74・別れた理由なんて本当のことは当人たちにしかわからないってわかっているけどわかったふりであれこれ言いたくなるのすみません。
「やった、やった、ふくらんだ!」
ボウルのなかでぷっくり発酵した生地に、パン屋の奥さんが歓声を上げる。
「なんだいこりゃ。マダム・ミズエも増幅魔法の使い手だったのか」
「ふふふ。マダム・フロリーヌが5日先までひとっ飛びしてくれたおかげよぅ」
瑞恵はマダム・フロリーヌの肩をばしばしたたく。
「これできちんと焼き上れば……あたしの増幅魔法は、あんたたちの増やしたいものに使ってあげるよ」
パン屋の奥さんの顔がようやくなごむ。
「瑞恵さん、やったわね。これで、スライム仁丹を増やしてもらえるわ!」
橋田さんが瑞恵の肩をばしばしたたく。
「何言っているんだい」
「「へ?」」
盛り上がる瑞恵と橋田さんに水を差すのは、ピンクのおばさんだ。
「スライム仁丹なんて今さら増やしてどうするんだい。あたしたちはもう、腹いっぱいになるほど持っているんだ」
「橋田さん、聞いた? スライム仁丹でおなかいっぱいって、ちょっと不健康よねえ」
「ほんとほんと。あれは、山椒にぴったりだもんね。小粒でぴりり、ほんのちょっとで味を引き立てるのが、山椒ってもんよねえ」
「味覚異常かしら?」
「だとしたら大変よ。熱計らなきゃ」
「おいおいあんたたち。あたしゃ至って元気だよ。スライム仁丹なんてちんけなこと言ってないで、あたしたちの大いなる計画を優先するんだね」
「出た! 大いなる計画!」
「瑞恵さん、ピンクのおばさんはやっぱり病気だわ。中二病っていうやつよ」
「パン屋の奥さん、スライム仁丹じゃなくて、これを増やしてくれ」
ピンクのおばさんは瑞恵と橋田さんを無視して、パン屋の奥さんに一輪の花を差し出した。
「おや、きれいな青い花。どうもどうも」
奥さんは笑顔で受け取り、エプロンのポケットに差す。
「いやいやあんた、しまい込まないで。それを増やしてほしいんだよ」
「橋田さん見て、素敵ねえ。青いバラかしら?」
「バラにしては棘がなさそうよ、瑞恵さん」
「これは海を越えた研究所に自生している、バララさ」
ピンクのおばさんがすうっともう一輪、どこからかバララを出す。
「バララ? なんか一気に、まぬけな響きになるわねえ!」
「ほんとほんと。……って、瑞恵さん。いま、ピンクのおばさん『海を越えた研究所』って言ったわよね?」
「あれ、そうだっけ?」
「3秒前のこと忘れないでよ。言ったわよ」
「あー言った言った。で、それがどうしたの?」
「ワシさんが、いるところじゃない! 団地がこっちに転移したとき……ワシさんが、はじめに言っていたわよね。海を越えた研究所に、感染症の特効薬があるって!!」
「あれ、そうだっけ?」
「いちばん大事なこと忘れないでよ。言ったわよ」
「あー言った言った。で、それがどうしたの?」
「どうもこうも、このバララが、特効薬の材料なんじゃないの!」
「ええーーーーー! 橋田さん、すごい! やったわね!!」
盛り上がることだけは人一倍長けている瑞恵が、橋田さんの手を取って飛び跳ねる。
「なんだい、あんたたち、ワシと知り合いなのかい」
ピンクのおばさんが意外そうな目を向ける。
「まあね。しょっちゅう電話しているわ」
なぜか胸を張る瑞恵。
「じゃあちょっと言ってやってくれよ。まったくあいつがきちんと世話しないもんだから、バララの苗がどんどんダメになっちゃってねえ」
「やだ、たいへん。ワシさんって、たしかに粗忽者っぽいもんね」
「……マダム・ミズエにだけは、粗忽者って言われたくないよなあ」
マダム・フロリーヌが橋田さんに耳打ちする。
橋田さんが小さく頷いたのを、瑞恵は見た。
「だからすっかりダメになっちまう前に、あたしが収穫に行ったんだよ。あいつ、『バララはここでしか育たん……!』って、必死こいて追いかけてきてさ」
「あはははは。ワシさん、なかなかコミカルねえ」
「……マダム・ミズエだけは、コミカルって言われたくないよなあ」
「……それ、コミカルなのかしら。ワシさんは、本当に必死だったんじゃ……」
橋田さんがにわかに顔を曇らせる。
「あいつがしつこいから、ちょっと激しいひざかっくんをお見舞いしてやったら、あいつ海にぽちゃんと落ちたよ。あっはっは」
「あっはっは」
笑い転げるピンクのおばさんと瑞恵。
「ピンクのおばさん、やるわねえ。ところでふたりの関係は?」
「ふん。別れた亭主だよ」
「「!!!!!!!!!!」」
瑞恵と橋田さんは驚きのあまり瞬間、固まった。
「さ、差支えなえれば……どうして、別れちゃったのか、理由をお聞かせください」
「瑞恵さん、即座にそこを突っこむとは、さすがだわ……」
「ふん。目指す方向性の不一致ってやつさ」
「ほうこうせい……?」
「バンドの解散理由みたい……」
「あ、もしかして……!」
「なになに、瑞恵さん!」
「世界を救いたいワシさんと、世界を滅ぼしたいピンクのおばさん……その方向性の不一致なんじゃ」
「!!!!! 瑞恵さん、鋭い! きっとそうよ!」
盛り上がる瑞恵と橋田さんを差し置いて、ピンクのおばさんは遠い目をする。
「ピンクと、青……あたしたちは、相容れない運命だったのさ……」
きょうから(できるだけ)毎日更新復活します! お付き合いいただけたら幸いです。




