『甘いモノ、お好きでしょう』3
「はいっ!? つ、付き合えばいいって……」
「貴女は、私から触れられる事に対して正当な理由をつけたいのでしょう? その条件が“恋人でなければ”……というのなら、そうするべきでは?」
「ち、ちがっ……! そういう意味じゃ!」
「もう少しゆっくりでもいいかと思っていましたが……。意外に積極的なんですね、花音さんって」
結城さんがクスッと笑う。
彼の一瞬の笑いは、まるで「仕方のない人ですねぇ」とでも言いたげ。私の目は、思わず真ん丸になった。
意外に積極的!?
それだけは結城さんに言われたくないっ。そっちなんか、意外過ぎ&度が過ぎな積極性のくせにっ!
「……違いますってば! 私が、触られる事に理由をつけたいんじゃなく、結城さんが、触る理由を作りたいだけですよね!?」
危ない。危ない危ない!
結城さんは顔だけじゃなく頭も良い。ついでに言うなら、口も上手い。
私の「付き合ってもいないのにどうしてこんな事をするのか」という疑問を、都合良く根本から変えようとしてる。
これじゃあ、私が「触って欲しい」と願ってるみたいじゃないの! その手に乗るかーっ!
「……ほう」
結城さんがそう感心げな声を上げたところで、誰も降りず乗らずのエレベーターのドアが、静かに閉る。
行き先を指定されないエレベーターは、その場で次の指示を大人しく待ち始めた。すぐにモーター音が消え、小さな空間は静まり返った密室に。
唾を飲み込む音すら聞こえそうだった。
目の前の結城さんは相変わらず至近距離で、落ち着く暇を与えてくれない。
(早くボタンを押してドアを開いて、行かなきゃ。急がなきゃ……更に遅れる……)
いや。ていうより、ここから逃げないと――。
分かっているのに、体が言うことを聞いてくれなかった。
「……なるほどね、花音さん」
スッ……と。
本当にスッと、一瞬で、それまで笑っていた結城さんの瞳が細くなった。
「……え?」
楽しげにではない。からかってる感じでもない。
薄茶の瞳が、ただ冷淡に。声には、何も色が無く。
(な、なに?)
私は、驚くよりも先に背中に走った悪寒に、自分でも戸惑うばかりだった。
(どうしたの、結城さん……)
「貴女は、強い流れに抗う為に必要な賢さも、お持ちの様だ」
品定めするみたいな鋭い視線。
いつもの穏やかそうな雰囲気とは、まるで真逆な空気を感じる。
「……いいですね、益々気に入りましたよ」
「っ!」
バンッ!
慌ててボタンを押したら、叩くように激しくなってしまった。指先が痛んだけど、今はそんな事気にしてる場合じゃない。
再び開いたドアがまた閉まったら大変だ。
私は結城さんの腕をすり抜け、外へと飛び出した。
(何!? なんか怖いっ……!)
「私にはいちいち理由なんて要りません。触りたければ触る。攫いたければ攫う。それでいいんです。だって貴女は――」
そんな言葉が聞こえた気がした。数メートル背後、小さな音で。
低音の声は、さっきからずっと迫力と威厳のようなものを持ち続けていて、それに凄く気圧される。今日の結城さんは、今までの彼と別人なんじゃないかと疑いたくなった。
声も雰囲気も、向けられるたびに怖いと感じた。
だから、本当は一目散に逃げたかったんだ私。バスにだって遅れちゃうし。
それなのに、お馬鹿にも恐る恐る振り返って、空耳の真偽と、結城さんの姿を確認したくなってしまうなんて。
ああ、きっと。こういうのを、怖いもの見たさっていうんだ……。
「ホラ、早くしないと遅れちゃいますよ? いってらっしゃい。バイト頑張ってくださいね」
「……え。あ……はい……?」
穏やかな微笑み。静かな口調。
振り返ったそこには、初めて会った時と同じ紳士的な姿。
あれ? さっきまでの怖い人、一体どこに?
コロコロ変わる結城さんの雰囲気に、私の頭の中は疑問符だらけになる……。
「では、また後で」
そんなものだから、にっこり愛想よく笑う結城さんの言葉にも、私はただポカンと呆ける事しか出来なかった。