『絶望と希望を天秤にかけて』5
「ふと気付いちゃったんだけど。この子が俺に協力するのはさ、最期の罪滅ぼしみたいな意味合いもあるんじゃない?」
零さんは笑い、続ける。
「彼が本当に医者目指してるなら、元カノとその子供を助けられなかった事は、志高い奴には結構キツいだろうし、病んでる母親は、孫も依存してた娘も失ってガチで壊れるかもしれない。色んな噂はしばらく世間を賑わせて、友人やら過去の関係者やらを追い詰める時が来たりして? 今のSNS怖いよ~?……それ期待しながら死んでるんだよ、彼女。むしろ、『そうなっちまえ』と思ってるね」
「え……」
蒼白の優海さんと視線が合う。的外れな指摘にショックを受けているのだろうと思った。「優海さん?」――けれど、違ったみたいだ。
彼女の目に浮かんでいる涙は、真っ透明な雫ではなくて。後悔や悔しさ、怒り――隠されていた優海さんの本心と充血した瞳によって、赤く染まっていた。
「なのにさ、ま~だ自分には良心があるって言いたくて足掻いてんの。だから『誰かの為になるなら』と俺の話に乗ったんだな。いやぁ、複雑だねぇ。ヒトってのは」
零さんの長い話を聞き終えた結城さんが、振り返る。優海さんを見つめる瞳の変化を見逃してはならないと思ったら、つい呼吸を忘れて体が固まった。
結城さんの気持ち次第で、一度決まった話がひっくり返るかもしれない。零さんが言った様に“双子に喰わせて終わり”にすると――。
けれども、結城さんの瞳の色は変わる事はなかった。微笑みが浮かぶ事もなかった。
「……零。お前は、復讐を果たしたがっている魂を使い、私に復讐するのもまた良し。面白い、と思っているのですか?」
「お前って、いつも話が通じないくせに、時々気持ち悪いくらい俺のコトを理解するよな。なんなの?」
「……」
唇の端を引き上げた零さんは「ああ、そうだよ」と頷く。
「結城さんに復讐……。零さんそんな事まで言ってるんですか」
「何かあればそればかりですよ、全く。言いがかり、逆恨みもいいところでして……。私はまともに仕事をしただけなのに」
「まとも? ふざけんな! あれは俺の仕事だった……。横から手ぇ出して台無しにしたのはお前だろうがッ! お前がいなかったら、アイツは……!」
怒鳴り声に、優海さんは耳を塞いだ。
「優海さん……」
復讐――彼女がやりたかった事は、本当に復讐なのだろうか?
すぐには信じられない。(だって、優海さんだよ?)と、彼女の気持ちを覗いてきた分、私の心はざわついた。
「あのね、優海さん。私さっきまで、あなたの過去を見てたんだ……。勝手に覗いてごめんね」
「……」
「でもそこで感じたのは、すごく辛い気持ちを沢山経験しているから、この人はこんなに優しくて強いんだなって。普通の人じゃ出来ないだろうなって。――だから、零さんが言ってる話は信じられなくて」
「…………」
私が言うと、優海さんは弱々しく首を振った。落ちる涙が二つ。そして彼女は、困った様に微笑む。
本当だよ――
声が聞こえてくるようだった。
それでハッとした。
私は「違います」と否定して貰いたかったんだと思う。優海さんの気持ちは別で、私が、自分で見て感じたものが間違っていないと証明する為に――。
「『もっと私の気持ちを知って欲しかった』」
「え? セツナちゃん?」
「……。その顔して、あの子も言ってた――」
それまで反応を見せてくれなかったセツナちゃんが、優海さんを指差し呟いた。
(あの子も? 優海さんの事じゃない――誰?)
ナユタ君は私の疑問を察してくれたみたいだ。セツナちゃんの手を握り「僕たちの前の飼い主の事です」と教えてくれる。
「正式なマスターじゃなかったけど……」
――それ以上は、ナユタ君も喋らなかった。言いたくない事情があるのだろう。
「誰も、本当のあなたを見ようとしなかった……。みんな優海さんのそばにいたのに……」
「……」
とはいえ、優海さんの周りは理解力が無い人ばかりではなかったと思う。彼女自身、自分の心の内をうまく伝えられる術があれば、もう少し楽に過ごせたかもしれない。
(って、言うのは簡単だけど……)
それが難なく出来るなら、私だってもっと前向きな人間になってる。
躊躇する。出来ない。辛いけれど、飲み込んだ方がまだマシな気がして。沢山選択肢があっても、思い込みや考え方の癖で、道は一つしかないと思った。
気が付いたら、分かれ道は無くなり、周りには目印も何も無く。振り返っても、当然、戻れやしない――。
他人に嫌われたくない気持ちと認められたい願望は、強ければ強いほど、自らを追い詰めていくものなのだろう。
優海さんがそうであった様に。
(私も、同じ……)
「復讐からは何も生まれない、自己満足が残るだけ――」
「誰が言った」
「えぇ、藤本さんが。彼の言葉は、とても不思議です。聞いた時は全く響かないのに、日が経つにつれゆっくりと染み込んできます」
胸に手をあて、結城さんは目を閉じた。
音楽か何かに酔いしれているみたいな姿。私は、風に揺れる葉音しか聞こえない。
「ああそうかよ。そいつは良かったな!」
零さんが隙を狙い、結城さんに拳を振るう。目を瞑ったまま難なくそれを受け止めると、結城さんはゆっくりまぶたを上げた。
「つまり、零。お前は自己満足を得る為に生きているのですね。あの娘の為ではなく」
「なっ……」
「付き合わされる彼女が気の毒だと思いませんか?」
「気の毒、だと……? どのツラ下げて言ってんだテメェは……。じゃあ、辻褄合わせで死ぬ日を変えるお前は何なんだよ……許されてるからって調子に乗りやがって――!」
「……」
結城さんは、冷ややかに零さんを見下ろした。