47・青は食べ物の色じゃないはずなのに青リンゴっていうのはなぜかおいしそうな響き。
勢いよくギルドを飛び出したは良いけれど、
「あたし、地図って苦手なのよね……」
ピンクのひげのおじさんからもらった依頼書には、読めない文字と大ざっぱな地形が記されているだけだ。
「橋田さん、カルチャーで地図の読み方は習わなかった?」
「うーん、古地図を使って町歩きをするのは一回参加したことがあるけど、あたし出歩くより、部屋にいるほうが好きなのよねえ」
「そうよねえ。あたしたち、だから気が合うのねえ」
「マダム・ミズエ、その紙をあたしにお渡し。言っただろう、あたしはこの森の経験者だって」
「さすがマダム・フロリーヌ! だてに追放されていない!」
「にくらしいったらありゃしないねえ、マダム・ミズエの言い草は。……ふんふん、こりゃ海の湖畔のそばだね。そんなに遠くないよ」
「海の湖畔?」
「しょっぱい湖があってね。ここにしかいない不思議な生き物がちゃぷちゃぷしているのさ」
「しょっぱい湖かあ。まさかまた、水を沸騰させて、にがりを作って、豆腐をこしらえるはめになるんじゃ……」
「瑞恵さん、心配しなくても大丈夫よ。瑞恵さんが豆腐を作ろうとしなければいいだけの話よ」
「そうね。だいたいここには、大豆がなさそうだし」
「ミズエー、あれ、とってー」
ニコラが腕をのばし、ぴょこぴょこ跳びはねる。
「あの、あおいやつ。ニコラ、あれたべたい」
瑞恵が見上げると、頭上の木々に真っ青な実がなっている。
「ええええーー、青は食べ物の色じゃないわよ。お腹壊しそう」
「ほしい、ほしい、あのみがほしい」
「ニコラ、あれはきっと、ニコラの好みの味じゃないわよ。あんたは焼きのり食べていなさい」
「マダム・ミズエ、その真っ黒のぱりぱりだって、あたしに言わせれば食べ物にゃあ見えないよ。どれ、あたしが突っついて、採ってあげよう」
棒きれでもつんつんするのかと思ったら、
「「きゃああああ!!!」」
マダム・フロリーヌは牛刀を抜いた。
「きゃあってこたあ、ないだろうよ。マダム・ミズエ、あんたがあたしに持たせた装備じゃないかい」
「そうだけど、キッチン以外で刃物をみると反射的に悲鳴が!」
「……つくづく冒険に向かないねえ。ほれよっと」
マダム・フロリーヌが弾みをつけて飛び上がると、細いからだが軽やかに宙を舞い、牛刀の先に青い実がひとつ、玉飾りのようにちょんと刺さった。
「マダム・フロリーヌ、かっこいい! さすが元踊り子!!」
瑞恵と橋田さんは思わず手を叩き、大はしゃぎ。
「ほれニコラ、はいどうぞ」
ニコラがぷくぷくした手を伸ばす。
「ぱくっ」
もちろん瑞恵は、後先考えないニコラが、止める間もなく青い実にかぶりついた音だと思った。
「うわーーーん。いたいよぅーーーー」
ところが直後、泣き声が森に響く。
「どうしたのニコラ! 何が痛いの??」
「あおいみが、ニコラをたべたよぅーーー」
ニコラが差し出す小さな小さな小指に、うっすら血がにじんでいる。
「まあ、なんてこと! 青い実め、ニコラに何すんの!!」
「瑞恵さん、落ち着いて。青い実がニコラを食べるなんて、そんなこと……トゲでも刺さったんじゃない?」
救急箱から消毒液を取り出しながら、橋田さんが常識的見解を述べる。
「……橋田さん、ここは剣と魔法の国よ。この青い実、よーく見て。ちゃんと目鼻立ちがあるわ」
「うーん……あたしには、よく分からないけど……」
「うわ、小ざかしい実ね! おすまししちゃって! さっきまで、いかにもいたずらそうに目をぱちくりさせていたのよ」
「マダム・ミズエ、よし、わかった。じゃあこの実は、このまま真っ二つに破壊しよう」
マダム・フロリーヌがそう言って剣を振りかざすと、
「うきゃっ」
青い実が、目を見開き、かすかに悲鳴を上げた。
「ほらやっぱり!! 目も口もあった!! ちょっと青い実、あんた名前はなんていうの!」
「瑞恵さん、なんでまず名前聞くの……?」
「そりゃあ、よそんちの子叱るときに、まずは名前を知らないと。『そこの子ども!』って怒ったんじゃ、単に邪険にしているみたいじゃない」
「まあ、そうね……これ、実だけど……子どもじゃないけど……」
「ほら、お名前は? お口があるんだから、言えるでしょ?」
「……しゅらいむ……」
青い実が、消え入りそうな声で告げた。
「しゅらいむちゃんね。あのね、お友だちの指を噛んだりしたらだめよ。ニコラを見てご覧なさい。もう痛くないはずなのに、まだめそめそしているでしょ」
「……だって、あのこ……ぼくを、たべようと、した……」
「確かに……」
しゅらいむちゃんにしてみれば、正当防衛だ。
「あたしたちにとっては、実ってやつは食べ物なんだけど、しゅらいむちゃんにとって、ニコラは食べ物?」
「たぶん、ちがう」
「じゃあやっぱり、食べられても噛んじゃダメよ」
「……??……う、うん……」
「瑞恵さん、意思疎通ができちゃったら、あたしたちもその子を食べるわけにいかないわ」
「そうねえ。困ったわ。この国のいろんなものが、みんなこんな調子だったらどうしよう。食べ物がなくなっちゃうわ」
「マダム・ミズエ、だから名前なんか聞く前に、八つ割りにしておいしくいただけばよかったんだよ」
「ねえ、しゅらいむちゃん。この木になっている青い実は、みんな、しゅらいむちゃんみたいにおしゃべりできるの?」
「ううん。ほとんどは、せきか、している」
「せきか?」
「瑞恵さん、石化、かしら。よく魔法であるわ。石になっちゃうってやつ」
「それじゃ、しゃべれるか、石か、どっちかってこと? つまり、どっちも、食べられないってこと?」
「……そうなるわね」
「ほらニコラ、やっぱり青は食べ物の色じゃないのよ。いいかげん泣きやみなさい。そんなに強く噛まれてないでしょ。っていうかもうすでに、うそ泣きでしょ」
「ちっ、ばれたか」
「ぼくも、もうすぐ、せきかしちゃうんだ……」
しゅらいむちゃんの目から、瞳よりも大粒の涙がこぼれた。
「え、どうして」
「じょしゅらいむざいを、あびたから……ぼうけんしゃが、まいたんだ……」
「じょしゅらいむざい? 橋田さん、何のことか分かる?」
「除草剤みたいなもんかしら?」
「しゅらいむちゃん、あたしたち、あなたを助けてあげることが、できるかしら」
「わからないけど……こうやって、てのなかにいると、かたまらない……」
確かに瑞恵の手の中で、しゅらいむちゃんは心なしか、弾力を取り戻している感じがする。
「よし、じゃあおばちゃんが、あなたをおむすびだと思って、こうやって握っておいてあげるから。いっしょに、海の湖畔ってとこに行きましょう」
「うみの、こはん? ぼくのなかまが、いるところだよ」
「あらそうなの。じゃあ、ちょうどいいわね」
「ミズエー、おむすび、たべたい」
ニコラがじっとりと、瑞恵の手の中のしゅらいむちゃんを見つめている。
「……ニコラ、これはおむすびじゃないわよ。しゅらいむちゃんよ。あんたも分かっているでしょ。しゅらいむちゃんを、怖がらせないの」
「ちっ、ばれたか」
 




