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隣人は甘く囁く~透明な魂と祈りのうた~  作者: 奏 みくみ
『甘いモノ、お好きでしょう?』
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『甘いモノ、お好きでしょう?』1


(眠れなかった……)


 睡眠不足の目を擦りながら、私は玄関で身支度の最終チェック。


 姿見を覗くと、朝から妙に疲れ顔の自分がこちらを見ていた。


 うっすら残るくまは、あらゆる方法を駆使して大分薄くなったけど、この疲れた顔はこれからアルバイトに向かう女子大生の朝とは思えない程酷い感じで……。


(困る。本当に困るっ!)


 寝不足がたたっての疲労度増が一番身体にはキツイし、何よりお肌に良くない。


 おでこにポツリと出現してしまった吹き出物を再度確認した私は、小さく溜息をついた。


 ……いや。これもそうなんだけど、特化して肌荒れに困ってるって訳じゃないんだよね……。


 そう。実の所、困ってる原因の大半は、お気に入りのリップグロスを塗った自分の唇だったりする。


 もともと化粧っ気なんかないからメイクは必要最低限なんだけど、しかし、だからこそ唯一こだわる(?)このリップグロスこそが、今日はやたら強調を主張してるみたいで。


 寝不足で酷い顔なのに、唇だけは血色良く艶感アリって……どうなのよ?


(塗らなきゃ、本当に見るに堪えない感じだったからつけたものの……)


 ただでさえ、昨日の夜から“あの出来事”を思い出しちゃってしょうがないっていうのに、こんな自分で自分を追い込んでどうすんだ……私ってば。


 考えたってしょうがない。


 もう済んでしまった事なんだし、キスの一つや二つ……事故だと思って流してしまえ。


 ――何度もそんな結論に達したものの、でも、そう簡単に割り切れないのも事実。


 だって、恋人でもないのにキスしちゃうとかって……普通はないでしょ……。


 動揺は昨夜からずっと続いてる。だから私、かなり困っているのだ。


(し、自然体でいかなきゃ……。とにかく! 結城さんとはなるべく接触が無い様気を付けて……)


 よし、と気合いを入れ玄関を出た私。


 廊下をのんびり歩いていた時だった。


 ガチャッ、と背後でドアが開く音がして……


「あっ。かの――」

「っ!」


 明らかに奥の部屋から聞こえた声を、最後まで聞き、更には返事をするなんて……するわけない!


 声に気付かないフリで歩調を速め、私は一目散にエレベーターを目指した。玄関に鍵をかけている音が耳に届くと焦りはぐっと加速する。


「やばっ……」


 どうやら結城さんも出かけるらしい。ならば、尚更ここでエレベーターをご一緒する訳には……!


 運よく止まっていたエレベーターに身体を滑り込ませて、即、“閉”ボタンを連打した。


 速く閉まって! 速く速くはやくーっ!!


「おっと」

「あ……」


 ドアはほぼ閉まりかけていたのに、伸ばされた手にそれを阻まれた。


 がこん、と音を立てたドアは手に弾かれ開き、飛び込み乗箱? を迎え入れる。


(ちっ。間に合っちゃったか)


 私はこっそり舌打ちしていた。


 しかし、結城さんの長身が持つコンパスを考えれば、それもまぁあながち不可能ではない、……とも言えるんだけど。


 ――けどさ。


 この人さっき玄関から出て来たばっかりじゃん! 何なの、その素早過ぎる行動は……!


「良かった……間に合いました。……花音さん、足速いんですね。随分」

「……は、はは……」


 何とも渇ききった笑いしか返せず、私は結城さんの笑顔から視線を外した。


 随分、の部分を強調された気がするのは、私に後ろめたい気分があったからなんだろうか……。でも、心なしか爽やかな笑顔から変なオーラを感じる様な気もするんだけど。


 狭い箱の奥に進んだスーツ姿を視線の隅に捉えつつ、私はやっと行き先へのボタンを押した。


 四角いボタン“1”が点灯する。続いて、さっき連打した“閉”のボタンを。


「それとも……今朝限定で速いのでしょうか?」

「………」


 うっ。逃げたのバレてるっぽい……。


 中々閉らないドアと後ろからの視線は、何とも居心地が悪い。


 知らぬうちに、私の指は再びボタンを連打していた。


「別にそんな逃げなくても」


 結城さんは、クスクス笑いながら言った。


「心配しなくても、いきなり捕って喰う様な荒っぽい事はしませんよ。――つまみ食い程度はありますけど」

「はいっ!?」


 反応しなかったドアがやっと閉まったのにホッとしたのも束の間、長身の気配が一歩前に出、こちらに近寄るのが分かり。


 慌てて振り向く。


 今、何て言ったっ!?


「ホラ、せっかく喰い付いたのに、焦って引き上げると逃がしちゃうでしょう? 要はタイミングなんですよね」

「な、何の話ですか!?」

「何って……。――“釣り”の話です」


 ニコリと答える爽やか顔。「最近ハマってしまいまして」なんて平然と続ける。


 嘘をつけ、嘘を。絶っ対に違うよね、ソレ!


 不穏な発言の後に突然話題を変えられても、ちっとも信憑性が感じられない。


「へぇー……。釣り……」

「面白いですよ? 意外に緊張感ある駆け引きとか、特に」


 そこで結城さんは言葉を止めた。


 エレベーターが止まりドアが開く。止まったのは私達が乗った階のすぐ下……。朝の時間帯は利用者が集中する事がよくあるので、それ自体は特別不思議ではないものの……。


 今日は、少し様子が違っていた。


 ホールには誰も待っていなかったのだ。


 もしかしたら、中々来ないエレベーターに業を煮やして階段を使ったのかもしれない。


 そう思いつつドアを閉めるべくボタンを押したのだけど、さっき同様ドアの反応は鈍く、中々閉まらず。


 私は、またしてもボタンを連打する羽目になった。もうっ、何なんだ今日は!


「釣りの話は……まあひとまず置いておくとして」


 ドアが閉まり、再び狭い空間で二人きりになる気まずさをごまかしたい私は、チラリと腕時計を見た後、結城さんに目を向けた。


 目が合うと結城さんは柔らかく笑う。


 ダークスーツの色合いと彼の今の笑みが、何だか凄くアンバランスな気がして、私は妙な気分になった。


 強い闇色と穏やかな静か色が、仲良く混在してるみたい……?


「……結城さんも、お仕事なんですね」

「ええ。急な案件でして」


 身長の高い結城さんには、こういうビシッとしたダークスーツが良く似合っている。だけど、なんだろう……今日のその静穏とした立ち姿には、ある種の凄みが隠れているというか、とても雰囲気があるというか……。


 そう。例えるならば、“畏怖”。まさにそんな感じ。今までとは少し違う空気……なんか怖い。


 だからこそなのか、この穏やかな笑顔が、余計に彼の不思議な雰囲気を際立たせている。アンバランスを強調してる。


「……ど、どんなお仕事してるんですか? “案件”なんて言葉、すごいデキル人の仕事って感じですよ」

「ふふっ。そうですか? そんな大層な事はしてませんけどね」


 がくん、と小さな箱に振動。エレベーターは、また止まる。


 一拍置いてドアが開くと、私は思わず声を大きくしてしまった。


「えっ!? またっ?」


 誰もいないフロアー。


 すぐに押したボタンに反抗するかの如く、やっぱり閉まらないドア。


 次に私から出たのは、文句でも疑問でもなく、ただ溜息だった。


 本当に。何で今日に限って……。


 

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