34・そばをもってくるならそのそばに粉末そばつゆというウナギのたれに匹敵する万能調味料があったでしょう?持ってきてほしかったなあ…
藤原基経のうちへ、トーフづくりの職人として連行された瑞恵と橋田さん。
難を逃れたニコラは、瑞恵と橋田さんの「非常持ち出し袋」をここぞとばかりに引っぱりだしてきた。
かねて、中身をいじくりまわしたいと切望していた、興味津々の一品である。
ヘイアンキョウのお姫さま、高子姫とヤスコちゃんもまた、好奇心丸出しで袋を囲む。
「これはいったい、何でございましょう。向こうの景色が透けて見える……」
ヤスコちゃんがラップを引き伸ばし、そろそろと顔面を近づけている。
「水の底をのぞきこんでいるような……不思議な心地がいたします…きゃっ」
高子姫がほっそりとした指先をのばし、ラップ越しにヤスコちゃんの頬にふれた。
「恬子殿の体温がじんわり伝わってまいりますよ……いったいこれはなんなのでしょうニコラ殿」
「それねえ、れいぞうこの『のこりもの』っていうのにかけて、ちーんってするやつ」
「「???」」
「ではニコラ殿、こちらは? 蟹の爪でしょうか。女人が握るのに、ちょうどよい大きさに思えますが」
高子姫が掲げたのは、缶切りである。
「それはねえ、ハシダが『やっだあみずえさん、いまどきかんきりのいるかんづめなんてないわよう』っていってたやつ」
「「???」」
「こちらは衣服ですね。絹には見えませぬが、うすくて軽い……殿方の履くようなかたちをしています。この文様は千鳥でしょうか……ずいぶん雑な千鳥です」
ヤスコちゃんが、瑞恵のペリカン柄パジャマを広げて眉を顰める。
「あら、大胆で良いではありませぬか。時には鳥も、列を乱して好きに飛びたいもの……とても着心地のよさそうな衣ですこと」
高子姫が前衛的な意見を口にする。
「これねえ、ミズエとハシダ、おそろいなんだよ。つうはんで、にまいかうと、いちまいはんがくだったんだって」
ニコラが、橋田さんの非常持ち出し袋から、色違いのペリカン柄パジャマを引っ張りだす。
ちなみに瑞恵が黄色、橋田さんがピンクだ。
「あ! これ! ぱすただ!」
パジャマに続いてニコラが取り出したのは、団地の4階に住む千田のおじさんがくれた手打ちそばだ。
「……変わった食物ですね。どうやって食べるのでしょうか」
高子姫が小首をかしげる。
「この香りは、記憶にございます。ひなびた土地へ遊びにいくと、人々がこの香りがするかゆを、食しておりました」
ヤスコちゃんが、小さな鼻をくんすかしながら答える。
「ひなびた土地のかゆ……ああ、そばですね。あの実は、米の代わりになるとか。たしかに、そんな香りがいたしますね」
「ちがうよ」
ニコラがそばを抱きしめて言う。
「このぱすたのなまえはねえ、『ゆでじかん47びょう』だよ」
「ゆで時間は47秒で」とおじさんに念押しされた瑞恵は「いーいニコラ。この数字だけ覚えておいて。47秒よ、47秒」とニコラに教え込んだのだ。
「ゆでじかん47びょう……それは、47秒茹でるという調理方法では?」
高子姫がまっとうな推理をする。
「わたくしたちで、試してみましょうか?」
ヤスコちゃんが、目を輝かせる。お腹が空いたらしい。
「しかし、わたくしたちが手ずから御食を用意するとは……あさましきこと。なりませぬ。ここはやはり、瑞恵殿の力がなければ」
「そうでした! 瑞恵殿と橋田殿を、助けに行かねば! 高子さま、よろしいですよね」
「ええ。まったく兄上にも困ったものです……美食などという、つまらぬことにご執心されて……」
瑞恵をさらった基経は、高子姫の兄である。
「恬子殿、しかしあなたのお姿が消えては、この邸の者が心配なさるでしょう。ここはわたくしにお任せください」
「そうはいきませぬ。瑞恵殿は、塗籠に隠れていたわたくしを助けてくれた方。今度はわたくしが、お力になる番です」
「ヤスコちゃん、ぱすた食べたいだけでしょ?」
ニコラの突っこみに微笑む高子姫。全力で無視するヤスコちゃん。
「しかし、どうやって邸を抜け出すおつもりで?」
「ふふふ。こうやってです!」
そういうなりヤスコちゃんはぴょんと飛び上がり、十二単からすぽんと抜けだした。
「こうして着物を置いていけば、御簾の向こうからはわたくしがいるものと思うに違いありません」
「なんとまあ、大胆な。しかしかような単衣姿で、わたくしの邸までいらっしゃるのですか」
「いいえ。あれを着るのです」
ヤスコちゃんがびしっとペリカンを指さす。
「あれは、とても動きやすそうです」
「なるほど……不細工な千鳥の魅力が、恬子殿もお分かりになりましたか」
「ええ。たまにはよろしいかと」
「では、わたくしも」
高子姫も弾みをつけて飛びあがり、十二単からするりと抜け出した。
「うわーすごーい。ニコラもやりたーい」
高子姫の軽やかな身のこなしに歓声を上げ、ジャンプするニコラだが帯で結んである浴衣はさすがに脱げない。
縛らずに着物を重ねている十二単ならではの、裳抜けの技である。
「はあ、いつもいつも斯様に重ね着していては、動きにくいことこのうえない」
首をこりこり回す姫君。
「恬子殿。では着がえて、参りますか」
「はい、高子さま」
サランラップ、缶切り、そば。
それぞれがこれはと思った武器を抱えて、こっそり邸を抜け出る女子3人。
うちふたりはペリカンパジャマ。
ちなみに黄色がヤスコちゃん、ピンクが高子姫である。




