『手を出したら殺しますよ』4
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一度しか通ってない道だ。しかも、記憶では結構入り組んでいたような気がした場所。
迷わず辿り着けるか心配だったけど、それは杞憂に終わりすんなりとお店に来ることが出来た。
案外こういう記憶って、自分が思ってるよりちゃんと残っているものなんだな。昨日の今日なのだから余計かもしれないけど。
フッと短い呼吸をドアの前でした。知らずうち、手に少し緊張が乗る。
ドキドキしてる胸を自覚しつつ、お店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ。花音」
今日私を迎えてくれた声は、昨日聞いた声と違っていた。
小さい音ながらもよく通る、落ち着いたアルトボイス。
「こ、こんにちは……」
聞こえてきた声に何故か妙に緊張してしまう。静かな店に伝う静かな声は、不思議な威圧感があるのだ。
(ナユタ君じゃない……。女性……)
どんな人が現れるのかと店のカウンター奥に視線を送った。もしかして……ナユタ君が恐れおののいていたオーナーって人?
「ちゃんと会えるのを楽しみにしていたの。まさか、こんな早く会えると思わなかった。うれしい」
「あっ……!」
てっきり声の感じから大人の女性だと思ってた。だから、オーナーさんなのかとばかり……。
ところが、予想に反し声に遅れて姿を現した声の主は、ナユタ君によく似た可愛らしい少女だったのだ。
「はじめまして花音。私はセツナ。ナユタとは魂を分けた双子で、私は妹」
あからさまに驚きを出してしまった私に、セツナちゃんは瞳を細め微笑む。
大人びた色。
幼い少女の容姿とは全く真逆な雰囲気を持つ彼女に、私はちょっぴり戸惑ってしまった。
昨日のナユタ君が着ていたメイドドレスよりフリルやレースをふんだんにあしらった、ゴージャスな黒のゴシックドレス。
柔らかそうな、チョコレート色のストレートロングの髪。そして、双子の兄と全く同じなオッドアイの瞳。
初めてナユタ君のことを見た時お人形さんみたいだなと思ったけど、セツナちゃんはさらにその感想を強く抱かせるような子だった。
(すごい………。アンティークドールみたい)
「今日はナユタ君いないの?」
明るい声が一向にしないので、私はセツナちゃんに聞いてみた。ぐるりと店内を見渡しても、彼の姿はない。
奥のテーブルに老紳士と小さな子供の姿が見えたけど、こちらに背を向けた子はナユタ君にしては幼く小さく見えた。
「ナユタは、今日はお使い。遠くまで行ってるだろうから戻りは遅いはず……」
「……あ、そうなんだ」
華奢な体を舞うように動かして、セツナちゃんはカウンターへ入った。
レースの裾が優雅に。微かにいい香りが漂う。
香りは薔薇。彼女のヘッドドレスにひとつ咲くその白い花は……中庭に咲いていたものなのかもしれない。
「おいしい紅茶を淹れてあげる、花音。今朝とても良い茶葉が入ったから」
セツナちゃんの喋り方は、あまり抑揚がない淡々とした感じで。でも、ニコリと小さく笑う口元を見れば、彼女が口調の裏に隠している感情を垣間見れる気がした。なんか少し……嬉しそう?
「あ! セツナちゃんもナユタ君と一緒で紅茶を淹れるの得意なんだね?」
「……ん。でも、私の方がナユタより上手」
「ふふっ、そうなんだ。すっごく楽しみ」
こくん、と無言で頷くと、セツナちゃんは紅茶を淹れる準備を始めた。
やっぱり相当手馴れているのだろう。彼女の動きには無駄が無さそうに見える。余計な音も一切立たない。
だから、とても静かに時間は過ぎていく。
流れている時間が、実は止まっているんじゃないかと錯覚しそうな程に。
ナユタ君が明るい太陽だとすれば、セツナちゃんは静かな月の雰囲気。双子と言えど、持つ雰囲気や性格は真逆なんだろう。容姿はやっぱりとてもそっくりだけど……。
「好きな所に座って、花音。あと少ししたら持っていくから。良かったらスイーツも一緒にいかが?」
「うん! お願いしますっ」
中庭に行こうかな、と返事をしながら一瞬思った。見渡した店内には結城さんの姿が見えなかったから。もしかしたら中庭の席にいるかもと期待したのだ。
だけど、なんだろう?
思った瞬間、何となく「結城さんはいない」という気がしてならなかった。
気配を感じないというか、何というか……よく分からないけど直感的な感じで。
(気配を感じないって……。どんだけ結城さんの姿追いかけてるんだ私)
というか、何が分かるっていうの? 結城さんレーダーがついてる訳じゃあるまいし。
こんなのまるで、必死みたいじゃないか。結城さんにどうしても会いたいって、心が逸ってる様……。
(私……焦ってるのかな? 思ってる以上に)
――だけど。
ナユタ君がいない事は簡単に聞けたのに、結城さんが今日来ていないのかどうか尋ねる事は、どうしても出来ないでいた。
だって言葉にしたら、自分のキモチが全部セツナちゃんに見えてしまうんじゃないかって……。
彼女の大人っぽい静かな雰囲気の前では、私の忙しない心なんてあっという間に露呈しそうな……?
そんな気がするのだ。
だから聞けない。聞き辛い。
店に入った時から気付いていた甘い匂い。注文されたスイーツのものなんだろう。
「こんにちは。藤本さん」
昨日と変わらず、カウンター席で本を読む老紳士に声をかけた。パッと穏やかな顔が私に向く。
「やあ、花音君。こんにちは」
昨日も思ったけど、藤本さんの歳を感じさせない容貌は、品の良さも合わさって凄く素敵。絶対若い頃とかモテたはずだ。
「ご一緒してもいいですか?」
「勿論です。さあ、どうぞ」
目元に皺を沢山作って、藤本さんは笑顔で自分と小さな男の子の間の席を薦めてくれた。
男の子がキョトンとした顔で私を見る。食べかけのパンケーキのクリームを口の周りにつけたまま。
おじゃまします、と笑いかけたら、恥ずかしそうに俯き、また無言でパンケーキを食べ始めた。
歳は幼稚園年中さんといったところかな? 人見知りも真っ最中なのかもしれない。
「えっと……。藤本さんのお孫さん?」
「いやいや。残念ながら、私には子供がいないのでね。この子は孫ではないんですよ」
「え? じゃあ……」
この子はだれ?
どこからどう見ても、お爺ちゃんと孫にしか見えない組み合わせ。一緒に座っているから、そう信じて疑わなかったのに……。
藤本さんは、うんうんと頷き微笑む。そして、もう冷めてしまっているコーヒーを一口口にすると、私に事情を話してくれた。
「この子は迷子でしてね。午前中からこの店で保護しているんです。見ての通り彼は少々口下手さんなので、親御さんの情報も彼自身の情報も分からなくて……」
「迷子!?」
「そう。ですがこんなに小さな子ですし、親御さんもきっと近くにいらっしゃって心配しているに違いない。必死で探しているかもしれない」
「ですよね……。あっ」
転がる赤が視界に飛び込んでくる。
男の子がフォークで刺そうとした大きな苺が、刺し損ねてテーブルまで転がってしまった。
「おやおや。苺さんが逃げてしまったね」
藤本さんがそれを摘まむと、男の子が笑顔になった。人懐っこい笑顔。あーん、と口を開けたので、藤本さんは目尻を下げ「本当は行儀が悪い事なんですよ?」と言いつつ苺を口に入れてあげる。
男の子はもう藤本さんには懐いているらしい。
うーん。こうして見てると、やっぱり祖父と孫だ。
「ですからね、今、結城氏が彼の親御さんを探しに行ってくれている所なんです」
「結城さんが?」
「はい。ちょうど花音君とは入れ違いになってしまいましたが」
「あ……そうなんですか……」
「きっとすぐ戻ってきてくれますよ。彼の親御さんと一緒に」
藤本さんと目が合うと、ニッコリと微笑みが返ってくる。
思わずドキリとした。
私が結城さんの事を探しにココへ来たのを気付いているみたいなんだもの。
これぞ年の功ってやつ? 人生大先輩の藤本さんには下手な誤魔化しが効かなそうだ。
「はぁ」と曖昧な返事になってしまった私に笑うと、藤本さんは男の子にも笑った。
「ね? だから此処で、もう少し待っていましょう」
「………」
男の子は、こくん、と黙って小さく頷いた。
寂しいに決まってる。
知らない場所でひとり……こんな小さな子なのだ。
親とはぐれた寂しさと怖さは、美味しいスイーツでどこまで縮小出来るのだろう。
夢中で食べている姿を微笑ましく見る一方、胸の中には切なさも広がった。
この子は、本当は人見知りする子じゃないのかもしれない。でもそう見えるのは、不安が彼に作用しているせい……とか?
(だとしたら、早くお母さんと会わせてあげたいよね……)
「お待たせ、花音。本日の紅茶はキーモン。スイーツはこちら」
「ええっ! 美味しそうっ」
ところが。
セツナちゃんの持ってきてくれた紅茶とスイーツで、私の中に広がっていた切なさは一気に退散してしまった。
薄いパンケーキが数枚重なり、たっぷりの生クリームとメープルシロップ。苺とブルーベリー、ラズベリーにクランベリーの色鮮やかさ。
キーモンのオレンジ色からは、上品な香り。
真っ白なお皿に乗るスイーツの色に、紅茶の甘い香りに、意識の全部を持っていかれた。
「すごーい! 豪華! 贅沢!」
我ながら、単純というか。この場合は薄情というべきか。
物言わぬ他の三人の視線に、私はハッと現実に戻る。
つい空気も読まず、はしゃいでしまった。
「……あー……ごめんなさい」
「ううん。花音はそれでいい」
「ですね。花音君の幸せそうな笑顔は、とても良いと思います」
「あ。……いや、そこまで言われちゃうと……逆に恥ずかしいですね」
まさかの周りの反応に、照れ笑いでこたえる。男の子の方を見ると、ニコニコ笑っていた。
どこまで意味が分かっているかは謎だけど、様子から受ける感じでは楽しそうにしてるみたい。
少し安心した。