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37・橋田さんがカルチャースクールで和歌をたしなんでいたという衝撃の事実が明かされた。あ、それにはあたしを誘わないんだってことにほんのり傷つく瑞恵。

瑞恵と橋田さんは、調理場がある北の雑舎から、邸の主の住まいだという寝殿に向かう。


主の基経はそこで、豆腐を喰い食い、お庭を眺めているというのだ。


むき出しの廊下である、簀子すのこを走る瑞恵と橋田さん。


決して足音を立てているわけではないのだが、おばちゃんふたりはなぜか、なにをやってもかまびすしい粒子をまき散らしているようで、


「ダンチのもの! 静かに!!」


遥か先から、基経の傍の者が牽制の声を上げる。


「静かに!ですって。橋田さん、あたしたちそんなにうるさかった?」


「ううん。歩いていただけだもの」


「あのおじさんのほうが、よっぽどうるさいわよねえ」


「よくあることよ。ヒマなんでしょ」


「まったく、ヒマなら豆腐作り手伝ってほしいわよねえ」


「ほんとほんと。口を動かすからには、手も動かさないと」


「……静かにと言ったのに、なぜ余計うるさくなるのだ!」


傍の者が、ぷるぷるしている。


「基経さまのお食事のじゃまをするでない!」


「あ、いたいた基経さん。豆腐、どう?」


寝殿では庭に向かってお膳を並べ、基経、業平、とおるが庭を見ながら杯を重ねていた。


「おお、ダンチの方。いやはや、手荒なことをしてすまなかったのう」


高盛にした豆腐をおさじで口に運び運び、基経はごきげんに言う。


「本当よ。いくら豆腐がほしいからって、人をぐるぐる巻きにして運ぶなんてどうかしているわ。あたしはねえ、肉巻きアスパラのアスパラじゃないのよ!」


「瑞恵殿! ご無事で何よりです」


業平がイケメンをほころばせて言う。


「あんたねえ! その笑顔にあたしはだまされないわよ! 基経さんにさらわれるあたしたちを見殺しにしたのは、業平さんでしょ!!」


「やむなき事情があってのこと……基経殿がそなたたちを危ない目に遭わせるような方ではないと、分かっておりますゆえ……」


「うそつけっ」


「瑞恵殿、さような些事は水に流しましょうや……いまはこの、高盛の豆腐を味わいたい……」


「水といえば基経殿、南池におはしますのは、実に見事な舟ですなあ」


風流好みの融が、さらりと話題を変える。


「おお、融殿にそうおっしゃっていただけるとは、ありがたきこと。とくと庭を眺めくだされ」


その言葉に瑞恵と橋田さんも、まじまじと基経の庭を見る。


「……これを、庭と言うんかい」


団地の一階の住人がもっている庭とは明らかに違う。


中央に大きな池が掘られ、東の流水路が川のごとく、やわらかにうねり、静かな流れを運び入れている。


その周りにはさまざまな季節の草木、そして石組み。


池には大小の中島が設けられ、橋をわたして通れるようになっている。


植え込みで羽根を休める水鳥は、飼っているのか飛来してきたのか。


そして、藤原の名を知らしめるような、見事な藤の花。


「……これは庭じゃなくて、アトラクションね」


「……入園料払って見に行く、庭園ってやつね」


その美しさと豪奢なさまに、しばし茫然とする瑞恵と橋田さん。


「ダンチの方、瑞恵殿。そなたの国ではどのような庭が好まれるのですか」


基経が、興味津々で聞いてくる。


「そうねえ。おすそ分けができる庭かしらねえ」


「瑞恵さん、一階の大熊さんのうちのハーブ菜園は見事よね。ちょっとシソとかパクチーとかほしい時に、気軽にくれて」


「そうそう。そのお隣の丸井さんちの庭は、ザクロの木があるのよね。あーザクロジャム作りたいなあ」


「……どうも、われわれの知る雅とは、異なる風情のようですなあ」


ほっほと笑う基経。豆腐をおなかいっぱい食べたからか、上機嫌だ。


今ならあっさり、おねだり聞いてくれるかも。瑞恵と橋田さんは目くばせして、切り出す。


「ねえ基経さん。あの宝船、本当にお見事ね」


「おお、ダンチの方にもあの雅は伝わりますか」


「もちろんよ! 成金趣味も極めると、きらびやかさが嫌味を覆い隠すものね」


「……瑞恵さんっ。本音に気をつけてっ」


「基経さん、あの舟、人が乗ることはできるのかしら。いやぁ、さすがにそれは無理かぁ」


「なにをおっしゃる。もちろん、乗れますとも」


「えええーーー!乗れるのぉ。信じられない!!」


「疑り深いお方ですなあ。乗れるといったら乗れます」


「じゃあ、乗せてくれる?」


「……タダで乗せるわけにはいきませぬ」


「……ちっ。ケチ」


「何かおっしゃいましたか?」


「いえいえ、何でもないわ。でもさあ、あたしたちお金なんて持ってないのよ。豆腐料理拵えていくから、それで手を打たない?」


「豆腐はもちろん、いただきとうございますが……あの舟に乗せるには、それではいかんのです」


「どうして?」


「宝船を作るようにとわたしに夢で命じた翁いわく、『この舟に乗る者は優れた和歌の詠み手であれ。さもなくば『せーぶぽいんと』は開かない』と」


「ワシさんめ……! 余計なことを!!」


「瑞恵さん、和歌なんて詠んだことある?」


「あるわけないじゃない。橋田さんは?」


「あたしは、カルチャースクールで少々……」


「ほんと!! はじめて聞いたわ!!」


「そのお話、たいそう興をそそりますなあ……瑞恵殿、わたくしをそなたの代わりの詠み手とされてはいかがでしょう」


「業平さん! たしかあんた、歌がうまいのよねっ」


「うまいだなんて、自ら語ることはいたしませぬが……」


「瑞恵殿。わたくしたちも入れてくださいませ」


「あらヤスコちゃん。高子ちゃんとニコラも!!」


ペリカン柄のパジャマをきたヤスコちゃんと高子姫、口の周りにいろいろつけたニコラがぽてぽて走ってきた。


ちなみにヤスコちゃんはラップ、高子姫は缶切りを右手に握りしめている。


「おお、なんて愛らしい、千鳥柄のお召し物。姫君たち、さあさあこちらへ」


目を細めて業平が招き入れる。


「基経殿、歌のお題はいかがいたしますか」


「とおるさんも、すっかり乗り気ね。歌が得意なの?」


「瑞恵殿、融殿の歌の才は都の女人たちのあいだでも大変な騒ぎなのですぞ」


「業平殿、褒め殺しはやめてくだされ……」


「歌のお題は、もちろん決まっておりますぞ」


基経が、庭の宝船をまっすぐ見つめて言った。一同、その視線を追い、しかと頷く。


「お題は……」


すっと腕を出し、基経が宝船を指さす。業平と融は、舟をじっと見据え、はや歌を練っているもよう。


「お題は、豆腐!!!」


……。


「「「「「ええええーーーー」」」」」


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