77・くちびるには歌を、ときには花びらを。
「増幅! 増幅! 増幅!」
パン屋の奥さんが魔法をかけると、青いバララが見る間に増え、床一面が花畑のように染まる。
井戸端会議のおばちゃんたちが歓声を上げた。
「まあきれい」「まるでバララの海だね」「バララの空だよ」「目にも鮮やかなこの深い青!」「うっとりしちゃうねえ」
おばちゃんはだいたい、花が好きだ。
「これは、どうせ、はらのたしにも、ならないやつだな……」
「ニコラだけは、花より団子ねえ」
瑞恵はため息をつく。
「ニコラの容貌なら、お花畑に立っているだけで絵になるのにねえ。もったいない」
橋田さんも残念そうだ。
「ヤンキー座りして、花びらむしってくわえているわよあの子……」
「ヤンキー座りを体育座りに変えて、花占いをするように一枚ずつ指先でつまめばかわいいのに……」
「ニコラは、ニコラのままでかわいいよ」
瑞恵の服の裾をひっぱりながら、カズが言う。
「あら、カズはああいう子が好みなの? でもね、ニコラには間違っても『オレが食わせてやる』とか、言っちゃだめよ。尋常じゃなく食べるから」
「そんなえらそうなこと、言わないよ」
「それもそうか」
瑞恵は目を細めて、カズをいいこいいこする。
「それにぼくには、心に決めた人が、いるからね。ニコラはかわいいけど、妹みたいなもんだよ」
「心に決めた人!? すごいじゃない、だあれ? おばちゃんの知っている人?」
カズは恥ずかしそうに、黙ってしまった。
その視線の先には、
「……橋田さん?」
瑞恵が目を丸くしていると、
「ニコラいっとうしょう! どーん!」
ニコラが瑞恵のおなかに突進してきた。弾みでふっとばされるカズ。
「ちょっと、痛いでしょ。あと、カズにごめんなさいしなさい!」
「ニコラも、あたま。いいこ、いいこ、して」
「……あんた、さっきから何一ついいことしていないでしょうが」
「ひとつ、はっけんしたよ」
「あら、何を?」
「このおはな、はらのたしに、なる」
「え? そうなの」
ニコラが、花びらで青く染まった指先で、一輪のバララを瑞恵に差し出す。
「ミズエ、たべな」
「は、はい……」
突き出された花びらを口に含む瑞恵。
ひとくちかむと、果汁がはじけるような、さわやかな風味と確かな歯ごたえがある。
「まあ、すごい。ほのかに甘酸っぱくて、果物をたべているみたい。リンゴと梨の、あいだくらいの食感かしら……」
「さあさあ、こんなもんでいいかい。バララの増幅は」
パン屋の奥さんが額の汗をぬぐって、瑞恵のほうを見た。
「マダム・フロリーヌとピンクのおばさん、もう十分よね?」
瑞恵が確かめると、
「ああ。これだけあれば、シロップがたっぷりとれるだろうよ」
ピンクのおばさんが自信満々に答えた。
「しかし、どうやってシロップにするんだい? 大ばあさんの記録には、煮詰めるとしか書いてないけど」
パン屋の奥さんはさすが、食材の扱い方に鋭い質問を繰り出す。
「たしかにねえ。カルチャーのハーブティー講座では、乾燥させたハーブを煮出したけど。それだと、ずいぶん時間がかかりそうねえ」
橋田さんがちょっと困ったように眉をひそめた。
いよいよ特効薬ができると思ったら、またここで足踏みなのか。
「この花を摘んで、まるごと煮たらいいわ。ジャムをつくるみたいに」
瑞恵は確信をもって、一同に告げた。
「バララの花は、どっちかっていうと果実だから。みなさん、ちょっとかじってみて」
「ぷちってする!」「ちょっと甘い!」「そしてすっぱい!」「くせになりそうだねえ」「こどものおやつにちょうどいいね」
さっそく口にした10人のおばちゃんたちが、思ったまんまを次々に言い立てる。
「はい! おはながおいしいことを、はっけんしたのは、ニコラです!」
ニコラがぽん、とおなかをたたいてえばっている。
「おや、ニコラちゃんが気づいたのかい」「さすがだね」「さすがくいしんぼうだね」「さすがの食い意地だね」
おばちゃんたちの言葉に若干トゲが混じるのは、ニコラがみなさんのおうちでさんざん食べつくしたせいと思われ、瑞恵と橋田さんは肩身が狭い。
「えー、みなさん。ではバララの花を摘んで、こちらの鍋へお願いします!」
気を取り直して、みなさんに呼びかける瑞恵。
こうなると、おばちゃんたちは手際がいい。おしゃべりしながら手を止めないことには慣れている。
いやむしろ、手を止めずにおしゃべりすることに長けているというか。
「うわー、あっという間に鍋いっぱい! みなさんありがとう! あの、どなたかレモンとリキュールを持っていないかしら?」
「レモン? リモーネのことかい?」
「ええ、そうです!」
10人のおばちゃんの誰かの声に、橋田さんが即座に応える。
「この角を曲がったところに生えている木が、リモーネだよ。だれでも好きに取っていいのさ」
「ぼくが取ってくる!」
花摘みに飽きはじめていた様子のカズが、待ってましたとばかりに飛び出した。
「あ、ニコラもいくー! ニコラも、リモーネっていうの、たべるー!」
ニコラが慌ててカズを追いかける。
「あの子、きっとレモンにかじりつくわね」
「どんな顔するのか、見ものね」
瑞恵と橋田さんはくつくつ笑った。
あしたは朝8時に投稿します!
 




