38・符丁、そして伏線回収。オタクの好きなものはヘイアンキョウの貴族も大好物。
「これはこれは基経殿…トーフを歌うとはまた、奇なる思いつきを……」
豆腐をさんざんむしゃむしゃ食べていたくせに、業平はうっすらとがめるように言う。
「兄上殿。いくらトーフがお気に入りだからといって、歌会の題としては、はしたなく存じます」
高子姫がぴしゃりと断じる。
「ねえヤスコちゃん。業平さんも高子ちゃんも、なんでいきなり豆腐反対派に回るの? ふたりとも、豆腐好きじゃない」
「……食べものを歌うのは、雅ではありませぬ。もともと、食べるということそのものが、雅ではありませぬから……」
「なまなましいのは、ダメってことか。なんかヘイアンキョウのお貴族さんたちは、トイレにいかないと信じられていた昔のアイドルみたいねえ」
「皆の者、今さらなにを。雪のように白くなめらかなトーフは、花や野や女人の美しさにも負けず劣らず。よろしいではないか」
基経は、みんなをぎょろりとにらむ。さすがは時の権力者・藤原氏の一族、言い出したらきかない。
「ほっほ、基経殿のおっしゃるとおりです。業平殿、トーフの白さに美しき女人を、しっとりとしたやわらかさにその肌を、思ったのではありませぬか」
融殿が、場をなごませるように言う。そのさりげない社交の才に、業平も調子を合わせる。
「融殿、姫君たちの前でかようなこと……たしかにトーフは、ほかの食物とはちがう、高貴な輝きをもっておりますね……花を歌うように、トーフを歌いましょうか」
「ニコラ、トーフより、そばがいいーー」
「こらニコラ、なんかようやく話がまとまったみたいなんだから、邪魔しないの!」
「そばがいいー!そばがいいー!」
「ニコラ殿、そばというのはこちらの、椀に入っているものですね?」
融さんが自分のお膳を指し示す。
ニコラがお膳をのぞきこみ、こっくり頷く。
「ミズエー、おじさんたちには、そば、ちょっとしかあげなかったんだねえ。ちいちゃい、うつわだもん」
「しーーー!! あんたたちがむしゃむしゃ食べるから、なくなっちゃったんじゃない。あたしは蕎麦打ちはあんまり得意じゃないの。余計なこと言っちゃだめ!」
「なるほどなるほど、こちらがそば……」
「……とおるさん、そばはね、こうやってお椀でつるっと食べて、おしまいな食べ物なの。そこんとこよろしく」
「瑞恵さん、わんこそばを、そばの標準にするつもりね。いいと思うわ」
橋田さんも、この期に及んで蕎麦打ちまでさせられるのは勘弁らしい。
「基経殿、ではわたしから詠んでもよろしいでしょうか」
トーフとそば、視線を行ったり来たりさせていた融さんが、にっこりと言う。
「おお、もちろん。紙と筆はそこに」
融さんが、つつと筆を手に取り、さらさらと書きつける。
その優雅な様子にはっとしたように、胸をおさえる橋田さんを、瑞恵は見た。
「おとうふに しのぶすりこ木 誰ゆえに 乱れ摺りしに われなららくに」
融さんが歌を詠みあげる。
しばしの沈黙。
「……融殿! さすがでございますなあ。しのぶすりこ木とは、なんとまあ」
基経が感嘆の溜息とともに、称賛する。
業平さんも高子姫もヤスコちゃんも、うんうんと深く頷く。
ぽっかーんとしているのは瑞恵と、ニコラだけだ。
「橋田さん! 橋田さんまで、あちら側の感性を共有している!! 今の歌のなにがすごいの? っていうか、どういう意味?」
カルチャースクールで和歌をたしなんでいるという衝撃の事実が発覚した橋田さんは、夢見心地の顔をしている。
「豆腐作るときに、すりこ木で大豆をすりつぶしたでしょ。その時のことを歌っているのよ。お豆腐には、すりこ木で大豆を摺った労苦がしのんでいる。誰のために、そんなに乱れ摺るのでしょう、私ならもっと楽に摺りますよ、と」
「大豆を、めっためたの、どっろどろにした話を、歌っている、と」
「この歌のすごさはね、『すりこ木』が、まるでそういう名前の木があるかのように感じられることなのよ。すりこ木の影にしのんで、私は恋するあなたを見ています。あなたは誰のために、そんなに乱れ摺るのですか。私なら、楽に摺ってあげますのに。って」
「大豆どっろどろが、恋の歌に……。ねえ橋田さん、説明されたら分かるけど……分かるっていうかそういうこじつけもあるのね、って感じだけど……ここのお貴族さんたちは、みんなそれが瞬時に理解できちゃうってこと?」
「そうね。むしろ理解できないと、野暮なやつってことになるんじゃない」
「ひえー。あたし、団地のおばちゃんでよかったあ」
「ひとつの言葉にふたつの意味を持たせる『かけことば』は、和歌の技術の基本なのよ」
「ひとつの言葉にふたつの意味……それって、ダジャレのことよね?」
「……そうとも言う。ほかにも、ふるい歌を詠み込んだり、『あをによし』ときたら『奈良』でしょう、みたいな枕ことばを入れたり……。いろいろ、趣向をこらすのがいいとされているの」
「ふうん。仲間内で通じるネタをこっそり潜ませて、『分かっている感』を出すのね」
「そういうこと。カルチャースクールの先生は、今のオタクが好きなことは、平安貴族も大好きですって言っていたわ」
「なるほどねー。たしかにヘイアンキョウのひとたちも、色白で、なよっとした感じだもんねえ」
「瑞恵さんっ。偏見っ」
「そばが、はいって、ないじゃないか」
ニコラがくちびるをとがらせている。
「トーフと、そばを、いっしょによんでないから、とおるおじさんのうたは、まだまだだ……」
「え、ニコラ? いきなり批評家? なんで? 和歌なんて知ったの、きょうがはじめてでしょ?」
瑞恵たちがごにょごにょしていると、高子姫がすっと腕をのばし、筆をとった。
「では次は、わたくしが」
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