、民間人を乗せて出港する船が存在するならね」


アンナの目が、冷やかに光る。


「ねえ、ヘイアンキョウの人って、平和ボケしてるの? 戦争、なめてんの?」


「まさか。あたしたちだって、戦地になんか行きたくないわよ」


「でも行かないと、あたしたちの世界がちょっとまずいことになっているのよ」


「ああもう、団地に戻りたい」


「はやくセーブポイント見つけて帰りましょ」


「ねえルーゼットさん、セーブポイント、どこにあるか知らない?」


「なんだいそれ」


「あるわよ」


シソ巻たらこおむすびをかじりながら、アンナが言った。


「あるの!!」


「セーブポイント、あるの!!」


「ところで、この食べもの、めっちゃおいしいわね。なにからできているの?」


「米とたらことシソよ。ねえ、セーブポイント、本当にあるの?」


「あるけど……あたし、この食べもの、もう少しほしいかも、しれないわ……」


瑞恵はリュックから、アルミホイルの包みをあと三つ取り出し、アンナに握らせた。


「メルシー。うん、ちょうどいいかもしれない。あそこなら、あなたたちが泊まることもできるし」


「?」


「アンナ、もしかして、それって……」


ルーゼットの声がかすかに震える。


「門番女のマダム・フロリーヌのところよ。あそこに、セーブポイントがあるわ」


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