71・飾り結びは魔素の力じゃなくて、マダム・フロリーヌのセンスだったから侮れない
「ピンクのおばさん? あたしはそんなとってつけたような名前じゃないよ。ショッキングピンク・ノ・オバサンだよ」
「マダム・フロリーヌ? あたしはそんなぬるま湯みたいな名前じゃないよ。アクマ・フロリーヌだよ」
だが、どこからどう見ても、ピンクのおばさんとマダム・フロリーヌである。
「橋田さん、どういうことかしら? このひとたちは、あたしたちの知っているピンクのおばさんとマダム・フロリーヌじゃないってこと?」
「そうみたいね、残念ながら……。団地に帰る前にいた異世界と、ここは、そっくりだけどちょっと違うのよ、きっと」
「何をごちゃごちゃ言っているんだい。あたしたちの狙いはそっちの、パン屋の奥さんだよ」
ショッキングピンク・ノ・オバサンが、あごをしゃくってパン屋の奥さんを指し示す。
「増幅魔法の使い手だってウワサは、本当だったんだね。しめしめ」
アクマ・フロリーヌはにやにやと、パン屋の奥さんに近づく。
「ちょっと何するんだよ。あたしゃパン作りで忙しいんだ。魔女の相手なんかしていられるか!」
さっきまで魔女におびえていたパン屋の奥さんは、魔女もまたただのおばちゃんであることを目の当たりし、強気を取り戻したもよう。
「くう。生意気なパン屋だね。フロリーヌ、捕らえちまえ!」
「まかせろショッキング。ほほいのほいっ」
次の瞬間、パン屋の奥さんは、アクマ・フロリーヌのスカーフで後ろ手に縛られていた。
「ええっ。今、何が起きたの? 橋田さん、見えた??」
「ううん。何も見えなかった……あら! 瑞恵さん、このスカーフ、見て!」
「まあ! 素敵な飾り結びねえ。 一瞬でこんなことができちゃうなんて、マダム・フロリーヌが優秀だって言っていたワシさんの言葉は、本当だったのね」
パン屋の奥さんの両手は、振り袖に施すような華麗な帯結びで縛られていた。
スカーフのひだが幾重にもなり、花びらのような、羽根のような、パイ生地のような。
「ちょっと、あたしも見たいよ。どうなっているんだい」
パン屋の奥さんが必死に自分の後ろをのぞき込む。
「奥さんそんな雑に動いたらダメよ! 帯がほどけちゃうじゃない!」
「……いや、この場合ほどいたほうがいいんじゃないかしら……ねえ、瑞恵さん……」
「ふん。あたしの帯が、そう簡単にほどけるわけないよ」
アクマ・フロリーヌが鼻を鳴らす。
「橋田さん、マダム・フロリーヌはよっぽど着付けに自信があるみたいよ!」
「……。」
「このスカーフは、魔素に一晩漬け込んで寝かせた、とっておきの拘束具なのさ。ただのおばちゃんには、手も足も出まい」
「マソって、煮汁の一種かしら? たしかにねえ、煮物は寝かせて、冷えていくときに味がしみるもんねえ」
「瑞恵さん、マソは魔素よ。魔法の素」
「魔法の素? うま味調味料みたいなもの?」
「あんたたち、あたしに見せる気がないならさっさとほどいておくれ。なんだかだんだん、手首に食い込んで痛くなってきたよ」
パン屋の奥さんが顔をしかめている。
「あら大変。ちょっと待ってね……んんん? 全然、ほどけないわ」
帯をほどくのは簡単なはずなのに、このスカーフはそれ自体が石のように固まり、瑞恵の力をてんで受け付けない。
「だからさっきから言っているだろう。お前たちにほどけるわけないのさ」
高笑いするアクマ・フロリーヌ。
「ちょっと、マダム・フロリーヌ。自慢しいも、たいがいにしてちょうだい。さては、この飾り結びができたのはまぐれだから、ほどきたくないのね」
「な、なんだと」
「どうせなんかズルしたんでしょ。で、もう一回やってっていわれてもできないから、ほどけないように小細工しているってわけ」
瑞恵は、はあっと大袈裟にため息をつく。
「……むぅ。もう一回でも何回でも、やってくれるわい!」
アクマ・フロリーヌが口の中でもごもご何かを唱える。
「あ、ほどけた!」
刹那、パン屋の奥さんの両手は自由になった。
「あー痛かった。パン作りに支障が出たら、どうしてくれるんだい! あんたたちも、タダ働きしてもらうよ!」
「瑞恵さん、ナイス演技! アクマ・フロリーヌをうまく乗せたわねっ」
「演技? 橋田さん、何のことかしら」
「……なんでもない。結果オーライだわ」
「おいおいフロリーヌ! せっかく捕らえたのに、なんで離しちゃったんだい。あたしらのアジトまで連れて行って、増幅魔法でアレを増やしてもらわなきゃ」
「お、そうだったねショッキング。よし、もう一度……」
「なあに、ピンクのおばさんとマダム・フロリーヌは、パンを買いに来たんじゃなくて、パン屋の奥さんの増幅が狙いなの?」
「「いまさらそこかよっ」」
「パン屋の奥さんはいま、スライム仁丹しか増やせないわよ」
「「なんだって???」」
アクマ・フロリーヌとショッキングピンク・ノ・オバサンは目を見開いて、口もぽかんとあけて、鼻の穴もそれなりにふくらませて、驚きを露わにしている。
「スライム仁丹はさんざん増やしたからもういいんだよ、あたしらは」
「そうそう。たっぷりあるからね。あとはもうひとつのアレを……」
アクマ・フロリーヌとショッキングピンク・ノ・オバサンはごにょごにょ言い交わしている。
「なになに?? もうひとつのアレって、何のことよ???」
瑞恵がふたりの間に割って入り込む。
「ふふふ、アレって言うのはねえ……」
「しぃい! だめだよフロリーヌ。何あっさり、会ったばかりのおばちゃんにあたしたちの秘密を打ち明けようとしているのさ」
「おっとあぶないあぶない。なんだかこのひとには、会ったばっかりって気がしないんだよ……」
「そりゃそうよ! マダム・フロリーヌはあたしのパーティーにいたじゃない! 一緒にミスター・ブヒットをやっつけて、ヘイアンキョウに行って……」
ふいに、瑞恵の目にもりもり涙が浮かんできた。
「一緒に、石化したしゅらいむちゃんたちを助けて……ハモウナギを食べて……」
アクマ・フロリーヌが、瑞恵をじっと見つめる。
「橋田さんは、あたしたちの知っているマダム・フロリーヌと、ここの世界のあなたは違うって言うけれど……そんなかんたんに、割り切れないわ。マダム・フロリーヌが悪い魔女と呼ばれているなんて、あたしは、あたしは、悲しいわ」
「……ミズエ……マダム・ミズエだね、あんた……」
「マダム・フロリーヌ! 思い出してくれたのね!!」




