4・まだ団地から出ていません。
「ちょっと、ワシさん、そこにいるの?」
瑞恵は声を張り上げる。
『イエス、アイムヒア』
「それ、日本語じゃないわよ」
『なんとまあ驚き桃の木山椒の木!』
「どうでもいいけど、さっきスキルがどうとか言っていたじゃない。それ、いただいてからそちらに向かうわ」
『それには及びませぬ。あんたのコミュニケーション能力、コミュニティー形成及び円滑運営能力はマックス。さらにそれらの「コミュ力」を基盤に発する「情」は、優しさ・おせっかい・図々しさのSOZ三段活用が可能と来ている』
「なに言っているのか全然わかんないわよ。そんなんじゃねえ、おばちゃん、怖くて一歩も動けないわ!」
瑞恵は内心、早く出かけてみたいのだがあえて言ってみる。
『なに! 一歩も動けないだと』
「そうよう。私たち、慎重なの。しかももう夜でしょ。どっちにしろきょうは出かけられないから、さっさとスキルっていうのを渡しなさい」
『ふうむ。そうは言ってもなあ。変に戦闘力を高めると、他の能力と衝突しかねない……。ところで、お主がほしいスキルは何だ』
「ねえ橋田さん。ワシさん、こう言ってるけどどう思う?」
「ほしいスキルがもらえるなら、もらっといたほうがいいわよねえ」
「そもそもスキルって何? 家事スキルとかそういうこと?」
「もうちょっと、魔法みたいな、非現実的なものだったと思うわ、この場合」
「魔法!? テクマクマヤコンみたいな? 変身できちゃうわけ??」
「しようと思えばできるけど。今更ひみつのアッコちゃんになってもしょうがないわよねえ」
「ほんと、だったら50年前に来てほしかったわ」
「50年!半世紀よ」
『……おい、また、全部そっちのけになっているぞ』
「あ、ごめんなさい」
ホホホと笑ってごまかし瑞恵は思案する。
ワシさんの話が本当なら、これから長い旅に出ることになる。
旅をしているとき、いつも思うこと、感じる不便はなんだろうと。
「……帰りたい……」
そう。どんな楽しい旅でも、ふとした瞬間瑞恵は、自分の暮らす団地を思い出す。
ちょうどよい広さで、家族のぬくもりが染み込んでいて、気心の知れた友達がいる、自分の居場所を思い出し、「あーはやく帰りたい」と思ってしまうのだ。
「私、この団地に、いつでも戻れるスキルがほしいわ」
『ほっほーう。なるほどなるほど』
「中立地帯は、安全なんでしょ? この団地も、壊れたり消えたりしないわよね?」
『ああ。この団地は、召喚時の機能が保持される。通信関係は転移不可能だったが、あーほら、あんたたちが食べ物でパンパンにしているその、白い箱なんかは来たときのまんま、きちんと動いているだろう?』
「あ、ほんとだ! よかったわあ。チーズケーキも冷やしておこう」
瑞恵は切り分けてお皿に盛ったままのケーキにラップし、冷蔵庫に入れた。
「ねえ瑞恵さん。いつでも戻ってこられるのはいいけど、そうしたら初めから旅がやり直しになっちゃわない?」
「それは困るわ。夜寝るときには団地に帰ってきて、次の日の朝、また旅の途中に戻れるのが理想よね」
「やっぱり自分の布団が一番落ち着くものね」
「外食続くと、体調も崩しやすくなるし」
『そんな都合良く行ったり来たりできるわけないだろう!』
ワシの声が、あきれ果てている。
「なあんだ。何でもできるのかと思ったら、意外と融通きかないのねえ。」
『むむっ。じゃあ、こうしよう。土地土地に、セーブポイントを設ける。ポイントまで行けば、団地に戻って、またセーブ地点から旅の続きを始められるようにしよう』
「あ! 創太がやっているゲームで、そういうのがあったわ!」
橋田さんがポンと手を打つ。
「へえ。ゲームってうまくできているのね」
「そうじゃないと、あの子たち一生ゲームやり続けるからね」
『じゃあそういうことで。さっさと出発してくれたまえ』
「だからきょうはもう休むってば。こんなに暗くちゃどうしようもないわ」
『……もういい。好きにするがよい。ただ、事態は一刻を争うこと、ゆめゆめ忘れるな』
「はいはい。じゃあおやすみなさい。ワシさんも、ゆっくり休みなさいね」
『……おやすみなさい』
スピーカーの向こうの、気配が消える。
「ねえ橋田さん」
「なあに」
「おやすみなさいって言ったけど、私たち夕飯まだよね」
「そうよ。そもそも、転移前はお茶の時間だったもの」
「私、なんか作るわね。ありもので悪いけど」
「何言ってるの。瑞恵さんのおかずが1品加わるだけで、うちの食卓がどれだけランクアップするか」
「ランクアップだって。橋田さん、ゲームのなかの人みたい」
「こういうときに創太がいたら、色々理解しやすいんだけどねえ」
「創太くんにラインしてみたら……あ、通信は転移できなかったって言っていたわね、ワシさんが」
「参ったわねえ。私たちが薬を持って帰らなきゃ、子どもにも会えないってことか」
「まあ、難しいことは、ごはん食べながら考えましょ」
「そうね。あ、私ちょっと家に戻って、創太の部屋みてくるわ。『異世界転移』とか『転生したらナントカだった』とか、そういう本がたくさんあったはず。参考になるかも」
「ナイスアイデアね、それ!」
橋田さんはパタパタと、お隣の302号室、徒歩3秒の自宅に戻った。




