『絶望と希望を天秤にかけて』10
三度目の再生が始まるまで、もう少しだろう。私は、他人の後悔がうまれた日を何度見れば……。
「花音ちゃん」
ベンチの端から零さんが溜息を飛ばしてきた。何です? と横目で返事をした私に、彼は抑揚の無い声を出した。
「どうして庇おうとした。放っとけばアンタは喰われなかっただろ」
「ああ……」
「俺のこと、すげー怒ってたじゃん。そのままでいたら良かったのに。なんで」
「――うーん。なんでだろう?」
「は?」
「体、勝手に動いちゃってたからなぁ……。あ! 人を食べようとしたセツナちゃんを止めたかったのは間違いないです。その点では、相手が零さんじゃなくても同じ事してたと思う」
「何それ。さすが“透神サン”だね」
「だから変なあだ名やめてください」
「嫌味じゃねぇよ」
肩を竦めて零さんは苦笑する。
「でも、やっぱりバカだな。……今ごろ結城はどんな顔してんだか」
「うっ」
痛いところを突かれた。
白い空を見上げ「ですよねぇ」と笑ってみる。こうして作り笑いしていないと、また涙が零れそうだったから。幸い、涙はギリギリのところで踏み止まってくれ、私の目はいい塩梅に目薬を点した直後と同じ潤いを得るだけで済んだ。
「あの……。零さんは、ちかさんが言おうとしていた事を知りたいんですか?」
「いや別に。なんとなくは想像つくし」
「……逆プロポーズ……」
「はぁっ!? 違うわ! 千花だって否定してただろーが!」
「あ」
ブワッ! と一瞬で耳まで真っ赤になった零さんに驚いた。二人して同じ事を言っているけど、反応が反応だけに疑いたくなる。「本当? 嘘?」と視線を向ければ、頬に赤みを残した零さんは首を横に振った。
「俺らに恋愛感情なんてもんは無かったよ。普通に考えろよ。俺、アイツを回収する為に近付いた死神だぜ? そんなのと恋だの愛だの騒いでどうすんの。結城と花音ちゃんじゃあるまいし」
「……」
「そもそも俺、生きてた時から恋愛向きじゃなかったんだよね。“まずは自分”ってところあるから、俺は良い思いしてるけど相手の子は……とかだったもん。多分。そんなんダメっしょ」
(ん? 既視感のある話が……。あぁ、そうだ、田所さんだ!)
それにしても、田所さんはともかく零さんの口から『恋愛向きじゃない』という話が出てくるとは。
……私は、ランチ相談会の日を思い出しながら、あの時の自分の感想をそっくりそのまま零さんに伝えた。
「でも零さん、」
「人生最後の恋の相手が死神《俺》? 千花が気の毒――」
「自覚しているなら、ちかさんには無神経な行動しなかったと思うんですけど」
言葉が重なる。
「っ!?」
零さんは目を見開いた後、ほんの少しだけ微笑んだ。
「だとしても、選ばなかった」
「……」
――いいや。きっと零さんはちかさんの事が好きなのだ。特別に思っている。
彼女の最後のこだわりが花火大会夜の告白だったのか分からないけれど、零さんが結城さんへ怒鳴っていた時の言葉――数時間でも、彼女にとっては意味のある時間だった――その重さが徐々に胸に響いてくる。
(ここに来なかったら何も知らずに終わってたのか……。でも、知って良かったと素直に思えないところがどうにもな……)
一度流れが悪い方へ傾けば、止める術が無い私達はあっという間に負の勢いに飲まれる。過去に転がされ、道を塞がれ、真白の闇の中でもがくしかない。
『行きはよいよい……帰りは……』
ふと、横断歩道に流れる陰鬱なメロディーが頭をよぎる。
帰り道は本当に、もうどこにも無いのだろうか?
――三度目の“再生”を、私は一人無言で見た。
膝の上で頭を抱えている零さんにどういう言葉をかけていいのか思い浮かばなかったから、視界に彼を入れない様にして。
悲しいのは、三度目では変な余裕が出てきて、登場人物達の様子を冷静に観察する自分がいる事だった。
(ちかさん……この日も零さんに来て貰いたかったんだな――)
会話の合間に見せる些細な表情の変化や視線の移動。私が三回で気付いたのだ、零さんならすぐ気付いたはず。きっと他にも、色々と……――。
「もし千花が生きてる間に、花音ちゃんと優海ちゃんに出会ってたら……。アイツも何か変わってたのかな……」
「え?」
再生が終わると、零さんは大きく息を吐き呟いた。
「影響されたのだろうか、って言ってんの。花音ちゃんも優海ちゃんも、なんか自己肯定感低いじゃん? それ、千花もだし……。三人揃って傷の舐めあいしてる内に、いい感じに上向きになったかも」
「な、舐めあい――」
「あ。ヤバい言い方だった?」
指に髪を巻き付け首を傾げる零さん。猫っ毛が規則正しく指先で跳ねている。
この人は考えるより先に言葉が出るのだ――毎度イラッとさせられるが、もう慣れた……。
大袈裟な溜息で抗議しつつも、私は「いえ」と首を振った。
「自分が自己肯定感低いのは自覚してますので」
「アンタ達似たりよったりだけど、同族嫌悪になりそうな雰囲気はないと思うんだよね。他人を思う気持ちが強いからかな? ま、全員その性格で自爆しまくってるけど。――二人じゃなくて三人ってのがポイントだよ。バイオリズムが重なってなければ、なお良し」
「えっとそれは…… 。励ましあうにも意見交換するにも、極端な方向には話がいかずに済むだろう、という意味ですか?」
「へぇ。分かってんじゃん。千花と優海ちゃんはもう無理だけど、花音ちゃんはこれから――」
零さんは私の背後を見やりながら、くすりと笑った。
「なんでも出来るだろ?」
「は?」
(また“トウガミさん”に結び付ける冗談なのか? しつこいな)
「ほら」零さんの指が背後を指す。私がポカンとしていると、「アレだよアレ」苦笑で彼は続けた。
「花音ちゃんは帰れそうだ」
「っ! な、なんで……炎が……」
「標だね。花音ちゃん専用の」
振り向いた先に見える小さな青い炎。弱々しく揺れるそれは、時々オレンジ色の欠片を吐き出しながら、なんとか炎の形を保っているみたいだった。
標――ナユタ君の中で結城さんが灯したもの。あの時は何個も光って道を作っていたが、一つ一つが魂だった覚えはない。
だけどあれは、間違いなく魂の光だ。しかも、今にも消えそうなくらい弱っている。