『絶望と希望を天秤にかけて』7
✽✽✽
チリン
鈴の音が一度。
小さくどこかから響いてきて、私は目を開けた――。
(えっ!? どうなったの? 私)
あ~人生終わったな、と覚悟したのに……見覚えある場所に放り出されている。
一本の木を見上げ、呆然となった。
なんで美咲中央総合病院の中庭――!?
(優海さんの記憶世界に戻っちゃった……とか? え、でも、そんなこと……)
一瞬で頭が真っ白。
庭に集まる人達の笑顔や疲れた表情をぐるっと見渡した。肌を撫でる微風や花の匂いはとてもリアルだが、どことなく音は遠い気がする。――まさか。本当に?
「私だけ? セツナちゃんは……」
獣もゴシックドレスの少女も見当たらない――代わりにナユタ君の言葉が脳内に蘇ってきた。
『花音さんへ悪意が向けられた時“だけ”、お守りしなさいってマスターに言われてますからねっ』
『我が主は、何故こんな娘に時間を与えてやるのか。あの阿呆も共に喰ってしまえば楽に片付くというのに……。主はお前を“喰うな”と言う』
「あ……」
指示に従って保護せねばならない人間達。
彼女の理性を崩した、過去と現在の人間達。
私は、命令を破る形にしてしまった……原因。
『セツナには気をつけてちょうだい。あの子はヒトと相性が良くないから』
(そういうことかぁ……)
「はあぁぁぁ」
長い長い溜息が出た。
ミツキさんの忠告を今頃思い出すとか。結城さんに“忠告を聞かない”と言われ続けた日々は何だったんだよ、私。
(いや……いまさら……か。死んだら全部ゼロ)
――死。
自分で言ってもピンとこないけど。結城さんがナユタ君の力を借りた時と違い、あれだけがっつり食べられた(多分)のだ。今頃現実では――。
(『自分の身を守ることを第一に考えてね』って言われたのに、自分から突っ込んでいったもんな……)
「でもじゃあ、ここにいる私は何なんだろ……。これからセツナちゃんに“消化”されていくのか?」
少しずつ体が溶けていったり? あるいは透けていったり?
――想像すると何とも言えない気分になった。
穏やかな病院の庭でその時を待つというのは、最後のサービス……とでも言うのだろうか。優しいのか残酷なのか、よく分からない、謎のシステム。
ひとまず近くのベンチに座り、通り過ぎる病院着の人や子連れを眺めた。
病気や怪我、お見舞いですら来た事が無い病院の中庭を、“懐かしい”と感じるなんて、奇妙な話だとつくづく思う。すんなり受け入れて、対応出来るようになってる自分も相当だけど。
(そういえば、優海さんは大丈夫なのかな。ナユタ君が猫になっていた理由も気になる)
「手、思いっきり払いのけちゃった。結城さん……怒ってるんだろうなぁ」
(必死だったから、顔、見てない――)
があれが最後だと思うと泣きそうになった。
「もう二度と会えないのかな」、「いや、結城さんなら助けに来てくれるかも」と、独り言で涙を散らそうとしたけれど、朋絵と田所さん、ミツキさんと藤本さん、ナユタ君セツナちゃん、自治会長――みんなの顔が浮かぶと駄目だった。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなって。
『花音さん』
耳に残る結城さんの少し艶っぽく優しい声が、涙腺を刺激する。
ぽろぽろ溢れる涙を、何度も手で拭った。
帰りたい。
会いたい。
置いていかれる悲しみと置いていく苦しみが、混ざり合い、重い塊となり自分にのしかかる。不安も加わり潰されそうだ。
神妙な面持ちで検査のファイルを抱え歩いていく人を見かけて、私はまた涙を拭った。
微かに漂ってくる金木犀の香りが、唯一の救いの様な気がした――。