73・少し違った未来にはもちろん発酵に失敗した未来もあるわけで、どんな5日後に行くかは要注意
りんごを手に、一同を見回す瑞恵。
「瑞恵さん、手品でもはじめる気配だけど……そんな特技、あったっけ?」
橋田さんが、不思議そうに尋ねる。
「なんだい、マダム・ミズエも魔法が使えるってのかい? そんなばかな、あんたのステータスにはそんな表示なかったよな?」
マダム・フロリーヌもいぶかしげに瑞恵を見る。
「さて、このりんご、タネも仕掛けもございません」
瑞恵はすっかりマジシャン気取りだ。
「タネはあるわよね」「りんごだからね」「タネはあるさ」
橋田さんとマダム・フロリーヌ、ピンクのおばさんはこそこそ言い交わす。
「タネはあるけど仕掛けはないこのリンゴを、むきます」
「タネはあるって」「言い直した!」「意外と素直だね」
瑞恵はすまし顔で、くるくるとりんごの皮をむいていく。
「さすが上手ねえ」「だけど、魔法ってほどじゃ……」「これが魔法だなんて、あたしゃ認めないよ」
「食べます」
皮をむいたりんごに、かぷっとかじりつく瑞恵。
「食べた!」「なんだこりゃ!」「これが魔法だなんて、あたしゃ認めないよ!!」
「おいしいっ。甘さと酸味が絶妙で、さくっとした歯応えとみずみずしさが、紅玉とふじのいいとこどりをした感じ!!」
観客そっちのけで、食レポに走る瑞恵。
「食べます。食べます。食べます。芯は残します」
「芯は残すわよね」「当たり前だよ」「芯まで食べなきゃ、あたしゃ認めないよ!!!」
「芯のまわりを、きれいに切ります」
「かじりついた痕跡を消しているわ」「かじりついたあとに、上品ぶってもねえ」「上品ぶっても、あたしゃ認めないよ」
「きれいにした芯と、皮を適当に切って……あの、パン屋の奥さん。清潔な瓶と、水はあるかしら」
パン屋の奥さんは、きゃいきゃいしている橋田さんたち観客組とは対照的に、瑞恵の一挙手一投足をじっと見つめていた。
パン生地の膨らみがかかっているのだから、奥さんは真剣だ。
「あるよ。そこの瓶は、全部お湯で消毒したものだよ。水も、沸かして冷ましたやつが、水がめに入っている」
「ちょっとお借りするわ……はい、芯と皮を瓶に入れ、水をそそぎます」
「何が起きるのかしら」「食べない部分に、水入れただけだろ」「りんご水なら、あたしだって作るよ」
「はい、マダム・フロリーヌの出番です!!」
「え、あたしかい?」
「どうぞこちらへ!」
舞台へ引き立てるように、瑞恵がマダム・フロリーヌの手をとる。マダム・フロリーヌは、なぜか少し照れて頭をかいた。
「この瓶を、5日先に進めてほしいの」
「なんだって?」
「しかも、朝晩、蓋を開けて、空気にさらしてから瓶を振った状態で、5日先に進めてほしいの」
「そんな器用なこと、できるわけないだろ」
「え、そうなの? マダム・フロリーヌって、ちょっとずつ違ういろんな世界を行き来できるんじゃないの??」
「記憶を取り戻すくらいはできても、都合良く行ったり来たりなんかできないよ。しかもなんだい、朝晩蓋を開けて瓶を振るって。あちこちを何往復すりゃいいんだよ」
「朝晩そうしないと、発酵しないのよ」
「瑞恵さん、なるほど! りんごで、天然酵母を作っていたのね」
「さすが橋田さん! 分かってくれたのね」
「りんごを食べた後、かじった部分をきれいに切り取ったのは、証拠隠滅じゃなくて、りんごについた唾液で雑菌がわかないようにするためだったのね」
「そのとおり。で、発酵には時間がかかるからマダム・フロリーヌがうまいことやってくれないかなあって思ったんだけど……」
「そううまくはいかないわねえ……」
瑞恵と橋田さんは、ちょっと恨めしげにマダム・フロリーヌを見る。
「なんだい、あんたたち。まるであたしが、できそこないみたいじゃないかい」
「そんなこと、言ってないけど……」「言ってないけど、ねえ……」
「フロリーヌ、あんた、5日先に行ってくることはできるんじゃないかい?」
ピンクのおばさんが、ふと思いついたように顔を上げて言った。
「この瓶を5日先に運ばなくても、5日先へ行って5日後の瓶を取ってくればいいんだろ?」
「「あ、たしかに……」」
「まあそれなら、できないこともないねえ」
「「できるの!?」」
瑞恵と橋田さんが驚きの声を上げた次の瞬間、
「はい、こちらが5日後のものです」
マダム・フロリーヌが、画面の向こうの視聴者にお見せするがごとく、手にした瓶を差し出した。
その瓶は、さきほど瑞恵がりんごと水を入れた瓶と同じもの。
だが芯や皮が、上のほうへ押し上げられており、
「蓋を開けると……ほら、しゅわしゅわしています!」
瑞恵は蓋をとって、一同に見せた。
「マダム・フロリーヌすごいわ! 一瞬のうちに、ほんとうに5日後の瓶になるなんて……」
瑞恵は自分でお願いしておきながら、信じがたい目でマダム・フロリーヌを見つめる。
「ハッ! もしかしたお料理番組で、『はい、こちらが2時間オーブンで焼いた物です』って出てくるのも、全部、未来からかっさらってきているんじゃ……」
「瑞恵さん、そんなことしたら、各局にマダム・フロリーヌが必要になるわよ」
「うーん、そっちのほうがいろいろコストがかかりそうね……」
「何ぐちゃぐちゃ言っているんだい」
「な、なんでもないわマダム・フロリーヌ。どうもありがと」
「で、これをどうするんだい」
「このりんご酵母液を、パン生地をつくるときに混ぜるのよ。これが、増幅の代わりになって、パンがふくらむから」
「……ほんとうかい?」
疑わしげなパン屋の奥さんだが、さっそくボウルを取り出している。
「ふうん、この液体がねえ……ためしてみるか」
パン屋の奥さんは、腕まくりして笑った。




