39・豆腐の水切りには電子レンジが便利だよ。1時間かかることが1分で終わる!インスタントな愛、ばんざい!
和歌をしたためる高子姫の横顔は真剣そのもので、瑞恵は娘の瑞生が受験勉強をしていた姿を思い出す。
夜食にうどんでも持っていってあげようかしら、と気を利かせると「夜中にこんな太るもん食べられない!」と情緒不安定な娘は突然、怒りだしたりした。
「あれが中二病ってやつだったのね……いや、もう中三か……」
「瑞恵さん、なにごにょごにょ言っているの? 瑞恵さんも、歌を思いついたの?」
「ねえ橋田さん。あたしも歌わなきゃならないの? 本当に? 和歌よりはまだ、カラオケのほうが自信あるんだけど」
「そりゃあ瑞恵さんがこのパーティーの代表なんだから、瑞恵さんに詠んでもらわなきゃ!」
「橋田さん、本当は詠みたいでしょ? カルチャーの成果を披露したいでしょ? あたしの代わりに詠んでよ」
橋田さんはまんざらでもなさそうな顔をしている。よし、もうひと押しだ。
「瑞恵殿、橋田殿、お静かに。高子様がお詠みになります」
ヤスコちゃんがおばちゃんふたりをきっとにらむ。
ヤスコちゃんにとって、高子姫は業平をめぐる恋のライバルであることが、そういう話題が大好きなおばちゃんふたりにはとっくに知れている。
ヤスコちゃんにはそれでいて、素敵なおねえさんである高子への、憧れもあり。
自らと高子姫の身分を比べての、嫉妬もあり。
いろいろ言葉にできない気持ちが混ざって、ものすごーく意識している。
「雪のうちに 君は来にけり おとうふの こぼれる温み いまやとくらむ」
凛とした高子姫の声が、庭に響く。
一同、しばしの時をおいて、ほおっとため息をつく。
「え! ちょっと橋田さん見て。業平さん、泣いているわよ!!」
「ああ、確かに業平さんは、感極まるかもね。……まあ、これだけで泣くのは、映画の予告編を見て泣くような感じもするけれど……」
「橋田さん、いまの高子ちゃんの歌はどういう意味なの?」
「まだ雪が残っているうちに君はやって来たのですね。あつあつのお豆腐も、いまはさめていることでしょうか」
「……すいません、もう少し分かりやすくお願いします」
「この歌では、お豆腐の白さを雪に見立てて、さめたお豆腐を恋心に見立てています」
「はい! 豆腐は雪でも恋でもなく、食べ物だと思います!」
「……。かんたんに言うと、せっかく豆腐が残っているうちに来た君だけど、わたしの気持ちのおいしいところはもう過ぎてしまったわ、って意味ね」
「ふううん。まあ、恋心は冷めたら終わりだろうけど、豆腐は違うわよ。できたてのほかほかがさめたなら、冷ややっこにすればいいじゃない。豆腐のすばらしいところは、湯豆腐にしてもやっこにしても、おいしいってところよ」
「瑞恵さん、そのとおり。この歌の隠れたメッセージも、そこなのよ」
「ん? どういうこと?」
「基経さんたちに振る舞ったのは、冷ました豆腐でしょ。それがおいしいことを、みなさんちゃんと知っている。だからこの歌は、『あつあつを過ぎたものも、それはそれでいいものですけれど』っていう、裏メッセージも秘めているわけ」
「へええ。今ここにいるからこそ、伝わるのね」
「高子ちゃんは、業平さんが自分を好きなことを知っている。でもそれに、ほいほい応えたんじゃ面白くない。無下にするのでもなく、絶妙に男の人をあしらうのが、女性にとって歌の腕の見せ所なのよ」
「なんて悪い子! わかった、これが小悪魔ってやつね!!」
「瑞恵さん、よく知っているわね! すごいわ!!」
「橋田さん、あたしも小悪魔になりたい! 歌、詠みたい!!」
「ミズエは、こあくまより、こぶとり、だねえ」
「小太り!? ちょっとニコラ、そんな言葉どこでおぼえたのよ!」
「ミズエがいってたよ。わたしはふとってないもん、こぶとりだもんって」
「瑞恵さん、せっかくだから『小太り』と、こぶ取りじいさんの『瘤取り』をかけた歌を詠んでみたら?」
「橋田さんまで、ひどい! こぶとりひっかけて、どうやって小悪魔な歌が詠めるのよ! だいたい豆腐、関係ないし」
「豆腐の角にあたまぶつけて死んじまえって悪口が、なかったっけ?」
「あ、たしかに。豆腐とこぶ、ちょっと関係あるかも! ……って、いやよそんな歌!」
瑞恵と橋田さんのヘイアンキョウ史上最もどうでもいい和歌談義を、ヤスコちゃんが冷やかな目で見つめる。
「ヤスコちゃんは、冷ややっこを歌ったほうがいいわねえ……あの顔は、湯豆腐じゃない……」
「高子殿、素晴らしい歌でございます……業平は、いったいどのような返歌をしたらよろしいのか……」
「あら業平殿、別に、あなたさまにお贈りしたわけじゃ、ございませんのよ」
「橋田さん、なんだかあたし、昼のドラマ見ている気分になってきたわ……。あの、わりとドロドロしている系の……」
「ほんとねえ。リアル昼ドラねえ」
「では次は、わたくしが」
ヤスコちゃんが幼さ残る潔癖な目で、一同を見渡した。




