55・乙女のリュックは秘密の宝庫。焼きのり、梅干し、あぶりたらこ……ここから先は、ちょっと言えない!
「さてと、じゃあまずはハモうなぎたちを、シメなきゃねー」
鍋のなかでにゅるにゅるうごめくハモうなぎを見て、瑞恵はにんまりする。
「あ、瑞恵さんのお料理スイッチが入った」
「ありゃ別名、残虐スイッチじゃないかい?」
橋田さんとマダム・フロリーヌは、ひそひそ言い交わし一歩下がる。
「瑞恵おばさん、最初はぼくにまかせて」
瑞恵が腰に差した出刃包丁を取りだそうとするのを、カズが制した。
「そうか、団地のウナギやハモとは、違うシメ方をするのかしら」
瑞恵はおとなしくカズに、鍋を譲る。
「まずは、沈静の魔法をかけて、おとなしくさせるんだよ」
カズ右手をかざすと、
「あらまあ! みんな寝ちゃった!!」
ひたすらうなうな動いていたハモうなぎたちが、すっかりおとなしくなり、すやすや寝息を立てている。
「か、かわいい……」
なかには鼻ちょうちんをくっつけたり、横向きに丸まったり、愛らしい寝顔を見せるハモうなぎもいる。
「瑞恵おばさん、さあどうぞ」
カズ、満面の笑み。
「マダム・ミズエ、何してるんだい。どんどんシメなきゃ。沈静の魔法は、そう長続きしないもんだよ」
「うーん……ぬるぬる暴れ回るやつは、こっちも必死でシメるんだけど……寝込みを襲うのはなんだかねえ……」
「せっかくぼくが、魔法をかけたのに……」
カズがいじましげにうつむく。
「ああ、ごめんごめん。そうよね。まあ、スーパーの魚もみんな永遠に寝ているし、似たようなもんね」
瑞恵が慌ててとりなす。
おばちゃんの良心をくすぐるかわいいハモうなぎとかわいいカズ対決、カズの勝ちである。
うつむいたカズと、ニコラが目を合わせて、にやりと頷くのを橋田さんは見逃さなかった。
(はやくもカズまで、瑞恵さんの取り扱いを学んでいるわ……)
「そうと決まればじゃんじゃんシメる! シメたあとは、開いて骨切りでいいのよね?」
「骨切り? ハモうなぎに、骨なんてあるの?」
「え? ないの? いやあるわよ、これは骨切りしないと」
瑞恵は開いたハモうなぎを前に、首をかしげる。
「それにしても、あたまのほうは脂が乗っていて、尾っぽのほうは淡泊な感じね」
「瑞恵さん、つまり上のほうがうなぎ、下のほうがハモの味ってことかしら」
「きっとそうね。すごく分かりやすくて、あたしたち向きの魚ね」
おしゃべりしながらも瑞恵の手は、一寸に25本と言われる細かい骨切りを施していく。
団地のおばちゃんの職人芸に、ピンクのおばさんとおじさんも、目を奪われている。
「ところで、何をしているんだい? ハモうなぎに、彫刻でもしてるのかい?」
拍手しながら、ピンクのおばさんがマダム・フロリーヌに尋ねる。
「骨切りっていうらしいよ。まあ、団地の人ってのは、ちまちましたことに本当によく気づくんだよ」
「ふうん。ひまなの?」
「あたしも最初はそう思ったけどね。どうもそうじゃなくて、あのひとたちがちまちましたことを気に掛けてくれるから、団地ってとこは居心地がいいんだよ。誰も追放したりしないしさ」
「ちょっとー、マダム・フロリーヌとピンクのおばさーん。粉と卵、用意してくれない? ハモ部分は、天ぷらにするからー」
「はいはい、わかったよー。とっておきの、ミヤコドリの卵を取ってくるよ」
めんどくさそうに答えるピンクのおばさんだが、ピンクの髪が、楽しそうにぴょこぴょこ跳ねている。
「瑞恵さん、うなぎ部分はやっぱり、蒲焼きにするの?」
「白焼きにしようと思って。こんなぷりぷりでおいしそうなうなぎ、見たことないから。濃い味にしなくても、いけると思うのよね」
「いいわねー。ハモの天ぷらにウナギの白焼き、団地のひとみんな呼びたくなっちゃうわねえ」
「ねえ。あ、橋田さん、湯引きにしたハモにのせる、梅干し刻んでおいてくれる? 梅干し、ニコラが隠し持っているはずだから」
「……この包丁で?」
橋田さんが、装備の皮剝ぎ包丁をぬっと抜く。
「やっだあ橋田さん。それ、イノシシとかの皮剝ぐ包丁よ。なんでそんなの持ってきたのよ」
「なんでって、瑞恵さんがあたしはこれって、持たせたんじゃない」
「そうだっけ!?」
「そうよ。もう、一体何と戦うつもりだったのよ」
「橋田おばさん、その剣、どこの鍛冶屋でつくったの! めちゃくちゃ魔力がありそう!」
カズが目を輝かせて駆け寄ってくる。
「あら、そうなの。このカーブしたかたちは確かに、物語の剣っぽいかな」
「いいなあ。ぼくの装備品で気に入ったものがあれば、交換してほしいくらいだよ」
「瑞恵さーん、カズが、この包丁ほしいんだってー。あげてもいい?」
「橋田さん、だめよ! 子どもに皮剝ぎ包丁なんて! まずは手に合った三徳包丁から!」
「だそうです」
「マダム・ミズエ! 天ぷらの油は、これでいいのかい?」
「そうよー。いやー、ごま油を持ってきたかいがあったわ! ほら、どうですみなさん、このいい香り!!」
粉をはたいたハモに、衣をくぐらせ、熱した油にそっと入れる。
とたんにぱちぱちと大盛り上がりをみせる、ごきげんなごま油。
「ニコラ、あぶないから離れてなさいよ。まちがってもこの鍋からつまみ食いしちゃだめよっ。……って、あれ? ニコラ?」
「そういえば、どこ行ったのかしら。このおいしそうな香りに、あの子が寄ってこないわけないのに……」
橋田さんの横顔が、にわかに心配そうに曇る。
「「ニコラー。どこいったのー。返事しなさーい」」
「ねえ橋田さん、そういえば、はらぐろ・みどり・ばんそこもいないわね」
「瑞恵さん、あたし探してくるわ」
瑞恵と橋田さんの顔に焦りがにじむ。
「もしかして、モンスターに食べられたんじゃ……」
橋田さんの震える声に、
「もしかして、モンスターを食べているんじゃ……」
瑞恵の声が重なり、ふたりはお互いを見つめる。
「ミズエー、ハシダー、ニコラ、おなかすいた」
瑞恵と橋田さんが逆方向の心配をしていると、当の心配の種が、とてとて戻ってきた。
「「ニコラ!! 心配したのよ!!」」
「ニコラも、ミズエとハシダのこと、いつもしんぱいしているよ」
「もう、本当に減らず口ね! あ、ニコラのリュックから梅干し出してちょうだい。ちょっと使うから」
「……だめっ」
「どうしてよ。そんなけちんぼ、ひとりじめしたらだめでしょ」
瑞恵が怖い顔をしてみせても、ニコラは背負ったリュックの肩紐をぎゅっとつかんで、離さない。
「ニコラ、まずはリュック置いたら? ずいぶん重そうね。持ってきた塩は、使い切ったのに……」
橋田さんがやさしくなだめるも、
「……だめっ」
ニコラはリュックを下ろさない。そのうえなぜか、はらぐろ・みどり・ばんそこが、リュックをガードするように、まわりをぷにぷに跳びはねている。
「変な子。重いのずっと背負って、腰痛になっても知りませんからね」
「ニコラ、ミズエとちがって、わかいから、だいじょうぶ」
ニコラはリュックの重みによろけながら、つーんとすましてみせる。
「じゃあまずはとにかく、天ぷらと白焼き、いただきましょうか!!」
立ちこめるいい匂いが、小さないざこざをあっちに押しやった。




