1・おばちゃんは基本まじめなので、外出自粛と言われたら家にいる。
このページに来てくださった皆々様、本当にありがとうございます。須藤理唯と申します。
あらすじにも記しました通り、この物語の主人公は、とあるふつうのお母さん(おばちゃん)です。
先日(強引に)完結させた初めての作品では、「小説家になろうに投稿するんだから、やっぱ男主人公異世界チートだよね!」「魔法とかスキルとかがあって、中世っぽくて、ファンタジーの要素も大事!」と勝手に盛り上がっていろいろ盛り込もうとしたのですが……手に余りました。
自分が本当に書きたい/読みたい作品を探り探り、さまざまな小説を拝読するなかで「そういや、おばちゃん主人公の冒険物ってあまり見かけないな……」と気づきました。
見かけないということは、サイト内で需要が少ないということなのでしょうが、主人公にしにくい要素もあるのでは、と。
すなわち、おばちゃん、お母さんや年配の女性には、無意識に主役ではなく「サポート、ケア役」を皆が求めてしまうからかな、と。
折しも、母に送る本を考えていた時でした。
郷里の母から「家にずっといてヒマー」「でも絶対帰って来るな」というメッセージを受けて、彼女の家時間の友になる本を探していたんですが、書店を見ても「おばちゃんが圧倒的に活躍する物語」は少ないんですよね。
「これまで家族に尽くしてきたのにみんな勝手ばっかり、もーいい、私も自分の人生を生き直す!」というのは割とあって、それはそれで素晴らしいのだけど……なんかこう、決心して輝きを取り戻さなくても、お母さんが無意識にやっていることが割と天才、っていう、その天才ぶりのほうが私は関心があるなあ……なんて考えているうちに緊急事態宣言、書店の休業と図書館の閉館が相次ぐ事態に。
電子書籍や電子書店があるとはいえ、出先でふらっと本を手にするのは難しくなりました。
その事実に虚を突かれると同時に、投稿小説だったら、自分が書き続ける限り「母が喜びそうな小説」が永遠に供給できるじゃん!といまさらながら気づいたのでした。
異世界転生・転移は、無限の可能性を秘めたフォーマットだと思います。
異世界のお約束を何もわかってないおばちゃんが無双する異世界があっても、まあ、いいかな?
もしもこの物語を気に入ってもらえて、そしてお母さんに紹介してもらえたら、望外の喜びです。
「じゃあお母さん、ほんとに気をつけてね」
「はいはい、わかってるから」
「今さ、コロナに便乗した詐欺が増えているんだよ。マスクくれるとか、水道管のウイルスを除去するとか、全部ウソだからね」
「そんなのにだまされないわよ。あんたより私のほうが、よくワイドショー見て知ってますから」
「ならいいけど。じゃあまた電話する」
「ありがと。あんたこそ、きちんと三食食べるのよ。あ、長イモがいいわよ免疫力アップには。それからね……」
「わかったわかった、ありがとう。じゃあまたね」
「はいはい。またね」
青森瑞恵はスマホをタップし、通話を終了する。
S県に住む瑞恵と、都内で一人暮らしをする娘の瑞生。
2人の距離は電車で片道2時間ほどだが、顔を合わせるのは年に数回。用がなければ、電話なんてしない。
さっぱりした母娘だった。
それが、未知のウイルス感染症が広がり、往来の自粛が要請され、会いたくても会えなくなると、こうして毎日、瑞生から電話が掛かってくるようになった。
「ありがたいといえば、ありがたいわね」
瑞恵はひとり、つぶやき、小さくほほえむ。
換気のために大きく開け放ったベランダ。
ガラス戸の向こうから午後の陽射しが降り注ぎ、部屋中を柔らかな光が満たしている。
瑞恵が住むのは、築30年の団地の3階だ。
新築当初は、小さなこども2人に両親という4人家族――当時の「標準家庭」がこぞって入居し、家の中も、内階段も、自転車置き場も駐車場も、子どもたちが遊ぶ声で常ににぎわっていた。
どのうちもそんな感じだから、「子どもの声がうるさい」なんて苦情が起こるわけもなく、思えば子育てしやすい環境だった。
「こんなにあの子と話しているのは、小さいとき以来ね」
毎日のように瑞生の声が耳元で鳴る日々に、瑞恵は少し感傷的になる。
娘の瑞生が就職と同時に一人暮らしを始めたのは、3年前だ。
以来、娘は娘で仕事に夢中、母の瑞恵も自分が主宰する料理教室や、ご近所付き合い、町内会のあれこれで忙しい毎日を送っていた。
忙しさは、心の隙間を埋めてくれる。
瑞生が独立して間もなく、夫の俊治が、がんで帰らぬ人となった。
末期の肝臓がん。病気が分かってから、ほんの3カ月で逝ってしまった。
実家に戻ろうとする瑞生を、瑞恵は止めた。
瑞生がそばにいたら、立ち直りは遅くなる。そう、直感したのだ。
どんなに悲しくても、お腹はへる。
空腹を癒やすために、台所に立つ。料理をするために、買い物に行く。買い物に行くために、身ぎれいにする。
生きるために不可欠なことをひとつひとつ、積み重ねることで、日常を取り戻す。
瑞恵はそうやって、悲しみに沈み込む心とからだを、自分の力で、癒やしていった。
「ピンポーン」
チャイムが鳴り、瑞恵ははっと顔を上げる。
ドアフォンの液晶画面に、隣の橋田さんが映っている。
「はーい、今開けまーす」
「開けちゃだめよう。チーズケーキ焼いたから、ドアの前に置いておくわー」
「わあ嬉しい、ありがとうねえ! 本当は、一緒にお茶したいんだけど」
「本当よねえ。でも今は、それも『濃厚接触』なんでしょ?」
「まったく困ったもんよ」
「ねえ。あ、ケーキの感想、ラインしてね」
「わかった。ひとりでティータイム、堪能させてもらうわ」
「今度、zoomっていうので、みんなでお茶しましょうよ。なんか、若い人達の間ではやってるみたいよ」
「あらそうなの。やり方分かる?」
「息子に聞いてみるわ」
「私も、娘にきいてみる。創太くん、元気?」
「それがねえ。コロナで公演が全部キャンセルになっちゃって。とりあえず戻ってきなさいって言っているんだけど」
「それは……お気の毒に」
橋田さんの息子の創太くんは、瑞恵には聞き慣れない、横文字の仕事をしていた。橋田さんは「要は舞台の大道具係よ。まったく浮草稼業なんだから」と言っていたが。
「瑞生ちゃんはどう? 大きい会社はこういうとき、安心よね」
「今は在宅勤務しているわ」
「それなら安心ね。さすが瑞生ちゃんだわ」
なにがさすがなのかよく分からないが、そろそろ会話を引き取ったほうがいいかもしれない。
「ドアフォン越しに長話させちゃったわ。ごめんね」
「うふふ。わたしこそ、ドアに向かってずっとしゃべっている変なおばさんだわ」
「あとで、長いもの浅漬け持って行くわね」
「あら嬉しい。じゃあ、あとでね」
瑞恵と橋田さんは、2日と置かずお茶をする仲だ。
橋田さんの趣味はお菓子づくりで、必ず瑞恵にお裾分けをしてくれる。
瑞恵は調理師免許を持つ料理のセミプロだが、得意なのはもっぱら家庭料理。お菓子はさほど得意でない。
瑞恵はいつも、少し多めにおかずを作り橋田さんにお裾分けする。2つの家には常に互いのタッパーが置いてある状態だ。
この数週間、「3つの密」を避けよという号令に忠実な団地のおばちゃん達は、いっしょにテーブルを囲むことはないけれど、電話やライン、そしてドア越しに交わす会話で、おしゃべりの総量は、実は大して変わっていない。
「ルルルルルルルルル」
ドアフォンの通話ボタンを切った瞬間、今度はダイニングの電話が鳴り出した。
「はいはい、どっこいしょ」
瑞恵は受話器を手に取る。
「もしもし」
「あーもしもし。ワシだが」
ワシ?
「どちらさまで?」
「ワシはワシだよ。わからんかね?」
なにこれ。新手のオレオレ詐欺?
「あいにくワシという方は存じ上げませんわね。さようなら」
「お待ちください! いやはや、この言語に慣れてないものでな。失礼があったらかたじけない」
「マスクは足りていますし、水道管の掃除でしたら結構です」
「マスク? 水道管? 何それおいしいの?」
瑞恵の頭の中が混乱してくる。言っていることもしゃべり方も、めちゃくちゃだ。
ああきっと、混乱させるのが、詐欺団の狙いなんだわ。
そう思いながらも、瑞恵はなぜか、電話を切ることができない。
「お主らの世界は、流行り病で大変なことになっているだろう。それの特効薬が、こちらにはござりまする」
「はいーー?」
「だけどそのためには、取りにきてもらわなあかん。よかと?」
「あの、私忙しいんでこれで。いいかげんにしないと、警察呼びますよ」
「とにかくだな、可及的速やかに転移してもらう必要がある。あいにくこっちは戦争の真っ最中でな。薬の受け渡しも、ちょっと戦火を超えてもらうことになるんで、がんばってください」
詐欺団かと思ったが、なにこれ、いたずら電話? それとも私の幻聴?
ずっと家にこもっていて、おかしくなっちゃったのかしら。
「道中役立つ、特別なスキルを与えることもやぶさかではないが、貴女様ってお手持ちのポテンシャルを発揮すればそれで十分な予感。ま、困ったときは電話してねっ」
「……切ります」
瑞恵は律義に断りを入れて、受話器を置いた。
まるでそれが引き金になったかのように、激しい揺れが瑞恵を襲う。
「え、地震!?」