36・すりこ木はバトンよ!ってえばってみたけど、目の前にフードプロセッサーがあったら絶対に使う。実はずっと、そう思っていた。
できたてほかほかのお豆腐と、ごまだれせいろ。今年はお花見もできなかった瑞恵と橋田さんにとって、ヘイアンキョウのなかでも瀟洒な基経邸の庭を眺めながらの外ごはんは、格別のおいしさだ。
「ダンチの方、瑞恵殿。このせいろ、というものは、そばの実からできているとは、ほんとうですか」
料理人たちがざわざわしている。
「そうよ。そばは、こちらでも食べているの?」
「米を食べられないひなびた土地では、粥にして食しますが……このように、のどを滑りおるかたちで食べることはありませぬ」
「これは、暑い日にちょうどよいですね。いくらでも食べられそうです」
「もっともらってくればよかったわねえ。それよりも、千田のおじさんを連れてきたほうがよかったかしら」
「……瑞恵さん。あたしたちには、千田のおじさんの姿は見えなかったじゃない」
そうだ。住んでいた団地ごと異世界に転移した瑞恵と橋田さんだが、4階に住む千田のおじさんの肉体は、元の団地のほうにいるらしく、その姿はふたりには見えなかったのだ。
「あたしたちばっかり、自由にごはんつくって外に出て……なんか、申し訳ないわね」
「申し訳ないわねって、瑞恵さん。あたしたち、遊びにきたんじゃないのよ。何しにここに来たか、覚えてる!?」
「えーっと、追放された踊り子のマダム・フロリーヌの敵討ちをして、大飯食らいのニコラが戦場の街で腹ペコギャン泣きしないように連れて帰って……」
「それは、旅の途中でそうなっただけで、あたしたちの最終目的は違うでしょ」
「あ! 感染症の特効薬をもらって帰るんだ!!」
「……忘れていたわね?」
「やっだあ橋田さん。さすがのあたしも、そんな大事なこと忘れないわよ」
「瑞恵さん、あたしたちがヘイアンキョウでしたことを振り返ってみましょう。大豆マヨと、大豆バターと、豆腐つくって、そば食べている。以上」
「ふだんだったら食っちゃ寝、食っちゃ寝のところを、作っちゃ食い、作っちゃ食いにしているんだから、まあ75点くらいか」
「そろそろなにかひとつくらい、特効薬の手がかりを手に入れないと! だいたいセーブポイントを見つけなきゃ、団地に帰れないわよ」
「それは困る! 今回つくづくわかったことがあるのよ、何としても団地に戻らないと」
「? 何がわかったの?」
「フードプロセッサーの偉大さよ。フープロがあれば大豆つぶすのも混ぜるのもどれだけ楽だったか。必ず戻って、取ってこなくちゃ」
「瑞恵さん。取って来て、どうするの。ヘイアンキョウに住むの? あたしたちの使命を放っぽりだして、それでいいの?」
「……よくありません。でも……目の前にいる人が、おいしいおいしいって喜んでくれるのが、あたしの人生の喜びだから……つい……」
「ダンチの方、瑞恵殿。基経殿にお出しする豆腐とせいろは、こちらでいかがでしょうか」
料理人が持ってきたお膳は、まんなかに据えられた大きな器に、高盛りしたご飯のごとく、豆腐がこんもり盛られている。四隅には塩、酢、ひしお、ごまだれの小皿。
もうひとつの膳には、海藻、蒸しあわび、香の物と一緒に、ひと口サイズの蕎麦が盛ってある。
「豆腐がまるで主食だけど……まあいいか」
「そばは、わたしどもが、あらかた食べてしまいましたので……」
「いいんじゃない? 基経さんは、豆腐豆腐騒いでいたんだから。さっきこっちに来て、なんか怒っていたわねえ、そういえば」
「豆腐を待ちかねているのでございます。ちょうど業平さまと、融さまが来られて、寝殿にお戻りになりました。御三人で庭を眺めて、食事にされるのではと」
「庭? 庭って、ここじゃないの?」
「ここは、使用人が使う北の雑舎です。庭というのはもっと立派なものにございます」
「へえ。橘がこんなにきれいなのに、ここは庭じゃないんだ。そういえば、とおるさんは、庭に海の水をひいて、塩釜まで作っているって言っていたわね」
「融さまほどの風流好みになると、それは少々、変わり者にございますが……基経殿の庭は、御身分にふさわしい、豪奢な庭にございます」
「成金趣味っぽいわねえ。舟浮かべたりしていそう」
「夏には舟遊びもいたしますよ。そうそう、このところ熱心に、宝船をおつくりになっていました。なんでも『ワシ』と名乗る仙人が夢に現れて、『せいぶぽいんと』なる舟を誂えよとのご神託があったそうで」
「橋田さん!! 聞いた? セーブポイントですって!!」
「料理人さん、その舟は、もうできているの?」
「ええ。ついこの前できあがり、南池に浮かべていらっしゃいます。財宝に似せた木彫りの珠や珊瑚、生薬を積み、清めの香を焚きしめて……」
「橋田さん!! 聞いた? 生薬だって!!」
「料理人さん、あたしたちを、そこへ連れて行ってくれる?」
「ええ、もちろん。しかし……どうかおふたり、基経殿の機嫌を損ねぬようにしてくださいよ。ただでさえ、豆腐を待ちくたびれていらっしゃるのだから」
「「はーい」」
「橋田さん、やったわね。一気に道がひらけてきたわ」
「基経さんにさらわれて、ラッキーだったわね。これもイベントのひとつだったってことかしら」
「イベントのひとつ?」
「ゲームの世界では、行き当たるあれこれをイベントって言うのよ。なかには、クリアしないと先に進めないイベントもあるわ」
「ごはん作って遊んでいるだけかと思ったら、あたしたちちゃっかり前に進んでいたのね!」
「ねえ。結果オーライってことかしら」
「うーん、結果オーライっていうか……やっぱり、目の前のことを、いっしょうけんめいやるっていうのが、よかったんじゃない? こまっている人がいたら助けて、食べたい人がいたらごはん作って。まずはおせっかいをやく」
「ま、おせっかいはおばちゃんの特権だもんね」
「ねー。よし、じゃあ行きましょう」
「そうね」
「「基経さーん、舟のせてーーーー!!!」」




