33・おばちゃんの柔軟なポジティブ思考を支えているのは、目的意識をきちんと持った若い女子の純情。やっぱり世界はお互いさまだね。
「ぎゃーーー! あんたたち、どっから降ってわいてきたのよーーーー」
ひっ捕らえられながら、瑞恵は信じがたい思いでとりあえず文句を言う。
「俺はあそこの、柴木で編んだ柴垣!」「ぼくはあっちの竹を並べた透垣!」「おいらはそこの立蔀!」
手際よく瑞恵をひっ捕らえながら、若い衆は隠れ場所をびしっと指さす。
「寝殿造は建物が開放的ですゆえ、目隠しは数多ございます」
しれっと解説する業平。
「業平さん、ひどいじゃない! あんたのせいで、捕まっちゃったも同然よ!!」
「瑞恵殿、お恨みなさいますな。そなたの存在、わたくしには、手に余りますゆえ……」
業平が心に秘める高子姫との駆け落ちプラン。あっさり暴露した瑞恵のおしゃべりに、すっかり辟易しているようだ。
「だからって! いたいけなおばちゃんが縄でぐるぐる巻きよ! かわいそうだと思わないの!!」
「大丈夫です。基経殿の狙いは、そなたのトーフ。トーフを作れるあなたを、手荒に扱いはしませぬ」
「瑞恵さん、つまりトーフ作りを伝授したら、あたしたち用なしで、葬り去られるんじゃ……」
瑞恵の隣でぐるぐる巻きの橋田さんが、怖いことを言う。
「何言ってるのよ橋田さん! あたしを豆腐だけのおばちゃんだと思ったら、大間違いよ。もっといろいろ、作れるわよ!」
「え、気になるのそこ?」
「あら、そういえばニコラとマダム・フロリーヌは? ひっ捕らえられてないわよね?」
「ニコラはさっきまで業平さんのそばにいたけど……どこに隠れたのかしら」
「マダム・フロリーヌは、相撲の前からいないわよね。おーい、ニコ……」
「瑞恵さん。しぃー!」
橋田さんが、瑞恵を制する。
「あのふたりは、あたしたちとは見た目が違うから、仲間だと思われていないのかも。だとしたら好都合よ。呼んじゃだめ」
「たしかに。ニコラとマダム・フロリーヌまで、ぐるぐる巻きにされちゃあねえ……」
「子どもとお年寄りは、守らなきゃ。あたしたちだけでよかったと思いましょう、瑞恵さん」
「大飯食らいの4歳児と、『くさいいき』の魔法続行中のマダムといっしょじゃ、この先思いやられるもんねえ……」
「え、気になるのそこ?」
「うるさいぞ、団地のふたり! その口も、ぐるぐる巻きにしてやろうか!」
「……おばちゃんから何かひとつ封じるなら、口を封じるべきだってこと、この人いまさら気づいたのかしら?」
「瑞恵さん、しぃーーー! 本当に封じられるわよっ」
「邸に連れて行き、さっそくトーフを作らせよ」
ぐるぐる巻きのおばちゃんを見下ろし、言い放つ基経。
「はいっ」と若い衆。
「あ、ちょっと待って。基経さん、あんたのとこ、海水はあるんでしょうね?」
「海水? なぜそのようなものが必要か?」
「ったくこれだから素人は~。とおるさんがくれた海水の樽、一つもらって来なさい。じゃないとトーフ、作れないから」
「……瑞恵さん、いつの間にか作る気満々になってない……?」
「あ、しまった。ついつい、作るならおいしいもの作りたいから……」
溜息と苦笑の入り混じった表情で、橋田さんは遠い目をする。
「……まあ、瑞恵さんはそうよね。仕方ない、せっかくだからモブマヨも作ってあげたら?」
「そうねえ。豆腐人気に押されてどうでもよくなっちゃったけど、あのモブマヨ、惜しいところまでいっているのよ。ちょっと油分を調整して、スパイスを工夫すれば、あっと驚く大豆マヨネーズショーができるかも」
「瑞恵さん、がんばれ! やろうぜフラッシュモブマヨ! マヨネーズ無双、リベンジよ!」
きゃいきゃいと、基経の牛車に乗り込む瑞恵と橋田さん。
「基経殿、この者たち、ぐるぐる巻きにしたかいがないのですが」
「……まあよい。我の舌を、納得させてくれるのならばなあ……」
◇◇◇
「おぉい、ニコラ、ニコラ殿ーー」
瑞恵と橋田さんがひっ捕らえられ、業平がふと気づくと、ニコラの姿が消えていた。
「ニコラ殿ーーどちらに隠れておるのですかーー」
あちこちの御簾や屏風をのぞきこむ業平。
「きゃっ業平さまっ」
だいたいそこには女官がいて、あわてて扇で顔を隠す。
「……わざとやっているとしか、思えませぬ」
ヤスコちゃんが、冷たい目で業平を見つめる。
「恬子殿。殿方とは、浮気なもの。目くじら立てていては、疎まれるばかりですよ」
高子姫が大人な発言で余裕を見せる。
「高子さま。さきほど瑞恵殿が、嵐の夜に駆け落ちでもなんでもしちゃえと、おっしゃっていましたね。あなたさまは、天皇の前で踊る五節の舞姫にも選ばれたお方。将来をお約束されたお立場ながら、かような恐ろしきことをお考えで?」
「……恋に身を焦がす、一夜があればこそ……思い出を胸に、その先の御役目をまっとうできるのでは……」
「わたくしには、民への裏切りに思えてなりませぬ」
「恬子殿、そなたはお若い……裳着もすませたばかりでしょう。それは若さゆえの、純情というもの……いずれ分かります」
「いいえ。わたしはあなた様のようにはなりませぬ。わたくしは、己の定めを知っております。わたしは間もなく、伊勢の斎王に選ばれる。伊勢の地で、神に仕えるものとして、この身は清く、保ち続けなければなりませぬ」
「恬子殿、そなたのお立場には、同情しております……そして、斯様な覚悟をお持ちとは。その純情はそなたを救い、時にそなたを苦しめるでしょう。……いつか、伊勢の地に、業平殿が参った折には、どうか御心を解き放ちなさいませ」
「何をおっしゃっているのか、よく分かりませぬ。伊勢には親兄弟すら、訪れることはままならないのに……ただ、高子さまの思いやりは、伝わりました」
「気休めの思いやりではありませぬぞ。業平殿は、きっとそなたに会いに、旅に出るでしょう……。業平殿は、そういう御方です」
「ねえねえヤスコちゃん。あそぼうー」
「きゃっ、ニコラ殿! どこにいたのですか」
「ニコラ、ずっとそのへんにいたけど。ねえねえ、ミズエとハシダのばっぐに、おもしろいのがいっぱいあるよ。あそぼうー」
ニコラが風呂敷包みをずりずりと引っ張ってくる。
「何ですの、これは?」
「あのねえ、ひじょうもちだしぶくろだよ。だんちのひとは、みんなもっているんだって」
「恬子殿。このなかに、瑞恵殿と橋田殿を救う要があるかもしれません」
「高子さま。探してみましょう」
高子姫とヤスコちゃんは、意志の強い目を交わし合い、頷き合い、名状しがたい混沌の非常持ち出し袋に手を伸ばした。




