『絶望と希望を天秤にかけて』4
「優海さんもお願い。セツナちゃんに声をかけてあげて」
目を見開いた優海さんは、自分の口元を押さえ弱々しく首を振った。
「ううん、声が出なくてもいいの。優海さんの優しさがあれば大丈夫。セツナちゃんも、あなたのこと気にしてた。だから……二人通じ合えると思う」
「この子ですか?」
ナユタ君の目に優海さんが怯えた。一言の中に彼の別人格が混ざっていると、私もすぐに感じる。結城さんみたいに一瞬で纏う空気が変わるのだ。
「一人より二人。二人より……だよ、ナユタ君。力や言葉じゃ足りない時ってあるんじゃないかな。気持ちは一番大事。それを伝える為に必要なのが信頼」
「しんらい? 道具ですか」
「うーん……道具ではない」
「はぁ」
キョトンとするナユタ君。――そうか。この子が“信頼”を理解するには、もっと時間と人との関わりが必要なんだ。
「なんかカッコつけた言い方になっちゃったなぁ……。適当な事は言ってないと思うけど」
言いながら優海さんに視線を送ったら、彼女は弱った顔をした。伸ばしかけた手を膝の上に戻してしまう。
「優海さん?」
それを見ていたのだろう。零さんが「だよなぁ」と笑い始めた。
「優海チャンには無理でしょ。ムリムリ」
パタパタと服についた砂を叩いて立ち上がっている姿。髪の乱れを指で直す。眼鏡に息を吹きかける。これは……
――結城さんにアッサリと投げ飛ばされたんだな。
いかにも、返り討ちにあいました! な姿で言われても……。「ははは。あなたも無理だったんですね」と、胸の中に乾いた笑いしか浮かばない。
「弱い小僧だ」ナユタ君(別人格)は低く呟き、くっと笑った。
「零さん、どういう意味ですか」
「まんまだよ。手を握って話しかける? 大丈夫~戻ってきて~って? 同じ様にされていたのを突っぱねて死んだ、優海チャンが? いやぁ、冗談でしょ。片腹痛いね」
「それは……」
最後の一言は余計でも、そんな事はないと反論出来なかった。病室で優海さんに語りかけている両親の姿を想像すれば、彼女がこの場にいる事実は、やはり肯定していいものと言えないから。
私のお願いに、優海さんが躊躇い、止めてしまった理由はそこなのだろう。
――私と重なるセツナちゃんの手が再び反応した。同時に、優海さんは身を丸めて私達から少し離れていった。
二人の間に見えない壁が出来る。
私は、都合の良い夢を見過ぎた? 何をしても裏目に出る?
(誰かが悲しい思いをする結果しか呼べないなんて、思いたくないよ……)
「花音ちゃんは相変わらずマジメだよね~。ちょっと言えば、全部受け取って真剣になっちゃってさ。でもよ、どうせ考えたってイイ子な答えしか出さないんだもん、時間無駄じゃね?」
「――は?」
「その点、優海ちゃんは面白いよ。上っ面だけだって、最終的には自分で証明してくれるし」
「上っ面……」
「思いやりの塊みたいな顔して、容赦ねぇよな。死ぬ事で全員にトラウマ残そうってんだからよ。な? 優海サン?」
「…………」
「な、何言ってるんですか……優海さんがいつそんな事」
「俺もアンタも盛大に吹っ飛ばされたばっかじゃん。結局、この子ん中で一番デカいのは、他の奴らへの憎しみだろ」
顎で優海さんを指す零さんは、妙に嬉しそうで気持ちが悪い。
「ってことで。こちらとしても罪悪感なくいける訳ですよねぇ」
「っ!」
いける――魂を取っていく。
私は優海さんの前に立ち彼女を隠した。させない、させるもんか。零さんにだけは渡さない。
「お前の口から罪悪感なんて言葉が出てくるとは。驚きですね」
すると、両手を広げる私の前に結城さんがスッと立った。
頼りがいのある背中に、安堵から溜息が出る。……実はちょっとだけ足が震えていた。ここに戻ってくる直前のパニックが頭に残っていたからだ。
零さんと合うはずのない視線が合った時の衝撃は、思い出すと背が冷える。次に何が起きるか分からない怖さに、体が強張る。
――結城さんの長身の向こう側から、舌打ちが聞こえた。
「俺だって元は人間だし? 何もねぇテメェよりかマシだわ」
「私にだって“それなりのもの”はあると思うんですけどねぇ……。まぁいいです。――谷口優海の処分内容を決定しましたので、零は速やかに、彼女との契約を破棄する様に」
「はぁ!? 処分? 自殺者嫌いな死神様は、どうせ双子のどっちかに喰わせて終わらせるんだろ。何回も言ってるけどさぁ、余ってる優海ちゃんの寿命、ただ消すだけじゃ勿体ないじゃん。俺が貰って何が悪いワケ? 回り回って人の為になりますが?
「誰の為にもなりません」
「なるんだよ」
零さんが苛つきを露わに声を上げた。
夜風に乗った低い音が、私と優海さんの足元に滑り込んでくる。地獄から這い上がってきた亡霊が溶けているのではと思う程、それは、冷たくおぞましい空気だった。