『手を出したら殺しますよ』5
それからしばらく、私達は穏やかに楽しい時間を過ごした。
男の子はお絵描き。私はそれをのんびり眺めて。読書をする藤本さんは、時々手を止め顔をあげると、満足げに口許をゆるめていた。
男の子の描く絵が少しずつ増えていく。電車、車、ゾウやキリン。私達の絵も描いてくれた。
「若く見られたのね、誠心」
セツナちゃんが皺一つない藤本さんの似顔絵を見、フッと笑う。
と、私はそこで初めて知った。誠心とは藤本さんの名前らしい。
「光栄ですね。セツナ君なんかお姫様みたいになっていますよ」
「ホント! かわいい~」
「……違う。私はお姫様じゃない……」
セツナちゃんのドレスは、フリルとレースが三割増しになって、ヘッドドレスはティアラに書き換えられてる。
男の子には、セツナちゃんの格好は絵本に出てくるお姫様に見えるんだ……。
そうだろうなあ、なんて改めてセツナちゃんの姿を見たりする私。
私の視線に気付いたセツナちゃんは、ふいと目を逸らし絵を見つめる。
頬がほんのり赤かった。表情薄い彼女の微かな変化だ。
「か、花音は……」
「うん。よく書けてますね」
「……ですよね。忠実な再現だなー……」
三人で絵を見て、私に関しての感想はそこに落ち着いた。
セミロングの髪は、多少の癖が矯正されていて綺麗なストレートに変わっていたけれど、他は上手に再現されてる。
平凡な容姿は、子供のお絵描きにも優しい設計になってるようで……。
苦笑する私に、藤本さんが「花音くんの事をよく見ているという事ですよ」と微妙なフォローをくれた。
「それ、フォローになってる? 誠心」
「何かおかしな事を言ってしまいましたか? 私は」
「ははは……大丈夫です……」
そんなこんなで、私達が自分の絵に一喜一憂? してる間にも、男の子はまた別の絵を書いていた。
私が覗くと、男の子が顔をあげ笑う。
人物は描き終わっていて、周りにカラフルな彩りで花をプラスしているところだった。
「上手だね。もしかして、お母さんなのかな?」
大きな頷き。
ショートカットの女性がニッコリ笑ってる絵は、それまでの中で一番丁寧に描かれてる気がする。
子供の愛情って、こんな風に愛らしく向けられるものなんだって思うと心がほっこりした。
「セツナ君。これ……結城氏に伝言したらいかがでしょう? この特徴は良いヒントになるかもしれませんよ?」
「あっ、そうか!」
藤本さんの案はもっともだ。
ショートカット、頬に二つのほくろ、黒いワンピース。
男の子が書いた母親の絵は、彼女を探している結城さんの助けに十分なるはず。
「伝えてくる」
セツナちゃんは藤本さんの言葉に頷くと、店の奥へと急いで消えていった。
「早く見つかるといいのに」
私は、人混みの中をさくさく歩いていた結城さんを思い出す。いつでも自信有り気な、スッと伸びた背筋を。何でも知っている様な深い瞳を。
「大丈夫ですよ。彼なら、必ず」
「ですよね」
静かに微笑む藤本さんに、私も同意した。
今にも開きそうなお店のドアを見つめて。
結城さんが女性を連れて入ってくるのが想像出来る。完璧なまでに紳士的なエスコート姿。
そんな想像に何故か胸がキュッとなった。
「ん?」
……どうも今日の私は調子が変だ。
「どうしました? 花音君」
「あ、いえ。なんでも」
紅茶のおかわりでもいただこうかなー、なんて我ながらちょっと演技臭い言葉を発しながら、私は自分のキモチに首を傾げてみる。
自分でも分からない内に、感情が先走っていく感じが不思議でたまらなかった。
「お。いいねソレ。ついでに俺もコーヒー貰おっかな」
「きゃっ!?」
それは本当に突然現れた。
急な背後からの声。背中がゾクッと冷たくなった私は、思わず席を立ちあがってしまう。
若い男性の低い声は、結城さんと少し似ていたけど違う。
結城さんの落ち着いたトーンに対して、その声はどこか軽薄さが感じられた。
「っと! ビックリした。オーバーリアクションだね、アンタ」
「な、なるでしょ普通! そんな急に後ろから声かけられたら……!」
相手を睨みあげて文句を言ったものの、私は途中で言葉が出なくなってしまった。
急に現れたのにも驚いたけど、目の前の人物があまりにも“想像以上”だったからだ。
「君の登場はいつも突然ですね。少しは節度を覚えた方がいいんじゃないかな? 花音君たちの様な子には刺激が強いでしょう」
文庫本を閉じ、藤本さんは静かに言った。口調は穏やかだけど、少し怒っている様にも見える。
私以上に驚いた顔の男の子は、突然現れた背の高い男を明らかに怖がっていた。この子の事を怯えさせたのが、藤本さんには許せなかったらしい。
「慣れるだろ、その内。じーさんみたいにな」
まるで人を小馬鹿にした様な笑みを口元にたたえ。男は乱暴に隣のテーブルに座った。
明るい色の髪。その色に近いべっ甲縁の眼鏡をかけた男は、長い脚をテーブルの上で組む。
パーカーにジャケット、細身のパンツスタイルの彼は、まるで男性ファッション誌から抜け出してきたみたいな人だった。
ひとつひとつのアイテムが洗練されたデザインなどで、着こなすのは難しそうに見える。
それでも嫌味無くサラッとまとめてしまっているのは、理想的な体型と端正な顔立ちのせいだ。
……。言葉もない私。
どうしてこの店に集まる人は、こうも美形揃いなんだろ。
自分の場違いこの上ない感じが、ハンパないんですけど……!
「私だって別に慣れている訳じゃないですよ。ただ少し此処にいる時間が多い分、彼女たちよりも君に免疫が有るだけです」
藤本さんには珍しく、刺のある言い方だと思った。視線も合わせずぶっきらぼうに。
男もまた、それを気にする様子も見せずニヤリと笑う。
「へぇ……。免疫ねぇ。言ってくれたモンだ」
「長くこうして居ますとね、諦めも覚えるんですよ」
「諦め? じーさんが? ハッ……笑わせるなよ、アンタがそれを言うか」
くつくつと笑い続ける男は、目を閉じ何も言わなくなった藤本さんをチラリと盗み見、そしてまた口許を歪ませた。
嘲う眼。
細い三日月の様な男の瞳は、冷たいナイフみたいだった。
一瞬の鋭さに体が固まる。男の子もますます恐怖心を顔に張り付けた。
「まぁ、いいやソレは。ところでさ、そのサガシモノ……俺知ってるよ」
「えっ!?」
今までの私達の会話を聞いていたのか、男はテーブルの上の絵を見て言う。
藤本さんも私も、その言葉にハッとなった。
「知ってるんですか? この子のお母さんのこと!」
「まあね」
「……。知ってるって、君……それは」
「会いたいか? なんなら俺が案内してやってもイイけど?」
男は、不安と期待を混ぜて自らを見上げる男の子にそう言った。