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5・異世界は中世のヨーロッパらしい、との知識を仕入れたが最終的に誤った認識に至ってでも満足してお茶を飲む。

「さてと。じゃあ私はごはんをつくるか」


冷蔵庫が変わらず動いているのは幸いだった。


瑞恵は料理の腕を生かして公民館などで教室も開いている。


外出自粛で今はそれも取りやめになっているが、食材のストックは豊富にある。


下ごしらえして冷凍した魚や肉、豆のペーストに果物のジュレ、それらが無駄なく使えると思うと、大変心強い。


「まあ、どの土地にも野菜と穀物はあるだろうし。なんとかなるでしょ」


とりあえず、冷蔵庫の中にある、傷みやすそうなものから調理してしまおう。


「キャベツの残りと、豚バラと……」


橋田さんとなら、普段のおかずでいいのが心易い。


瑞恵はキャベツの芯を削ぎ、葉を一口大にちぎる。大皿にのせてラップをふわりとかぶせたら、レンチン4分。


「よかった、電子レンジも使えるわ!」


その間に豚バラを4センチ幅に切り、にんにく一かけを薄切りに、冷凍庫から小口切りにして保存してあるトウガラシを取り出す。味噌としょうゆと砂糖を混ぜる。


「ガスも大丈夫だったわよね」


フライパンにごま油を熱し、にんにくを炒めて香りが立ったらトウガラシと豚肉を投入。


レンチンしたキャベツを加え、合わせ調味料を入れて手早く炒める。


「はい、できあがり」


ものの10分で、和風回鍋肉の完成だ。


冷凍してある炊き込みごはんを温め、冷蔵庫のタッパーから、長いもの浅漬けと小アジの南蛮漬けを小皿に盛る。


「うわーいいにおいー」


戻ってきた橋田さんが歓声を上げる。


「本当に、ありものでごめんなさいね」


「何言っているのよ。感謝感謝。ほんの一瞬で御夕飯作っちゃうなんて」


「あ、汁物がないわ」


「私なら気にしないで。もう、いいにおいが我慢できない」


ダイニングに向き合い、2人は箸を手に取る。


「いただきまーす」

「いただきまーす」


2人揃って、湯気の立ちのぼる和風回鍋肉に箸を伸ばす。


「おいしいー。瑞恵さん、ほんとすごいわ」


「何もすごいことないわよ。キャベツと豚肉炒めただけ」


「キャベツが全然水っぽくない。炒めものしているとどうしても、べちゃっとなるのよね」


「キャベツを最初にレンジでチンして、熱を入れておくの。そうすると、あとはざっと強火で炒めればいいから」


「なるほどねー」


「こうやって一緒にご飯食べるの、本当に久しぶりよね」


「ねえ。私たち転移して、ラッキーだったかもね」


「そうそう、転移よ転移。創太くんの部屋に、参考書あった?」


「あったあった。創太の部屋にも、夫の部屋にもあって驚いちゃった。部屋って言うのは、主が消えても残しておくものね」


瑞恵は刹那、言葉に詰まる。


橋田さんの旦那さんは、5年前に蒸発している。


ある日突然、いなくなってしまったのだ。


いつも通りに朝、会社に向かったはずの足取りが、杳として知れない。


「私ね、思うの」


橋田さんがちょっと真面目な顔で切り出す。


「え、なにを」

「もしかしたら夫も、異世界に召喚されたんじゃないかしらって」


蒸発した人が、異世界にいる。


そんな考えは、現実逃避、としか思えない。


昨日までの、瑞恵なら。

でも、今は。

それが、瑞恵自身の現実になっている。


「……確かにその可能性は、あるわよねえ。私たちだって、転移しちゃったし」


「でしょ。だったら私、もしかして、夫に会えるんじゃないかしら」


「そうだといいけど……。でも、私たちのいる異世界と、旦那さんが召喚された異世界って、同じなのかしら」


「私も、そこが疑問なんだけど。この本を見るとね、どの異世界もずいぶん似通っているのよ」


「へえ。違う作者の本なんでしょ?」


「そうなのよ。違う人が書いているのに、異世界っていうのには、共通認識があるみたいなの」

 

瑞恵は、橋田さんが抱えてきたうちの一冊を手に取る。


「どれも漫画みたいな装丁ね」


「そういうところも、似ているでしょ」


「確かに」


読みはじめるなり、瑞恵は眉をひそめた。


「ねえ、始まってすぐに、トラックにひかれているけど」


「だいたい、最初の数ページで死んだり召喚されたりして、異世界に行くのよ」


「ふうん」


どうも、物語の舞台は中世のヨーロッパのようだ。


お城があり、商人のギルドがあり、貴族がいて。一方で瑞恵には見慣れない言葉もちりばめられている。


「魔法はなんとなく分かるとして、ステータスっていうのはなんのこと? 身分のことじゃないわよね」


「私も詳しくないけど、ゲームに関係する言葉じゃないかしら」


分からない言葉もまた、どの本にも共通して登場するあたり、やっぱり「異世界」はひとつなのかもしれない。


「橋田さん、ご主人、異世界にいるんじゃないかしら」


「ね、そう思えてくるでしょ」


「薬を持って帰る事も大事だけど、いざとなったら橋田さんはご主人を優先していいからね」


「それは……でも……」


「うちの夫は、病気で亡くなったから。薬を手に入れることが、私にとっては夫を助けることにつながっているような気がするの」


「瑞恵さん……」


ふたりはちょっとしんみりしてしまう。


「チーズケーキも食べましょう。さっきお茶が途中だったわ」


瑞恵はさっと立ち上げる。夜に、湿っぽい話は禁物だ。


しんみりしていては、私たちはかんたんに、過去に引きずり込まれてしまう。


うずくまって、自分を哀れんで、思い出に浸る。そういう時間は、甘美ですらある。


でも、今は。そのときじゃない。

何せ明日から、異世界の戦火をかいくぐって、治療薬を手に入れる旅がはじまるのだ。


「異世界が、中世のヨーロッパっぽいところと仮定すると、戦争は一体どことどこが、どんな戦いをしているのかしらねえ」


橋田さんにケーキとミルクティーをすすめながら、瑞恵はふと口にする。


「さっき電話で、ここは異世界の中立地帯だって言っていたじゃない? 私はさ、中立って聞くとスイスを思い浮かべるのよね」


チーズケーキの味を確かめるように一口ほお張り、橋田さんはつぶやく。


「永世中立国って、習ったわよね」


「そうそう。で、さっきの電話でさ、ボクさんが『国境こえて、海を渡って』って言っていたじゃない」


「そうだっけ?」


「そうよ。私、年の割には記憶力いいの」


「橋田さんがいてくれて良かったわ。私は、三歩歩いたら忘れる」


「で、これも単純なインスピレーションなんだけど、海を渡るってことはさ、大陸からイギリスに行くってことなんじゃないかしら」


「あ! 昔、テレビでやっていたわよね。ドーバー海峡を泳いで渡るって!」


「そうそう。フランスのカレーと、イギリスのドーバー。ここを渡るのが、なんかヨーロッパっぽくない?」


「なるほどねえ。そうすると、私たちはスイスからフランスを通ってイギリスに行くわけね。戦火を交えているのは、イギリスとフランスになるの?」


「どうなのかしら」


「百年戦争って、イギリスとフランスだったわよね」


「あら、瑞恵さん記憶力いいじゃない!」


「ふふ、世界史は割と好きだったのよ。でも他にも、英仏戦争っていっぱいあった気がするわ」


「近代の戦争だと、イギリスとフランスは一緒に戦ったわよね」


「そうすると、ドイツ軍が攻撃してくるの?」


「どうなのかしら。どの本にも、そのへんはちゃんと書いてないのよね。国の名前も適当だし」


「全く困ったもんね。おばちゃんにも分かるように、きちんと説明してほしいわ」


ぷりぷりしながら、2人はいつのまにかふた切れ目のチーズケーキに突入している。


「まあとにかく、フランスからイギリスに行くってつもりで旅の支度をしましょうか」


「そうしましょ。あー決まってすっきりしたわ。旅先によって、持っていくもの変わるものね」


「橋田さん、お茶のおかわりいるー?」


「お願いしまーす」


こうして、異世界1日目の夜は更けていった。


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